フローレス (ペテン県)
フローレス Flores | |
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フローレス島 | |
位置 | |
座標 : 北緯16度55分47秒 西経89度53分30秒 / 北緯16.92972度 西経89.89167度 | |
歴史 | |
建設 | 1831年[1] |
行政 | |
国 | グアテマラ |
県 | ペテン県 |
市 | フローレス |
人口 | |
人口 | (2002年現在) |
市域 | 30,897[2]人 |
その他 | |
等時帯 | 中部標準時 (UTC-6) |
座標: 北緯16度55分47秒 西経89度53分30秒 / 北緯16.92972度 西経89.89167度
フローレス(Flores)は、グアテマラ北部ペテン県の県都。ペテン県中央部のペテン・イツァ湖に浮かぶフローレス島、および湖の南岸のサンタ・エレナから構成される。両者は陸橋によって結ばれている。
地理・交通
[編集]フローレス島の中心部にはペテン県の県庁などの政府機関の建物、教会、広場がある。島は静かで、パステルカラーの建物が立ちならぶ[3]。
それに対してサンタ・エレナ側は商業の中心で、現代的な町である。東の郊外にムンド・マヤ国際空港があり、グアテマラシティやベリーズシティと結ばれている。この2都市とは長距離バスでも結ばれている。
ペテン県にはティカル、ワシャクトゥン、ヤシュハ、エル・ミラドールなどの有名なマヤ遺跡があり、フローレスは遺跡を訪れる人の出発地として使われる。
フローレス自身も本来はタヤサル(より正確にはノフペテン)というイツァ族の中心都市だったが、現在はすべて破壊されてしまい、歴史的に見るべきものは残っていない[3]。タヤサルという名前の考古学遺跡はあるが、フローレス島ではなく北隣のタヤサル半島に位置する。
中央広場には3つの石碑が置かれている。ひとつは東のイシュルの石碑2号(879年)、ひとつは楕円形のイシュル祭壇1号、ひとつはフローレス石碑1号(869年、道路の舗装に使われていた)である[4]。
サンタ・エレナ側の南にアクトゥン・カン(蛇の洞穴)という洞窟がある。
歴史
[編集]フローレス島にはかつてイツァ族のマヤ王国の首都であるタヤサル(ノフペテン)があった。
1525年、ホンジュラス遠征中のエルナン・コルテスの一行がタヤサルを通過し、カネク王に歓迎された[5]。16世紀にスペイン人はユカタン半島と高地マヤを征服したが、ペテン地方までは手が届かず、イツァ族は独立を保ち続けた。
17世紀になると宣教師が何回か布教を試みたが、成功しなかった[6]。ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアは1697年3月13日にタヤサルを軍事的に征服した[7]。
島はレメディオスと名づけられ、プレシディオ(要塞)が築かれた。スペインからの独立後、1831年に市制を敷くときに、殺された自由主義政治家シリロ・フローレスを記念してレメディオスからフローレスに改名された[8]。
脚注
[編集]- ^ El Municipio de Flores, Manmuni Petén Itza
- ^ Censos Nacionales XI de Población y VI de Habitación 2002. Instituto Nacional de Estadística Guatemala. (2003). p. 72
- ^ a b Al Argueta (2015) [2001]. Moon Guatemala (5th ed.). Avalon Travel. pp. 292-295. ISBN 9781631211317
- ^ Kelly(1996), p. 111.
- ^ 八杉(1990), p. 14-16.
- ^ 八杉(1990), p. 12-17.
- ^ 八杉(1990), p. 18.
- ^ Schwartz(1990), p. 37.
参考文献
[編集]- 八杉佳穂『マヤ興亡:文明の盛衰は何を語るか?』福武書店、1990年。ISBN 4828833218。 NCID BN05153875 。
- Kelly, Joyce (1996). An Archaeological Guide to Northern Central America: Belize, Guatemala, Honduras, and El Salvador. University of Oklahoma Press. ISBN 0806128615
- Schwartz, Norman B. (1990). Forest Society: A Social History of Petén, Guatemala. University of Pennsylvania Press. ISBN 0812213165