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プロジェクト‐ノート:日本史/コメント依頼:『古代氏族系譜集成』を出典とした執筆の是非について

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宝賀寿男著『古代氏族系譜集成』を出典とした執筆の是非についてのコメント依頼を提出します。

コメント依頼の目的

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『古代氏族系譜集成』CiNii図書リンク国立国会図書館サーチは宝賀寿男が自身の系図研究の成果をまとめた書籍で自費出版と見られますが、学術誌での紹介(宝賀寿男#評価参照)や、同書を大きく参考にした書籍[1]もあり、信頼できる情報源とみなして同書を出典として、Wikipedia日本語版への執筆が行われてきました。今回、学者気取りの先頭はここで終わり!さんが、同書を出典として執筆した内容を信憑性が低いとして大量除去を開始したことをきっかけに、同書を出典として執筆をすべきでない/してもよいの双方の主張が対立し結論が出ていません。そこで、このコメント依頼では、両主張に対して第三者からのご意見をいただき、同書を出典とした執筆の是非について合意形成を図ることを目的とします。

なお、出典として執筆をしてもよいとの主張からは、「Wikipedia上での書き方については、既に執筆されている物を含めて改めて協議を行うべき」との意見を出しているため、執筆をしてもよいとの主張に対して肯定的に合意がなされた場合でも、Wikipedia上での書き方については改めて議論を行うこととします。--Snap55会話2022年6月3日 (金) 05:47 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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『古代氏族系譜集成』は家系や系図に関する情報が大量に記載されていることから、2010年以前よりWikipedia日本語版において古代の人物項目を中心に同書を出典とした執筆が行われてきました。

2022年3月6日頃より、学者気取りの先頭はここで終わり!さんが宝賀寿男に関連する情報源を元に執筆された内容の大量除去を開始されました[2]

情報除去の事例。

これに対して、3月8日以降に学者気取りの先頭はここで終わり!さんの会話ページにて、複数のユーザーから『古代氏族系譜集成』を出典として執筆してもよいとの立場に基づく意見が提示され、議論が行われましたが、学者気取りの先頭はここで終わり!さんは『古代氏族系譜集成』を出典として執筆すべきでないとの主張を維持され、合意が得られていません。

当初は、宝賀寿男が同書で数多く取り上げている、鈴木真年や中田憲信の遺した系図類(一次資料)の真正性の議論が行われていました。しかしながら、その後論点を整理し、これら一次資料に真正性が低い物が含まれていることについては合意が見られ、それとは関係なく『古代氏族系譜集成』がWikipedia執筆のための情報源として適切かどうかが議論のポイントになっています。--Snap55会話2022年6月3日 (金) 05:47 (UTC)[返信]

『古代氏族系譜集成』を出典として執筆すべきでないとの主張

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『古代氏族系譜集成』を出典として執筆すべきでないと主張している、学者気取りの先頭はここで終わり!会話)さんのご意見は以下の通り。

主張のポイント

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以下理由により『古代氏族系譜集成』はWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:独自研究は載せないの観点で問題があり、同書に基づいてWikipediaに執筆することは適切でない。従って、既に記載されているものは全て除去すべき。

  • Wikipedia:独自研究は載せないにて「信頼できる資料」として記されている「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌」はWikipediaの記事の情報源として用い、それに該当しない『古代氏族系譜集成』は情報源として用いるべきではない。
  • 「学術誌に紹介される」だけならどんな粗末な偽文書でも研究者側が紹介しようと思えばいくらでも紹介できるため、研究者が具体的な根拠を用いて『古代氏族系譜集成』を紹介・肯定していない以上はWikipedia:信頼できる情報源には該当しない。
  • ciniiに掲載されていること及びWikipediaの宝賀寿男の項目が削除依頼されていないことは、ciniiの仕様(異端な論文でも掲載されていることが多々ある)や、宝賀の日本史学界における存在感のなさ(言ってしまえばどうでもいい存在)(ciniiに論文が多数掲載されているにも関わらず他の研究者に宝賀の研究が参考として用いられることがほとんどないように)であり、『古代氏族系譜集成』がWikipedia:信頼できる情報源に該当するか否かとは無関係である。
  • 宝賀の研究は通説や史実とはかけ離れたものが多く(三輪氏上毛野氏が同族であるとするように)、上でも述べたように他の研究者に受け入れられたり、そもそも取り上げられたりすることがないため、『古代氏族系譜集成』作成の過程で行われた「史料批判」は「独自研究」であり、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する。
  • 「記載できる情報量が非常に貧弱なものとなるためWikipedia:独自研究は載せないに抵触する情報を記載すること」と「Wikipedia:独自研究は載せないに抵触する情報を記載しないこと」を天秤にかけたら、後者の方がWikipediaの方針に理に適っている。実際に情報量が少ない項目もWikipediaには存在している。

