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ブレーメン通り商店街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブレーメン通り商店街(2011年1月2日)
「ブレーメン音楽隊」像(2018年1月25日)

ブレーメン通り商店街(ブレーメンどおりしょうてんがい)とは、東急東横線元住吉駅西口より出てすぐ始まる商店街神奈川県川崎市中原区木月にある。

1990年(平成2年)10月に元住吉西口商店街から名称変更し「モトスミ・ブレーメン通り商店街振興組合」となった。これは「子供たちに親しまれるように」という願いを込めて「ブレーメンの音楽隊」から「ブレーメン」という名を使用したが、当初、ブレーメンは作品内に登場する架空の街だと思っていたという[1]

1991年(平成3年)3月には、ドイツブレーメン市にある商店街ロイドパサージュとの友好提携に合意した。商店街の中ほどには、ロイドパサージュから友好の証として贈られた「ブレーメン音楽隊」像がある。

東急東横線の高架を挟んで反対側にはオズ通り商店街がある。

バス路線(廃止)

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かつては商店街が店を開く前の[2]朝の川崎駅方面のみ川崎市交通局川崎鶴見臨港バスのバスがブレーメン通りを経由して運行されていたが、綱島街道の工事に伴い、2011年(平成23年)5月14日をもって経路変更となった[3]

綱島街道の工事の進捗により、翌年の9月4日にはブレーメン通り経由の運行に戻すことも可能となり[4]10月15日には戻す予定であったが、ブレーメン通りが小学生などの通学路となっていることもあり、商店街近隣の住民などからの要望で、そのまま迂回運行を継続することとなった[5]

ブレーメン通り経由の便しか通らない井田中ノ町の住民[2]や元住吉駅[6]で乗り換える利用者などから反対があり、市民の声すら二分される状態となる中[2]で、当初は所要時間を理由にブレーメン通り経由の復活を希望していた[5]交通局も廃止に傾き、2014年2月20日に神奈川県生活交通確保対策地域協議会へ路線退出の意向を申し出るに至った[4](同時期に臨港バスも退出の申し出を行っている[7])。

木月一丁目バス停が迂回路から300m以上離れている[4]ため、廃止にあたっては地域協議会での協議が本来必要となる[8]が、前述したような地域内での意見対立もあり、説明会の開催すら反対により行われない[3]など、状態は膠着していたが、かつて交通局側が運行再開希望の理由としてあげていた所要時間も、綱島街道の工事完了後は同水準となっている[4]こと、また元住吉駅の利用者が運行休止後の5年間で4000人増加するなど周辺住民が増加しており、所要時間や安全性が確保できなくなっている[3]ことを理由として、協議を待たずして2016年6月28日に廃止届出を行い、6ヶ月後の12月28日付けで廃止となった[3]。臨港バスについてもブレーメン通り経由の路線は廃止とされた[2]

メディア出演・掲載

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脚注

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  1. ^ 2024年9月28日放送 出没!アド街ック天国テレビ東京
  2. ^ a b c d 井田住民と元住吉商店街が対立、「川崎市バス」ルート変更問題は正式廃止で決着 横浜日吉新聞、2016年7月1日(2017年1月1日閲覧)。
  3. ^ a b c d モトスミ・ブレーメン通り及びモトスミ・オズ通りのバス路線廃止の経過” (PDF). 川崎市交通局 (2016年6月28日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月4日閲覧。
  4. ^ a b c d モトスミ・ブレーメン通り及びモトスミ・オズ通りの市バスの運行について” (PDF). 川崎市. 2020年7月4日閲覧。
  5. ^ a b バス運行再開に「待った」 タウンニュース中原区版(タウンニュース社)、2012年11月9日(2017年1月1日閲覧)。
  6. ^ 迂回ルートでは、駅から180m離れた停留所への停車となる。
  7. ^ 元住吉駅前を経由の市バス、廃止方針決定で賛否 カナロコ(神奈川新聞社)、2014年6月12日(2017年1月1日閲覧)。
  8. ^ バス路線の退出等意向申出制度について (PDF) 川崎市、2017年1月1日閲覧。

外部リンク

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座標: 北緯35度33分55.3秒 東経139度39分6秒 / 北緯35.565361度 東経139.65167度 / 35.565361; 139.65167