コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ビリー・フューリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビリー・フューリー
Billy Fury
ビリー・フューリー(1968年)
基本情報
出生名 Ronald Wycherly
生誕 (1940-04-17) 1940年4月17日
イングランドの旗 イングランドマージーサイド州リヴァプール
死没 (1983-01-28) 1983年1月28日(42歳没)
ジャンル ロックンロールロカビリーポップポップ・ロック
職業 シンガーソングライター、俳優
活動期間 1958年 - 1983年
レーベル デッカ・レコードパーロフォンポリドール・レコード
共同作業者 トルネイドースビートルズ、ザ・ブルー・フレイムス、マーティー・ワイルド
公式サイト billyfury.co.uk

ビリー・フューリーBilly Fury1940年4月17日 - 1983年1月28日)は、イギリスの歌手。

エルヴィス・プレスリーの様な声、容姿、ステージアクトで人気を博す。主に、1950年代後半から1960年代前半にかけてヒットを連発し、クリフ・リチャードマーティー・ワイルドと共に、ブリティッシュ・ロック御三家の一人としても有名である。

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

リヴァプールに生まれる。10歳頃からピアノのレッスンを受ける。14歳でギターをもらった。

幼い頃にリウマチ熱を患い、子供時代は病院で大半を過ごした。リウマチ熱が元で心臓疾患を患うことになる。医者から「30年も生きられないだろう」と診断された。

1955年に初めてバンドを結成するも、タグボート荷役でアルバイトをする日々が続いた。

1958年、アマチュアの演奏コンテストで優勝し、自分で曲を作るようになる。やがて、後にウィッチャーリー[1]のマネージャーになるラリー・パーンズが主催のコンサートに出演。

そして、パーンズと契約を結び、芸名をビリー・フューリーとする。

デビューへ

[編集]

1959年デッカ・レコードより「メイビー・トゥモロー」でシングル・デビューする。チャートの18位を記録する。5枚目の「コレット」は9位とヒットを飛ばす。そして1960年にはザ・フォー・ジェイズ[2]がバック・ボーカルを務めたファースト・アルバム『ザ・サウンド・オブ・フューリー』を発表。チャートの18位を記録する。

しばらくは、ザ・ブルー・フレイムス[3]をバックに従えていたが、彼らを辞めさせた後、パーンズは新たなバックバンドの発掘を始める[4]。その結果、トルネイドースがバックバンドに就任する。1962年1月から1963年8月まで務める。

スタイルの変更

[編集]

デビューからロック歌手として活動していたが、ワイルドなステージアクトが元で心臓に負担をかけることになり、路線を変更せざるを得なくなった。

バラード歌手になったフューリーは、まず「ハーフウェイ・トゥ・パラダイス」を3位に、続いて「ジェラシー」を2位にチャートインさせる。

そして、1962年、映画『プレイ・イット・クール』で役者デビューを果たす。劇中で歌われた「ワンス・アポン・ア・ドリーム」が7位を記録する。

その後も、「アイ・ウィル」、「思わせぶり」といったヒットを連発するも、「イン・ソーツ・オブ・ユー」を境に、トップ10入りしなくなる。1966年、デッカ・レコードを離れ、パーロフォンに移籍するも、ヒットが出ない。

1960年代後半、イギリスの音楽シーンが急激に変わり、また長年悩まされ続けてきた心臓疾患の療養も兼ねて、フューリーは、同じくブリティッシュ・ロック御三家の一人、マーティー・ワイルドと共に半引退状態になっていた。

後年

[編集]

1972年1976年に、フューリーは心臓の手術を受けた。

1973年、半引退状態だったフューリーは、初期のビートルズを描いた映画『ザットル・ビー・ザ・デイ』に出演。リンゴ・スターキース・ムーンも出演していた。

歌手としては半引退状態であったが、フューリーは、野生動物の保護に務めていた。

1980年代になると、フューリーはカムバックを果たす。また、アルバム『ザ・ワン・アンド・ザ・オンリー』を録音[5]する。

死去

[編集]

ロンドンでのレコーディングを済ませた後、フューリーは自宅で意識を失った。フューリーのマネージャー、トニー・リードが発見し、パディントンのセント・マリー病院に運び込まれたが、1983年1月28日、午後2時10分に死亡した。42歳だった。

フューリーの葬式には、ラリー・パーンズ、マーティー・ワイルド、イーデン・ケイン等が参列した。

ディスコグラフィ

[編集]

スタジオ・アルバム

[編集]
  • 『ザ・サウンド・オブ・フューリー』 - The Sound of Fury (1960年)
  • 『ビリー・フューリー』 - Billy Fury (1960年)
  • Halfway to Paradise (1961年)
  • Billy (1963年)
  • The Golden Years (1979年) ※『Memories』として再発あり
  • The One and Only (1983年)

シングル

[編集]
タイトル チャート
最高位
収録アルバム レーベル
全英
[6]
アイルランド
[7]
1959 "Maybe Tomorrow"
b/w "Gonna Type a Letter"
18 Billy Fury Decca
"Margo"
b/w "Don't Knock Upon My Door"
28
"Angel Face"
b/w "Time Has Come"
"My Christmas Prayer"
b/w "Last Kiss"
アルバム未収録シングル

