フランク・モンデル
フランク・モンデル Frank Wheeler Mondell | |
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生年月日 | 1860年11月6日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 ミズーリ州、セントルイス |
没年月日 | 1939年8月6日 (78歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 ワシントンD.C. |
所属政党 | 共和党 |
選挙区 | ワイオミング州全州選挙区 |
当選回数 | 13回 |
在任期間 | 1895年3月4日 - 1897年3月3日 |
在任期間 | 1899年3月4日 - 1923年3月3日 |
在任期間 | 1919年 - 1923年 |
フランク・ウィーラー・モンデル(英語: Frank Wheeler Mondell, 1860年11月6日 – 1939年8月6日)は、アメリカ合衆国・セントルイス出身の政治家、共和党員。ワイオミング州選出のアメリカ合衆国下院議員(通算13期)。下院多数党院内総務(1919年 - 1923年)。
経歴・人物
[編集]フランク・モンデルは、1860年11月6日にミズーリ州セントルイスで生まれ、アイオワ州ディキンソン郡で育った。公立学校で教育を受け、長年にわたり、農業、畜産、鉄道建設など様々な職を転々としていた[1]。
1887年にワイオミング準州に移住し、炭鉱と石油開発の事業を営んだ。ニューキャッスル市の設立と発展に尽力し、1888年から1895年までニューキャッスル市の初代市長を務めていた。1890年から1892年までワイオミング州上院議員を務め、1892年には州上院議長に就任した[1]。
1894年、アメリカ下院議員選挙に共和党候補として出馬し、当選を果たす。1896年選挙では、民主党のジョン・ユージーン・オズボーンに破れ、落選。1898年選挙で再選を果たすまでアメリカ陸軍総局の副長官を務めていた[1]。
1898年選挙以降、12期連続で再選を果たしており、ワイオミング州選出の下院議員の中では最多連続当選回数を誇っている[注釈 1]。また、下院議員の通算在職期間26年0日もワイオミング州選出の下院議員の中では最長である[注釈 2]。ベテラン共和党議員として公有地委員会委員長(第60議会・第61議会)や下院多数党院内総務(第66議会・第67議会)など、下院の要職を歴任した[1]。
1922年選挙で、アメリカ上院への鞍替え出馬を行ったが、落選。1923年から2年間戦時金融公社の取締役を務めた。
1939年8月6日、ワシントンD.C.の自宅で死去。死因は白血病だった[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “MONDELL, Frank Wheeler (1860 – 1939)”. Biographical Directory of the United States Congress. 2021年2月20日閲覧。
- ^ “F.W. MONDELL DIES IN CAPITAL AT 78; Republican Majority Leader in 66th and 67th Congresses Served in House 26 Years HEADED 1924 CONVENTION Fought Move to Strip Speaker of Powers--Opposed 1912 Roosevelt Candidacy”. The New York Times. (1939年8月7日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- United States Congress. "フランク・モンデル (id: M000852)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 ヘンリー・エイサ・コフィーン |
ワイオミング州全州選挙区 選出議員 第3代: 1895年3月4日 - 1897年3月3日 |
次代 ジョン・ユージーン・オズボーン |
先代 ジョン・ユージーン・オズボーン |
ワイオミング州全州選挙区 選出議員 第5代: 1899年3月4日 - 1923年3月3日 |
次代 チャールズ・ウィンター |
公職 | ||
先代 クロード・キッチン |
下院多数党院内総務 1919年 - 1923年 |
次代 ニコラス・ロングワース |