パラメトロン
パラメトロン(英: parametron)はフェライトコアのヒステリシス特性による、パラメータ励振現象の分周作用を利用した論理素子である。1954年に当時東京大学大学院理学部高橋秀俊研究室の大学院生であった後藤英一が発明した。真空管やトランジスタの使用量を大幅に削減してコンピュータを構成できるとして、当時としては多数のパラメトロン式コンピュータが日本で建造された。比較対象としてリレーよりは速く機械的な接点も無いなどの利点はあったものの、その後すぐに主流となった接合型トランジスタの性能向上が圧倒的で動作周波数でパラメトロンを上回ったこと、トランジスタにはラジオをはじめとする広範囲の応用があったのに対して、パラメトロンは論理素子専用という点でも不利であったことなどにより、1960年代にはほぼトランジスタによって置き換えられ利用されなくなった[注 1]。
その後、後藤が発明したのと同じ原理のパラメトロンが様々な物理系で実現されるようになり、2010年代以降、パラメトロンを用いた量子コンピュータの開発と言う観点からも再び注目されるようになった[1]。日本でも、2014年にNECや理研などの共同研究グループによって、パラメトロンを超伝導回路で実装した超伝導パラメトロン素子が開発され、これを用いた超伝導パラメトロン方式の量子アニーリングマシン(NEC方式の量子コンピュータ)の開発が進められている。
概要
[編集]コンピュータの黎明期であった1950年代、日本ではフリップフロップひとつを作るのに真空管では1個約千円、トランジスタでは数千円もかかった[注 2]上、当時の点接触型トランジスタでは信頼性も低く、安定していなかった[注 3]。日本ではコンピュータにかけられる予算は、例えば後藤の言では、アメリカのマサチューセッツ工科大学と比較すると千分の一[2]と困窮していたため、高橋研では計算機械にはある程度の興味はあったものの[注 4]、電話交換機に使う回転スイッチを利用したコンピュータや、デカトロン管を利用した十進法によるコンピュータなど、他の装置をいろいろ検討、手作業でシミュレートした。この時に物理学や応用数学に詳しかった事が役に立ったという。そして一個5円しかしないフェライトコアの性質を利用できないかとあれこれやっているうち[3]、パラメータ励振現象を利用する方法を思いつく[4]。パラメータ励振を利用している事から、パラメトロンと命名した。後藤によると、コンピュータは既に発明されていた時代だったので、パラメトロン自体はさほど大騒ぎされなかったという。
構造と原理
[編集]ドーナツ状のフェライトコア二個[注 5]にコイルを数回[注 6]、それぞれ同数巻き、直列につなげ、キャパシタ一個をつないで共振回路とする。励振のための電線を、コアの穴を貫通させるように通し、これに交流を流すと(正確にはコアの磁性の、ある特性の部分を利用するために、直流と交流を重畳する[注 7])、フェライトコアの磁性のために、前述の共振回路がパラメータ励振により発振する。これは元の振動を 1/2 に分周した振動となり、その位相がどちらの位相であるか、を 0 と 1 などに対応させて情報の記憶ができる。
以上のように、2種類のはっきり分かれた状態に落ち着く性質があることに加え、その励振の起こり始めの、初期状態の違いがタネになってどちらの位相になるかが確定するという、一種の増幅作用もある。その「タネ」として3個所からの出力を持ってきて重ね合わせることにすれば「多数決論理」と呼ばれる論理演算ができる。その3個の入力のうちの1個を偽か真に固定すれば、残りの2個の論理積か論理和を演算でき、組み合わせればどんな論理演算もできる。
基本的には理論と実験の積み重ねで発展したのであるが、最初に実験に使用したフェライトが、加藤与五郎と武井武の開発した銅・亜鉛系であったことが、パラメトロン用に適していた、という偶然についてだけは運が良かった点だったとしている。マンガン・亜鉛系やニッケル・亜鉛系は他の特性では優れているが、どういうわけかパラメトロン用には銅・亜鉛系が最良であった[5][注 8]。
