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バート・ザルツシュリルフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: ヘッセン州
行政管区: カッセル行政管区
郡: フルダ郡
緯度経度: 北緯50度37分25秒 東経09度30分28秒 / 北緯50.62361度 東経9.50778度 / 50.62361; 9.50778座標: 北緯50度37分25秒 東経09度30分28秒 / 北緯50.62361度 東経9.50778度 / 50.62361; 9.50778
標高: 海抜 249 m
面積: 13.06 km2
人口:

3,680人(2023年12月31日現在) [1]

人口密度: 282 人/km2
郵便番号: 36364
市外局番: 06648
ナンバープレート: FD
自治体コード:

06 6 31 001

行政庁舎の住所: Fuldaer Straße 2
36364 Bad Salzschlirf
ウェブサイト: www.badsalzschlirf.de
首長: マティアス・キューベル (Matthias Kübel)
郡内の位置
地図
地図

バート・ザルツシュリルフドイツ語: Bad Salzschlirf, ドイツ語発音: [baːt zalt͜sˈʃlɪrf][2])は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州カッセル行政管区フルダ郡に属す町村である(以下、本項では便宜上「町」と記述する)。この町は鉱泉の町で[3]、ミネラル浴、塩浴、泥浴、泥パックが典型的な健康法である。1985年頃まで泥はレーン山地ドイツ語版英語版のローテス・モール(直訳: 赤い泥湿地)から供給されていた。

地理

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位置

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バート・ザルツシュリルフは、フォーゲルスベルク山地の北東斜面、高度 250 m から 495 m のフルダ盆地に位置している。これはこの町の町内でラウター川とアルテフェルト川が合流してできるシュリッツ川ドイツ語版英語版の谷にあたる。

気候

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盆地に位置する中核部の地形から、気候は比較的穏やかである。3つの谷から生じる盆地内の切れ込みが風通しを良くし、夏の空気の停滞や湿気を防ぐ[4]。1911年にエゴン・イーネが作成した生物季節学地図は、バート・ザルツシュリルフとその周辺では、他の場所に比べてリンゴの花が早く咲くことを示している[5]

自治体の構成

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バート・ザルツシュリルフは、同名の集落だけで形成されており、カッセル行政管区ではニーステと2つだけの単一地区の自治体である。この町はヘッセン州の地域再編で町域の変更がなかった。

隣接する市町村

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バート・ザルツシュリルフは、北はシュリッツのユッツハウゼン地区、東は同じくシュリッツのユラースハウゼン地区およびハルタースハウゼン地区(フォーゲルスベルク郡)、南はグローセンリューダーのアイヒェナウ地区およびミュス地区(フルダ郡)、西はヴァルテンベルクのランデンハウゼン地区およびアンガースバッハ地区(フォーゲルスベルク郡)と境を接している。

歴史

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ザルツシュリルフは、885年に初めて文献に記録されている。数年前までは、812年に Slirefa と記述されているのがバート・ザルツシュリルフの文献初出であるとされていた。しかし、ある文献の中の Slirefa がバート・ザルツシュリルフではなくアルテンシュリルフ(現在はヘルプシュタインの市区)を意味するという見解が示された。885年の文献では、Slirefa の対岸で、アルテンシュリルフ (Vetus Slirepha) から下流に位置することを示すように Ulterior Slifera と記されている。現在の Bad Salzschlirf は、この集落が面していた小川の当時の名前にちなんで名付けられた。

この集落の発展は、古くから塩分を多く含んだ水源と結びついていた。中世にはすでに、フルダ修道院ドイツ語版英語版修道院長らが当時極めて重要であった食塩を、バート・ザルツシュリルフの製塩所で生産していた。ボニファティウス泉は1746年に掘削され、ザルツシュリルフに薬泉としての名声をもたらした。痛風が広い範囲で発症し、薬物治療がほとんど無効であった時代に、この泉はヨーロッパで最も有名な泉であった[6]18世紀の終わり頃フルダの司教領主ハインリヒ・・フォン・ビプラは、鉱泉の収量を増やすために泉をもっと深く掘り下げた。しかしこれは、地下水が塩分を多く含む源泉に入り込んで、失敗に終わった。製塩所は1798年に閉鎖された。

