フランツ・デ・パウラ・フォン・リヒテンシュタイン
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フランツ・デ・パウラ・フォン・リヒテンシュタイン Franz de Paula von Liechtenstein | |
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出生 |
1802年2月25日 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
死去 |
1887年3月31日(85歳没) オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン |
配偶者 | ユリア・ポトツカ |
子女 | 一覧参照 |
父親 | リヒテンシュタイン公ヨハン1世ヨーゼフ |
母親 | ヨーゼファ・ツー・フュルステンベルク=ヴァイトラ |
フランツ・デ・パウラ・ヨアヒム・ヨーゼフ・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン(Franz de Paula Joachim Joseph von und zu Liechtenstein, 1802年2月25日 - 1887年3月31日)は、ドイツのリヒテンシュタイン家の公子。リヒテンシュタイン公ヨハン1世ヨーゼフとその妻のフュルステンベルク=ヴァイトラ伯爵夫人ヨーゼファの間の次男。アロイス2世の弟。
1841年6月3日にウィーンにおいて、ガリツィアの大領主アルフレト・ヴォイチェフ・ポトツキ伯爵の娘ユリア・ポトツカ伯爵夫人(1818年 - 1895年)と結婚した。ユリアはオーストリア(ツィスライタニア)首相を務めたアルフレト・ユゼフ・ポトツキ伯爵の妹である。ユリアとの間には4人の子女をもうけた。
子女
[編集]- アルフレート・アロイス・エドゥアルト(1842年 - 1907年)
- ヨゼフィーナ・マリー・ユリアーネ(1844年 - 1854年)
- アロイス・フランツ・デ・パウラ・マリア(1846年 - 1920年)
- ハインリヒ・カール・アウグスト(1853年 - 1914年)