ブリタニア (戦列艦・1762年)
ブリタニア | |
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右から順にブリタニア、ラ・ホーグ (不明確) 、サンティシマ、ヴィクトリー | |
艦歴 | |
運用者 | イギリス海軍 |
建造 | ポーツマス工廠 |
起工 | 1751年7月1日 |
進水 | 1762年10月19日 |
改名 | プリンセス・ロイヤル (1810年1月6日) セント・ジョージ (1812年1月18日) バーフラー (1819年6月2日) |
その後 | 1825年解体 |
戦歴 | スパルテル岬の海戦 ジェノヴァの海戦 サン・ビセンテ岬の海戦 トラファルガーの海戦 |
性能諸元[1] | |
クラス | 100門1等戦列艦 (1745年の寸法規定準拠) |
トン数 | 2116bm |
全長 | 砲列甲板:178ft (54.3m) |
全幅 | 51ft (15.5m) |
深さ | 船倉:21ft 6in(6.6m) |
推進 | 帆走(3本マストシップ) |
兵装 | 100門: 上砲列:12ポンド(5kg)砲28門 中砲列:24ポンド(11kg)砲28門 下砲列:42ポンド(19kg)砲28門 後甲板:12ポンド(5kg)砲6門 船首楼:6ポンド(3kg)砲4門 |
ブリタニア (HMS Britannia) はイギリス海軍の100門1等戦列艦。同名の戦列艦としては2代目となる。
建造
[編集]ブリタニアは1751年4月25日に、1745年の寸法規定に沿うよう設計された100門艦として、ポーツマス工廠に発注された[1]。1751年7月1日、ドックに竜骨が敷かれ、1762年10月19日に進水した。建造と艤装にかかった費用は合計で45,844ポンド2シリング8ペンスだった。
建造時は42ポンド (19kg) 砲を下甲板に搭載していたが、後に全て32ポンド (15kg) 砲に換装された。また、1790年代に後甲板の12ポンド(5kg)砲10門と、船首楼の6ポンド(3kg)砲2門が撤去され、同数の32ポンドカロネード砲に置き換えられた。
艦歴とエピソード
[編集]ブリタニアは1778年9月に試験航海を行い、アメリカ独立戦争中に就役した。1793年から1795年にかけて、海軍中将ウィリアム・ホザム提督の旗艦を務めた。さらに1797年のサン・ビセンテ岬の海戦や、1805年のトラファルガーの海戦に参加した。トラファルガーの海戦ではノーセスク伯で白色海軍少将のウィリアム・カーネギーの将官旗を掲げた。この海戦でブリタニアは戦死10人、負傷42人を出した。そして翌1806年にプリマスで修理と整備のためドック入りした。
また、この船は改名が多かった。1810年1月6日にプリンセス・ロイヤル (HMS Princess Royal) となり、1812年1月18日にはセント・ジョージ (HMS St. George) 、そして1819年6月2日にはバーフラー (HMS Barfleur) と名前が変わった[1]。
ブリタニアはアメリカ海軍のフリゲート、コンスティチューションの前に「オールド・アイアンサイズ(en)」として知られていた[2]。
この船は、1825年2月にプリマスで解体された。
脚注
[編集]- ^ a b c Lavery, Ships of the Line, vol. 1, p. 173.
- ^ Fraser, Edward 'Old Ironsides' and the third in command in Champions of the Fleet, John Lane, London and New York, 1908
参考文献
[編集]- British Warships in the Age of Sail: 1793 - 1817, Rif Winfield, Chatham Publishing, London, 2005.
- Lavery, Brian (2003) The Ship of the Line - Volume 1: The development of the battlefleet 1650-1850. Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-252-8.