補足意見(コメント依頼提示前)

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学者気取りの先頭はここで終わり!会話)の主観によるものですが。

  • 『古代氏族系譜集成』は、「様々な系図(実際は明治時代の鈴木真年や仲間の中田憲信がどこかわからないところから「発見」してきた系図ばかりですが)から宝賀寿男が考察して古代氏族の系譜を組み立てる」という本ですが、宝賀は上毛野氏三輪氏和珥氏阿曇氏などをそれぞれ独自の理論で同一氏族として結論づけていて、通説とは大きくかけ離れた「考察」を行うような、日本史に関する知識が不足しており、また独断的で自分勝手な「考察」を行う人物のため、『古代氏族系譜集成』の系図も参考にはなり得ず、Wikipediaに記すべきでは無いと思います。単に通説とは大きくかけ離れた考察をしても、後の研究の参考になる場合はあるのは承知していますが、宝賀の場合は自分の望む「結果」に合わせて、用いるべき資料を用いず、用いるべきでない考察を用いて「考察」をおこなっているため、それぞれの系図の考察によって自身の主張や史料との矛盾が生じています。例えば
    • 宝賀は考察の中で「世代」を重視しているが、『記紀』ですらスサノオ大国主命の世代に違いがある(『日本書紀』では実の親子あるいは7世代離れていて、『古事記』では6世代離れている)ため、宝賀の考察は不正確である。
    • 宝賀の主張する物部氏の系図を見ればわかるように、神話や伝説上の人物を全て実在した人物としているため、『記紀』や『先代旧事本紀』に記された人物であっても、独自の理論で平気で他の人物と同一視、あるいは存在しなかったことにしている。
    • 新撰姓氏録』を基準に、史料に記された氏族(猿女君など)を実在しなかったと断定していて、その根拠に「女性を祖として(猿女君の場合は天鈿女命)女性を幹とする氏族は存在するはずがない」と主張しているが、『新撰姓氏録』には女性を祖とする氏族(「山都多祁流比女命」の「四世孫毛能志乃和気命」の末裔を主張する阿刀部氏)が存在しており、宝賀の考察には独断的で自分勝手で不完全な部分が多い。
  • 宝賀は大学にてすら日本史学を専攻しておらず、研究者や学者ではなくあくまで在野の一般人であり、それだけならまだしも、Wikipedia:独自研究は載せないにて「信頼できる資料」として記されている「査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌」などに自身の論文を寄稿した経験や、本を出版した経験も無い(『古代氏族系譜集成』は自身の所属する「古代氏族研究会」なる団体が出版したもの、他の著作を出版している法令出版や青垣出版(星雲社)はお金を出せばどんな本でも出版できる)。
  • 佐伯有清が『史学雑誌』の「回顧と展望」では「注目すべき系図が数多く集められているが、古代氏族研究に利用するのには、十分な史料批判の手つづきをふむ必要があろう。」と述べているように、十分に史料批判が行われていない『古代氏族系譜集成』はWikipediaの出典として用いるべきではない。
  • 研究者に『古代氏族系譜集成』が資料として用いられることがない。例えば、駒澤大学 文学部歴史学科日本史学専攻講師である佐藤雄一は、自身の著作『古代信濃の氏族と信仰』において、「六国史」に登場する複数の金刺氏について述べている部分で「血縁などの具体的関係を表す史料はない」と述べており、そもそも『古代氏族系譜集成』の存在すら示されていない。

