ブルックナー:交響曲第8番 改訂版 (1963年のアルバム)
『ブルックナー:交響曲第8番 改訂版』 | |
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ハンス・クナッパーツブッシュ の スタジオ・アルバム | |
リリース | |
録音 |
1963年1月29日[1] ミュンヘン バヴァリア音楽スタジオ[2] |
ジャンル | クラシック音楽 |
時間 | |
レーベル |
ウェストミンスター・レコード (ユニバーサルミュージック) |
プロデュース | クルト・リスト[3] |
ブルックナー:交響曲第8番 改訂版 (1963年のアルバム) は、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団による、アントン・ブルックナーの交響曲第8番のスタジオ録音によるアルバムである。
現在では演奏会や録音に使用される機会が少ない改訂版の楽譜による『第八番』の演奏を、初めてステレオで録音したアルバムである。また、オーケストラの指揮を務めたハンス・クナッパーツブッシュにとっては最後のスタジオ録音となり、今日では資料的価値のみならず演奏解釈においても指揮者の晩年のキャリアを代表するアルバムとされている。
前史
[編集]『第八』演奏略史
[編集]今日、アントン・ブルックナーは人気作曲家の座を得ているが、1940年代、1950年代は演奏・録音される機会が少なかった。録音が残されている『第八』の実演はフルトヴェングラー(1944年、1949年)、アーベントロート(1949年)、クナッパーツブッシュ(1951年、1955年、1961年、1963年)を数えるほどであり、日本における初演はカラヤンの来日公演(1959年)であった。商業的なスタジオ録音は1949年にヨッフムがハンブルク・フィルハーモニカーと録音したものが最初であり、ほかにはベイヌム(フィリップス・レコード、1955年)、ムラヴィンスキー、(メロディア、1959年)によるものが存在した。最初のステレオ音源は試験的なものではあるが、1944年にカラヤンがベルリン・シュターツカペレ・プロイセン(現在のシュターツカペレ・ベルリン)とEMIに録音したものがある。ただし、これは第1楽章が欠落しているうえに、第2、第3楽章はモノラルであった。最初のステレオによる交響曲の全集録音は前述したヨッフムによって1958年(ドイツ・グラモフォン)に始められ、『第八』の収録は1964年におこなわれた。1975年にはカラヤン(ドイツ・グラモフォン)とヨッフム(EMI)が、1976年には朝比奈隆(通称ジアンジアン盤)がそれぞれ交響曲全集(いずれも第一番から第九番まで)の録音を開始したのを皮切りに、1980年代以降は多くの指揮者が全集録音に取り組むようになり、ブルックナーの作品が人気を得るにしたがい、単独でも実演や録音で採り上げる指揮者が増え、楽譜のさまざまな稿や版の研究が進むにつれて、特定の版にこだわりを見せたり、複数の稿や版を比較検討したり、あるいは独自に編纂した楽譜を用いて演奏をおこなう指揮者もあらわれるようになり、これまで全集録音から省かれることが多かった、作曲家が通し番号を与えなかった2つの作品、『交響曲ヘ短調』、『交響曲第0番』も録音されるようになった一方、改訂版の楽譜には作品を問わず、おしなべて作曲家の意図とは異なる改変が施されていると見なされ、今日再評価の動きは見られるものの、依然として演奏される機会が少ない。
『第八』とクナッパーツブッシュ
[編集]このアルバムの録音にはオーストリアの作曲家、アントン・ブルックナーが1887年に完成した『交響曲第8番ハ短調』を弟子であるヨーゼフ・シャルクとマックス・フォン・オーベルーライトナーが1892年に改訂した第1稿初版(改訂版、またはシャルク改訂版、オーベルライトナー改訂版とも呼ばれる)の楽譜が用いられている。これは指揮をしたハンス・クナッパーツブッシュが、師匠であるハンス・リヒターが同曲の初演(1892年12月18日)にこの楽譜を使用したという伝統に倣ったものである。もっとも、1939年に音楽学者のローベルト・ハースが校訂した原典版の楽譜が登場するまでは、ひとりリヒターのみならず、多くの指揮者が「改訂版」の楽譜を日常的に使用していた。一方、クナッパーツブッシュはハースやレオポルト・ノヴァークによる「原典版」の楽譜が登場した後も、一貫して「改訂版」の楽譜を使い続けたが、楽譜にいくつか手を加えていたことも知られている(後述)。とまれ、これら版をめぐる問題とは別に、クナッパーツブッシュはこの作品をこよなく愛し、夫人のマリオン・クナッパーツブッシュによれば、クナッパーツブッシュはワーグナーの『パルジファル』とともにブルックナーの『第八』を愛し[4]、1958年にクナッパーツブッシュの70歳を記念して出版された写真家のルドルフ・ベッツと音楽評論家のヴァルター・パノフスキーの共著による 『Knappertsbusch』(Donaukurier)によれば、彼は1957年までにミュンヘンにおける演奏会でこの交響曲を7回指揮したとされ[5]、残された録音は非公式なものを含めて、1951年、1955年、1961年(リハーサルを含めると2種類)、1963年(2種類)の6種類が確認できる。
録音の経緯
