OBCブンブンリクエスト
OBCブンブンリクエスト | |
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1993年から番組終了まで生放送が行われていたラジオ大阪本社(ORC200内) | |
愛称 | ブンブン、ブンリク |
ジャンル | 音楽番組/バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1986年6月2日 - 2001年9月28日 |
放送時間 | 左記参照 |
放送局 | ラジオ大阪 |
パーソナリティ | #歴代パーソナリティの節参照 |
『OBCブンブンリクエスト』(オービーシーブンブンリクエスト)は、ラジオ大阪で放送されていたラジオ番組。1986年6月から2001年9月にかけて放送されていた。
概要
[編集]『おっと!モモンガPart2 おもしろREVOLUTION』の後番組で、対象リスナー層を中学生、高校生に絞り込み、「リスナーが求めるものを送る」というコンセプトでスタート[1]。本番組開始当初の一週間は通しておニャン子クラブのメンバーをゲスト出演させてサイン入りテレホンカードプレゼントという企画で仕掛け[1]、スタート2年目までに中学生・高校生の年齢層に限ってはトップの聴取率を記録した[1]。番組開始当初は平日22:00~24:00に放送されていたが終了時間は1990年4月に24:20まで、1992年10月に24:30まで延長。1998年度から2000年度まで3年連続ナイターオフシーズンに限り平日21:00~22:00枠で「ブンブンリクエストANNEX」( - アネックス)が前枠番組として、本番組を1時間前倒しする形で放送されていた。パーソナリティは本番組の当時(1998年10月期、1999年10月期、2000年10月期)と同一で、1998年度と1999年度は『チャートコレクション』、2000年度は『僕らの20世紀』というサブタイトルが付いていた[2]。
15年にわたって放送されてきたが、聴取率が徐々に下落していたことを背景に、2001年9月28日でレギュラー放送を終了した。後番組は『MEGAHITS! COUNT DOWN WEST』。
レギュラー放送終了後の主な動き
[編集]レギュラー放送を終了してからも、長時間にわたる特別番組の1ゾーンや、特別企画による単独番組として数回復活している。
2008年12月24日の12:00から24時間にわたって編成されていた「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」では、『OBCブンブンリクエスト ミュージックソンスペシャル』というタイトルで22:00 - 25:00(翌25日の1:00)に生放送。歴代のパーソナリティからモンスター前塚、南かおり、石田靖、吉田ヒロ、岩崎なおあきが一堂に会した[3]。
2018年7月16日には、「ラジオ大阪開局60周年記念特別企画」として、『一夜限りのブンブンリクエスト』を22:00 - 24:00(翌17日の0:00)に生放送。前塚・南・石田がパーソナリティを務めた。
ラジオ大阪の開局65周年および、「弁天町」(大阪ベイタワー)への本社移転30周年を記念して2023年7月17日(月曜日・海の日)の5:30 - 25:00(翌18日の1:00)に編成していた開局65周年記念番組『World Bentencho Carnival ~大阪・関西から世界へ~』では、『復活!OBCブンブンリクエスト』と称するゾーンを第3部(11:00 - 13:00)に設定。同局本社スタジオからの生放送(11時台)と大阪ベイタワー2階アトリウムからの公開生放送(12時台)を組み合わせた構成で、南・石田・吉田が全編のパーソナリティを担当したほか、公開生放送の途中からは前塚も参加した。さらに、11時台の後半には渡辺美里、12時台の前半には矢口真里をレギュラー放送に続いてゲストに迎えている。
歴代パーソナリティ
[編集]- 月曜
- 火曜
- 水曜
- 木曜
- 金曜
主なコーナー
[編集]- 本番組の22時台に放送されていた名物コーナー。番組独自の音楽チャートベストテンを発表するほか、リスナーがチャートの上位3曲を予想し、的中させたリスナーの中から抽選で2万円が贈られる企画も合わせて行われていた。ただこのチャートがリクエスト葉書1枚を1点として集計した物から一度1位になる毎に100点、2位で50点、3位で20点が減点されるというハンデキャップ方式だったため、単純な加算方式の他のチャートと比較して、上位の予想がしにくいのが特徴だった。このハンデ方式を取り入れたのには、毎日同じ曲がかからないようにするためという目的もあった[4]。