ちなみに宝賀寿男が寄稿している『古代史の海』という本は、同じく『古代史の海』に寄稿している半沢英一からも「『古代史の海』という少部数のアマチュア同人誌」と評されています。[1]

補足意見(コメント依頼提示後)

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コメント依頼開始後の追加意見はこちらに記載します。

『古代氏族系譜集成』を出典として執筆してもよいとの主張

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『古代氏族系譜集成』を出典として執筆してもよいと主張している、Snap55会話)の意見は以下の通り。

主張のポイント

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以下理由により『古代氏族系譜集成』はWikipedia:信頼できる情報源と解釈でき、同書に基づいてWikipediaに執筆することは適切。ただし、その内容の正当性が学会で定着しているとは言いがたいため、当主張に肯定的な結論が出たとしても、Wikipedia上での書き方については、既に執筆されている物を含めて改めて協議を行うべき。

  1. 宝賀寿男自身の手による論文約30本がciniiに掲載されていること、及び、Wikipediaにも宝賀寿男本人の項目が存在し削除依頼もなされていないこと、同氏が会長を務める日本家系図学会は副会長の東京大学史料編纂所教授・本郷和人ら歴史研究家が名を連ねている[2]ことから、歴史研究における著作者として一定程度信頼できる。
  2. 『古代氏族系譜集成』は、鈴木真年・中田憲信が遺した系図類を積極的に取り上げているものの、同書の「系譜部第一節」に「できる限り多くの系図関係資料を照合し、系図の原型を探求した結果を記述した。本書記載の系譜は原典そのものとはなっていない」とあるとおり[3]一次資料である原典の系図類に史料批判を加え編集した二次資料である。
  3. 『古代氏族系譜集成』自体は自費出版とみられるが、同書は学術誌に紹介されている(宝賀寿男#評価参照)ことから学術誌に準じる物と評価でき、Wikipedia:信頼できる情報源に該当する。

系図類一般の執筆方針としては、系図類の情報はまずはそのような情報(一次資料)があることを明示し、批判的に評価されているなら批判されていることを、仮冒と評価されているなら仮冒とされていることを、出典(二次資料)に基づいて記載すべき。Wikipedia:中立的な観点も踏まえて、真正性が証明されていないことを理由に、Wikipediaから除去すべきではない。 --Snap55会話2022年6月3日 (金) 05:47 (UTC)[返信]

補足意見(コメント依頼提示前)

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  • 系図類というのは、a)何らかの系図が世に提示される⇒b)真正性について議論⇒c)真正性について評価が定着、の流れで研究が進む物であり、当然「a」や「b」の状態で留まっているケースも数多くある(『尊卑分脈』のような世に知られている系図でも、『六国史』などに記載のない傍系の部分の真正性など評価できないし、実際に個々の系図で完全に「c」であると評価されている物などほとんどないのではと思慮)。また、「a」「b」自体も学術研究であり、更に言えばa⇒b⇒cの流れそのものも学術研究といえると考える。従って、Wikipediaには「a」「b」も学術研究の成果として記載すべきで、学者気取りの先頭はここで終わり!さんが主張されるように「c」以外は記載しないとすると、「記載できる情報量が非常に貧弱なものとなる」「学術研究そのものであるa⇒b⇒cの流れを記載できない」との問題があると考える。なお、『古代氏族系譜集成』は上記「a」「b」で留まっているものがほとんどと想定されるため、書き方は別途検討が必要と思慮。
  • 佐伯有清が『古代氏族系譜集成』に対して「古代氏族研究に利用するのには、十分な史料批判の手つづきをふむ必要があろう。」と評しているため、『古代氏族系譜集成』の内容を無条件でWikipedia上に記載すべきでなく、そのような評価を受けている情報であることを明示した上で、記載すべき。
  • 宝賀寿男に関連する情報源に対する当方の評価は以下の通り。
  • 信頼できる情報源に該当
『古代氏族系譜集成』、青垣書店等からの出版物
  • 信頼できる情報源に該当するかどうか中立
『古樹紀之房間』(古代氏族研究会公認HP)・・・個人サイトだが、日本家系図学会公式サイトからのリンクあり
  • 本郷和人由谷裕哉、赤坂恒明ら諸研究者が所属する学術コミュニティの座長とその著作に対して、一介の匿名Wikipediaユーザが、信用がおけないので一言一句Wikipediaに記載してはならない、などと主張するのは、些か違和感を持たざるを得ません。

