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バーナバス・シブシソ・ドラミニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バーナバス・シブシソ・ドラミニ
エスワティニの旗 第8・10代 スワジランド王国首相
任期
2008年10月23日 – 2018年9月5日
君主ムスワティ3世
前任者ベキ・ドラミニ (代行)
後任者ヴィンセント・ムタンガ(代行)
任期
1996年7月26日 – 2003年9月29日
君主ムスワティ3世
前任者シシャイ・ンシュマロ (代行)
後任者ポール・シャバング (代行)
個人情報
生誕 (1942-05-15) 1942年5月15日
死没 (2018-09-28) 2018年9月28日(76歳没)
エスワティニの旗 エスワティニマンジニ

バーナバス・シブシソ・ドラミニ: Barnabas Sibusiso Dlamini1942年5月15日 - 2018年9月28日)は、スワジランドの政治家。1996年から2003年、そして2008年10月から2018年9月まで同国の首相を務めた。

1984年から1993年まで金融相と国際通貨基金(IMF)理事を兼務し[1]、1996年から2003年まで首相を務め、2003年に国王ムスワティ3世の諮問委員会委員になった[2][3]

2008年9月の総選挙後、10月16日にドラミニはムスワティ3世から再び首相に任ぜられた。スワジランド労組連合のジャン・シソル事務局長は、彼の首相としての働きについて「政治団体を抑え込み、君主の強権を推進した」と指摘し、「その強権によって法秩序を反故にした」と批難した。野党のリーダーである人民団結民主運動のマリオ・マスク党首は「ドラミニは国王への忠誠によって任命されたが、何の功績もあげていない」と述べた[2]。10月23日にリチャード・バンダ最高裁判所長官のもと、英語とスワジ語の両方で宣誓を行った[4]。首相任期中の2018年4月19日には国名がスワジランドからエスワティニへと変更されている[5]

2018年9月5日に2回目の首相を退任し、それから1ヶ月も経たない同年9月28日にマンジニの病院で76歳で死去[6]

脚注

[編集]
  1. ^ "Swaziland appoint Barnabas Sibusiso Dlamini as prime minister", The Independent (UK), July 27, 1996.
  2. ^ a b "Swazi king names staunch royalist as prime minister", AFP, October 16, 2008.
  3. ^ Elimane Fall, "Après Konaré, qui ?", Jeuneafrique.com, December 23, 2007 (フランス語).
  4. ^ Senzo Dlamini, "Barnabas sworn in – in style", Times of Swaziland, 24 October 2008.
  5. ^ “スワジランドが国名変更 「エスワティニ」と国王”. 日本経済新聞. (2018年4月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29648260Q8A420C1000000/ 2022年3月21日閲覧。 
  6. ^ “Prime Minister Dlamini of eSwatini dies”. France 24. (2018年9月29日). https://www.france24.com/en/20180929-prime-minister-dlamini-eswatini-dies 2018年10月1日閲覧。 
公職
先代
シシャイ・ンシュマロ
(代行)
エスワティニの旗 スワジランド王国首相
第8代:1996年 - 2003年
次代
ポール・シャバング
(代行)
先代
ベキ・ドラミニ
(代行)
エスワティニの旗 スワジランド王国首相
第10代:2008年 - 2018年
次代
ヴィンセント・ムシャンガ英語版
(代行)