[編集]1960年2月にクナッパーツブッシュは1947年から続いていたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との録音契約が切れ、フリーランスの状態にあった。そんなおり、アメリカのレコード・レーベルであるウェストミンスター・レコードがミュンヘンでベートーヴェンの『フィデリオ』を録音することとなり、フリーの状態にあったクナッパーツブッシュと契約して12月に録音を行なった。その翌年にはクナッパーツブッシュの75歳を記念してミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とワーグナーの管弦楽作品を録音し、1963年に同楽団とブルックナーの『第八』を録音することになった。
記念碑的な演奏会
[編集]『ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調』 | |
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ハンス・クナッパーツブッシュ の ライブ・アルバム | |
リリース | |
録音 |
1963年1月24日 ミュンヘン ヘルクレスザール |
ジャンル | クラシック音楽 |
時間 | |
レーベル |
SEVEN SEAS (キングレコード) |
アルバムの録音に先立ち、1月23日と1月24日にミュンヘン・レジデンツにあるホール、ヘルクレスザールにて、クナッパーツブッシュとミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団による『第八』の演奏会が開かれた。この演奏会は反響を呼び、南ドイツ新聞の演奏会評欄を担当していた音楽評論家のヴァルター・パノフスキーは以下のような記事を書いた。
クナッパーツブッシュが統べるブルックナー
最初の拍手は、ほぼ最終和音に達したところで起こり、有無を言わさず自発的に静まった。短い、ほとんど拷問のような静寂ののち、ふたたび静寂の壁を打ち破る、さらなる拍手が起こった。このとき、それまで前屈みで指揮者用の椅子に座っていたクナッパーツブッシュがゆっくりと上体を起こし、何かをつぶやいたことで楽員たちが笑い出し、魔法が解けた。この聴衆の奇妙な反応は、彼の解釈を詳細に分析するよりも、その一夜が内包していた偉大さと重要性について、さらに多くのことを語るものだ。クナッパーツブッシュは、この巨大な作品を過去十年間に数度、毎回異なる方法で指揮してきた。しかし、これまでの解釈との違いはこれほど顕著ではなかった。おそらく彼はまったく新しい方法でこの作品を捉え、洞察したのだろう。楽譜のデュナーミクの指示に対して忠実で精確、彼はほかの誰もできなかったクレッシェンドを持続させることができた。すなわちクレッシェンドは数十小節、一分以上の長きに及び、彼の肘には最後にアダージョのクライマックス(シンバルのクラッシュに続くハープのアルペッジョによって強調される、あの有名な変ホ長調の和音)を規定のフォルテシッシモ(fff、フォルティッシモよりも強く)で鳴らすだけの十分な余裕があった。ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団はとくに弦楽器のセクションがなみはずれており、たとえば、アダージョの開始部分は比類なき音の奇蹟だった。 — パノフスキー
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とのコンサート
この演奏会の音源は日本では1994年にCD化されている。以下に各楽章の演奏時間を記す。
- 第1楽章 - 14分39秒
- 第2楽章 - 14分51秒
- 第3楽章 - 25分42秒
- 第4楽章 - 26分04秒
録音
[編集]この歴史的な演奏会の5日後である1月29日にスタジオ録音が行なわれた[1]。場所はミュンヘン、シェーン通り13番地(Schornstraße 13)にあるバヴァリア・スタジオ(バイエルン音楽スタジオ)である[2]。 楽譜は演奏会と同じく、初演でハンス・リヒターが使用したシャルク改訂版(1890年改訂版第2稿、1892年初版)を用いた。録音スタッフは以下の面々である。
- プロデューサー - クルト・リスト(Kurt List)[3]
- バランス・エンジニア - ピーター・キュリエル(Peter Curiel)、アドルフ・エンツ(Adolf Enz)、ライモント・フギスタラー(Raymond Fügistaler)
- マスタリング・エンジニア - クロード・リー(Claude Rie)
パッケージ
[編集]アルバムのデザインはアメリカ合衆国の画家でグラフィックデザイナーのハリー・ファームレットが手がけた。オリジナルのジャケットはゲートフォールド(見開き)仕様で、ブルックナーの胸像の脇に巻いた楽譜を並べた構図となっており、アルバム解説はアメリカ合衆国の音楽評論家であるアーヴィング・コロディンが手がけた。
内容
[編集]演奏解釈
[編集]ここではアルバムの各楽章における改訂版とノヴァーク版の相違点をいくつか挙げ、指揮者独自の解釈の一端を太字で述べる[6]。
- 第1楽章 - 改訂版には22小節にポコ・リタルダンド(少しずつ遅く)、72小節にモルト・リタルダンド(だんだんと遅く)の指示がある。