Billy Fury

1960 "Colette"
b/w "Baby How I Cried"
9 Billy Fury
"That's Love" (with the Four Jays)
b/w "You Don't Know"
19 The Sound of Fury
"Wondrous Place"
b/w "Alright, Goodbye"
25 Billy Fury

The Sound of Fury

"A Thousand Stars"
b/w "Push Push"
14 Halfway to Paradise
1961 "Don't Worry" (with the Four Kestrels)
b/w "Talkin' in My Sleep"
40
"Halfway to Paradise"
b/w "Cross My Heart"
3 4
"Jealousy"
b/w "Open Your Arms"
2 1 アルバム未収録シングル
"I'd Never Find Another You"
b/w "Sleepless Nights"
5 3
1962 "Letter Full of Tears"
b/w "Magic Eyes"
32
"Last Night Was Made for Love"
b/w "A King for Tonight"
4 6
"Once Upon a Dream"
b/w "If I Lose You"
7
"Because of Love"
b/w "Running Around"
18
1963 "Like I've Never Been Gone"
b/w "What Do You Think You're Doing Of"
3 5
"When Will You Say I Love You"
b/w "All I Wanna Do Is Cry"
3 4
"In Summer"
b/w "I'll Never Fall in Love Again"
5 4
"Somebody Else's Girl"
b/w "Go Ahead and Ask Her"
18
"Do You Really Love Me Too|Do You Really Love Me Too (Fool's Errand)"
b/w "What Am I Gonna Do"
13
1964 "I Will"
b/w "Nothin' Shakin' (But the Leaves on the Trees)"
14
"It's Only Make Believe"
b/w "Baby What You Want Me to Do"
10 7
"The Hippy Hippy Shake" (with the Gamblers; export-only release)
b/w "Glad All Over"
1965 "I'm Lost Without You"
b/w "You Better Believe It Baby"
16
"In Thoughts of You"
b/w "Away from You"
9
"Run to My Lovin' Arms"
b/w "Where Do You Run"
25
1966 "I'll Never Quite Get Over You"
b/w "I Belong to the Wind"
35
"Don't Let a Little Pride (Stand in Your Way)"
b/w "Didn't See the Real Thing Come Along"
51
"Give Me Your Word"
b/w "She's So Far Out She's In"
27
1967 "Hurtin' Is Loving"
b/w "Things Are Changing"
56 Parlophone
"Loving You"
b/w "I'll Go Along with It"
"Suzanne in the Mirror"
b/w "It Just Don't Matter Now"
1968 "Beyond the Shadow of a Doubt"
b/w "Baby Do You Love Me?"
"Silly Boy Blue"
b/w "One Minute Woman"
"Phone Box (The Monkey's in the Jam Jar)"
b/w "Any Morning Now"
"Lady"
b/w "Certain Things"
1969 "I Call for My Rose"
b/w "Bye Bye"
"All the Way to the U.S.A."
b/w "Do My Best for You"
1970 "Why Are You Leaving?"
b/w "Old Sweet Roll (Hi-De-Ho)"
"Paradise Alley"
b/w "Well...Alright"
1972 "Will the Real Man Please Stand Up"
b/w "At This Stage"
Fury
1974 "I'll Be Your Sweetheart"
b/w "Fascinating Candle Flame"
Warner Bros.
1981 "Be Mine Tonight"
b/w "No Trespassers"
The One and Only Polydor
1982 "Love or Money"
b/w "Love Sweet Love"
57
"Devil or Angel"
b/w "Don't Tell Me Lies"
58
1983 "Let Me Go Lover" (withdrawn from release)
b/w "Your Words"
The One and Only

アルバム未収録曲

"Forget Him"
b/w "Your Words"
59 アルバム未収録シングル
1999 "Wondrous Place" (re-release)
b/w "It's Only Make Believe"/"Last Night Was Made for Love"
83 K-tel
「—」は、チャートに掲載されなかったリリース、またはその地域でリリースされなかったことを示す。

脚注

[編集]
  1. ^ この時はまだビリー・フューリーの名前は名乗っていない。
  2. ^ 後のザ・フォーモスト
  3. ^ 後に、ジョージィ・フェイムのバックバンドになり、大きな成功を収める。
  4. ^ ビートルズもオーディションを受けた。受かるための条件は、当時のベーシストであったスチュアート・サトクリフを辞めさせることだった。理由は、サトクリフのベースの腕が未熟であったためである。サトクリフとの友情を優先したビートルズは、オーディションを辞退した。後に大成功を収めることになるが、これがきっかけで、フューリーは「ビートルズを見出せなかった男」というレッテルを貼られてしまう。
  5. ^ 発売されたのは、フューリーが死去した2ヶ月後の1983年3月のことだった。
  6. ^ Billy Fury | full Official Chart History | Official Charts Company”. www.officialcharts.com. 2021年4月26日閲覧。
  7. ^ Chart positions prior to October 1962 are from the Evening Herald. Subsequent positions are from The Irish Charts”. www.irishcharts.ie. 2021年4月26日閲覧。

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]