ビストロOJI
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ビストロOJI | |
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ビストロOJI (2016年10月23日撮影) | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒167-0043 東京都杉並区上荻二丁目24番18号 |
座標 | 北緯35度42分25.89秒 東経139度36分40.43秒 / 北緯35.7071917度 東経139.6112306度座標: 北緯35度42分25.89秒 東経139度36分40.43秒 / 北緯35.7071917度 東経139.6112306度 |
開業日 | 完全予約制 |
正式名称 | ビストロOJI |
土地所有者 | 末光 操 |
施設所有者 | 末光 操 |
設計者 | 末光 績 |
施工者 | 和田 計 |
駐車台数 | 無し台 |
最寄駅 |
JR中央線荻窪駅 東京メトロ丸ノ内線荻窪駅 |
最寄IC | 中央自動車道、首都高速道路高井戸出口 |
ビストロOJI(ビストロおじ)は、東京都杉並区上荻に所在する歴史的建造物(民家)でレストランを兼ねている。2002年(平成14年)2月14日、国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
概要
[編集]1924年(大正13年)、愛媛県南予出身の末光績(すえみついさお)によって、自身の住宅として建てられた。末光績は札幌農学校に進学し、卒業後、帰郷して松山農業学校に勤務。後に同校の校長を務めた。その後、東京大学で学び、卒業後は明治大学教授、恵泉女学園教授などを歴任した教育者だった。
学生時代、札幌で過ごした時期に洋館建てを見て憧れていた。1923年(大正12年)に発生した関東大震災をきっかけにして、現在地周辺の区画整理事業によって土地を購入することができた。学生時代からの憧れだった洋館建てを建てることになり、自ら設計し、郷里から棟梁を呼び寄せ、洋館建てを完成させた。
1973年(昭和48年)、三男の末光深海(すえみつふかみ)によって洋館建ての活用法が検討され、レストランを開く決心をし、1階のテラス周りの改修を行いレストランを開業。現在も利用されている。
沿革
[編集]- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災発生。
- 1924年(大正13年)
- 関東大震災後、区画整理事業により整理された土地を購入。
- 末光績自らの設計により建築。
- 1973年(昭和48年) - 末光績の三男・深海が1階のテラスを改修し、レストランを開業。
- 2002年(平成14年)2月14日 - 登録有形文化財(建造物)に登録される。
建築概要
[編集]- 所在地 - 東京都杉並区上荻二丁目24番18号
- 竣工年 - 1924年(大正13年)
- 敷地面積 - 不詳
- 建物構造 - 木造2階建、スレート葺
- 建築面積 - 117m2
- 延床面積 - 不詳
- 設計者 - 末光 績[1]
- 施工者 - 和田 計(南予の棟梁)
- 所有者 - 末光 操(末光積の三男・深海の妻)[2][3]
営業情報
[編集]- レストラン ビストロOJI
- 完全予約制 - 電話にて日時相談が必要
文化財
[編集]- 登録有形文化財(建造物)
- ビストロOJI (末光家住宅)
- 登録年月日:2002年(平成14年)2月14日、種別:住宅/建築物、登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの。
- 年代:1924年(大正13年)建築、木造2階建、スレート葺、建築面積117m2[4]。
交通
[編集]- 鉄道
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 南勉著『歴史読本』「建築史 今に活きる古い建物(5)ビストロOJI」2006年5月
- 杉並区『広報すぎなみ No.1577』「国の登録文化財に ビストロOJI」2001年12月11日
- 『史料室だより』20号、恵泉女学園、2014年11月3日(参照:[1])
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ビストロOJI(末光家住宅) - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ビストロOJI(末光家住宅) - すぎなみ学倶楽部