コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

カルロス・イスチア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルロス・イスチア
2014年のイスチア
名前
本名 カルロス・ルイス・イスチア
Carlos Luis Ischia
ラテン文字 Carlos ISCHIA
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1956-10-28) 1956年10月28日(68歳)
出身地 ブエノスアイレス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1975-1979 アルゼンチンの旗 チャカリタ・ジュニアーズ 138 (17)
1979-1984 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド 220 (29)
1984-1985 コロンビアの旗 ジュニオール 95 (6)
1986 コロンビアの旗 アメリカ・デ・カリ 31 (3)
1987-1989 コロンビアの旗 ジュニオール 62 (3)
代表歴
1980 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 2 (0)
監督歴
2002 アルゼンチンの旗 ベレス・サルスフィエルド
2004-2005 アルゼンチンの旗 ヒムナシア・ラ・プラタ
2005 コロンビアの旗 ジュニオール
2007 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル
2008-2009 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
2009-2010 メキシコの旗 アトラス
2011-2012 エクアドルの旗 デポルティーボ・キト
2013 アルゼンチンの旗 ラシン・クルブ
2014 エクアドルの旗 バルセロナ
2015-2016 エクアドルの旗 アウカス
2018- ボリビアの旗 ザ・ストロンゲスト
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロス・イスチアCarlos Luis Ischia, 1956年10月28日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー

経歴

[編集]

選手

[編集]

現役時代はCAベレス・サルスフィエルドなどでプレーし、アルゼンチン代表にも選出された。1984年からはコロンビアのジュニオールFCアメリカ・デ・カリでプレーし、1989年、怪我により現役引退した。

指導者

[編集]

CAベレス・サルスフィエルドボカ・ジュニアーズでは、カルロス・ビアンチ監督の下でアシスタント・コーチとして働き[1]、2002年にCAベレス・サルスフィエルドの監督に就任した。

2004年にはクラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタの監督に就任し、2005年には選手時代の古巣ジュニオールFCの監督に就任したが、首脳陣との意見の相違やメディアからの圧力のために、同年後半にジュニオールを離れた[2]

2007年には成績不振に苦しむCAロサリオ・セントラルの監督に就任したが[3]、最下位に沈むセントラルは自動降格の危機に瀕し、わずか14試合を指揮しただけで辞任した[4]

2007年12月、辞任したミゲル・アンヘル・ルッソ監督の後任としてボカ・ジュニアーズの監督に就任した。2008年のコパ・リベルタドーレスはベスト4で敗北したが、9月にはレコパ・スダメリカーナで優勝し、アペルトゥーラ2008ではCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロCAティグレとの三つ巴戦を制してリーグ優勝を果たした。クラウスーラ2009では開幕から不振が続き、さらに期待されたコパ・リベルタドーレスでも早期敗退に終わったことから、5月27日に解任が発表され、後任にはアルフィオ・バシーレ監督が就任した[5]

2009年にはリカルド・ラ・ボルペ監督の後任としてCFアトラス監督に就任した。

2011年中盤にはLDUキトの監督に就任し[6]、2012年5月14日まで監督を務めた[7]

2013年8月、ラシン・クルブの監督に就任した。

2014年、エクアドルのバルセロナSCの監督に就任した。

タイトル

[編集]
ボカ・ジュニアーズ

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]