計算機械用に大量に使用するには消費電力の関係で小さいコアが良く、TDKに直径4mmのものを製造依頼した。後には(PC-2では)さらにパラメトロン専用に形状を設計した「眼鏡型コア」を使っている。
長所
[編集]短所
[編集]- トランジスタに比べ消費電力が大きい。
- 同時代のトランジスタ計算機が動作周波数1メガヘルツを達成していたのに対し、パラメトロンは10-30キロヘルツ[注 9]程度と動作速度が遅い。後藤が後にジョン・マッカーシーと親しくなった際に「パラメトロンは面白い発想だが、なぜそんな遅い素子を作った?」と聞かれたという。
- 発熱量(磁性体のヒシテリシス特性による損失による)が大きいため、動作周波数を上げるとフェライトコアが過熱して温度変化により磁性特性が変化(焼け)して動作に支障が起こる。
- 小型化するとまともに機能しなくなるため、微細加工技術を用いた集積化が困難。
パラメトロンを使った計算機
[編集]商用コンピュータも複数登場しているが、採用期間は3年弱と短い。
日本電子測器
[編集]- PD 1516:(1956年)開発部門は後に富士通に移った。
東京大学(高橋研究室)
[編集]- PC-1/4:(1957年)PC-1の予備実験機で、手帳ほどの大きさ。9ビットで2進4桁の計算が可能。入力機器はトグルスイッチが7個のみである。
- PC-1:(1958年)
- PC-2:(1960年)
日本電信電話公社(電気通信研究所)
[編集]- MUSASINO-1:(1957年)
- MUSASINO-1B:(1960年)国際電信電話・富士通と共同開発。FACOM 201 として製品化。
- CAMA:(1963年)通話料金計算専用であり、プログラマブルではない。
日立製作所
[編集]- HIPAC MK-1:(1957年12月)同社初のコンピュータ。
- HIPAC 101:(1960年)製品化。
- HIPAC 103:(1961年8月)製品化。科学技術計算用。
日本電気
[編集]- NEAC-1101:(1958年)同社初のコンピュータ。
- NEAC-1102:(1958年)東北大学と共同開発し東北大学電気通信研究所に納入。別名 SENAC。
- NEAC-1103:(1960年)防衛庁技術研究所に納入
- NEAC-1201:(1961年)事務用(オフコン)として製品化。後継機としてNEAC-1202、NEAC-1210がある。
沖電気
[編集]- OPC-1:(1959年)
富士通
[編集]- FACOM 200:(1958年)
- FACOM 212:(1959年)事務用(オフコン)として製品化。
- FACOM 201:(1960年)MUSASINO-1B の製品化
- FACOM 202:(1960年)PC-2 の製品化。科学技術計算用。完成当時、日本最高速。
三菱電機
[編集]- MELCOM 3409:(1960年)
光電製作所
[編集]- KODIC-401:(1960年)試作実験機。
- KODIC-402:(1961年)汎用。動作周波数2メガヘルツ、10進16桁固定小数点ストアードプログラム方式、磁気ドラム記憶装置 4000words、KODIC-401の製品化。社内用、日本大学工学部、大阪電気通信大学工学部経営工学科(OTSUDAC-1 1963年3月納入、現在展示保存中)、計3システム納入。
パラメトロンに類似した論理素子
[編集]C可変型
[編集]後藤とほぼ同時期(特許出願が1954年4月)に、フォン・ノイマンがリアクタンス(L)ではなく静電容量(C)のほうを変化させるパラメータ発振を利用するアイディアを思いついている[8][9]。
薄膜磁性体パラメトロン
[編集]同じ原理で、薄膜磁性体を利用したパラメトロンも研究されたが、大規模に製品化はされなかった。
磁束量子パラメトロン
[編集]英語版「quantum flux parametron」も参照。
磁束量子パラメトロン[10]といったものも研究されている。1986年に後藤らにより、ジョセフソン効果を利用するもので最大16GHzもの高速動作が可能なスイッチング素子として提案されたものである。この素子の原理が似ていることについて後藤は「(略)。原理がパラメトロンと似てるっていうのはさ、まあ、同じ人間が考えると同じようなものができるってことだろうね」[11]とインタビューに対して答えている。高速性の他、他の超電導デバイス(ジョセフソン素子等)と比較して省電力性が特徴だが大規模な集積はできていない。量子を利用しているが、いわゆる量子計算ではない。
