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パーシャンパンチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パーシャンパンチ
ジェフ・スミスの勝負服
欧字表記 Persian Punch
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1993年4月13日
死没 2004年4月28日(11歳没)
Persian Heights
Rum Cay
母の父 Our Native
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 アドストック・マナー・スタッド
馬主 ジェフ・スミス
調教師 デヴィッド・エルズワース(イギリス
競走成績
生涯成績 63戦20勝
獲得賞金 100万8785ポンド(ポンド換算)
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パーシャンパンチPersian Punch1993年 - 2004年)はアイルランドで生まれ、イギリス調教を受けたサラブレッド競走馬である。長距離の競走を得意とするステイヤーで、長く活躍し人気を博した。

経歴

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イギリスイングランドウィルトシャー州のデヴィッド・エルズワース調教師のウィッツバリーマナーレーシングステーブルという厩舎調教を受けた。厩舎はデザートオーキッドで知られる。厩務員はデリック・ブラウン。馬主ジェフ・スミスはリトルトンスタッドを所有し、ロックソングやチーフシンガーの勝負服[1]で知られる。

63戦して20勝、19の競走で入着[2]したものの、グループ1競走には勝てず、入着止まりであったが、パターンレース[3]13勝はアルドロス、アカテナンゴブリガディアジェラードに並ぶヨーロッパタイ記録である。10歳時には、イギリス長距離三冠競走であるグッドウッドカップドンカスターカップを優勝したものの、緒戦のアスコットゴールドカップはミスターディノスの2着で「準三冠」となった。ジョッキークラブカップ、ヘンリー2世ステークスはともに3勝している。

2001年2003年にはカルティエ賞最優秀ステイヤーを受賞した。

しかし2004年4月28日アスコット競馬場のサガロステークスの競走中に心臓麻痺で死亡した。当時11歳。

死後パーシャンパンチ記念基金が設立され、フィリップ・ブラッカー作による等身大の青銅像はパーシャンパンチ最後の勝利となった記念日(10月18日)に公開された。

競走成績

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一部不明。

  • 1996年(3歳)6戦3勝
  • 1997年(4歳)8戦2勝。ヘンリー2世ステークス(G3
  • 1998年(5歳)6戦3勝。サガロステークス(英G3)、ヘンリー2世ステークス(英G3)、ロンズデールステークス(英G3)
  • 1999年(6歳)6戦1勝
  • 2000年(7歳)9戦3勝。ヘンリー2世ステークス(英G3)、ケルゴルレイ賞(G2)、ジョッキークラブカップ(英G3)
  • 2001年(8歳)7戦2勝。グッドウッドカップ(英G2)、ロンズデールステークス(英G3)
  • 2002年(9歳)10戦2勝。ジョッキークラブカップ(英G3)
  • 2003年(10歳)9戦4勝。グッドウッドカップ(英G2)、ドンカスターカップ(英G2)、ジョッキークラブカップ(英G3)
  • 2004年(11歳)1戦0勝

血統表

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パーシャンパンチ血統ボールドルーラー系 / Relance4×5=9.38%、Nasrullah5×5=6.25% (血統表の出典)

Persian Heights
1985 栗毛
父の父
Persian Lad
1975 栗毛
Bold Lad (IRE) Bold Ruler
Barn Pride
Relkarunner Relko
Running Blue
父の母
Ready and Willing
1971 鹿毛
Reliance Tantieme
Relance
No Saint Narrator
Vellada

Rum Cay
1985 栗毛
Our Native
1970 鹿毛
Exclusive Native Raise a Native
Exclusive
Our Jackie Crafty Admiral
Mohduma
母の母
Oraston
1978 栗毛
Morston Ragusa
Windmill Girl
Orange Cap Red God
Hymette F-No.3-n


脚注

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  1. ^ 競走馬を所有していることと同じ意味。
  2. ^ 日本では入着は5着以内を指すが、イギリスでは3着以内を指す。
  3. ^ ヨーロッパのグループ制競走。重賞競馬の競走格付けを参照。

外部リンク

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