- また、ハンデ対象曲がベストテンから転落すると、それまで累積していたハンデは消滅する仕組みだったため、ハンデの影響でベストテンから転落した曲が翌放送日のチャートで「1位返り咲き」となることも多かった(番組内でも「~回目の1位返り咲き」などと紹介された)。
- 末期(1997年~2001年)は「ブンブンベスト3」として放送されていた(1998年当時は23:12頃から → 2000年からは22:44頃から)[5][6]。
- 1997年~1998年当時はベスト3前のランキングを発表する「ブンブンランキングフラッシュ」コーナーが設けられていた)[5]。
- ブンブンカルビースーパークイズ(提供/カルビー)
- いわゆるゲストコーナー。毎日23時の時報と共にスタートしていた。クイズを出題し、正答したリスナーにゲスト出演したアーティストの販促グッズなどをプレゼントしていた。一時期カルビー提供枠は「ブンブンカルビーホットコーナー」として別に存在しており、その頃は単に「ブンブンスーパークイズ」のタイトルで放送されていた(当時は特にスポンサーはなかったが、ラジオ大阪の旧社屋時代末期のみ、現社屋のある「ORC200」がスポンサーであった)。
- NISSIN恋の伝言板(提供/日清食品)
- 恋愛相談コーナー。葉書が採用されたリスナーに番組特製のパスケースをプレゼントした。
- 同コーナーは旺文社、ロート製薬がスポンサーだった時期もあり、当然上記のタイトルの「NISSIN」の部分が変更になっていた(ロート提供時代は冠無しの「恋の伝言板」であった)。
- ラジオ大阪で本番組終了後の2019年4月から平日の午前中に放送されている『ハッピー・プラス』では、南がパーソナリティを務める月曜日、このコーナーの復活版に当たる「ハピプラ愛の伝言板」を編成(2020年12月までは毎週→2021年1月以降は不定期)。リスナーのメインターゲットを「おとな」(主に40 - 60代)に定めていることから、「恋の伝言板」と趣向を変えていて(親族などを含めた)愛する人やペットに普段は伝えられないメッセージを楽曲のリクエストと共に電子メールで受け付けている。
- おかしなバトルトーク(1997年~1998年当時、水曜日のみ22:05頃から 提供/ロッテ)[5]
- ブンブンパワフルシェイク(1997年~1998年当時、24:00頃から 提供/講談社)[5]
- ブンブンシンジケート(末期2000年~2001年当時、22:10頃から)[6]
- ブンブンWAI-WAI-CAFE(末期2000年~2001年当時、23:00頃から。2001年3月までカルビー提供)[6]
- ブンブン今夜のとっておき!(末期2000年~2001年当時、23:45頃から)[6]
- Cokeスポーツニュース(提供/近畿コカ・コーラボトリング、三笠コカ・コーラボトリング)
- サンケイスポーツの協力によるスポーツニュース。基本としてパーソナリティが伝えていたが、稀に後述の産経新聞ニュースの担当アナウンサーが読むこともあった。
- 産経新聞ニュース・天気予報(スポンサーは曜日替わり)
- 23時前のニュースコーナーで、ラジオ大阪の男性アナウンサーが担当。曜日によっては、コーナー終了後、パーソナリティに絡んでくる者もいた(特に岩崎なおあき担当日の本村忠司)。天気予報は、当時午後の番組で放送されていた「アメダス天気予報」と内容が共通。
各曜日ごとのコーナー
[編集]- モンスター前塚の日
- ものまねコーナー
- 色々なものまねを披露する他、リスナーから、絶対ありえないような設定のものまねリクエストにも応えていた[7]。
- ファミコン情報[7]。
- クイズ福井です
- 1分間で12問の出題という『クイズタイムショック』と同様の形式で、前塚が福井敏雄のものまねをして出題。リスナーは電話で挑戦し、全問正解すると希望するCD一枚と本番組のノベルティグッズ一式がもらえた[8]。
- 歌って笑ってえらいこっちゃ[9]
- 毎週テーマとなる曲を決めて、その替え歌を前塚がものまねを交えながら歌う。このコーナーでやってくれるものまねのリクエストも募集していた[10]。
- 横山由美子の日
- おまけだ!チェッカーズ
- チェッカーズファンの横山の特性を生かしたコーナー。本番組の内包番組であった『おねがい!チェッカーズ』直後の放送で、毎週放送前にチェッカーズの所属事務所へ電話をし、そこで入手した最新情報から、メンバーのプライベートな情報・裏話などを話していた。全国ほとんどの地域からこのコーナー宛に葉書が送られて来ていたという所属事務所公認コーナー[7][8]。
- 立原啓裕の日
- ブンブンミニシアター
- 兵右衛門のコーナー → 陣左衛門のコーナー
- 寒いぞー/暑いぞー
- 天狗さんいらっしゃい
- 「寒いぞー」に代わり、1990年1月スタート。「大きいもの」など毎回お題を出し、リスナーからはそれに沿った自慢話(実話、作り話どちらでも可)を募集。一番大きな自慢をしたとしたリスナーにオリジナルグッズが贈られた[12]。
