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プレシジョニスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プレシジョニスト
現役期間 1983年~1988年(現役期間)
欧字表記 Precisionist
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛[1]
生誕 1981年2月28日[2]
死没 (2006-09-27) 2006年9月27日(25歳没) [3]
Crozier[2]
Excellently[2]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 F. W. Hooper[2]
馬主 F. W. Hooper[2]
調教師 William L. Donovan(アメリカ)[2]
競走成績
生涯成績 46戦20勝[2]
獲得賞金 3,485,398ドル[2]
勝ち鞍
GI ブリーダーズカップ・スプリント 1985年
GI スワップスステークス 1984年
GI チャールズ・H・ストラブステークス 1985年
GI サンフェルナンドステークス 1985年
GI カリフォルニアンステークス 1986年
GI ウッドワードステークス 1986年
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プレシジョニストPrecisionist 1981年2月11日 - 2006年9月27日)は、アメリカ合衆国で生産・調教された競走馬種牡馬

1980年代半ばにG1競走を6勝。2歳から7歳まで、6ハロンから10ハロンという幅広い年代・距離で活躍した馬である。2003年アメリカ殿堂入り[4]

経歴

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各競走の出典については競走成績の節を参照。

2歳(1983年)

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生産者のフレッド・W・フーパー英語版1945年ケンタッキーダービーに勝利したのを皮切りに数々の大レースに勝利してきた名ブリーダーで、アメリカ殿堂馬スーザンズガールなどを生産している。

1983年7月にテリー・リプハムを鞍上に、ハリウッドパーク競馬場の未勝利戦(ダート6ハロン)でデビュー。1番人気にこたえて7と1/2馬身差を着けての勝利。続けて10日後のハリウッドジュヴェナイルチャンピオンシップステークス英語版(G2・D6F)に出走。1番人気に支持されるが、後にこの年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬を受賞するアルセア[注釈 1]から14馬身離された5着に完敗。

鞍上をクリス・マッキャロンに代え、10月のアローワンス(D6.5F)に出走して勝利。以降、ほとんどのレースでマッキャロンが騎乗した。更に1ヶ月後の分割競走ホイストザフラッグステークス[注釈 2](LS・芝8F)に出走。G1 ノーフォークステークス[注釈 3]に勝利しているファリタイムとの競り合いから 1/2馬身差をつけて連勝を飾った。

そして12月のハリウッドフューチュリティ[注釈 4](G1・D8.5F)でG1に初挑戦。プレショジニストは2.9倍[注釈 5]で1番人気、アルセアが2番人気、ホイストザフラッグステークスの分割競走のもう一方の勝ち馬・アーティーチョークが3番人気、G2 エルカミーノリアルステークス[注釈 6]勝ち馬のボールド・T・Jが4番人気、ファリタイムが5番人気だった。レースでは逃げを打つものの途中から失速し、勝ったファリタイムから11馬身差を付けられての10着に完敗。2歳シーズンを5戦3勝で終えた。

3歳(1984年)

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休まず、年明け1月のサンミゲルステークス英語版(LS・D6F)に出走して勝利。しかし次走のサンヴィセンテS英語版(G3・D7F)では2着に惜敗。更に1ヶ月後のサンラファエルステークス英語版(G2・D8F)に出走。ファリタイムに5馬身差を着けての完勝。

そして4月のサンタアニタダービー(G1・D9F)に出走。1番人気で挑むものの伏兵マイティアドヴァーセリーに1 1/4馬身差を付けられての2着に敗北。

その後、ケンタッキーダービーには向かわずに西海岸に留まって5月のスポットライトハンデキャップ[注釈 7](LS・T8F)・6月のシルヴァースクリーンハンデキャップ[注釈 8](G2・D9F)に出走するが6着・3着に敗北。

更に7月のスワップスステークス[注釈 9](G1・D10F)に出走。4.7倍の3番人気で挑んだレースはスタートから快調に逃げ、サンタアニタダービー3着馬プリンストゥルーに10馬身の差を着けての大勝。G1初勝利を飾った。

