アルフレート・フォン・リヒテンシュタイン
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アルフレート・フォン・リヒテンシュタイン Alfred von Liechtenstein | |
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出生 |
1842年6月11日 オーストリア帝国 ボヘミア王国、プラハ |
死去 |
1907年10月8日(65歳没) オーストリア=ハンガリー帝国、フラウエンタール城 |
配偶者 | ヘンリエッテ・フォン・リヒテンシュタイン |
子女 | 一覧参照 |
父親 | リヒテンシュタイン公子フランツ・デ・パウラ |
母親 | ユリア・ポトツカ |
アルフレート・アロイス・エドゥアルト・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン(Alfred Aloys Eduard von und zu Liechtenstein, 1842年6月11日 - 1907年10月8日)は、ドイツのリヒテンシュタイン家の公子。リヒテンシュタイン公子フランツ・デ・パウラとその妻のユリア・ポトツカ伯爵夫人の間の長男。リヒテンシュタイン公フランツ・ヨーゼフ2世の祖父。
リヒテンシュタイン公アロイス2世は父方の伯父、オーストリア(ツィスライタニア)首相を務めたアルフレト・ユゼフ・ポトツキ伯爵は母方の伯父にあたる。1865年4月26日にウィーンにおいて、アロイス2世の娘で従妹にあたるヘンリエッテと結婚した。1903年、次男のアロイスがオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の姪エリーザベト・アマーリエ大公女と結婚した際に、金羊毛騎士団の騎士に列せられた。
子女
[編集]妻ヘンリエッテとの間には、7男3女の10人の子女をもうけた。
- フランツィスカ・マリア・ヨハンナ(1866年 - 1939年)
- フランツ・デ・パウラ・マリア(1868年 - 1929年)
- ユーリア(1868年)
- アロイス・ゴンツァーガ・マリア・アドルフ(1869年 - 1955年) - フランツ・ヨーゼフ2世の父。
- マリア・テレジア・ユーリエ(1871年 - 1964年)
- ヨハンネス・フランツ・アルフレート・マリア・カスパー・メルヒオール・バルタザール(1873年 - 1959年)
- アルフレート・ロマン(1875年 - 1930年)
- ハインリヒ・アロイス・マリア・ヨーゼフ(1877年 - 1915年)
- カール・アロイス(1878年 - 1955年)
- ゲオルク・ハルトマン・ヨーゼフ・マリア・マテウス(1880年 - 1931年)