ビッグロンドン・ダービー
North West London derby | |
---|---|
都市、地域 | ロンドン |
チーム |
アーセナル チェルシー |
最多勝利 | アーセナル(83勝) |
直近の試合 |
2023年10月22日 プレミアリーグ チェルシー 2-2 アーセナル |
次の試合 |
2024年3月17日0:00(日本時間) プレミアリーグ アーセナル 対 チェルシー |
全試合勝敗数 |
アーセナル: 83 引き分け: 60 チェルシー: 66 |
日本ではビッグロンドン・ダービーとも呼ばれる、アーセナルFCとチェルシーFCの対戦は、イングランド(イギリス)の首都ロンドンをホームタウンとする両クラブによるビッグマッチである。ロンドン・ダービーの一つに数えられている。
ビッグロンドン・ダービーと呼称しているのは日本だけであり、現地ではあくまでロンドン・ダービーのひとつに過ぎず、両クラブにとってビッグロンドン・ダービーの対戦相手はクラブ最大のライバルではないが、1930年代以降、ロンドンにおける2大クラブの対戦は常に両クラブのサポーターを刺激し、多くの観客を集めている。アーセナルとチェルシーの間のライバル意識は、近年の重要な対戦で一層激しさを増している。
概要
[編集]チェルシーは2000年代に第一級のクラブとなり、アーセナルとチェルシーの両クラブが絶えずリーグ優勝を争うようになった。2003年12月に実施されたインターネットでの調査によれば、アーセナルのサポーターはマンチェスター・ユナイテッドを、それに続いてトッテナムをクラブ最大のライバルとみなしており、3番目のライバルとしてチェルシーを挙げている[1]。この調査では、チェルシーのサポーターは最大のライバルをアーセナルだとみなしているが、より伝統的なライバルにはトッテナムやフラムが挙げられる[1]。一方で、2009年にフットボール・ファンズ・センサスが実施した調査では、アーセナルのサポーターが最も嫌う相手として、伝統的なライバルのトッテナムではなくチェルシーを挙げている。一方のチェルシーはリヴァプールを最も嫌う相手に挙げており、アーセナルがリヴァプールに続いている[2]。
現在の通算成績ではアーセナルがチェルシーを上回っている。2016-17シーズン終了時点でアーセナルが74勝、チェルシーが62勝、引き分けが54試合である[3]。アーセナルの最大得点差勝利は1930年11月29日にスタンフォード・ブリッジで行われたファーストディヴィジョンの試合で、5-1で4点差の勝利を収めた。チェルシーの最大得点差勝利は2014年3月22日にスタンフォード・ブリッジで行われたリーグ戦の第31節で、6-0で勝利を収めた。2004-2012、2014-2015シーズンにチェルシーに在籍していたディディエ・ドログバがダービー史上最多の13得点を挙げている。
歴史
[編集]1907年11月9日、スタンフォード・ブリッジでリーグ戦初のダービーが行われた。このシーズンはフットボールリーグ・ファーストディヴィジョンの第1回大会であり、当時のリーグ記録となる約65,000人を集めた試合は引き分けに終わった。1935年に同じくスタンフォード・ブリッジで行われた試合では、イングランドにおけるリーグ戦の観客数として歴代2位の82,905人を動員。1950年代のFAカップでは準決勝での対戦が2度あったが、2度ともアーセナルの勝利に終わった。1960年代のダービーではチェルシーが支配し、14勝2分2敗と圧倒的な対戦成績を残した[4]。
2000年代にはカップ戦決勝で2度のビッグロンドン・ダービーが実現。2002年のFAカップ決勝ではアーセナルが2-0で勝利し、2007年のリーグカップ決勝ではチェルシーが2-1で勝利した。2003-04シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝で対戦し、スタンフォード・ブリッジでの1stレグは1-1の引き分けに終わったが、ハイベリーでの2ndレグはアウェーのチェルシーが2-1で勝利し、チェルシーが準決勝に勝ち上がった。2006年にはアーセナルのアシュリー・コールがチェルシーに移籍したが、移籍合意の何ヶ月も前にチェルシーの首脳陣と会合を持っていたことが両クラブのサポーターを焚きつけた[5]。2007年のリーグカップ決勝はダービー史上最高の試合の一つとして語り継がれている。試合終了間際に多数の選手が絡んだ乱闘騒ぎが起こり、アーセナルのコロ・トゥーレとエマニュエル・アデバヨール、チェルシーのジョン・ミケル・オビの計3人にレッドカードが提示された。試合後、ミケルには4試合の出場停止処分が、コロとアデバヨールには3試合の出場停止処分が下された。