- ハイヒールモモコの日
- 私は見た![7]。
- 実録!教育現場 今学校では
- 中井雅之の日
- おい!中井
- よろず相談室
- リスナーからの悩み事などの相談に中井が回答していた[8]。
- それ行け中井の尻まくり
- 本番組内で内包番組として放送していた『田村英里子のマシュマロワンダーランド』にて、田村英里子が様々なことに挑戦していた『エリコの腕まくり』コーナーがあったが、これが「あまりに馬鹿馬鹿しい」と思った中井が同コーナーのパロディ的に開始。中井もこの『腕まくり』で実際の放送内容と同じようなことに挑戦していた[13] が、わずか一か月ほどで終了[14](田村英里子のマシュマロワンダーランド#主なコーナー・企画も参照)。
- BGM当てクイズ
- ハリガネロックの日
- おかしなバトルトーク(22:02頃オープニング直後)[6]
- その他
- 本番組内のニュース担当のアナウンサーへの質問[13]
内包していた番組
[編集]※金曜日等に存在した地方局向け裏送り版も放送されている。
- ライオンミュージックビレッジ おねがい!チェッカーズ(~1991年2月、23:10 - 23:23 ニッポン放送制作)
- 西村知美の今夜もパジャマ気分 (提供/PENTAX(旭光学)、1988年4月~1989年10月、23:45 - 23:55 文化放送制作)
- 田村英里子のマシュマロワンダーランド (提供/旺文社、1989年4月~1989年10月、23時台 文化放送制作)
- ライオントークビレッジ アイドル危機一髪!公開質問状 (1991年3月~1991年10月、23:15 - 23:29 パーソナリティ:伊集院光 ニッポン放送制作)
- ライオントークビレッジ 加勢大周 ワイルドで行こう (1991年10月~1993年9月、23:15 - 23:29 ニッポン放送制作)
- 水野美紀 ふたりのアトリエ (提供/サンギ、1996年4月~、24:15 - 24:25 文化放送制作)
- STOP THE SMAP(提供/大鵬薬品、文化放送制作、スポンサーはラジオ大阪独自)
- V6のカミセンミュージアム(提供/大鵬薬品、ニッポン放送制作)
ブンブンベストテン年間1位曲
[編集]年度 | 曲名 | 歌手名 |
---|---|---|
1994年 | Don't Leave Me | B'z |
1995年 | LOVE PHANTOM | |
1996年 | 名もなき詩 | Mr.Children |
1997年 | White Love | SPEED |
1998年 | HONEY | L'Arc〜en〜Ciel |
1999年 | Winter,again | GLAY |
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c ラジオパラダイス 1988年8月号特集「全国4大エリア 夜ワイド合戦絵巻」p.24、p.36
- ^ ラジオ番組表 1998年秋号、1999年秋号、2000年秋号 それぞれラジオ大阪番組表。
- ^ “OBCブンブンリクエスト ミュージックソンスペシャル”. ラジオ大阪 (2008年12月24日). 2014年9月18日閲覧。
- ^ ラジオパラダイス 1987年3月号「中波四十七局全国行脚記録帳 第3回 OBCラジオ大阪の巻」p.14
- ^ a b c d ラジオ番組表(三才ブックス)1998年春号 ラジオ大阪番組表より。
- ^ a b c d e ラジオ番組表(三才ブックス)2000年秋号、2001年春号 それぞれラジオ大阪番組表より。
- ^ a b c d e f ラジオパラダイス 1987年11月号「1987秋のラジオ改編大特集」p.31
- ^ a b c d e ラジオパラダイス 1989年8月号「R・P NEWSパレット ホット・インフォメーション」p.75
- ^ a b ラジオパラダイス 1990年1月号「R・P NEWSパレット ホット・インフォメーション」p.73
- ^ ラジオパラダイス 1990年7月号「R・P NEWSパレット ホット・インフォメーション」p.76
- ^ ラジオパラダイス 1988年8月号「ラジパラタイムス」p.78
- ^ ラジオパラダイス 1990年3月号「R・P NEWSパレット ホット・インフォメーション」p.75
- ^ a b ラジオパラダイス 1989年10月号「R・P NEWSパレット ホット・インフォメーション」p.74
- ^ ラジオパラダイス 1989年12月号「R・P NEWSパレット ホット・インフォメーション」p.73
- ^ ラジオパラダイス 1989年12月号「R・P NEWSパレット ホット・インフォメーション」p.74
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