ヒエロニムス・コック
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ヒエロニムス・コック Hieronymus Cock | |
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ヒエロニムス・コックの肖像。ヨハネス・ウィーリクス作、16世紀、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館蔵。 | |
生誕 |
Hieronymus Wellens de Cock 1518年 アントウェルペン |
死没 |
1570年10月3日 アントウェルペン |
配偶者 | nl:Volcxken Diericx |
活動期間 | 1545年 - 1570年 |
ヒエロニムス・コック[1](オランダ語: Hieronymus Cock、1518年 - 1570年10月3日)は、フランドルの版画家、画家、出版人。
略歴
[編集]アントウェルペンで生まれた。父親のヤン・デ・コック(Jan Wellens de Cock: c.1470-1521)は画家で、兄のマタイス・コック(Matthijs Cock:1509/1510-1540/1548)も画家、版画家になった。
1545年、聖ルカ組合に加入し[2]、1546年から1548年まで、ローマで修行した[2]。帰国後アントウェルペンに版画店「四方の風」(ラテン語: Aux Quatre Vents)を構え、ラファエロ・サンティらのイタリア絵画の複製版画や、ヒエロニムス・ボス、ピーテル・ブリューゲルの素描を版画化し出版した[2]。
アントウェルペンのヒエロニムス・コックの工房では、コルネリス・コルトなどが修行し、イタリアの版画家のジョルジョ・ギージも働いた。
1570年にヒエロニムス・コックが亡くなった後、工房は未亡人が運営したが、アントウェルペンでの出版はフィリップ・ハレの工房が担っていくことになった。
作品
[編集]-
「磔刑に向かうキリスト」ヒエロニムス・ボスかランベール・ロンバールの原画、1560年頃、メトロポリタン美術館蔵
脚注
[編集]- ^ “賢い処女と愚かな処女のたとえ”. 国立西洋美術館. 2018年6月30日閲覧。
- ^ a b c “コック【Hieronymus Cock】”. 世界大百科事典第2版. 2018年7月6日閲覧。