プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ (紀元前279年の執政官)
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プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ P. Sulpicius P.f. Ser.n. Saverrio | |
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出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | スルピキウス氏族 |
官職 | 執政官(紀元前279年) |
指揮した戦争 | アスクルムの戦い(紀元前279年) |
プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ(ラテン語: Publius Sulpicius Saverrio、生没年不詳)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前279年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
[編集]パトリキ(貴族)であるスルピキウス氏族の出身。父は紀元前304年の執政官プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ、祖父のプラエノーメン(第一名、個人名)はセルウィウスである。
経歴
[編集]紀元前279年、サウェッリオは執政官に就任。同僚執政官はプブリウス・デキウス・ムスであった。この年はピュロス戦争の2年目で、前年にローマ軍はヘラクレアの戦いで敗北していた。サウェッリオは同僚執政官のムスと共に、軍を率いてピュロスに向かった[1]。しかし、アスクルムの戦いでローマ軍は再びピュロスに敗北する。もっともピュロスも大損害を受け[2]「ピュロスの勝利」という慣用句が生まれた。
サウェッリオのその後に関しては不明である。またスルピキウス・サウェッリオ家の人物も、その後歴史に現れない。
脚注
[編集]参考資料
[編集]- エウトロピウス『首都創建以来の略史』
- R. Svetlov. Pyrrhus and the military history of his time. St. Petersburg, 2006.
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 プブリウス・ウァレリウス・ラエウィヌス ティベリウス・コルンカニウス |
執政官 同僚:プブリウス・デキウス・ムス 紀元前279年 |
次代 ガイウス・ファブリキウス・ルスキヌス クィントゥス・アエミリウス・パプス |