その後、8月のデルマーダービー英語版(G2・T9F)に出走するが7着に完敗。続く9月のデルマーハンデキャップ英語版(G2・D10F)では2着ペアオブデューシズに1と3/4馬身をつけて勝利。

9月末には南部ルイジアナダウンズ競馬場へ遠征してスーパーダービー(G1・D10F)に出走。この年のプリークネスステークスの勝ち馬ゲートダンサー英語版が1番人気、ウィリー・シューメーカーに乗り替わったプレシジョニストは2.7倍で2番人気。レースは逃げを打つプレシジョニストに対して後方待機策のゲートダンサー。プレシジョニストはそのままゴールへ逃げ込もうとするが直線に入って鋭く追い込んできたゲートダンサーに首差差されての2着になった。しかしゲートダンサーの2分と1/5はコースレコードで[5]、3着ビッグピストルとは実に11馬身の差が開いており、負けたとはいえプレシジョニストの実力もまた高いということを示すレースだった。

そして西海岸へ戻り、11月ハリウッドパークで開催された第1回BCクラシック(G1・D10F)に出走。この年5戦5勝(うちG1競走4)と絶好調だったスルーオゴールドと同馬主のムガティーのカップリングが1番人気・ゲートダンサーが2番人気・ハリウッド金杯などこの年にG1を3勝しているデザートワイン (競走馬)英語版が3番人気・プレシジョニストは8.7倍で4番人気だった。

レースは6番人気のワイルドアゲインが逃げを打ち、プレシジョニストはそれに付いていくが、1/4マイル22秒6・1/2マイル45秒6というハイペースにスタミナを消耗し、1/2マイルを過ぎたあたりから失速。そのまま7着に大敗した。

その後、暮れの分割競走マリブステークス(G2・D7F)に出走して勝利。3歳時を12戦5勝で終えた。

4歳(1985年)

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4歳シーズンは1月末のサンフェルナンドステークス英語版(G1・D9F)から始動。2.7倍で1番人気に押される。2番人気はゲートダンサー。スタートから逃げたプレシジョニストはそのまま2着グレイントンに4馬身差を着けての逃げ切り勝ち(ゲートダンサーはグレイントンに首差の3着)。G1競走2勝目を挙げた[6]

更にストラブ三冠をかけてストラブステークスに出走。ゲートダンサー・グレイトンとの再戦になるも再び2.1倍の1番人気・2番人気は同じくゲートダンサー。再びプレシジョニストが逃げ、道中では前走と同じように差を広げたもののグレイントンが差を詰めてきて直線では並びかけ、さらにゲートダンサーも追い込んできてゴール前で激しい争いになる。ほとんど並んだところでゴール。2頭から1/2馬身差の3着にゲートダンサーが入った。写真判定の結果はハナ差でプレシジョニストの勝利。ストラブシリーズのスイープを達成した[7](史上5頭目[注釈 10])。

しかしストラブステークス勝利の一週間後、プレシジョニストはせき込むようになり、調教が遅れたためサンタアニタハンデキャップは回避[8]。3月のポトレログランデハンデキャップ英語版(LS・D6.5F)に出走。当然の一番人気であったが6着最下位に敗北。4月のサンバーナーディノH(G2・D9F)ではグレイントンとの再戦になり、7ポンドのハンデ差もあり首差の2着に敗れる。翌5月のマーヴィンルロイハンデキャップ(G2・D8F)でもグレイントンとの勝負となるが、今度はグレイントンに4馬身差・1.32.8のコースレコードでの快勝となった。

そして6月の カリフォルニアンS(G1・D8F)に出走。プレシジョニストが126ポンドのトップハンデ・1.6倍で1番人気、グレイントンが119ポンド・3.8倍の2番人気、サンタアニタハンデの勝ち馬ロードアットウォーが126ポンド・4倍の3番人気でレースは始まった。逃げるロードアットウォー、二番手で追走するプレシジョニストだったが直線でグレイントンが前に出てそのままゴールを駆け抜け、プレシジョニストはグレイントンから2 3/4馬身差の2着に敗れた。

同月末のハリウッド金杯(G1・D10F)でもプレシジョニストの前にグレイントンが立ちふさがる。プレシジョニストが125ポンド・2倍の1番人気、グレイントンは120ポンド・2.2倍の2番人気。レースは逃げるプレシジョニスト・2番手で追うグレイントン。直線でグレイントンに抜かれ、1 3/4馬身差の2着に終わる。

