ブロヴァルィー
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ブロヴァルィー Бровари | |||||
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位置 | |||||
ブロヴァルィーの位置 | |||||
座標 : 北緯50度30分41秒 東経30度47分25秒 / 北緯50.51139度 東経30.79028度 | |||||
行政 | |||||
国 | ウクライナ | ||||
州 | キーウ州[3] | ||||
ラヨン(地区) | ブロヴァルィー地区[3] | ||||
フロマーダ | ブロヴァルィー・フロマーダ[3] | ||||
市 | ブロヴァルィー | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 34 km2 | ||||
人口 | |||||
人口 | (2024年現在) | ||||
市域 | 100,000人 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
郵便番号 | 07400 | ||||
市外局番 | +380-4594 | ||||
ナンバープレート | CE | ||||
公式ウェブサイト : http://www.brovary.osp-ua.info/ |
ブロヴァルィー(ウクライナ語: Бровари, 発音 [brɔˈʋarɪ] ( 音声ファイル))は、ウクライナキーウ州東部の都市。ブロヴァルィー地区とその下位行政区画であるブロヴァルィー・フロマーダ双方の行政中心地[3]。
歴史
[編集]ブロヴァルィーという地名は、初めて1628年の史料に登場する。当時のブロヴァルィーはヴィシュネヴェーツィクィイ家が領有する集落であった。集落内には48の農戸と68のコサック戸があり、集落の主な産業は農業と醸造であった。1648年から1657年の間にフメリニツキーの乱が勃発すると、ブロヴァルィーはコサック国家の百人隊地区の町となったが、1667年にキエフ百人隊地区に編成された。1668年に町はクリミア・タタール人によって占領されて全滅したが、18世紀後半に復活した。19世紀中にブロヴァルィーでは郵便局や鉄道が設置され、小学校、中学校や図書館など文化施設が建てられた。1923年にブロヴァルィーはブロヴァルィー地区の地区庁所在地となった。1935年にブロヴァルィー空港が建設され、1960年代までにキーウの最大空港として利用された。第二次世界大戦中にブロヴァルィーは全焼し、1950年代にゼロから再建された。
経済
[編集]2007年現在、ブロヴァルィーの面積は34km²で、人口は役91,500人である。主な産業は化学産業、機械工学、建築産業、食料産業である。キーウの衛星都市の性格が強い。
姉妹都市
[編集]- フォントネー=スー=ボワ、フランス 1985年
- ロックフォード、アメリカ合衆国 1990年
- シチョルコヴォ、ロシア 1992年
- スウツク、ベラルーシ 1992年
- シッラマエ、エストニア 1992年
- en:Kraśnik County、ポーランド 2006年
- en:Tonalá、メキシコ 2010年
脚注
[編集]- ^ “「今からここで暮らす」とロシア軍 家奪われる住民―ウクライナ:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2022年3月31日). 2022年5月29日閲覧。
- ^ “ウクライナ首都郊外でウクライナ軍、ロシア戦車隊を急襲か”. BBCニュース (2022年3月11日). 2022年5月29日閲覧。
- ^ a b c d “Бровари - Київська область”. decentralization.gov.ua. 2022年5月29日閲覧。