- 第2楽章 - ノヴァーク版では第2スケルツォ冒頭のチェロが弓弾きをする部分が、改訂版ではピッツィカートに変更されており、コントラバスも一緒にピッツィカートを奏する。さらに89小節から90小節にかけては、第2ヴァイオリンもピッツィカートを奏する。
- 第3楽章 - 冒頭、コントラバスが原典版の指定では弓弾きだが、改訂版はピッツィカート奏法に変わっている。170小節の第1ヴァイオリンのイ音にヘ音を加えて3度のハーモニーとし、コーダの272小節における第1ヴァイオリンの変ロ音を変イ音に変更。
- 第4楽章 - ノヴァーク版の93小節から98小節の部分がカットされている。改訂版では再現部冒頭の446小節、454小節でティンパニが基本リズムを叩き、479小節にはシンバルが加わる。ノヴァーク版にある576小節の金管の和音が改訂版では消されており、同じくコーダの前、637小節からの弦楽器の音型(短い音符の集合による音楽の最も短い構成部分)が木管とホルンのそれに変更されている。終結部、結尾から2小節目のティンパニはノヴァーク版、改訂版ともに三十二分音符の拍数で書かれているが、他の楽器の中庸な十六分音符の拍数に合わせてティンパニを叩かせている。
1963年版LP
[編集]# | タイトル | 時間 |
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1. | 「第1楽章:アレグロ・モデラート」 |
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「第2楽章:スケルツォ - アレグロ・モデラート」 |
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「第3楽章:アダージョ」 |
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「第4楽章:フィナーレ」 |
1997年版CD
[編集]# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「第1楽章:アレグロ・モデラート」 | |
2. | 「第2楽章:スケルツォ - アレグロ・モデラート」 | |
合計時間: |
# | タイトル | 時間 |
---|---|---|
1. | 「第3楽章:アダージョ」 | |
2. | 「第4楽章:フィナーレ」 | |
合計時間: |
発売
[編集]このアルバムは1963年にアメリカ合衆国でアナログレコードと4トラック・オープンリール用の磁気テープで発売された。日本では発売元のウェストミンスター・レコードがABCレコードに買収された1966年にキングレコードから初めて発売されたが、1970年代から1990年代初頭にかけて、東芝EMI、ビクター音楽産業、ワーナー・パイオニアとさまざまなレーベルから再発売されている。その間にオリジナルマスターテープの所在が分からなくなり、1987年にワーナー・パイオニアから初めてのCD版がリリースされる際には、一般から借り受けたオリジナルアナログレコードの音源が使用されている(いわゆる盤起こしと呼ばれる方法)。その後、1992年ごろから当時の日本MCAビクターがアメリカで調査を行なった結果、オリジナルマスターテープが発見され、1996年から順次ウェストミンスター・レコードの主要なカタログがCDでリリースされるようになった[7]。なお、この調査でこれまで発売されていたアルバムは左右の音声チャンネルが逆にカッティングされていたことが判明し、1997年に初めてオリジナル通りの定位でCD化がなされることとなった。なお、このアルバムのオリジナル音源はステレオではあるものの、残響が少なく艶のない音であり、1996年にアメリカで再発売される際には人工的に残響を付加したミキシングが施され、日本でも2002年以降に発売されたものにその傾向が見られる。2022年からは配信も開始され、アマゾン・ミュージックとアップル・ミュージック・クラシカルから音楽ストリーミング販売されている。
発売履歴
[編集]形態 | 発売国 | 発売年 | レーベル | 規格・品番 | リマスタリング | 音の定位 | 特記事項 | 画像 |
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LP | 1963 | ウェストミンスター・レコード | WST-235 | 逆位相 | 世界初出 | |||
OR | 1963 | ウェストミンスター・レコード | WTP-165 | 逆位相 | オープンリールでの初発売。 (アンペックス・4トラック磁気テープ) |
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LP | 1965 | コロムビア・レコード | S72-486~7 | なし | 逆位相 | ドイツ・グラモフォン・プレスによる海外盤 ジャケットは指揮者の指揮姿を捉えた写真。 |
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LP | 1966 | レコード・ミュージック・サークル | CM-71~2 | なし | 逆位相 | 通信販売制レコード ジャケットは板目を模したデザイン。 |
