フランシス・クーパー (第7代クーパー伯爵)
第7代クーパー伯爵フランシス・トーマス・ド・グレイ・クーパー (Francis Thomas de Grey Cowper, 7th Earl Cowper,KG PC DL、1834年6月11日– 1905年7月18日)は、イギリスの貴族。1837年から1856年までフォーディッチ子爵の儀礼称号を称した。自由党の政治家として活動したほか、 1880年から1882年までアイルランド総督を務めた。
生涯
[編集]第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパーと第7代ルーカス女男爵アン・フロレンス・ド・グレイ(Anne Florence De Grey,1806年6月8日 - 1880年7月23/25日、第2代ド・グレイ伯爵トーマス・ド・グレイの娘)の息子として生まれた。ハーロー校を経て、オックスフォード大学に学んだ[1][2]。
彼は1852年にヨークシャー軽騎兵連隊付の少尉に任官した[3]。 1855年には、父よりケント州副統監に任命された[4]。
1856年に父親の死去に伴って、クーパー伯爵の爵位を継承したと同時に、貴族院に列した。1861年よりその死まで、ベドフォードシャー州統監を務める[1][2]。
その後は自由党の政治家として活動し、1871年には グラッドストン内閣の儀仗衛士隊隊長(兼貴族院与党院内幹事)に任じられたほか、同年より枢密顧問官も兼任した。[2]さらに、第2次グラッドストン内閣下の1880年から1882年までアイルランド総督を務めた[1][2]。また、1865年にはガーター勲章を叙勲されている[2]。
彼は襲爵後に、自身がオーモンド・オソーリィ伯爵バトラー家の女系子孫であるため、バトラー家がかつて保持したバトラー男爵及びディンゴール卿の爵位について爵位回復の請願を行った。その結果、1871年位両爵位を回復している[1][5][6]。
さらに1871年には母方の爵位であるルーカス男爵も併せて相続した[7]。
1905年に71歳で没した。彼には子がなかったため、クーパー伯爵とその従属爵位、及びナッソー・ドーヴァーカーク侯爵は廃絶、バトラー男爵位は彼の姉妹間で優劣がつかなかったため停止(Abeyant)となった[1]。
一方、ディンゴール卿位とルーカス男爵位に関しては1907年に遠縁のオベロン・ハーバートへの継承が確定した[8]。
家族
[編集]1870年10月25日に、カトリーン・セシリア・コンプトン(Katrine Cecilia Compton,1845年7月26日 - 1913年3月23日,第4代ノーサンプトン侯爵ウィリアム・コンプトンの娘)と結婚したが、夫妻に子はなかった[1]。
爵位
[編集]1856年4月15日に父の死去に伴って、以下の爵位を継承した[1]。
イギリス爵位
[編集]- 第7代クーパー伯爵(7th Earl Cowper)
(1718年3月20日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) - 第7代フォーディッチ子爵(7th Viscount Fordwich)
(1718年3月20日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) - 第7代ケント州ウィンガムのクーパー男爵(7th Baron Cowper, of Wingam in the County of Kent)
(1706年12月14日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
海外爵位
[編集]1871年8月15日に、以下のイギリス爵位を回復した[6]。
- 第3代ハートフォード州ムーアパークの,ムーアパークのバトラー男爵(3rd Baron Butler of Moore Park, of Moore Park in the County of Hertford)
(1666年9月14日の勅許状によるイングランド貴族爵位)[9] - 第4代ディンゴール卿(4th Lord Dingwall)
(1609年6月8日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
1880年7月23/25日に母の死去に伴って、以下のイギリス爵位を継承した[7]。
- 第8代ウィルトシャー州クラッドウェルのクラッドウェルのルーカス男爵(8th Baron Lucas of Crudwell, of Crudwell in the County of Wiltshire)
(1663年5月6日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “Cowper, Earl (GB, 1718 - 1905)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 486.
- ^ "No. 21294". The London Gazette (英語). 24 February 1852. p. 526.
- ^ "No. 21822". The London Gazette (英語). 30 November 1855. p. 4539.
- ^ “No.23761”. The Gazette 1 August 1871. 2019年12月20日閲覧。
- ^ a b “Dingwall, Lord (S, 1609)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
- ^ a b “Lucas of Crudwell, Baron (E, 1663)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
- ^ Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990
- ^ “Ormonde, Duke of (I, 1661 - forfeited 1715)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
公職 | ||
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先代 第2代ノーマンビー侯爵ジョージ・フィップス |
儀仗衛士隊隊長 1871–1874 |
次代 第5代イルチェスター伯爵ヘンリー・フォックス=ストラングウェイズ |
先代 第7代マールバラ公爵ジョン・スペンサー=チャーチル |
アイルランド総督 1880–1882 |
次代 第5代スペンサー伯爵ジョン・スペンサー |
名誉職 | ||
先代 第7代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル |
ベッドフォードシャー統監 1861–1905 |
次代 第17代ブレッツォのシンジョン男爵ビューチャンプ・モウブレー・シンジョン |
イングランドの爵位 | ||
先代 第7代ルーカス女男爵アン・クーパー |
クラッドウェルのルーカス男爵 1880–1905 |
次代 第9代ルーカス男爵オベロン・ハーバート |
先代 第2代オーモンド公爵ジェイムズ・バトラー (1715年私権剥奪) |
バトラー男爵 (1871年爵位回復) 1871–1905 |
次代 停止 |
先代 第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパー |
クーパー男爵 1856–1905 |
次代 廃絶 |
スコットランドの爵位 | ||
先代 第2代オーモンド公爵ジェイムズ・バトラー (1715年に私権剥奪) |
ディンゴール卿 (1871年爵位回復) 1871–1905 |
次代 第9代ルーカス男爵オベロン・ハーバート |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパー |
クーパー伯爵 1856–1905 |
次代 廃絶 |
ドイツの爵位 | ||
先代 第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパー |
ナッソー・ドーヴァーカーク侯爵 1856–1905 |
次代 廃絶 |