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フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
Friedrich Wilhelm I.
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公
在位 1689年 - 1719年

出生 (1682-05-02) 1682年5月2日
ベック公領、ハウス・ベック
死去 (1719-06-26) 1719年6月26日(37歳没)
フランカヴィッラ・ディ・シチーリア
配偶者 マリー・アントーニエ・ディ・カステッロ
子女 マリア・アンナ・レオポルディーナ
ヨハンナ・アマーリア
家名 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック家
父親 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公アウグスト
母親 ヘートヴィヒ・ルイーゼ・フォン・シャウムブルク=リッペ
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フリードリヒ・ヴィルヘルム1世Friedrich Wilhelm I. von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Beck, 1682年5月2日 - 1719年6月26日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック家の第3代公爵(在位:1689年 - 1719年)。

生涯

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シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公アウグストと、その妻でシャウムブルク=リッペ伯フィリップ1世ドイツ語版の娘であるヘートヴィヒ・ルイーゼの間の長男。一族の所領の属するブランデンブルク=プロイセンの軍隊の陸軍中佐となった。1702年ブランデンブルク=シュヴェート公子アルブレヒト・フリードリヒの幕僚となり、1706年6月陸軍大佐に昇進。同年、神聖ローマ皇帝(ハプスブルク帝国)の軍隊に移り、陸軍元帥となると同時に、カトリックに改宗した。この後、同名の従弟フリードリヒ・ヴィルヘルム2世ハウス・ベックドイツ語版荘園を売却している。1719年、フランカヴィッラの戦いで戦死した。

子女

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1708年2月8日、バイエルン選帝侯領の将軍アントン・エマヌエル・イスナルディ・ディ・カステッロ・ディ・サンフレ伯爵の娘マリー・アントーニエ(1682年 - 1762年)と結婚し、間に2人の娘が成育した。

  • マリア・アンナ・レオポルディーナ(1717年 - 1789年) - 1736年ポルトガル王室近衛隊長マヌエル・デ・ソウザ・イ・カリャリスと結婚
    • アレシャンドレ・デ・ソウザ・ホルステイン(1751年 - 1803年) - サンフレ伯爵、デンマーク駐在ポルトガル大使
  • ヨハンナ・アマーリア(1719年 - 1774年) - 1740年オーストリア宮廷首席建築家マヌエル・デ・シルヴァ=タロウカドイツ語版伯爵と結婚

参考文献

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  • Geschichte und Nachrichten von dem königl. preuß. Infanterie Regimente Prinz Friedrich August von Braunschweig, Teil 2, S. 69 f.
  • Neues genealogisch-schematisches Reichs- und Staats-Handbuch: vor das Jahr 1765, S. 168.

Weblinks

外部リンク

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先代
アウグスト
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ベック公
1689年 - 1719年
次代
フリードリヒ・ルートヴィヒ