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パナマ運河地帯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標: 北緯9度07分03.61秒 西経79度43分12.60秒 / 北緯9.1176694度 西経79.7201667度 / 9.1176694; -79.7201667

パナマ運河地帯
Panama Canal Zone
Zona del Canal de Panamá
コロンビア 1903年 - 1979年 パナマ
パナマ運河地帯の国旗 パナマ運河地帯の国章
(国旗) (国章)
国の標語: The Land Divided, The World United
国歌: 星条旗
The Panama Canal Waltz(非公式の地方歌)
パナマ運河地帯の位置
首都 クレブラ(1904年 - 1915年)
バルボア英語版(1915年以降)
総督
1904年 - 1905年 ジョージ・ホワイトフィールド・デービス英語版
(初代)
1975年 - 1979年ハロルド・パーフィット
面積
1,678km²
人口
1912年[1]2,810人
1920年22,858人
1940年51,827人
1960年42,122人
1978年39,000人
変遷
パナマ運河条約 1903年11月18日
廃止1979年10月1日
完全返還1999年12月31日
通貨USドル
時間帯UTC -5(DST: なし)

パナマ運河地帯(パナマうんがちたい、英語: Panama Canal Zoneスペイン語: Zona del Canal de Panamá)は、パナマパナマ運河を取り囲んだアメリカ合衆国のかつての租借地海外領土(Territory)。

地理

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面積は1678km2で、中心地はバルボア英語版。なお、パナマの首都パナマ市は運河地帯には入らない。

歴史

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1903年にアメリカがパナマとの間でパナマ運河条約を締結し、パナマ運河の実質的運営権と両沿岸地帯の租借権を獲得し、アメリカ合衆国の海外領土とされた。

1977年に結ばれた新パナマ運河条約により、1979年10月1日に主権がパナマに返還され、海外領土としての法的地位は終了した。これにより旧運河地帯の大半はパナマの行政権のもとに置かれたが、軍事基地や軍住宅、学校などの一部地区は引き続きアメリカが管轄した。これらの地区も漸次返還され、1999年12月31日に全ての地区が返還された。

政治

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アメリカの未編入領土(Unincorporated territory)であり、かつ非自治的領土(Unorganized territory)であった。アメリカ大統領から任命される総督(Governor)にはアメリカ陸軍工兵隊の将校出身者が代々就任し、パナマ運河会社の社長を兼ねた。

住民

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主に運河で働くアメリカ人とパナマ人、駐留するアメリカ軍人、およびその家族が暮らしていた。

アメリカの未編入領土であったため、出生地主義によるアメリカ国籍の取得はできなかった。このため、この地で生まれたジョン・マケイン2008年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬した際、大統領に就任するための法的資格について疑義を唱える者がいた。

関連項目

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脚注

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外部リンク

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