ウィリー・シューメーカー
ウィリー・シューメーカー | |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テキサス州 |
生年月日 | 1931年8月30日 |
死没 | 2003年10月12日(72歳没) |
騎手情報 | |
初免許年 | 1949年3月19日 |
免許区分 | 平地競走 |
通算勝利 | 40350戦8833勝 |
ウィリアム・リー・シューメーカー(William Lee Shoemaker、1931年8月19日 - 2003年10月12日)はアメリカ合衆国の騎手、調教師。ウィリー(Willie)、ビル(Bill)、ザ・シュー(The Shoe)などの愛称で知られる。日本語では「シューメイカー」との記述もある。
経歴
[編集]1931年、アメリカ合衆国テキサス州エルパソ近郊のフェイベンズ(en:Fabens, Texas)で生まれた。予定日よりかなり早く、出生時は体重が900gと生死が危ぶまれるほど小柄だったという[1]。
17歳となった1949年3月19日に騎手としてデビュー。翌20日にシャフタービーという牝馬で初勝利を挙げると、引退までに世界記録となる通算8,833勝の金字塔を打ち立てることになった。
アメリカ三冠競走は11勝[2]。サンタアニタハンデキャップ11勝、ブリーダーズカップクラシックもファーディナンドで優勝している。
1957年のケンタッキーダービーではギャラントマンに騎乗したがゴールライン(決勝線)を間違えてしまいアイアンリージの2着に敗れた。1986年のケンタッキーダービーではファーディナンドで優勝し54歳という同競走の最年長騎手優勝を記録した。
1970年9月にジョニー・ロングデンの持っていた世界記録である6,032勝を破ると、以後世界記録を8,833勝まで伸ばしたが、引退後の1999年にラフィット・ピンカイ・ジュニアに破られている[3]。最後の勝利となったのは1990年1月20日のガルフストリームパーク競馬場でのボージーニアスで、2週間後の2月3日にサンタアニタパーク競馬場でパッチーグラウンドフォグでの4着を最後に引退した。騎乗数は40,350。
引退後は調教師となったが、間もない1991年4月8日に飲酒運転による交通事故を起こし、一命は取り留めたものの首から下を麻痺する障害を負う。以後は車椅子生活となったが1997年まで調教師を務めた。2003年死去。
1951年にはジョージ・ウルフ記念騎手賞を受賞、1958年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たすなど多くの賞を受賞した。
主な騎乗馬
[編集]- スワップス
- ラウンドテーブル
- ギャラントマン
- ソードダンサー
- ノーザンダンサー
- バックパサー
- ダマスカス
- アックアック
- フォアゴー
- ジョンヘンリー
- スペクタキュラービッド
- ファーディナンド
- シルキーサリヴァン
- クーガー
脚注
[編集]- ^ 『優駿』2015年9月号、52頁。
- ^ 内訳:ケンタッキーダービー4勝、プリークネスステークス2勝、ベルモントステークス5勝。
- ^ 現在はラッセル・ベイズとホルヘ・リカルドの二人がピンカイを上回る勝利数を挙げている。