フョードル・ロマノヴィチ (ベロオーゼロ公)
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フョードル・ロマノヴィチ(ロシア語: Фёдор Романович、? - 1380年9月8日)はベロオーゼロ公ロマンの長男である。ベロオーゼロ公:1339年 - 1380年。
フョードルは父の死後ベロオーゼロ公位を継いだ[1] 。またウラジーミル大公・モスクワ公イヴァン1世(イヴァン・カリター)の娘フェオドシヤを妻とした。1375年、ウラジーミル大公・モスクワ公ドミトリー(後のドミトリー・ドンスコイ)率いるトヴェリ大公国への遠征に参加した。1380年、同じくドミトリーの率いる遠征軍に、息子のイヴァン(ru)と共に加わり、クリコヴォの戦いに参戦したが、親子ともこの戦いで戦死した[1]。ベロオーゼロ公位は甥のユーリーに受け継がれた[1]。
出典
[編集]- ^ a b c Ростовские и Белозерские удельные князья // Русский биографический словарь