量子焼きなまし法を実現したコンピュータの建造に成功した(と主張している)D-Wave Systems社が公開している資料中に、磁束量子パラメトロンへの言及がある。量子ビットの最終状態を読み出せるようにするためにブーストするある種のプリアンプだとしている[12]。また、断熱磁束量子パラメトロン(AQFP)を使った、ランダウアーの原理にもとづく限界に迫る可逆計算素子が提案されている[13]。
その他
[編集]- 1992年には高温超伝導素子を利用した類似の原理の記憶素子が開発された[14]。
- NEMSの研究で、「ナノ機械パラメトロン素子」の研究がある[15]。
- 前述の磁束量子パラメトロンと同様に超電導を使うが別物の、パラメトロンの原理で動作する超電導の素子を、2014年7月25日に理研が発表している[16]。
- なお、光の電磁場振動についても同様の非線形性に由来する現象が起こり、光パラメトリック発振として知られている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 最後期の製品例としては、速度をたいして要しない卓上計算機に利用した、初のトランジスタ式電卓に1年先行している「アレフゼロ」がある。
- ^ 『計算機屋かく戦えり』ハードカバー版 p.38 の、後藤の言によればトランジスタは「8000円」だが、当時についての別の資料では、たとえば ETL Mark
IV (『日本のコンピュータの歴史』p. 146)で、和田弘が電話交渉で定価3000円のところを1500円にまけさせた、とある。点接触か接合か、入手経路は、などいろいろ要素があり、正確な数字を挙げるのは難しい。 - ^ 最初期(点接触型Trと併存していた頃)の接合型Trは速度が遅かったため、コンピュータ用としては、不安定という要素があっても点接触型を使いたいという理由があった。なお、パラメトロンは接合型よりも遅い。
- ^ 高橋秀俊の自伝によれば、本格的に作る気になったのはEDSACについて知った後だという。
- ^ 励振の原振動についてキャンセルするために、二個が必要(互いに逆になるようにする)。
- ^ 詳細には、励振の原振動の周波数を f とすると、並列接続するキャパシタとで構成される共振回路の共振周波数がそれの半分の f/2 となるような回数。
- ^ コアの中を電流が通ればいいので、別々の電線で直流と交流を流すのでもよい。
- ^ この磁性に関する点はかなりクリチカルなもののようであり、現在店頭などで入手可能なコア材での実験は難しかったという話がウェブページなどに見られる。論理演算等の動作を目的とした再現実験等では、敢えて完全な再現を目指すことはせず、バリキャップ素子を利用した「Cの側を変化させるパラメトロン」が使われている。
- ^ 『計算機屋かく戦えり』ハードカバー版 p.40。なお、おそらく最速はPC-2(FACOM 202)の動作周波数60kHz(励振周波数6MHz)。『パラメトロン計算機』図2-16によれば試験回路において200kHzの記録がある)。
出典
[編集]- ^ 超伝導回路を用いてパラメトロンを実現 - 理化学研究所
- ^ 『計算機屋かく戦えり』ハードカバー版 p.40
- ^ 『日本のコンピュータの歴史』p. 114
- ^ 『日本のコンピュータの歴史』pp. 56-57 より「パラメータ励振現象そのものは以前から知られていたが,その位相弁別機能を2値素子として利用し,励振の断続によって増幅と多数決に基づく論理演算ができることに気づいたことに,後藤の独創があった.」
- ^ 『日本のコンピュータの歴史』(1985年)p. 115
- ^ 『パラメトロン計算機』p. 7
- ^ ETL Mark IV A トランジスタ式計算機-コンピュータ博物館