その後は脚部不安を生じたために休養に入るも復帰が長引き、アケダクト競馬場で開かれたブリーダーズカップ・スプリント(G1・6F)への直行となった。グレードレースを2連勝してきたマウントリヴァーモア英語版とパンチョビラのカップリングが4倍で1番人気、前年のBCスプリント3着馬のファイティングフィットが同じく1番人気、ぶっつけでしかも久しぶりの6ハロンということでプレシジョニストは4.4倍の4番人気に留まった。レースはマウントリヴァーモアと5番人気のスマイルが先頭集団を作り、プレシジョニストは3番手追走。直線に入っても前の2頭が競り合っていたが、プレシジョニストが差を詰めていき、スマイルを3/4馬身差し切って勝利。

その後、11月末のナショナルスプリントチャンピオンシップ(G3・D6F)[注釈 11]に出走するも4着に敗れる。4歳時は9戦4勝、BCスプリント勝利が評価されてエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれた。

5歳(1986年)

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5歳時は1月のサンパスカルハンデキャップ英語版(G2・D8.5F)から始動。相手には3歳時に2回負けているタイツがいたが、すでにプレシジョニストとは大きな差が開いており、1.3倍の圧倒的な支持を受けて、2着ベアミニマムに4 1/2馬身差を付けての楽勝。

次走は初参戦となるサンタアニタハンデキャップ(G1・D10F)。プレシジョニストが126ポンドのトップハンデで2.2倍の1番人気。実に7回目の対戦となるグレイントンが122ポンドで同馬主のダハールとのカップリングで4倍の2番人気。レースは最低人気のヘラトが逃げ、プレシジョニストは2番手追走。しかし直線でグレイントンに抜かれ6着に完敗。次のサンバーナーディノハンデでグレイントンと8度目の対戦となったが、ここでは首差でグレイントンに勝利。グレイントンはこのレースを最後に引退、プレシジョニストとの対戦成績は4勝4敗の5分で終わった。

次走は前年に敗れていたカリフォルニアンステークス。1.5倍の1番人気に応えて5番人気のスーパーダイアモンドに半馬身差で勝利。しかし次のハリウッド金杯ではスーパーダイアモンドに逆襲されて3着に敗退。

ここで東海岸のモンマスパーク競馬場に遠征してフィリップH・アイズリンハンデキャップ[注釈 12](G1・D9F)に出走。ここまでG1競走7勝のレディーズシークレットが1番人気、プレシジョニストは125ポンドのトップハンデで2.7倍の2番人気。3番人気にこの年のチャールズHストラブS2着馬のルーアートがいた。レースは逃げるレディーズシークレットに対して2番手で追走するが、直線でルーアートに差し切られて2 1/4身差の2着に敗北。続けて2週間後のサラトガ競馬場ウッドワードステークス(G1・D9F)に出走。プレシジョニストは126ポンドのトップハンデで2.2倍の1番人気。レディーズシークレットとルーアートのカップリングが2番人気。レースは逃げるレディーズシークレットを2番手で追いかけ、直線で一気に突き放してレディーズシークレットに4 3/4身を付けて圧勝、G1競走6勝目を挙げた。

ウッドワードステークスの後に主戦のクリス・マッキャロンが落馬により負傷[9]。次走のマールボロカップハンデキャップ(G1・D10F)はジョン・ヴェラスケスが騎乗して2.2倍の1番人気で挑むものの最後方から追い込んできた2番人気ターコマンに1 1/2身差を付けられての2着に敗北。

その後は目標をBCクラシックに定め、この年にブリーダーズカップが行われるサンタアニタ競馬場のヤンキーヴァローハンデ(LS・D9F)[注釈 13]を前哨戦に選び、前走でターコマンに騎乗していたゲイリー・スティーブンスを鞍上に4 1/2身差つけての楽勝。そして本番のBCクラシックを迎える。