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LP | 1966 | キングレコード | SH-5218~9 | なし | 逆位相 | 日本初出。 ジャケットは表がオリジナルの写真を使用、副題として≪THE ARTISTRY OF HANS KNAPPERTSBUSCH≫と記され、裏には山岳写真が使用されている。指揮者のカナ表記はハンス・クナッペルツブッシュと記されている。 |
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LP | 1974 | 東芝EMI | IWA-93183B~93184 | なし | 逆位相 | ABCレコードのライセンスによる発売。 ジャケットは指揮者のポートレイト。 |
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LP | 1980 | ビクター音楽産業株式会社 | VIC-5201~2 | なし | 逆位相 | MCAレコードのライセンスによる発売。 ジャケットは表が白色の無地、裏が指揮者のポートレイト |
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CD | 1987 | ワーナー・パイオニア | 64XK-10~11 | なし | 逆位相 | CDによる世界初発売。 当時オリジナルマスターテープが所在不明だったため、カップリング曲を含めて、復刻にはLPの音源を使用している。 カップリング曲:ワーグナー『ジークフリート牧歌』、『トリスタンとイゾルデ』前奏曲と愛の死(管弦楽版)『パルジファル』第1幕前奏曲 ジャケットにはオリジナルジャケットのタイポグラフィを一部変更したものを使用。 |
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CD | 1989 | MCAクラシックス | MCAD2-9825A~9825B | なし | 逆位相 | 2枚組による廉価シリーズ "double decker"での発売。 カップリング曲:ウィリアム・スタインバーグ指揮、ピッツバーグ交響楽団によるブルックナー『交響曲第7番』(1968年録音、米コマンド・レコードの音源) |
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CD | 1991 | ワーナー・パイオニア | WPCC-4185~6 | なし | 逆位相 | 1987年版の再発売。 使用された音源・カップリング曲・ジャケットは1987年版と同一 |
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CD | 1996 | MCAクラシックス | MCD-80089~90 | 20bit | 逆位相 | カップリング曲:ワーグナー『ローエングリン』第1幕 前奏曲、『パルジファル』第1幕前奏曲、『ジークフリート牧歌』 ジャケットは山岳写真を使用 |
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CD | 1997 | MCAビクター | MVCW-14001~2 | 20bit | 正常 | 正常な定位での初発売。 オリジナルジャケット仕様 |
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CD | 2002 | ユニバーサルミュージック | UCCW-1033~4 | OIBP | 正常 | カップリング曲:ワーグナー『ローエングリン』第1幕前奏曲、『パルジファル』第1幕前奏曲、『ジークフリート牧歌』 ジャケットは指揮者の指揮姿の写真 |
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LP | 2003 | Speakers Corner Records | WST-235 | OIBP | 正常 | ドイツの復刻専門レーベル「スピーカー・コーナー・レコード」からの発売 オリジナルジャケット仕様だが、レーベル面の外周にオリジナル盤にある溝がない。 |
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SHM-CD | 2008 | ユニバーサルミュージック | UCCD-9718~24 | OIBP | 正常 | クナッパーツブッシュのユニバーサルミュージック・ライセンス音源を集めた12枚組ボックス『Hans Knappertsbusch 1950 - 1963』所収 | ||
CD | 2012 | Universal Korea | DG40030 | OIBP | 正常 | ウェストミンスター・レコードのオーケストラ録音を集めた輸入盤65枚組ボックス『Westminster Legacy Vol.2 - Orchestral Collection』所収 紙ジャケット仕様 |
