ヘスス・C・ボルハ
ヘスス・C・ボルハ | |
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Jesus Camacho Borja | |
第4代 北マリアナ諸島副知事 | |
任期 1994年1月10日 – 1998年1月12日 | |
知事 | フロイラン・テノリオ |
前任者 | ベンジャミン・マングローナ |
後任者 | ヘスス・R・サブラン |
個人情報 | |
生誕 | Jesus Camacho Borja 1948年9月14日(76歳) 太平洋諸島信託統治領 マリアナ諸島・サイパン島 |
政党 | 民主党 |
配偶者 | メアリー・アン・マングローニャ・パンゲリナン |
子供 | 6 |
教育 | ロックハースト大学(BA) ジョージタウン大学(JD) |
ヘスス・カマチョ・ボルハ(英語: Jesus Camacho Borja; 1948年9月14日 - )は、アメリカ合衆国・北マリアナ諸島の政治家、弁護士。1994年から1998年まで、民主党のフロイラン・テノリオ知事のもとで第4代副知事を務めた。
経歴・人物
[編集]1948年9月14日、父リカルド・トゥデラ・ボルハと母アントニア・サブラン・カマチョの間に生まれた。1972年7月にメアリー・アン・マングローニャ・パンゲリナン(Mary Anne Mangloña Pangelinan)と結婚。夫婦の間には6人の子供がいる。
1974年にワシントンD.C.のジョージタウン大学で法学の博士号を取得した[1]。1989年から1993年まで北マリアナ諸島最高裁判所の准判事を務め、弁護士としても数年間法律事務所に勤務していた[1]。
1993年の知事選で、ボルハは民主党の知事候補フロイラン・テノリオの副知事候補として立候補し、当選。1994年1月10日、北マリアナ諸島の第4代副知事に就任した。
テノリオは1997年の知事選への不出馬を宣言したため、ボルハは民主党候補の予備選挙への出馬を表明した。しかし、テノリオはその後予備選に出馬し、支持が分散した。予備選でテノリオが27.4%、ボルハが27%の得票を得て、テノリオは民主党の候補として知事選に出馬した。結果、共和党のペドロ・テノリオが45.6%の得票率で当選した。
2001年の知事選挙では、ボルハは副知事候補にブリジット市原を指名し、立候補した。 選挙の対抗馬は、共和党のフアン・ババウタ、誓約党の候補者ベニグノ・フィティアル、民主党のフロイラン・テノリオであった。結果、フアン・ババウタとベニグノ・フィティアルに次ぐ3位で落選した[2][3]。
2010年の米国下院選挙に出馬したが、現職のグレゴリオ・サブランに敗れ落選した[1][4]。
参考文献
[編集]- ^ a b c Deposa, Moneth (2010年4月9日). “Ex-lt. governor Borja seeks delegate post”. Saipan Tribune. オリジナルの2012年3月23日時点におけるアーカイブ。 2021年1月3日閲覧。
- ^ Samuel F., McPhetres (2003). “Northern Mariana Islands”. The Contemporary Pacific 1(15): 162-166. ISSN 1527-9464 .
- ^ Edith G. Alejandro. “GOP IN LANDSLIDE CNMI VICTORY: BABAUTA GOVERNOR”. Pacific Island Report. 2021年1月3日閲覧。
- ^ Deposa, Moneth (2010年7月29日). “Borja files candidacy for delegate position”. Saipan Tribune. オリジナルの2012年3月23日時点におけるアーカイブ。 2021年1月3日閲覧。
公職 | ||
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先代 ベンジャミン・マングローナ |
北マリアナ諸島副知事 第4代: 1994年 – 1998年 |
次代 ヘスス・R・サブラン |
党職 | ||
先代 フロイラン・テノリオ |
北マリアナ諸島知事選 民主党候補者 2001年 |
次代 フロイラン・テノリオ |