フランク・ハドー
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フランク・ハドー | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Patrick Francis Hadow | |||
国籍 | イギリス | |||
出身地 | イングランド・リージェンツ・パーク | |||
生年月日 | 1855年1月24日 | |||
没年月日 | 1946年6月29日(91歳没) | |||
死没地 | 同・ブリッジウォーター | |||
利き手 | 右 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全英 | 優勝(1878) | |||
優勝回数 | 1(英1) | |||
フランク・ハドー(Frank Hadow, 1855年1月24日 - 1946年6月29日)は、イングランド・ミドルセックス地区レジェンズ・パーク出身の男子テニス選手。1877年から始まったウィンブルドン選手権で、1878年に第2回大会の男子シングルス優勝者となった選手である。歴代のウィンブルドン優勝者の中で最も背が高い選手[矛盾 ]といわれ[要出典]、ボールを高く上げるロブショットを武器にした。右利き。フルネームは Patrick Francis Hadow (パトリック・フランシス・ハドー)という。
来歴
[編集]1878年の第2回ウィンブルドン選手権男子シングルスで、ハドーは1セットも落とさずに決勝へ勝ち上がり、決勝戦では初代優勝者のスペンサー・ゴアを 7-5, 6-1, 9-7 のストレートで破って優勝した。しかし1879年の第3回大会には前年優勝者として出場せず、ウィンブルドン選手権にももはや戻らなかった。その後ハドーはセイロン(現在のスリランカ)でコーヒー農園を経営しながら、ミドルセックス地区でクリケットをプレーすることもあった。
1926年にウィンブルドン選手権の創設50周年式典が催され、ハドーは歴代優勝者の1人として記念メダルを授与された。(初代優勝者のスペンサー・ゴアは1906年に亡くなっていた。)1946年6月29日、フランク・ハドーはイングランド・ブリッジウォーターにて91歳の生涯を閉じた。
4大大会優勝
[編集]- ウィンブルドン選手権 男子シングルス:1勝(1877年)
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
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1878年 | ウィンブルドン選手権 | スペンサー・ゴア | 7-5, 6-1, 9-7 |
参考文献
[編集]- Lance Tingay, “100 Years of Wimbledon” (ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0
- Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3
- Martin Hedges, “The Concise Dictionary of Tennis” (コンサイス・テニス辞書) Mayflower Books Inc., New York (1978) ISBN 0-8317-1765-3
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、フランク・ハドーに関するカテゴリがあります。