プチヴリ公
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プチヴリ公(ウクライナ語: Князь путивльський、ロシア語: Князь путивльский)は、プチヴリ公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。公・公国の名は、その中心都市だったプチヴリ(プティーウリ)による。
プチヴリ公の一覧
[編集]- イーゴリ・オリゴヴィチ
- オレグ・スヴャトスラヴィチ - 在位: 1157年 - 1159年[1] :ノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリの兄。
- ウラジーミル・イーゴレヴィチ - 12世紀 :ノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリの子。
- ?イジャスラフ・ウラジミロヴィチ - 1223年、カルカ河畔の戦いで戦死した人物の一人とする説がある[1]。
- イオアン - 13世紀 :チェルニゴフ公ミハイルの孫[2]
出典
[編集]- ^ a b Войтович 2000.
- ^ СВЯТОЙ БЛАГОВЕРНЫЙ КНЯЗЬ-МУЧЕНИК ИОАНН ПУТИВЛЬСКИЙ
参考文献
[編集]- Войтович Л.В. Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.) — Львів: Інститут українознавства, 2000.