--Snap55会話2022年6月3日 (金) 05:47 (UTC)[返信]

補足意見(コメント依頼提示後)

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コメント依頼開始後の追加意見はこちらに記載します。

第三者からの質問

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両主張を行っている、学者気取りの先頭はここで終わり!さんとSnap55への質問はこちらに記載下さい。両者からの回答もこちらに記載します。

執筆すべきでないとする立場への質問

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執筆すべきでないとする立場への質問はこちらに記載下さい。

執筆してもよいとする立場への質問

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執筆してもよいとする立場への質問はこちらに記載下さい。

両方の立場への質問

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執筆すべきでない/してもよいの両方の立場への質問はこちらに記載下さい。

第三者からの意見

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両主張を行っている、学者気取りの先頭はここで終わり!さんとSnap55以外の方は、こちらに意見を記載下さい。内容としては、同書を出典として執筆すべきでない/してもよい、のいずれに賛成するか(中立意見も可)、および、できればその理由を記載下さい。

コメント 門外漢による一私見として。結論を言うと「最低限でも帰属化する」もしくは「信頼できる情報源とみなさない」あたりかなと。
鈴木正信『古代氏族の系図を読み解く』(2022、吉川弘文館、ISBN 978-4642059411)という文献のp1-15が、「2020年代初頭時点での、日本の系譜学・系図学の現状」と云うべき内容になっています。
そこには宝賀寿男の名はあがりません。研究者として名が挙げられているのが、以下の6名。最初の5名はいずれも学者としてそれ相応のキャリアがあります。
このほか、論文だけが挙げられている方が下記の通り。
  • 是澤1956、1957、1958
  • 井上1965
  • 後藤1972、1975
  • 飯塚1995ほか
  • 青山1993、2013
  • 峯岸2007
宝賀は参考文献一覧にも全く名があがりません。これは、いわゆる学会では「あまり相手にされていない」ことを示唆しているかもしれません。もちろん私もこれ一冊だけなので断定するつもりはないです、あるいは分野内に派閥のようなものがあるのかもしれません。(※宝賀寿男#評価にあるように、全く無視されているわけではないようですが)
鈴木によると、太田亮は系図学(系譜学)を唱え「系譜学会」を設立し、分野への「関心が一時的に高まった」(宮地1922)ものの「十分に成功すること無く終息した」(佐伯1975)そうです。そして次のように評しています。
  • 「系図は(中略)歴史学においては(中世)信憑性の乏しい参考資料としての扱いに留ま」っていた(同書p9)
  • 「学問とは一線を画したところに置かれていた」(同書p10)
この状況を変えたのが佐伯で、それは「系図が発見された経緯や、今日までの伝来過程の確認、写本系統の調査、翻刻・校訂の作成、他史料との比較により記載内容の吟味、成立年代・編者の割り出し」といった分析手法を唱えたことで、「氏族研究における一つの方法論を確立」しました。(同書p11)
上に名が挙がった研究者たちは、こうした流れにのった研究者といえるでしょう。
いっぽう、宝賀はいわゆる歴史学・学会とは無縁のキャリアです。
実は私も宝賀の『古代氏族の研究』を2冊ほど持っています・・・が、(これはあくまで私の独自研究といえますが)宝賀の文献は「驚くべき」とでもいうような「成果」を記しているわけですけども、佐伯が提唱したような手法にもとづいているかはあやしく、宝賀寿男#評価にあるように「十分な史料批判の手つづきをふむ必要があろう」と評するべきものです。
手放しに(あたかも)「公認された歴史学的研究成果・事実」のように取り扱うべきではなく、少なくとも「要注意情報」(信憑性はともかく、こういう話もあるよ)として帰属化しながら使う、ぐらいではないでしょうか。--柒月例祭会話2022年6月4日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
  • コメント私も門外漢ですが古代史関連、特に古代氏族を調べていると宝賀を引用していることが多く(ほとんどが大小高低氏の記述のようです)ずっと気になっていまして、この機会に軽く調べてみました。結論を先に記せば柒月例祭さんのご意見と同じで、学術的に信頼できる情報源ではないと思います。引用する場合は帰属化が必須で、他の著者による参考図書に差替えが可能ならば除去が望ましいと思います。以下、長文ですが調査内容です。
系図関連の功績についてですが、宝賀寿男に記載(以下宝賀記事)される内容によれば、1.系譜学者鈴木眞年の業績を再発見、2.それを元に『古代氏族系譜集成』を出版、3.その業績が近藤安太郎・佐伯有清により評価されている、の3点がポイントと思います。