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CD | 2013 | Deutsche Grammophon | 4792343 | OIBP | 正常 | ウェストミンスター・レコードの主要な録音を集めた輸入盤40枚組ボックス『Westminster Legacy Box』所収 紙ジャケット仕様 |
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SACD | 2015 | タワーレコード株式会社 | PROC-1639~40 | SACD | 正常 | SACDによる世界初発売。 カップリング曲:ベートーヴェン『フィデリオ』序曲、『レオノーレ序曲第3番』(1961年録音) オリジナルジャケット仕様 |
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UHQCD | 2019 | ユニバーサルミュージック | UCCW-9063~4 | UHQCD | 正常 | 2002年版のアンコール・プレス カップリング曲とジャケットは2002年版と同一 |
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EMD | 2022 | Amazon Music | B09PYFSMHJ | 正常 | 『第八』単独での配信 | |||
EMD | 2023 | Apple Music Classical | 1599981655 | 正常 | 『第八』単独のものと、同じ指揮者がデッカ・レコードに録音した『第三』、『第四』、『第五』とカップリングしたものの2つのタイプが配信されている。 |
評価
[編集]このアルバムは発売以来作曲家の意向を無視した改訂版を用いた録音資料、いいかえれば作曲家を冒涜した楽譜による録音とされる一方、楽譜の問題点を超越した演奏として評価されている。音楽評論家の小石忠男は、このアルバムをクナッパーツブッシュによるブルックナー演奏の最高傑作と位置付け[8]、悠揚と歌う表現と豊かな内面性の前には改訂版がはらむ問題点などは些末なこととした。宇野功芳は、1967年にはじめてこのアルバムをきいた時、それまで皆目わからなかったブルックナーの音楽の魅力に開眼したといい[9]、1963年12月7日に録音されたカール・シューリヒトのアルバムとは互いの欠点を補い合う存在としている[9]。また、宇野は第3楽章のコーダを天上の音楽と呼び、初めてこの曲を耳にする人にはこのコーダと第4楽章の第3主題を繰り返しきくことを推奨している[10]。一方、近年においては改訂版の研究が進んだことでそれを取り巻く状況も変化しており、2004年には、弟子たちが作曲家に無断で改変したとされていた交響曲第3番の第3稿が、実は作曲者も楽譜の改訂を受け容れていたという論考のもとに出版されるなど、改訂版に肯定的な見解が見られるようになっている[11]。2023年にこのアルバムは音楽之友社版『新時代の名曲名盤500+100』で第3位に選出された[注釈 1]。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 小石忠男『世界の名指揮者』音楽之友社、1974年。ISBN 978-4276216006。
- 宇野功芳『ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(改訂版)ワーグナー:管弦楽作品集(3曲)』ワーナー・パイオニア、1987年。
- 宇野功芳『クラシックの名曲・名盤』講談社〈講談社現代新書 946〉、1988年。ISBN 4-06148946-1。
- 小石忠男『CD名曲名盤100 交響曲』音楽之友社〈ON BOOKS 117〉、1994年。ISBN 4-276-35117-0。
- 舩木篤也「『改訂版』さいごの守護者?」『ハンス・クナッパーツブッシュ指揮、ミュンヘン・フィル。ブルックナー:交響曲第8番(改訂版)』ユニバーサルビクター/ビクターエンタテンメント、1997年。
- レコード芸術 編『新時代の名曲名盤500+100』音楽之友社〈ONTOMO MOOK〉、2023年。ISBN 978-4276963566。
- レコード芸術 編『生誕200年 最新ブルックナー 更新され続ける作品の最先端と名演史』音楽之友社〈音楽の友12月号別冊〉、2024年。ASIN B0DKMT6JBZ。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b abruckner.com Symphony Versions Discography
- ^ a b bavariamusikstudio
- ^ a b WIKIDATA Q110934162
- ^ 舩木 1997, p. 14.
- ^ 舩木, p. 11.
- ^ 宇野 1987.
- ^ 「いまあらためて開かれた宝庫の扉 - ウェストミンスターシリーズ再出発によせて」濱田滋郎(レコード芸術1996年3月号、pp255-257.)
- ^ 小石 1974, p. 99.
- ^ a b 芳岡 2024, p. 118-119.
- ^ 宇野 1988, p. 53.
- ^ 満津岡 2024, p. 104.
- ^ 新時代の名曲名盤 2023, p. 78.
外部リンク
[編集]- バヴァリア音楽スタジオ - ホームページ(ドイツ語)