ユーリー・ヴァシリエヴィチ (ベロオーゼロ公)
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ユーリー(ゲオルギー)・ヴァシリエヴィチ(ロシア語: Юрий Васильевич、? - 1389年頃)はベロオーゼロ公である。在位:1380年 - 1389年頃[1]。父はスゴリエ公(ru)ヴァシリー・ロマノヴィチ(ベロオーゼロ公ロマン・ミハイロヴィチの子)。
ユーリーについては家系図の中にのみ記録が残されている。すなわち、1380年以降にベロオーゼロ公家の最年長者としてベロオーゼロ公国を相続し、1389年頃まで統治したということである。1389年頃までには、ベロオーゼロ公国領はモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの統治下に入っており、ユーリーもこの頃に死亡したとみなされている。ユーリー以降、ベローゼロ公国は独立性を失った。
ユーリーにはダヴィド、ロマン、アンドレイの三人の男子がいた。ダヴィドには子がいなかったが、ロマンの子孫はベロセリスキー・ベロゼルスキー家(ru)として、アンドレイの子孫はアンドグスキー家(ru)ならびにヴァドボルスキー家(ru)として、以降のロシア国家(モスクワ大公国、ロシア・ツァーリ国、帝政ロシア)に血統を伝えている[1]。
出典
[編集]- ^ a b Виноградов. А. Ростовские и Белозерские удельные князья // Русский биографический словарь : в 25 томах. — СПб.—М., 1896—1918.