まず気になるのが宝賀記事にある「鈴木眞年、中田憲信に対する関心は高まった」「鈴木眞年の系図学を詳細に紹介し、現在に続く再評価の流れを決定づけた」「当時の関係者の雰囲気がうかがい知れる」の記述です。確かに近藤は著書『系図研究の基礎知識』(p155-156)で、鈴木とそれを見出した宝賀の業績を高く評価していますが、同書(p168-170)には「事実あまりにも多方面または多氏族にわたるこの系図集は、なお半信半疑の感なきを得ない」、同書(p170-172)「この『古代氏族系譜集成』も、かりにいくばくかの瑕瑾はあるにしても、大部分が肯定されるものとなっていくであろう。是非そのようにあって欲しいと思う」と記されており、とても当時の系譜学・古代氏族研究で肯定的に受け止められたとは読み取れず、宝賀記事の大言壮語の感が否めません。佐伯による評価も、宝賀記事の引用にある「利用には史料批判が必要」は前向きな評価とは言えません。また近藤の著書の書評では「宝賀氏編の大著の出現は、本書をより充実させることとなったのである」という引用は一見すると前向きな評価に見えますが、近藤著書を「古代史研究に重要な譜が省略されている」と批判しており、全体としては「宝賀著書を引用してもなお十分な史料ではない」という評価に読み取れます。さらに『古代氏族系譜集成』の所蔵ですが、国会図書館サーチによれば、公立図書館での所蔵が無いのが気になります。(近藤の著書『古代豪族系図集覧』は複数検索できます。[3])想像ですが『古代氏族系譜集成』自体が基礎資料として評価されていないのではないのかと思います。なお『古代氏族系譜集成』も閲覧しましたが種々の系図をまとめた書籍で、随所に宝賀の注釈が付いているという内容で、研究書というよりは資料集+解説の意味合いが強いように感じました。
こうなると気になるのが学界での鈴木の評価です。『静嘉堂文庫蔵『懐風藻箋註』本文と研究』(p191-197)の著者土佐朋子は鈴木の系譜研究について、「独自に系譜史料を蓄積していった学者であり、その成果は系譜学の確立や体制とは必ずしもも結びついていない」「その理由について後継者の不在と出版された著作が少ないの2点を挙げている」という宝賀の主張を引用しつつ、これを否定はしないものの「鈴木は自分の集めた資料を体系化して系譜学を大成したいという欲望や研究者としての責任感は希薄だったのではないだろうか」と評しています。以上を考えると「宝賀や近藤が主張するように太田亮が知りえなかった鈴木史料を再発見したのかもしれませんが、そもそも鈴木史料が厳密な史料批判が出来ていない取扱注意の史料というのが現在の評価であり、それを引用した宝賀著書も評価されていない」という印象を持ちました。蛇足なので詳しくは書きませんが、宝賀記事で近藤の実績が強調されていますが、近藤の評価も高くないと感じています。また宝賀記事にもある『鈴木眞年伝』は著者が鈴木の孫であり、宝賀も「過大評価」と称していますので内容を確認していません。
つぎに、古代氏族研究についての評価です。まず、『日本古代氏族研究叢書』シリーズの現行全7巻の各巻「研究史」「参考文献」部分を斜め読みしたところ、『ワニ氏の研究』(p194)で引用を確認しました。ただし、引用は宮内庁書陵部所蔵『続家族系譜』「大久保家系譜」を宝賀の著作『鈴木真年翁の系図収集先-併せて『越中石黒系図』を論ず』から参照したという内容であり、宝賀の研究・学説を引用したものではありません。次に『東アジアの古代文化』の132号「古代氏族再考」と111号「古代氏族の変遷」を確認しましたが、こちらは宝賀に関する言及は在りませんでした。もちろん『古代氏族系譜集成』の引用もありませんので、前述の史料的価値も認められていないという推測の傍証が得られたと思います。
最後に、宝賀の事を直接記述している資料を探しましたが、見つかりませんでした。検索した資料は以下の書籍です。[4][5]
以上と柒月例祭さんのご指摘を総合すると、系図関連では「鈴木を再評価し史料集を出版したのは事実だが、鈴木・宝賀共々十分な史料批判を行っておらず、『古代氏族系譜集成』は基礎資料とされていない」。古代氏族研究においては「その筋の研究者からは無視されている(批判・反論もない)」という評価で大過ないと思います。
なお、宝賀が会長を務める日本家系図学会ですが、再発足の経緯[6]を見る限り、前身団体の活動を正式に継承したのか疑わしく、後継団体を自称しているだけでは?と感じました。--あずきごはん会話2022年6月8日 (水) 11:46 (UTC)[返信]
古代氏族系譜集成は無視されているとあるが、野口実氏の「12世紀における阿波国武士団の存在形態-いわゆる「田口成能」の実像を中心に-」や平澤加奈子氏の「いわゆる円仁の系図について-「熊倉系図」の基礎的考察-」で引用されており、決して無視されているわけではない。加えて、佐伯氏の「史料批判」(佐伯 日本 : 古代 五(一九八六年の歴史学界 : 回顧と展望)史学雑誌96 p67)という言葉に関しては、系図全般に言えることであり、特段、古代氏族系譜集成の価値を乏める意味を持つとは思われない。
 また、宝賀寿男氏自身も無視されているわけではなく、佐々木紀一氏の『常陸大掾系図』 諸本考察や中村友一氏の日本古代史学における系図史料の意義(日本家系図学会レジュメ)などで宝賀氏の著作が引用されている。加えて、先述した平澤氏の論文でも古代氏族系譜集成以外の著作が引用されている。
さらに、青山幹哉氏は宝賀氏のことを 評価している(山崎博史著橘姓斑目家の歴史古代・中世編2016p128http://www.palm.co.jp/hiramekiHP/hiramekibook2/rekishikodaichusei/m/index.html#page=119)。
補足すると、どれくらい信憑性があるかわからないが、ウキペディアの鈴木真年項の編集履歴を見ると、他にも古代氏族系譜集成が引用されている著作があることがわかる。
それゆえ、古代氏族系譜集成を出典として使用しても良いと考える。--数量政策学会話) 2023年8月5日 (土) 16:34 (UTC) 「第三者からの意見」に該当する内容のため場所を移動しました--Snap55会話2023年8月20日 (日) 03:46 (UTC)[返信]
  • コメント門外漢以前で、編集者でもない、本当の部外者、閲覧する・読む者です。