1番人気はパット・デイを乗せたターコマン、プレシジョニストは再びスティーブンスを乗せて2.7倍で僅差の2番人気。大きく離れた3番人気に鉄の女トリプティク、前年のサンタアニタダービー勝ち馬でプレシジョニストが勝ったこの年のカリフォルニアンステークス3着馬スカイウォーカー (競走馬)英語版が4番人気だった。レースは9番人気ヘラトが逃げ、プレシジョニストとスカイウォーカーが2番手で追走。速い仕掛けからスカイウォーカーが先頭に立ち、プレシジョニストは追いかけるが差を詰められず。ターコマンが直線で追い込んでくるが時すでに遅し。プレシジョニストは2 1/2身差を付けられての3着に敗退した。

引退と復帰(1987年-1988年)

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6歳シーズンも現役続行の予定であったが、年が明けてから砲骨[注釈 14]の骨折が発見され、現役引退が決定。フーパーはプレシジョニストの権利の半分をアーサー・アップルトン英語版に400万ドルで売却し、アップルトン所有の牧場でフーパーとアップルトンとの共同所有の種牡馬となった[10][11]。しかし受胎率に大きな問題があり、結局最初の種付けからは一頭も産駒を得ることが出来なかった。この結果、フーパーはアップルトンに返金し、プレシジョニストは現役に復帰することになった[12]

翌1988年6月末、ハリウッドパーク競馬場でのアローワンス(D8F)にマッキャロンを乗せての現役復帰となったが、ゲートが開いて早々マッキャロンが落馬。復帰戦は失格負けとなった。続けて半月後のトムフールステークス(G2・D7F)に出走するが最下位4着に敗北。

更に半月後のアローワンス(D8F)に出走してコースレコード・4馬身差を付けての快勝。勢いに乗って8月末のカブリロハンデキャップ英語版(G3・D9F)に出走してこれも勝利した。その後、デルマーブリーダーズッカップハンデキャップ(LS・D8F)に勝利して3連勝。しかし次のNYRAマイルハンデキャップ(LS・D8F)ではフォーティナイナーから1と半馬身差を付けられての3着に敗北した。

そして本番のBCスプリント(G1・D6F)。前走ヴォスバーグステークスまで6戦6勝の成績を挙げていたマイニングが1番人気、ビングクロスビーハンデ[注釈 15]などの勝ち馬のオリンピックプロスペクトが2番人気、トムフールステークスで2着だったガルチがカップリングで3番人気、プレシジョニストは5番人気だった。レースは4番手で追走し、ストレートで逃げるヴェリーサトル(前年のBCスプリント優勝馬)を追いかけるが先にスパートを仕掛けたガルチがそのまま突き抜けて優勝。プレシジョニストは5着に終わった。

BC後にサイテーションハンデキャップ(G2・T9F)・ネイティブダイヴァーハンデキャップ英語版(G3・D9F)を走るがいずれも2着に惜敗。さらに年末のサニーアイルH(LS・D7F)に出走するが12着に惨敗。これをもって二度目の引退が決定した。

その後

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二度目の引退後、フーパーは再びプレシジョニストを種牡馬として登録。4頭の産駒を儲けることに成功した[13]。そのうちの1頭、プリサイスネスが母としてG3トロピカルパークダービーに優勝したドローアゲインを送り出している[14]

その後、1996年からプレシジョニストはフーパーの手を離れて、獣医シオバン・エリソンが所有するフェアフィールドの牧場へと移った。フーパーは2000年に102歳で死去。2003年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たす[15]2006年からは功労馬の保護団体オールドフレンズの牧場に移るが、この年の9月になって手術不可能な腫瘍を発症し、安楽死処分に処された[16]。享年25。

