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フランク・ロボス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランク・ロボス
名前
本名 フランク・ロナルド・ロボス・アクーニャ
カタカナ フランク・ロボス
ラテン文字 Frank Ronald Lobos Acuña
基本情報
国籍  チリ
生年月日 (1976-09-25) 1976年9月25日(48歳)
出身地 サンティアゴ
身長 165cm
体重 65kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1998 チリの旗 コロコロ 40 (1)
1999 チリの旗 デポルテス・ラ・セレナ 36 (3)
2000 チリの旗 エベルトン 14 (4)
2001 チリの旗 デポルテス・コンセプシオン 7 (0)
2001-2002 スペインの旗 ラシン・フェロル 19 (0)
2003 日本の旗 水戸ホーリーホック 16 (1)
2005 チリの旗 デポルテス・プエルトモント 28 (5)
2006 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 0 (0)
通算 160 (14)
代表歴
1993  チリU-17 6 (0)
1995  チリU-20 3 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランク・ロナルド・ロボス・アクーニャFrank Ronald Lobos Acuña, 1976年9月25日-)は、チリサンティアゴ出身の元サッカー選手水戸ホーリーホック在籍時の登録名はフランク

経歴

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1993 FIFA U-17世界選手権で中心選手として[1]3位入賞へ貢献したことから、チリ国内で一躍人気者になったフランクは、翌1994年にビニャ・デル・マール音楽祭で審査員を務めたり、テレビドラマに本人役で特別出演した。

CSDコロコロでは、クラブは1996, 1997後期, 1998と次々タイトルを獲得するもレギュラーになることは出来なかった。

2003年4月から8月まで、同胞のパンチョと共に水戸ホーリーホックに在籍した。2006年にデポルテス・コンセプシオン英語版へ復帰するもクラブは財政的な理由からトップリーグ参加出来ず、1月に古巣のCSDコロコロに復帰[2]。2月にはブラジルの名門CRヴァスコ・ダ・ガマへ同胞のクラウディオ・サリナスと移籍する[3]も、出場しないまま3月に2人そろって解雇され[4]、フランクの方は引退した。

2006年10月20日、収賄事件に関わったとして、監督を始めエージェントなどプロサッカーに関する全ての活動を10年間禁止になった[5]。その後、国家憲兵のサッカースクールで指導している[6][7]。また、2011年・2012年とリアリティ番組に出演している。

代表歴

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U-17代表として1993 FIFA U-17世界選手権3位入賞, U-20代表で1995 FIFAワールドユース選手権にも出場、共に10番を背負い全試合出場した。また、U-20W杯では水戸で同僚となるパンチョも出場していた。

プライベート

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3児の父親。14歳になる息子もサッカー選手で、U-14パレスチナ代表でプレーしている[8]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 水戸 30 J2 16 1 -
通算 日本 J2 16 1 -
総通算 16 1 0 0

脚注

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関連項目

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外部リンク

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