日本語ウィキペディアにお世話になるばかりで、恐縮ですが、一言だけ。 日本の古代の「人物」情報ははっきり言って「何一つ取るに足らない妄想」だと思っています。 根拠となる遺物や時代考証も含めての存在とか、目に見て解る科学的証拠・傍証が皆無と信じます。 記録があると言うが、その記録すらも、何をどう書いたか?不思議ワード込みでこれを飲み込めと?と言う物。 しかもやたらと権威主義で「偉い人がこう読んだ・こう解釈した」と感じるのですが?間違ってますか? 物証と査読時の情報の提示なんてどこにもないし、これならsnap55氏の通りで良いですし、反って、それら出せるなら、学者気取りの先頭はここで終わり!氏の言う通り…いえ、それ以上に明確な執筆を願うのです。 私はただの利用者なので、読むことで得られる情報の質に拘りはあっても、質の程度が不明確では困る程度の者です。 これが利用者目線の一つである事を皆さんに知ってほしかったです。偉そうな事を言ってごめんなさい。 素直な気持ちを吐露しただけですので、議論の邪魔をするつもりはありません。 皆様の執筆が、明日のウィキペディアを充実して優れて良い百科事典にするであろう事を信じています。以上の署名の無いコメントは、218.110.88.121会話/Whois)さんが 2023年10月25日 (水) 02:25‎ (UTC) に投稿したものです(Moway3352会話)による付記)。[返信]