これらのことから、メディアは「スナーリングカップ決勝」(snarl:「混乱」や「紛糾」の意)であったと試合を揶揄した。2011年10月29日にスタンフォード・ブリッジで行われた試合も、手に汗握る素晴らしい試合となった。アーセナルはロビン・ファン・ペルシーがハットトリックを達成し、アンドレ・サントスとテオ・ウォルコットが1点ずつ決めた。チェルシーはフランク・ランパードとジョン・テリーとフアン・マヌエル・マタが1点ずつ決め、ランパードの得点はチェルシーのクラブ史上6000点目のゴールとなったが[6]、アーセナルが5-3で激しい撃ち合いを制した[7]。近年はチェルシーが優勢となっており、特にジョゼ・モウリーニョがチェルシーを率いてる間(2004-2007年、2013-2015年)にアーセナルが勝ったのは2015年のコミュニティ・シールドのみである[8]。2018-19シーズンにはUEFAヨーロッパリーグ決勝にてダービーが実現し、チェルシーがオリヴィエ・ジルー、ペドロ、アザールがゴールを挙げ、アーセナルはアレックス・イウォビの得点で反撃したが、4-1でチェルシーが勝利し、EL優勝を果たした。2019-20シーズンには3シーズン前と同じFAカップ決勝でビッグロンドンダービーとなった。試合は、プリシッチのゴールでチェルシーが早々に先制するもその後チェルシー側はPK献上、主将アスピリクエタ、プリシッチ、ペドロの相次ぐ負傷交代、コバチッチが二枚のイエローカードで退場などがありPKを含むオーバメヤンの2ゴールでアーセナルが逆転して優勝した[9]。
双方のクラブに所属した選手・監督
[編集]選手
[編集]名前 | アーセナル在籍 | チェルシー在籍 | 備考 |
---|---|---|---|
サンディ・マクファーレン | 1896-1897 | 1913-1914 | |
ジミー・シャープ | 1905-1908 | 1912-1915 | |
ボブ・ターンブル | 1923-1924 | 1925-1928 | |
テッド・ドレーク | 1934-1945 | 1952-1961 | |
トミー・ロートン | 1945-1947 | 1953-1955 | 1961-1967にチェルシー監督 |
ビル・ディクソン | 1953-1956 | 1947-1953 | |
トミー・ドハーティ | 1958-1961 | 1961-1962 | |
アラン・ヤング | 1959-1961 | 1961-1969 | |
トミー・ボールドウィン | 1964-1966 | 1966-1974 | |
ジョージ・グレアム | 1966-1972 | 1964-1966 | 1986-1995にアーセナル監督 |
アラン・ハドソン | 1976-1978 | 1968-1974 1983-1984 |
|
グラハム・リックス | 1975-1988 | 1995 | 1993-1996にチェルシーのユースチーム監督 1996-1999にチェルシーのアシスタントコーチ 2000にチェルシーの暫定監督 |
ジョン・ホリンズ | 1979-1983 | 1963-1975 1983-1984 |
1985-1988にチェルシー監督 |
コリン・ペイツ | 1990-1993 | 1979-1988 | |
クライヴ・アレン | 1980 | 1991-1992 | |
ピーター・ニコラス | 1981-1983 | 1988-1991 | 1990年代にチェルシーのユースチーム監督 |
エマニュエル・プティ | 1997-2000 | 2001-2004 | |
ニコラ・アネルカ | 1997-1999 | 2008-2012 | |
アシュリー・コール | 1999-2006 | 2006-2014 | |
ウィリアム・ギャラス | 2006-2010 | 2001-2006 | |
ラッサナ・ディアッラ | 2007-2008 | 2005-2007 | |
ヨッシ・ベナユン | 2011-2012 | 2010-2011 2012-2013 |
チェルシーからアーセナルにレンタル移籍 |
セスク | 2003-2011 | 2014-2019 | |
ペトル・チェフ | 2015-2019 | 2004-2015 | |
オリヴィエ・ジルー | 2012-2018 | 2018-2021 | |
ダヴィド・ルイス | 2019-2021 | 2011-2014 2016-2019 |
2014〜2016年はパリ・サンジェルマンFC |
ウィリアン | 2020-2021 | 2013-2020 | |