競走成績

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出走日 競馬場 競走名 頭数 枠順 人気 着順 騎手 斤量(ポンド) 距離 馬場状態 タイム 着差 1着(2着)馬 出典
1983. 7.13 ハリウッドパーク メイデン 8頭 1番 1人 1着 T.リプハム 116 D6F 1.10.2 7 1/2身 (Triumphant Banner) [Race 1]
7.23 ハリウッドパーク ハリウッドジュヴェナイルチャンピオンS G2 9頭 9番 1人 5着 T.リプハム 117 D6F - 14身 Althea [Race 2]
10.28 サンタアニタ アローワンス 7頭 1番 1人 1着 C.マッキャロン 113 D6.5F 1.16.2 4 1/2身 (Donnr Prty) [Race 3]
11.25 ハリウッドパーク ホイストザフラッグS 8頭 4番 1人 1着 C.マッキャロン 116 T8F 1.37.6 1/2身 (Fali Time) [Race 4]
12.18 ハリウッドパーク ハリウッドフューチュリティ G1 12頭 5番 1人 10着 C.マッキャロン 121 D8.5F - 11身 Fali Time [Race 5]
出走日 競馬場 競走名 頭数 枠順 人気 着順 騎手 斤量(ポンド) 距離 馬場状態 タイム 着差 1着(2着)馬 出典
1984. 1.25 サンタアニタ サンミゲルS 5頭 2番 2人 1着 C.マッキャロン 122 D6F 1.09.0 2身 (Fortunate ProSpect) [Race 6][Race 7]
2.11 サンタアニタ サンヴィセンテS G3 5頭 5番 1人 2着 C.マッキャロン 122 D7F - クビ Fortunate ProSpect [Race 8]
3. 3 サンタアニタ サンラファエルS G2 6頭 2番 2人 1着 C.マッキャロン 120 D8F 1.22.8 5身 (Fali Time) [Race 9]
4. 8 サンタアニタ サンタアニタダービー G1 8頭 4番 1人 2着 C.マッキャロン 120 D9F - 1 1/4身 Mighty AdverSry [Race 10]
5. 5 ハリウッドパーク スポットライトH 10頭 1番 1人 6着 W.ゲラ 123 T8F 堅良 - 9 3/4身 TightS [Race 11]
6.30 ハリウッドパーク シルヴァースクリーンH G2 6頭 1番 1人 3着 C.マッキャロン 121 D9F - 1 1/2身 TightS [Race 12]
7.22 ハリウッドパーク スワップスS G1 7頭 6番 3人 1着 C.マッキャロン 123 D10F 1.59.8 10身 (Prince True) [Race 13]
8.19 デルマー デルマーダービー G2 12頭 7番 1人 7着 C.マッキャロン 124 T9F 堅良 - 6 1/2身 TSunami Slew [Race 14]
9. 3 デルマー デルマー招待H G2 10頭 10番 1人 1着 C.マッキャロン 116 D10F 1.56.8 1 3/4身 (Pair of DeuceS) [Race 15]
9.22 ルイジアナダウンズ スーパーダービー G1 8頭 1番 2人 2着 W.シューメーカー 126 D10F - アタマ Gate Dancer [Race 16]
11.10 ハリウッドパーク BCクラシック G1 8頭 7番 4人 7着 C.マッキャロン 122 D10F - 28身 Wild Again [Race 17]
12.26 サンタアニタ マリブS G2 7頭 5番 1人 1着 C.マッキャロン 126 D7F 1.21.4 2 3/4身 (Bunker) [Race 18]
出走日 競馬場 競走名 頭数 枠順 人気 着順 騎手 斤量(ポンド) 距離 馬場状態 タイム 着差 1着(2着)馬 出典
1985. 1.19 サンタアニタ サンフェルナンドS G1 7頭 5番 1人 1着 C.マッキャロン 126 D9F 1.47.4 4身 (Greinton) [Race 19]
2. 3 サンタアニタ チャールズHストラブS G1 5頭 5番 1人 1着 C.マッキャロン 124 D10F 2.00.2 ハナ (Greinton) [Race 20]
3. 9 サンタアニタ ポトレログランデH 6頭 6番 1人 6着 C.マッキャロン 128 D6.5F - 3 3/4身 Fifty Sixina Row [Race 21]
4.13 サンタアニタ サンバーナーディノH G2 6頭 3番 2人 2着 C.マッキャロン 127 D9F - クビ Greinton [Race 22]
5.19 ハリウッドパーク マーヴィンルロイH G2 5頭 5番 1人 1着 C.マッキャロン 125 D8F R1.32.8 4身 (Greinton) [Race 23]
