クラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタ
ヒムナシア・イ・エスグリマ(LP) | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 | Club de Gimnasia y Esgrima La Plata | |||
愛称 |
El Lobo (狼) El Los Triperos (大食漢) Basureros (掃除屋) Subcampeones (万年2位)[1] | |||
クラブカラー | 白・青 | |||
創設年 | 1887年 | |||
所属リーグ | アルゼンチンリーグ | |||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | |||
ホームタウン | ラ・プラタ | |||
ホームスタジアム | エスタディオ・フアン・カルメロ・セリージョ | |||
収容人数 | 24,500人[2] | |||
代表者 | ガブリエル・ペジェグリーノ | |||
監督 | レオナルド・マデロン | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
| ||||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
クラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタ(スペイン語: Club de Gimnasia y Esgrima La Plata、スペイン語発音: [ˈkluβ ðe ximˈnasja i ezˈɣɾima la ˈplata], 英語: La Plata Gymnastics and Fencing Club)、通称ヒムナシア・ラ・プラタ(Gimnasia La Plata)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラ・プラタを本拠地とするサッカークラブである。単にヒムナシア(Gimnasia)、またはCGEと表記されることもある。アルゼンチンサッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナが死去する2020年11月25日まで監督を務めていたクラブとして知られる[3]。
2022シーズンはプリメーラ・ディビシオン(1部)に所属する。ヒムナシア・ラ・プラタはアルゼンチン最古のクラブで1887年に設立された。また、ペルーのリマ・クリケット・アンド・フットボール・クラブ(1859年に設立)のように設立年が、ヒムナシア・ラ・プララタよりも古いクラブが南米には存在するが、自分たちが南米最古のクラブでもあると宣言している。
名称
[編集]名前は日本語に訳すと「ラ・プラタ・器械体操とフェンシング・クラブ」という名前である。これは設立当時、この2つのスポーツが主体のクラブだったからである。
ニックネーム
[編集]- El Lobo
ヒムナシア・ラ・プラタの愛称で最もよく使われるのは、El Lobo(ロボ、狼の意)である。この愛称は1962年シーズンに、チームが素晴らしいフットボールを見せたことから生まれた。このシーズンは9連勝して15節まで無敗であった。最終的には3位という成績であったが優勝争いをする活躍をした。この愛称のアイディアはヒムナシアのスタジアムがラ・プラタ市の森の中にあり、豊かな自然の中にあったことと、このチームが抜け目なく、素早く、動物的でまるで狼のようであったからである。この愛称はクラブを象徴するような呼び名となった。
あとLos Triperos(ロス・トリペロス:大食漢の意)という愛称も持つ。これはクラブの初期、サポーターに屠畜場で働く人が多く、彼らが自分達のことをこう呼んだからである。
ライバル
[編集]ヒムナシア・ラ・プラタのライバルは、同じラ・プラタを本拠地とするエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタである。このクラシコはクラシコ・プラテンセ(又はクラシコ・デ・ラ・プラタ)と言われている。 オレ紙の2005年の統計によると、このクラシコはアルゼンチンで5番目に関心を持たれているクラシコである。
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- プリメーラ・ディビシオン: 1回
- 1929 [4]
- コパ・センテナリオ・デ・ラAFA : 1回
- 1993 [5]
- プリメーラB : 3回
国際タイトル
[編集]なし
現所属メンバー
[編集]- 2022年9月11日現在[10]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
歴代監督
[編集]- ロヘリオ・ドミンゲス
- ルイス・ガリスト
- アドルフォ・ペデルネラ
- グレゴリオ・ペレス
- ロベルト・ペルフーモ
- ホセ・ラモス・デルガド
- ハイム・ホセ・ロットマン
- アルベルト・ソサージャ 1950s
- エンリケ・フェルナンデス・ビオラ 1960s
- ホセ・バラカ 1968-1971
- フアン・カルロス・ムルア 1971
- ホセ・バラカ 1973-1974
- ホセ・バラカ 1978-1979
- アルベルト・ファネシ 1990-1991
- カルロス・ティモテオ・グリグオル 1994-1999
- カルロス・ティモテオ・グリグオル 2000-2001
- カルロス・ティモテオ・グリグオル 2003-2004
- ロベルト・カルロス・マリオ・ゴメス 2004
- カルロス・イスチア (2004-2005)
- ペドロ・トログリオ (2005-2007)
- フランシスコ・マトゥラーナ (2007)
- フリオ・セサル・ファルシオーニ (2007)
- ギジェルモ・サンギネッティ (2007-2008)
- レオナルド・マデロン (2008-2009)
- パブロ・フェルナンデス (暫定) (2009)
- ディエゴ・コッカ (2010)
- パブロ・モラント (2010)
- アンヘル・カッパ (2011)
- ダリオ・オルティス (2011)
- オスバルド・イングラオ (2011)
- ペドロ・トログリオ (2011-2016)
- ディエゴ・マラドーナ (2019-2020)
- マリアーノ・メッセーラ (2020-2021)
- ネストル・ゴロシート (2021-)
歴代所属選手
[編集]GK
[編集]- ウーゴ・ガッティ 1969-1974
DF
[編集]- レアンドロ・クフレ 1996-2001, 2002
- ルーカス・リヒト 2000-2006
- / サンティアゴ・ヘンティレッティ 2004-2009
MF
[編集]- グスタボ・バロスケロット 1992-1997
- ペドロ・トログリオ 1997-2002
- ニコラス・メディーナ 2007-2008
- ルーカス・カストロ 2008-2011
FW
[編集]- フランシスコ・バラージョ 1928-1930
- デリオ・オニス 1968-1971
- ネストール・オマール・ピッコリ 1990-1991
- ギジェルモ・バロスケロット 1991-1997
- 桜井孝司 1996-1997
- ディエゴ・アロンソ 1999-2000
- ゴンサロ・バルガス 2005-2006
脚注
[編集]- ^ Gimnasia: Historia de una Pasión, by Héctor Collivadino. Publisher: Editorial Deportiva Bonaerense & Diario El Día (2005) – ISBN 987-43-0446-4
- ^ “CLUB DE GIMNASIA Y ESGRIMA LA PLATA”. gimnasia.org.ar. 15 March 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。17 April 2018閲覧。
- ^ “マラドーナ氏、母国アルゼンチンで入院”. AFP通信. (2020年11月3日) 2021年6月2日閲覧。
- ^ Gorgazzi, Osvaldo José (23 October 2008). “Argentina 1929”. RSSSF. 2018年5月3日閲覧。
- ^ Episcopio, Walter (2004年). “Gimnasia con su Copa más preciada”. El Día. 2009年3月20日閲覧。
- ^ “Final Tables Argentina Second Level 1937–2000”. RSSSF. 2008年5月1日閲覧。
- ^ Gorgazzi, Osvaldo José (2008年). “Argentina – Second Level Champions”. RSSSF. 2008年5月1日閲覧。
- ^ Ciullini, Angelo (2007年). “Argentina Second Level 1947”. RSSSF. 2008年5月1日閲覧。
- ^ Ciullini, Angelo (2006年). “Argentina Second Level 1952”. RSSSF. 2008年5月1日閲覧。
- ^ “Gimnasia y Esgrima squad”. Soccerway. オリジナルの7 October 2018時点におけるアーカイブ。 7 October 2018閲覧。