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パテルナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Paterna

  


 バレンシア州
 バレンシア県
面積 35.85 km²
標高 70m
人口 67,156 人 (2014年)
人口密度 1,873.25 人/km²
住民呼称 Paternero /a
言語地域 バレンシア語
自治体首長
(2015年)
フアン・アントニオ・サグレド(PSPV-PSOE)
Paternaの位置(スペイン内)
Paterna
Paterna
スペイン内パテルナの位置
Paternaの位置(バレンシア県内)
Paterna
Paterna
バレンシア県内パテルナの位置

北緯39度30分10秒 西経0度26分26秒 / 北緯39.50278度 西経0.44056度 / 39.50278; -0.44056座標: 北緯39度30分10秒 西経0度26分26秒 / 北緯39.50278度 西経0.44056度 / 39.50278; -0.44056

パテルナPaterna)は、スペインバレンシア州バレンシア県ムニシピ(基礎自治体)。州都バレンシアの北西約5km、トゥリア川左岸にある。

歴史

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パテルナに人が定住していた最古の痕跡は、新石器時代青銅器時代にさかのぼる。イベリア人も、防衛用の壁や住居の壁跡から定住が確認されている。ウァレンティア(バレンシア)、エデタ(リリア)、サグントゥム(サグント)で記された文献でローマ人の到来が示されている。パテルナとはラテン語のpaternusまたは、財産の社会的および法的地位に言及した『父に属する』に由来する。パテルナ市内にはマサマグレイへ伸びる水道橋の跡がある。

イスラム支配時代、パテルナには陶器製造の他、農業が盛んに行われていた。アラブ人たちの灌漑技術が導入され、農地ではコメやオレンジを栽培していた。1237年4月、パテルナ住民は平和にアラゴンジャウマ1世を入城させた。

17世紀のモリスコ追放はパテルナ経済を減速させ、人口の急激な減少を招いた。アンシャン・レジーム時代、パテルナに積もり積もっていた政治的・社会的状況の悪化はさらに進んだ。1769年布告の王令では、マラリアの発生を防ぐためコメ栽培が禁止された。

19世紀は農業が復活し、1866年には水道が敷設され、1881年には新しい市庁舎ができ、1888年には狭軌鉄道が敷かれた。人口統計の上ではパテルナへの住民移動がみられた。バレンシアの中流階級のコテージや民家建設、防衛軍の兵舎建設があげられる。

人口

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パテルナの人口推移 1900-2014
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[1]、1996年 - [2]

政治

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首長一覧

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首長一覧(1979-)
任期 首長名 政党
1979–1983 ベルナルディーノ・ヒメネス・サントス PSPV-PSOE
1983–1987 ベルナルディーノ・ヒメネス・サントス PSPV-PSOE
1987–1991 ベルナルディーノ・ヒメネス・サントス PSPV-PSOE
1991–1995 ホセ・エンリケ・バルゲス・ロペス PSPV-PSOE
1995–1999 ホセ・ロメーロ (95-97)
フランシスコ・ボルエイ・パラシオス (97-99)
PP
PSPV-PSOE
1999–2003 フランシスコ・ボルエイ・パラシオス PSPV-PSOE
2003–2007 フランシスコ・ボルエイ・パラシオス PSPV-PSOE
2007–2011 ロレンソ・アウグスト・ポンス PP
2011–2015 ロレンソ・アウグスト・ポンス (11-14)
エレナ・マルティネス (14-15)
PP
PP
2015–2019 フアン・アントニオ・サグレド PSPV-PSOE
2019–2023 n/d n/d
2023– n/d n/d

交通

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姉妹都市

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脚注

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外部リンク

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