- ^ US2815488A - Non-linear capacitance or inductance switching, amplifying, and memory organs - Google Patents:米国特許2815488
- ^ 小山俊士、二つのパラメトロン : フォン・ノイマンと後藤英一の特許をめぐって 『哲学・科学史論叢』 2014年 16巻 p.57-81, NAID 120005367873、東京大学教養学部哲学・科学史部会
- ^ 英: quantum flux parametron、QFP
- ^ 『計算機屋かく戦えり』1996年版 p.44
- ^ http://dwave.files.wordpress.com/2010/10/20100909_d-wave_unit_cell_overview_i_richard_harris.pdf の33枚目(資料中の頁番号では28/45)
- ^ Reversible logic gate using adiabatic superconducting devices doi:10.1038/srep06354
- ^ 内山剛、牧野正義、毛利佳年雄「高温超伝導磁気マルチバイブレータによる位相記憶論理素子」『日本応用磁気学会誌 volume=16』第3号、1992年、556-559頁、doi:10.3379/jmsjmag.16.556。
- ^ ナノ機械パラメトロン素子の研究
- ^ 超伝導回路を用いてパラメトロンを実現
参考文献
[編集]- 『パラメトロン計算機』 高橋秀俊編、岩波書店(1968年)
- 『日本のコンピュータの歴史』オーム社(1985年)
- 『国産コンピュータはこうして作られた』相磯秀夫(他編)、共立出版(1985年): ISBN 4320022785
- 『計算機屋かく戦えり』 遠藤諭(著)、アスキー出版局(1996年): ISBN 4-7561-0607-2、 新装版(2005年): ISBN 4756146783
- (『日本人がコンピュータを作った!』アスキー新書 2010 ISBN 978-4-04-868673-0 は抄録。後藤の項などは収録されている)
- 『電脳進化論』 立花隆(著)、朝日新聞社(1993年): ISBN 978-4-02-256602-7 (pp. 211-213 にQFPについての記述がある)、朝日文庫(1998年): ISBN 978-4-02-261218-2
- 高橋秀俊. "パラメトロンとその応用." OHM 42.14 (1955): 164-170.
- 後藤英一. "電子計算機の新回路素子パラメトロン." 電子工業 4.3 (1955): 53-54.
- 村上幸雄. "パラメトロンおよびパラメトロン自動計算機について." 電子工業 5.12 (1956).
- 高橋秀俊. "パラメトロン." 科学 26.3 (1956).
- 高橋秀俊. "パラメトロンについて." 電気通信学会雑誌 39.6 (1956).
- 喜安善市. "パラメトロン電子計算機 M-1 について." 電気通信学会雑誌 40.6 (1957).
- 高橋秀俊. "東京大学におけるパラメトロン計算機について." 電気通信学会雑誌 40.6 (1957).
- 高橋秀俊. "電子計算機の磁性素子." OHM 45.8 (1958): 158-166.
- 富永滋. "パラメトロンメモリーとその動作." エレクトロニクス 5.6 (1960).
- 高橋秀俊. "パラメトロン計算機." (1968).
関連項目
[編集]- 和田英一 - 高橋秀俊の研究室の院生時代にはパラメトロン用プログラムを多数作成している。
- 磁性体論理素子
- Dr.STONE - 文明が崩壊し半導体が失われた世界でパラメトロンを利用したコンピュータを作るエピソードがある。
外部リンク
[編集]- パラメトロン(情報処理学会、コンピュータ博物館)
- パラメトロン計算機PC-1(PDF形式、1975年6月、情報処理学会)
- 磁束量子パラメトロンの基本動作解析(科学技術振興機構)
- Parametron — The History of Computing Project
- パラメトロンアーカイブス(東京大学)