6. 9 ハリウッドパーク カリフォルニアンS G1 4頭 2番 1人 2着 C.マッキャロン 126 D8F - 2 3/4身 Greinton [Race 24]
6.23 ハリウッドパーク ハリウッド金杯 G1 6頭 6番 1人 2着 C.マッキャロン 125 D10F - 1 3/4身 Greinton [Race 25]
11. 2 アケダクト BCスプリント G1 14頭 2番 4人 1着 C.マッキャロン 126 D6F 1.08.4 3/4身 (Smile) [Race 26]
11.30 ハリウッドパーク ナショナルスプリントCS G3 6頭 5番 1人 4着 C.マッキャロン 124 D6F - 2 3/4身 Pancho Villa [Race 27]
出走日 競馬場 競走名 頭数 枠順 人気 着順 騎手 斤量(ポンド) 距離 馬場状態 タイム 着差 1着(2着)馬 出典
1986. 1.25 サンタアニタ サンパスカルH G2 6頭 5番 1人 1着 C.マッキャロン 126 D8.5F 1.41.2 4 1/2身 (Bare Minimum) [Race 28]
3. 2 サンタアニタ サンタアニタH G1 13頭 4番 1人 6着 C.マッキャロン 126 D10F - 3 1/4身 Greinton [Race 29]
4.13 サンタアニタ サンバーナーディノH G2 4頭 1番 1人 1着 C.マッキャロン 126 D9F 1.47.6 クビ (Greinton) [Race 30]
6. 1 ハリウッドパーク カリフォルニアンS G1 7頭 1番 1人 1着 C.マッキャロン 126 D8F 1.33.6 1/2身 (Super Diamond) [Race 31]
7.20 ハリウッドパーク ハリウッド金杯 G1 6頭 1番 1人 3着 C.マッキャロン 127 D10F - 2身 Super Diamond [Race 32]
8.16 モンマスパーク フィリップHアイズリンH G1 5頭 2番 2人 2着 C.マッキャロン 125 D9F 不良 - 2 1/4身 Roo Art [Race 33]
8.30 ベルモントパーク ウッドワードS G1 5頭 5番 1人 1着 C.マッキャロン 126 D9F 1.46.0 4 3/4身 Lady'S Secret [Race 34]
9.13 ベルモントパーク マールボロCH G1 5頭 1番 1人 2着 J.ベラスケス 127 D10F - 1 1/2身 Turkoman [Race 35]
10.13 サンタアニタ ヤンキーヴァローH 5頭 2番 1人 1着 G.スティーヴンス 127 D9F 1.48.4 4 1/2身 (Gathorn) [Race 36]
11. 1 サンタアニタ BCクラシック G1 11頭 2番 2人 3着 G.スティーヴンス 126 D10F - 2 1/2身 Skywalker [Race 37]
出走日 競馬場 競走名 頭数 枠順 人気 着順 騎手 斤量(ポンド) 距離 馬場状態 タイム 着差 1着(2着)馬 出典
1988. 6.29 ハリウッドパーク アローワンス 7頭 6番 1人 - C.マッキャロン 115 D8F 落馬 - EpidauruS [Race 38]
7.16 ベルモントパーク トムフールS G2 4頭 4番 - 4着 C.マッキャロン 119 D7F - 8 3/4身 King'S Swan [Race 39]
8. 1 デルマー アローワンス 5頭 5番 1人 1着 C.マッキャロン 114 D8F R1.33.2 4身 (Candi'S Gold) [Race 40]
8.28 デルマー カブリロハンデキャップ G3 4頭 4番 1人 1着 C.マッキャロン 122 D9F 1.47.2 3 1/2身 (Conquering Hero) [Race 41]
9.10 デルマー デルマーBCH 4頭 3番 1人 1着 C.マッキャロン 125 D8F 1.34.6 3/4身 (Lively One) [Race 42]
10.22 アケダクト NYRAマイルH 6頭 4番 - 3着 A.ベガ 56 D8F - 1 1/2身 Forty Niner [Race 43]
11. 5 チャーチルダウンズ BCスプリント G1 13頭 6番 4人 5着 C.マッキャロン 126 D6F 不良 - 2 1/4身 Gulch [Race 44]
11.20 ハリウッドパーク サイテーションH G2 11頭 10番 1人 2着 C.マッキャロン 121 T9F 堅良 - クビ Forlitano [Race 45][Race 46]
12.10 ハリウッドパーク ネイティヴダイヴァーH G3 7頭 7番 2人 2着 C.マッキャロン 123 D9F - アタマ CutlaSS Reality [Race 47]
12.24 カルダー サニーアイルH 12頭 5番 1人 12着 C.ペレット 56 D7F - 12身 PoSition Leader [Race 48]