コメントしばらくウィキブレイクしていて気付くのが遅くなりました。
系譜関係の記事を執筆した経験者としての意見ですが、原則としては系図単体で参考文献にすべきではなく、『古代氏族系譜集成』等に掲載されている系図類については引用している信頼できる情報源がない限り記載すべきではないとの「合意」については同意見です。
次に本コメント依頼の本題である『古代氏族系譜集成』自体の記述がWikipedia執筆のための情報源として適切かどうかについてですが、次の理由から信頼できる情報源には当たらないと考えます。
  1. cinii掲載については、財務省広報誌まで登録されているなどそれほど信頼性の決め手にはならないと考えること
  2. 日本家系図学会は学際的な団体であるので本郷和人氏が参加しているからと言って無条件に歴史学上の信頼性があるとは言えないこと(民俗学の研究家も名を連ねていますが民俗学者が畑違いの歴史学について書いたものを頭から信頼してはいけないように)
  3. いわゆる史料批判を経た二次資料ではないこと
  4. 学術誌に言及された=信頼できる情報源とは言えないこと
ただし、WP:RSはガイドラインであることから、これをもって一律記述除去するという行為には賛同できません。方針である中立的な観点が優先されると思われますので、しっかりとした学術書の説に補足して、例えば「自費出版物である『古代氏族系譜集成』においてはカクカクシカジカと解説されている」といった記述であれば許容されうるのではないかと思います。
要は、信頼できる情報源には当たらないが、中立的な観点から限定的に出典として執筆することを妨げない、という考えです。--ろう(Law soma) 2024年3月6日 (水) 07:22 (UTC)[返信]
コメントガイドライン以外にも、方針に基づいても該当書籍の使用は適切とはいえず、一律除去が妥当だと思います。Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするかでは「歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます」と記載されていますが、問題となっている書籍は「学術的で査読を経た出版物」「特に主流の権威的出版物」にも該当しないと思います。同じく「Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源」には「自費出版物(中略)は、ほとんどの場合は適切な情報源としては認められません。」という原則がありますし、明確に信頼できるという根拠がなければ、自費出版物である該当書籍は一律除去が適切だと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2024年3月6日 (水) 16:03 (UTC)[返信]
議論の本筋からまったく外れている上、日本古代の人物に関する記載が「何一つ取るに足らない妄想」という主張も、その論拠も、余りに極端な主観と言わざるを得ません。上記のコメントは掲載すべきではないものと思われます(当コメントもこれのみに応じたものですので、まとめて削除していただければ幸いです)。--153.139.195.129 2024年5月31日 (金) 09:52 (UTC)[返信]
153.139.195.129です。
コメントのシステムをよく把握していなかったため、恰も伊佐坂安物様への反応のようになってしまいましたが、これは218.110.88.121氏のコメントに対する感想です。失礼いたしました。--153.139.195.129 2024年5月31日 (金) 09:55 (UTC)[返信]

『古代氏族系譜集成』が評価・引用されている論文等(ご参考)

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数量政策学さんから、『古代氏族系譜集成』が引用されている論文などがある旨の指摘がありましたので、ご参考として事例をまとめておきます。--Snap55会話2023年8月20日 (日) 03:51 (UTC)[返信]

