フリント (軽巡洋艦)
フリント | |
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基本情報 | |
建造所 | カリフォルニア州サンフランシスコ、ベスレヘム造船 |
運用者 | アメリカ海軍 |
級名 | アトランタ級軽巡洋艦 |
艦歴 | |
起工 | 1942年10月23日 |
進水 | 1944年1月25日 |
就役 | 1944年8月31日 |
退役 | 1947年5月6日 |
除籍 | 1965年6月1日 |
その後 | 1966年10月にスクラップとして売却 |
要目(竣工時) | |
基準排水量 | 6,826 トン |
満載排水量 | 8,474 トン |
全長 | 541フィート6インチ (165.05 m) |
最大幅 | 53フィート (16 m) |
吃水 | 20フィート6インチ (6.25 m) |
主缶 | 蒸気ボイラー×4基 |
主機 | ギアード・タービン×2基 |
出力 | 75,000馬力 (56,000 kW) |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
最大速力 | 32.5ノット (60.2 km/h) |
乗員 | 士官、兵員688名 |
兵装 | |
装甲 |
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フリント (USS Flint, CL/CLAA-97) はアメリカ海軍の軽巡洋艦。アトランタ級軽巡洋艦(またはオークランド級軽巡洋艦)の7番艦。艦名はミシガン州フリントに因む。その名を持つ艦としては2隻目。
艦歴
[編集]「フリント」はカリフォルニア州サンフランシスコのベスレヘム造船で1942年10月23日に起工。1944年1月25日にR. A. ピッチャー夫人によって命名、進水し、1944年8月31日に艦長C. R. ウィル大佐の指揮下で就役した。
「フリント」は1944年12月27日にウルシー環礁で第3艦隊(ウィリアム・ハルゼー大将)に加わった。その6日後、第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)所属でルソン島攻略支援のため出撃した。1月26日から2月10日までウルシー環礁で補給をおこない、第38任務部隊から名前の変わった第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)所属で東京空襲に向かった。2月21日に部隊は硫黄島沖に到着し、硫黄島攻略の支援に当たった。3月12日にウルシー環礁に戻り2日間補給をおこなった。
次の出撃では沖縄侵攻の準備として、第58任務部隊は九州を攻撃した。その後部隊は沖縄沖に向かい、4月1日に「フリント」は他の巡洋艦と共に艦砲射撃をおこなった。ウルシー環礁にいた5月14日から24日までの期間を除いて、レイテ湾に投錨する6月13日まで沖縄周辺で行動した。
1945年7月1日、「フリント」は第38.4任務群(アーサー・W・ラドフォード少将)に属してレイテ湾を出撃し、戦争終結まで日本本土に対する攻撃に従事した。9月10日から15日まで東京湾に滞在した後、9月21日まで機動部隊と共に本州中部の空と海上の監視をおこなった。日本からエニウェトク環礁への航海を行い、10月13日に横須賀で本国へ戻る軍人を乗せて11月28日にサンフランシスコ湾に到着した。その後、クェゼリン環礁からも軍人をアメリカへ運んだ。
1946年1月11日、「フリント」はワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所に着き、1947年5月6日に同地で退役した。1949年にCLAA-97 (防空軽巡洋艦)に類別変更され、1965年に除籍。翌1966年にスクラップとして売却された。
「フリント」は第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章した。
参考文献
[編集]- 石井勉(編著)『アメリカ海軍機動部隊 英和対訳対日戦闘報告/1945』成山堂書店、1988年、ISBN 4-425-30121-8
- 「世界の艦船増刊第36集 アメリカ巡洋艦史」海人社、1993年
- 「世界の艦船増刊第57集 第2次大戦のアメリカ巡洋艦」海人社、2001年
外部リンク
[編集]- navsource.org
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。