フランツ・グランボルカ
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基本情報 | ||||||||||||
国籍 | フランス | |||||||||||
生年月日 | 1976年3月10日(48歳) | |||||||||||
出身地 | シャンピニー=シュル=マルヌ | |||||||||||
ラテン文字 | Frantz Granvorka | |||||||||||
身長 | 195cm | |||||||||||
体重 | 90kg | |||||||||||
選手情報 | ||||||||||||
ポジション | WS | |||||||||||
利き手 | 右 | |||||||||||
スパイク | 364cm | |||||||||||
ブロック | 327cm | |||||||||||
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フランツ・グランヴォルカ(Frantz Granvorka, 1976年3月10日 - )は、フランスの男子バレーボール選手。ポジションはウイングスパイカー。元フランス代表。
来歴
[編集]父セヴラン・グランボルカは1970年代に10年間ナショナルチームに在籍していた元バレーボール選手[1]で、マルティニーク系である。幼少の頃から水泳、体操、テニスなどあらゆるスポーツをこなし、父の影響で14歳の時にバレーボールを始めた[1]。
VGAサン=モール、CNVBのジュニアチームを経て、1994年にフランスリーグのパリSGアニエールに入団。パリUC在籍時の1997年にリーグ優勝とカップ優勝を経験した。1999年までフランスで経験を積んだのちイタリアへ渡り、同年セリエAのパルマへ移籍。自国リーグのプロAでプレーする選手が多い中、10年間に渡ってセリエAでプレーを続け、2009年、トルコリーグのクラブへ移籍した。
1995年からフランス代表としてプレーし[1][2]、通算282試合に出場。元々ミドルブロッカーとして活躍していたが、2002年以降は主にオポジットを務め、強烈なジャンプサーブを武器に2002年世界選手権で銅メダル獲得に貢献し、ベストサーバー賞を受賞した。2003年欧州選手権では16年ぶりとなるチームの準優勝に貢献した。
アテネオリンピック世界最終予選・東京ラウンドにおいても、全勝で出場権を獲得したフランスチームの原動力となって活躍し、2004年アテネオリンピック出場を果たした。
2007年ワールドリーグではキャプテンを務め、チームを牽引したが、2007年以降は代表に選抜されていない。
母国語であるフランス語の他に、英語、イタリア語、ロシア語の計4ヶ国語を操ることが出来る。
球歴
[編集]- オリンピック - 2004年(9位)
- 世界選手権 - 2002年(銅メダル)、2006(6位)
- ワールドカップ - 2003年(5位)
- ワールドリーグ - 2004年(5位)、2006年(準優勝)、2007年(6位)
- 欧州選手権 - 2003年(準優勝)、2005年(7位)
所属クラブ
[編集]- パリSGアニエール (1994-1996年)
- パリUC (1996-1997年)
- アニエール・バレー92 (1997-1998年)
- パリ・バレー (1998-1999年)
- パッラヴォーロ・パルマ (1999-2001年)
- センプレ・バレー・パドヴァ (2001-2002年)
- ピエモンテ・バレー (2002-2003年)
- トリエステ (2003-2004年)
- イラクリス・テッサロニキ (2004年)
- ブル・バレー・ヴェローナ (2004-2006年)
- ターラント・バレー (2006-2007年)
- パッラヴォーロ・ピアチェンツァ (2007-2008年)
- マルティーナ・フランカ・バレー (2008-2009年)
- Ziraat Bankası Ankara (2009-2010年)
- Beauvais OUC(2010-2011年)
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- FIVB公式サイト 選手プロフィール
- セリエA公式サイト 選手プロフィール
- フランツ・グランボルカ - 国際オリンピック委員会
- フランツ・グランボルカ - オリンピックチャンネル
- フランツ・グランボルカ - Olympedia
- フランツ・グランボルカ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- フランツ・グランボルカ - 欧州バレーボール連盟
- フランツ・グランボルカ - セリエA