引用者 著作名 引用元
[]内は『古代氏族系譜集成』の該当頁
元資料 引用元に対する評価
佐伯有清 一九八六年の歴史学界 : 回顧と展望 日本:古代 五
『史学雑誌 96』史学会、1987年
(書籍全体に対する評価) 鈴木真年が蒐集した古代氏族の系図を軸に、『和気氏系図』などひろく諸氏族の系図を集成した上・中・下三巻からなる大著。注目すべき系図が数多く集められているが、古代氏族研究に利用するのには、十分な史料批判の手つづきをふむ必要があろう。
同上 「円仁の家系図」『智証大師伝の研究』吉川弘文館、1989年 第八節 毛野氏族 7.壬生公 壬生朝臣
[P574-577]
『百家系図稿』巻二 熊倉、『諸系譜』第一五冊 熊倉 (『熊倉系図』の冒頭部、奈良君から高継・国基までを掲載し、「円仁の系図」として紹介した。四つの疑問点を示しつつも、最終的には大慈寺の諸堂建立について独自の記載がみられることや、上野国群馬郡の壬生公が下野壬生公の傍流であると示していることなどを評価している。)
原慶三 益田氏系図の研究--中世前期益田氏の実像を求めて--
『東京大学史料編纂所研究紀要 23』2013年
第三節 和珥氏族 5.柿本朝臣(一)
[P298-302]
『諸氏家牒』上 「石州益田家系図 柿本朝臣」 (『諸家系図纂』所収系図より)古い情報と新しい情報が混在しているが、その最大の特徴は益田氏が柿本氏の子孫であるとする点である。
同上 同上 第三節 和珥氏族 和珥氏族 概説
[P268-269]
そこでは(益田氏と)同種の系譜を持つ「和邇氏族」は東海地方とその周辺に分布するとしている。これと益田氏一族で駿河に移住した一族との関係が注目される。
同上 同上 第三節 和珥氏族 6.柿本朝臣(二)綾部氏
[P304-305]
『百家系図』巻一四 綾部 (この系図によると綾部氏は)石見国から丹波国綾部へ遷り、戦国期に川越に移住している。両者(綾部氏系図と益田氏系図)の関係を以下に示す。(以下系図引用)
野口実 12世紀における阿波国武士団の存在形態-いわゆる「田口成能」の実像を中心に-
『研究紀要 27』京都女子大学宗教・文化研究所、2014年
第六節 葛城・蘇我氏族 7.田口朝臣
[P438-443]
『百家系図』巻五五,田口朝臣 この系図は粟田成良を阿波守田口息継の子孫という認識に基づいて作られたものだが、成良の世代の周辺に関する記事は、諸史料と整合するところが多く、活用するに足るものと思われる。
平澤加奈子 いわゆる円仁の系図について-「熊倉系図」の基礎的考察-
『東京大学史料編纂所研究紀要 24』2014年
第八節 毛野氏族 7.壬生公 壬生朝臣
[P574-577]
『百家系図稿』巻二 熊倉、『諸系譜』第一五冊 熊倉 円仁の系図としての信頼性は低いと結論づけることとなったが、 「熊倉系図」が明治期に偽造されたものではなく、原系図が存在したと考えられる点や、鈴木真年の下に伝来した経緯がある程度明らかにできたと考える。

2023年に入ってから、倉本一宏平安貴族列伝という記事の中で、「真偽不明」としながらも鈴木真年の系図を採り上げていますので、追記しておきます。--Snap55会話2023年12月22日 (金) 01:24 (UTC)[返信]

まとめ

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ご意見に基づく執筆方針案の検討

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数量政策学さんから、新たな意見の表明がありましたので、当部分の内容は一旦コメントアウトします。その後の議論の推移を踏まえて、必要に応じて復帰します。--Snap55会話2023年8月20日 (日) 04:28 (UTC)[返信]


脚注

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  1. ^ 『日本書紀研究第24冊 』(塙書房、平成14年7月20日)
  2. ^ 日本家系図学会の主な役員
  3. ^ 『古代氏族系譜集成』35頁