血統表

[編集]
Precisionist血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 トウルビヨン系
[§ 2]

Crozier
父の父
My Babu
Djebel Tourbillon
Loika
Perfume Badruddin
Lavendula
父の母
Miss Olympia
Olympia Heliopolis
Miss Dolphin
Valdina Marl Teddy's Comet
Lady Marlboro

Excellently
Forli Aristophanes Hyperion
Commotion
Trevisa Advocate
Veneta
母の母
Poliniss
Greek Game Olympia
Sunday Supper
Poloriot Polynesian
Loriot
母系(F-No.) (FN:F11-g) [§ 3]
5代内の近親交配 Olympia:3×4 Hyperion:4×5 [§ 4]
出典
  1. ^ [17]
  2. ^ [17]
  3. ^ [17]
  4. ^ [17]

父 Crozier はプレシジョニストと同じくフーパーの生産馬で、1963年のサンタアニタハンデキャップに勝利、他にも多数のステークス競走に勝利しており、1961年のケンタッキーダービーでは2着に入っている[18]。種牡馬としても多数のグレードレース勝ち馬を出して成功を収めた[19]。母 Excellently もフーパーの生産馬で現役時代は2戦0勝[20][21]。Excellently の半兄に1973年フューチュリティステークス(米G1)勝ちの Wedge Shot[22] 、半妹に1978年のレイルバードステークス(米G3)勝ちの Eximious[23]。この二頭はいずれも父 Crozier である。更に半妹 Skillful Miss の子に1981年のデルマーデビュタントステークス(米G2)・1982年のリンダヴィスタハンデ(米G3)勝ちの Skillful Joy[24] 、Skillful Joyの孫にジャングルポケットがいる。

脚注・出典

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新聞記事に於けるページ数は全てNewspapers.comに於けるものである。

注釈

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  1. ^ ヤマニンパラダイスの母。
  2. ^ 現在のジェネラスステークス英語版
  3. ^ 現在のアメリカンファラオステークス
  4. ^ 現在のロスアラミトスフューチュリティ
  5. ^ アメリカでは元本分を除いた倍率であらわされるため出典では1.9と表記される。以下の倍率はすべて同じ。
  6. ^ 1984年に終了。
  7. ^ 1994年を以て終了。
  8. ^ 現在のアファームドステークス英語版
  9. ^ 現在のロスアラミトスダービー
  10. ^ 過去の達成馬はラウンドテーブルヒルズデール英語版エインシェントタイトル英語版スペクタキュラービッド
  11. ^ 現在のミッドナイトリュートステークス(G3)
  12. ^ 現在のフィリップH・アイズリンステークス英語版
  13. ^ 現在のオータムミスステークス(G3)
  14. ^ 人間の中手骨に当たる。
  15. ^ 当時はG3

