ファニー・カンパニー
ファニー・カンパニー | |
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出身地 | 日本 |
活動期間 | 1971年 - 1974年 |
メンバー |
桑名正博(ヴォーカル、ギター) 横井康和(ベース、ギター) 栄孝志(ヴォーカル、ギター) 古宇田優(オルガン) 西哲也(ドラムス) |
ファニー・カンパニー(Funny Company)は、横井康和が桑名正博と出会い、1971年に関西で結成したロックバンドである。
- 桑名正博 (ヴォーカル、ギター) 1971-1974
- 横井康和 (ベース、ギター)1971-1973
- 栄孝志 (ヴォーカル、ギター) 1971-1974
- 古宇田優(キーボード)1971-1973
- 辻宗一郎(ベース)1973-1974
- 西哲也(ドラム) 元THE M(バンド)|THE M、ファーラウト 1972-1974
- ロメル・アマード(ギター)1973-1974
母体となっている第1期ファニー・カンパニーは、横井康和が1968年に京都で女性2人と結成したフォーク・グループ。
来歴
[編集]第2期ファニー・カンパニーを仕掛けたのは内田裕也[1]。1972年5月に桑名、栄、横井の3人で結成。バンド名(ファニー・カンパニー/愉快な仲間)は、もともとアメリカのテレビ番組のタイトルで、横井が結成したフォーク・グループに採用した名前を継続したものだった。7月下旬に古宇田が加入。10月頃まで大阪厚生年金ホールや関西のフォークコンサートに出演していたが、アルバム制作のため東京へ活動拠点を移す[2]。11月にシングル『スウィート・ホーム大阪』(ワーナー・パイオニア)でデビュー。
矢沢永吉率いるキャロルは[3]、同時期のデビューで、「東のキャロル、西のファニカン」と呼ばれ[1]、よく比較の対象になった[1][3]。広島で複雑な家庭環境と経済的困難を乗り越えてきた矢沢と[3]、関西で指折りの資産家の家に生まれ育った桑名は好対照だった[3]。レザーファッション、オールバック・ヘアー、オートバイというビジュアル・イメージに加え「プロとしてやっていくんだ!」「これで成り上がるんだ!」という意識の強いキャロルと比べて、ファニカンのメンバーは桑名も含めてみなノンポリでフラフラしていて「思い出を作って20歳で辞めよう」と考えていたため、ライバル扱いされたことは「(キャロルに)ちょっと悪いような気がした」と桑名は話している[1]。イベントで一緒になった時、ぎゅうぎゅう詰めの中古のスバル360で会場に向かうキャロルを、ファニカンの医者の息子だったメンバーの真っ赤なポルシェで追い抜いていたという[1]。仕事が一緒になった時、矢沢から「お前は甘い」、酔った勢いで「成り上がりがどうの」と言われたため、「そんな金持ってて使い方がわかんないんだったら、俺が使ってやる!」とケンカになったことがあると話している[1]。
ファニカンのプロデューサー・寺本幸司によれば、キャロルが本物の不良イメージで、大々的にマスメディアに取り上げられたため[4]、「こっちはロックンロールもやるが、レッドツェッペリンを視野に置いたロックバンドだ」と開き直ったが[4]、ある週刊誌にメンバーの出自が暴かれ「ぼんぼんロックバンド」と囃し立てられたという[4]。その後、日本ロックンロール振興会絡みでキャロルと共演する機会が増え[4]、ファニカンは既に上京後だったが、「東のキャロル、西のファニカン」と呼ばれるようになった[4]。桑名が矢沢から強い影響を受け、ラジカルな言動をとるようになったという[4]。
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ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]- 朝の光が輝く時/霧の街角(DENON /CD-32)1969年8月 ※「朝の光が輝く時」作曲は馬場広文、のちのばんばひろふみ 。「ファニー・カムパニー」名義
- 冷たい風の中で/恋人達の世界(DENON/CD-60)1970年3月 ※「恋人達の世界」作詞作曲は梅垣達志。 「ファニー・カムパニー」名義
オムニバス
[編集]- V.A./ヤング・タウン・フェスティバル(テイチク/YTL-7001)1970年(1曲収録「ハイ・ハイ」)※1970年1月8日、大阪フェスティバル・ホールでの実況録音。他の出演者は桂三枝、笑福亭仁鶴、赤い鳥ほか
ディスコグラフィー (ロック期)
[編集]シングル
[編集]アルバム
[編集]- ファニー・カンパニー(アトランティック / L-8015)1973年1月 プロデュース:寺本幸司
- 魔法の気体
- 退屈はあぶくになって
- 僕もそのうち
- 今ここに僕はいる
- スウィート・ホーム大阪
- 無意味な世界
- 午後一時ちょっとすぎ
- 冷たい女に捧げる
- 彼女は待っている
- ある女
- ファニー・ファーム(エレクトラ / L-4035)1973年11月 プロデュース:寺本幸司
- 用のないお前
- トリップ仲間
- 一人ぽっち
- 夜
- ハイウェイ・ドライブ
- BABY
- そよぐ風
- 愛しているよ君の事
- 小さな子供が大きくなるまでに
- 廃墟
- ファニー・カンパニー・アゲイン(ベストアルバム)1977年 「桑名正博&ファニー・カンパニー」名義
- 魔法の気体
- 退屈はあぶくになって…
- 僕もそのうち
- 暗闇
- スイート・ホーム大阪
- トリップ仲間
- ハイウェイ・ドライブ
- 真夜中列車第2便
- 大都会
- 彼女は待っている
- 廃墟
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 吉田豪「桑名正博インタビュー」『人間コク宝』コアマガジン、2004年、221-234頁。ISBN 978-4877347581。
- ^ 『ライトミュージック』(ヤマハ音楽振興会)1973年2月号、p88「ファニー・カンパニー ほんまにワイラはやりまっせ!大阪弁のロックン・ローラー達」
- ^ a b c d 石原信一 (2005年12月5日). “熱き歌の日々 団塊クロニクル〈36〉 ニューロック(1) キャロル伝説の第一歩はテレビから”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 29
- ^ a b c d e f 寺本幸司『音楽プロデューサーとは何か 浅川マキ、桑名正博、りりィ、南正人に弔鐘は鳴る』毎日新聞出版、2021年、121-141頁。ISBN 9784620326825。