パラパ
パラパ(Palapa)はインドネシアの商業通信衛星シリーズ。
パラパ衛星の計画はインドネシア政府がボーイング社と2機の人工衛星に関する契約を交わした1975年2月に始まった[1]。
なお、パラパという名前は1975年7月にスハルト大統領によって選ばれた[1]。
パラパA
[編集]ボーイング衛星システムが製造し、アメリカのウェスター1号やカナダのアニクA商業衛星と同一の設計だった[1]。12本のトランスポンダーを搭載し、平均容量は音声回路6000本か、同時式カラーテレビジョン12チャンネルだった[1]。衛星の形状はアンテナ含めた高さが3.4m、直径が1.9mの円柱型だった[1]。打上げ時の重量は574 kg[1]。
名称 | NSSDC ID | 打上げ日 | 射場 | ロケット | 資料 |
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パラパA1 | 1976-066A | 1976-07-08 | ケープカナベラル空軍基地 LC-17A | デルタ2914 | [1] |
パラパA2 | 1977-018A | 1976-03-10 | ケープカナベラル空軍基地 LC-17A | デルタ2914 | [1] |
パラパB
[編集]パラパ衛星の2世代目。ヒューズスペースコミュニケーションが設計・開発した[2]。運用者はインドネシアの国有会社、Telkom[2]。
パラパAシリーズと比較して2倍大きく、2倍の容量、4倍の電力をもっていた[2]。太陽電池を搭載した円筒型で、アンテナは打上げ時にはたたまれていた[2]。赤道上の静止軌道に投入された後にアンテナを立ち上げ、外部太陽パネルを展開した[2]。
計4機が製造され、5度打ち上げられた[2]。Bシリーズ2機目となるパラパB2は1984年2月にスペースシャトルチャレンジャー(STS-41-B)によって打ち上げられたが、ペリジモータの失敗によって適切な軌道への投入に失敗した[2]。1984年11月ディスカバリーのクルーが船外活動によってB2を回収、保険業者のために地球に持って帰った(STS-51-A)[2]。その後ヒューズ社が衛星を回収して、結果的にインドネシアに売り戻された[2]。この衛星はパラパB2Rとして1990年4月に再び打ち上げられた[2]。
パラパB2Pは1996年にフィリピンのマブハイ・サテライトに所有権が売却され、フィリピン最初の衛星となっている。
名称 | NSSDC ID | 打上げ日 | 射場 | 打上げ機 | 資料 |
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パラパB1 | 1983-059C | 1983-06-18 | ケープカナベラル空軍基地 LC-39A | チャレンジャー(STS-7) | [2] |
パラパB2 | 1984-011D | 1984-02-03 | ケープカナベラル空軍基地 LC-39A | チャレンジャー(STS-41-B) | [2] |
パラパB2P | 1987-029A | 1987-03-20 | ケープカナベラル空軍基地 LC-17B | デルタ3920 PAM-D | [2] |
パラパB2R | 1990-034A | 1990-04-13 | ケープカナベラル空軍基地 LC-17B | デルタ6925 | [2] |
パラパB4 | 1992-027A | 1992-05-14 | ケープカナベラル空軍基地 LC-17B | デルタ7925 | [2] |
パラパC
[編集]パラパ衛星の3世代目。運用者はSATELINDO(PT Satelit Palapa Indonesia)である[3]。8ヶ月のコンペの後、1993年4月にヒューズスペースコミュニケーションが選ばれ、衛星バスはHS-601が使用された[3]。組み立てはボーイング衛星システムのエルセグンド工場で行われた[3]。
パラパC1に電力異常が発生し、バッテリーの蓄電能力が失われた[3]。これによって予定していたミッションを遂行するのは困難として、保険金の支払い要求が通り、衛星は保険者に渡った[3]。ヒューズグローバルサービスが衛星を得て不完全ではあるが一定の能力を回復させた[3]。その後も運用者が変わり、衛星の名前もパラパC1からHGS 3、アナトリア1(Anatolia 1)、パキサット1(Paksat 1)と変わっていった[3]。
名称 | NSSDC ID | 打上げ日 | 射場 | 打上げ機 | 資料 |
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パラパC1 | 1996-006A | 1996-02-01 | ケープカナベラル空軍基地 LC-36B | アトラスIIAS | [3] |
パラパC2 | 1996-030A | 1996-05-16 | ギアナ宇宙センター ELA-2 | アリアン44LP | [3] |
パラパD
[編集]インドサット社は2007年7月にパラパD衛星の製造と打上げをタレス・アレーニア・スペースに依頼した[4]。
衛星バスはタレス・アレーニア・スペースのスペースバス-4000B3 (Spacebus) を使用し、24本のCバンドトランスポンダ、11本の拡張Cバンドトランスポンダ、5本のKuバンドトランスポンダを搭載し、インドネシア、東南アジア諸国、中東、オーストラリアなどに、衛星通信やテレビ放送などを提供する[5]。運用寿命は15年を予定していた[4]。パラパDの製造および打上げコストは2億から3億ドルとされる[4]。
インドサットとタレス・アレーニア・スペースは共同でパラパDの打上げ機として中国の長征3号Bを選択した[4]。
2009年8月31日に西昌衛星発射センターから長征3号Bによって打ち上げられた。しかし3段目の2回目の燃焼に失敗し予定した軌道への投入には失敗した[5]。衛星はその後軌道マヌーバを繰り返して予定していた静止軌道に移動したが、燃料が減少したため運用寿命は10年前後に減少した[6]。
名称 | NSSDC ID | 打上げ日 | 射場 | ロケット | 資料 |
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パラパD1 | 2009-046A | 2009-08-31 | 西昌衛星発射センター | 長征3号B | [4] |
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “Palapa A 1, 2”. Gunter's Space Page. 2011年4月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “Palapa-B 1, 2, 2P, 2R, 4 / Palapa Pacific / Agila 1 / NewSat 1”. Gunter's Space Page. 2011年4月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “Palapa-C 1, 2 / HGS 3 / Anatolia 1 / Paksat 1”. Gunter's Space Page. 2011年4月6日閲覧。
- ^ a b c d e “Palapa-D 1”. Gunter's Space Page. 2011年4月6日閲覧。
- ^ a b “中国、インドネシアの通信衛星の打上げに失敗”. sorae.jp. 2011年4月6日閲覧。
- ^ “通信衛星パラパ—D、静止軌道に”. 中国通信社. 2011年4月6日閲覧。