出典

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  1. ^ Precisionist(USA)”. JBIS. 2018年8月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Precisionist (FL)”. EquiBase. 2018年8月1日閲覧。
  3. ^ Glenye Cain. “Precisionist euthanized at 25”. DRF. 2018年8月1日閲覧。
  4. ^ Precisionist”. National Museum of Racing and Hall of Fame. 2018年8月1日閲覧。
  5. ^ CLOSE VICTORY FOR GATE DANCER”. New York Times (1984年9月23日). 2018年10月26日閲覧。
  6. ^ Bill Christine (1985年1月20日). “Precisionist Easy Winner of San Fernando”. Losangles Times Times. 2018年10月26日閲覧。
  7. ^ Bill Christine (1985年2月4日). “Precisionist Completes Strub Series Sweep : They Took a Long Look at the Photo, but Greinton Didn't Get the Nod”. Los Angels Times. 2018年11月4日閲覧。
  8. ^ Bill Christine (1985年2月22日). “Precisionist 'Not Ready'--Trainer Scratches Him From $450,000 Santa Anita Handicap”. Los Angels Times. 2018年11月4日閲覧。
  9. ^ “Chris McCarron is injured in Fall”. Hartford Courant (Hartford): p. 91. (1986年9月7日) 
  10. ^ HORSE RACING PRECISIONIST SUFFERS CAREER-ENDING BONE FRACTURE”. Sun Sentinel (1987年1月10日). 2019年3月11日閲覧。
  11. ^ Neil Milbert (1988年11月2日). “PRECISIONIST AN OLDIE BUT GOODIE”. CHICAGO TRIBUNE. 2019年3月24日閲覧。
  12. ^ BILL CHRISTINE (1987年6月24日). “Precisionist Tries Return to Racing : 6-Year-Old Horse Is Something of a Failure at Stud”. Losangels Times. 2019年3月24日閲覧。
  13. ^ Precisionist Progeny”. Thoroughbred Pedigree Database. 2019年3月24日閲覧。
  14. ^ Draw Again(USA)”. JBIS. 2019年3月24日閲覧。
  15. ^ Precisionist Joins Hall of Fame”. Blood Horse (2003年8月4日). 2019年3月24日閲覧。
  16. ^ Hall of Famer Precisionist Euthanizedd”. Blood Horse (2006年9月27日). 2019年3月24日閲覧。
  17. ^ a b c d Precisionist(USA)”. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年3月24日閲覧。
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  19. ^ Crozier(USA)”. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年3月24日閲覧。
  20. ^ Excellently (FL)”. EquiBase. 2019年3月24日閲覧。
  21. ^ Excellently(USA)”. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年3月24日閲覧。
  22. ^ Wedge Shot (FL)”. EquiBase. 2019年3月24日閲覧。
  23. ^ Eximious (FL)”. EquiBase. 2019年3月24日閲覧。
  24. ^ Skillful Joy (FL)”. EquiBase. 2019年3月24日閲覧。

レース結果の出典

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  3. ^ “Allowance”. Losangels Times (Los Angels): p. 24. (1983年10月29日) 
  4. ^ “Hoist the Flag S”. Losangels Times (Los Angels): p. 76. (1983年11月26日) 
  5. ^ “Hollywood Futurity”. Losangels Times (Los Angels): p. 62. (1983年12月19日) 
  6. ^ “San Miguel S”. The Courier-Journal (Louisville): p. 42. (1984年1月26日) 
  7. ^ “San Miguel2”. The Chicago Tribune (Chicago): p. 52. (1984年1月26日) 
  8. ^ “San Vicente S”. Losangels Times (Los Angels): p. 57. (1984年2月12日) 
  9. ^ “San Rafae S”. Losangels Times (Los Angels): p. 50. (1984年3月4日) 
  10. ^ “Santanita Derby”. Losangels Times (Los Angels): p. 38. (1984年4月9日) 
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  13. ^ “SwapsS”. Losangels Times (Los Angels): p. 33. (1984年7月23日) 
  14. ^ “Del Mar Derby”. Losangels Times (Los Angels): p. 68. (1984年8月20日) 
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  16. ^ “Suepr Derby”. Shreveport Times (Shreveport): p. 11. (1984年9月23日) 
  17. ^ “1984 BC Classic”. Losangels Times (Los Angels): p. 88. (1984年11月11日) 
  18. ^ “BC Malibu S”. Losangels Times (Los Angels): p. 41. (1984年12月27日) 
  19. ^ “San Fernando S”. Losangels Times (Los Angels): p. 67. (1985年1月20日) 
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  35. ^ “Marlboro CH”. Daily News (New York): p. 217. (1986年9月14日) 
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  42. ^ “Allowance”. Losangels Times (Los Angels): p. 60. (1988年9月11日) 
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  47. ^ “Native Diver H”. Losangels Times (Los Angels): p. 84. (1988年12月11日) 
  48. ^ “Sunny Isle”. Losangels Times (Los Angels): p. 58. (1983年12月19日)