ピエール=エメリク・オーバメヤン | 2018-2022 | 2022- | |
ジョルジーニョ | 2023- | 2018-2023 |
監督
[編集]名前 | アーセナル指揮 | チェルシー指揮 | 備考 |
---|---|---|---|
レスリー・ナイトン | 1919-1925 | 1933-1939 |
その他に、スチュワート・ヒューストンは1967年から1972年にチェルシーに選手として在籍し、1995年と1996年にアーセナルの暫定監督を務めた。
タイトル
[編集]※2022-23シーズン終了時点
国際大会 | アーセナル | チェルシー |
---|---|---|
インターコンチネンタルカップ / FIFAクラブワールドカップ |
- | 1 |
UEFAチャンピオンズリーグ | - | 2 |
インターシティーズ・フェアーズカップ / UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ |
1 | 2 |
UEFAカップウィナーズカップ | 1 | 2 |
UEFAスーパーカップ | - | 2 |
国内大会 | アーセナル | チェルシー |
---|---|---|
ファーストディヴィジョン / プレミアリーグ |
13 | 6 |
FAカップ | 14 | 8 |
フットボールリーグカップ | 2 | 5 |
FAコミュニティ・シールド | 17 | 4 |
フル・メンバーズ・カップ | - | 2 |
通算 | 48 | 34 |
統計
[編集]※2022年10月22日時点[3]
クラブ | 試合数 | 勝利 | 引分 | 敗北 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
国内リーグ | |||||||
アーセナル | 173 | 68 | 51 | 54 | |||
チェルシー | 173 | 54 | 51 | 68 | |||
FAカップ | |||||||
アーセナル | 21 | 10 | 6 | 5 | |||
チェルシー | 21 | 5 | 6 | 10 | |||
フットボールリーグカップ | |||||||
アーセナル | 8 | 3 | 1 | 4 | |||
チェルシー | 8 | 4 | 1 | 3 | |||
UEFAチャンピオンズリーグ | |||||||
アーセナル | 2 | 0 | 1 | 1 | |||
チェルシー | 2 | 1 | 1 | 0 | |||
UEFAヨーロッパリーグ | |||||||
アーセナル | 1 | 0 | 0 | 1 | |||
チェルシー | 1 | 1 | 0 | 0 | |||
FAコミュニティ・シールド | |||||||
アーセナル | 4 | 2 | 1 | 1 | |||
チェルシー | 4 | 1 | 1 | 2 | |||
通算 | |||||||
アーセナル | 209 | 83 | 60 | 66 | |||
チェルシー | 209 | 66 | 60 | 83 |
脚注
[編集]- ^ a b “Rivalry Uncovered!” (PDF). The Football Fans Census. p. 3 (2003年12月). 2008年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月1日閲覧。
- ^ London Football Report Archived 2014年3月1日, at the Wayback Machine.
- ^ a b Soccerbase
- ^ DERBY DEBATE
- ^ “The Ashley Cole transfer saga”. The Times (London). (2006年9月8日) 2010年4月25日閲覧。
- ^ “アーセナル、チェルシーとの打ち合いを制す”. Goal.com. (2011年10月29日) 2013年1月3日閲覧。
- ^ “Chelsea 3-5 Arsenal”. BBC. (2011年10月29日) 2011年10月30日閲覧。
- ^ “ヴェンゲル、モウリーニョに初勝利! アーセナルがコミュニティ・シールド連覇”. フットボールチャンネル. (2015年8月3日) 2015年9月24日閲覧。
- ^ “FA Cup final 2020: Arsenal 2-1 Chelsea - Aubameyang double secures victory - BBC Sport”. BBC. (2020年8月1日) 2020年8月3日閲覧。