1836年6月15日に健康を害したフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュリッツ伯(1793年 - 1839年)が、カッセルの製塩監督官からザルツシュリルフの泉をレーエンとして委託された[7]。塩泉ボニファティウスの泉が再開された[8]。隣接する建物にバスタブが設けられ、鉱泉からの水で満たされた。それ以上の拡張は当面見送られた。その死後、伯はレーエンの権利を医師で友人のエドゥアルト・マルティニー(1808年 - 1876年)に譲渡した[9]。彼は1837年に地元の農民の協力で温泉業を拡充させた。温泉拡充への協力の見返りに、マルティニーはバート・ザルツシュリルフの住民に無料で水を使う権利を与えた。この権利は現在も有効である[10]1838年にザルツシュリルフは領邦指定の薬湯となった。

温泉業の拡充は、医師の財政手腕を超えるものであった。このためこの温泉はまず領邦に売却されたが、1873年に買い戻された。バート・ザルツシュリルフ温泉組合が結成され、以後はこの組合が管理を行った。しかし、財政上の困難のため、鉱泉は1884年ライン地方の工場主ルイ・ウェーバー(ルートヴィヒ・ヴェーバー)に売却された[11]

1898年9月9日の大火で町の古い中心部がほぼ全焼した。ホテル・ドイチェス・ハウスなどわずかな建物が焼失を免れただけであった。

1900年にヘルマン・フォルラートとルートヴィヒ・ヴェーバー[12]は、イァーン・ベルリットを温泉監督官とする株式会社バート・ザルツシュリルフ (AGBS) を設立した[10]。この会社は、他の評判の良い温泉地のように温泉文化を築き上げた。1911年に「バート」(温泉を意味する)の称号が授けられた。ハインツ・リューマンによる映画「Die Feuerzangenbowle」(1944年公開)のいくつかのシーンが、ホテル・バーデホーフに近いクアパルクで撮影された。1973年、最新の泉であるハルマン=フォルラート泉が深さ 642 m まで掘削された[13]1990年代末まで AGBS が温泉業全体を取り仕切っていた。

フルダ郡が株式会社バート・ザルツシュリルフの株主であった。当時の郡長フリッツ・クラマーは、長年にわたってこの株式会社の副社長あるいは会長を務めた。2001年初め、彼は監査役代表として倒産を届け出た。

行政

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議会

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バート・ザルツシュリルフの町議会は15議席からなる[14]

首長

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ヘッセン州の市町村法によれば、市町村長は市町村参事会の代表者である。バート・ザルツシュリルフでは市町村参事会は町長の他、5人の名誉職の助役からなる。町長は2012年10月1日からマティアス・キューベルが務めている。彼は2012年6月17日の選挙で、対立候補アンダース・アレントに対して、82.9 % の支持票を得て当選した。この選挙の投票率は 52.9 % であった[15]

紋章と旗

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バート・ザルツシュリルフは、1948年1月にヘッセン内務大臣から紋章の使用権を認可された[16]

この町は1951年11月にヘッセン州政務次官から旗の使用権を認可された[17]

経済と社会資本

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バート・ザルツシュリルフ駅

交通

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以下の自転車道がこの町を通っている:

温泉療養施設(クアガルテン、クアハウス、遊歩ホール)

温泉業と観光業

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この町の重要な経済的骨格にあたるのが観光業である。業務の大部分が、かつては Kur(「クア」あるいは「クール」)と呼ばれていた社会福祉サービス業者の医学的なリハビリテーション施術によるものである。この町の業績は、「Reha vor Rente」(リタイアの前にリハビリ)の原則を採り入れた1957年の年金保険法によって大いに向上した。年間延べ宿泊数は1960年の 368,804泊から1974年には 506,540泊にまで増加した[19]。1967年に中央泥浴施設が開業した。6階建てのこの施設には、24の泥浴室、30の泥パック室、その他の医学的処置を行うスペースが用意されている。それぞれの泥浴室や泥パック室は中央浄化・最終施設から泥を供給されている。洗い落とされた泥の処理も同様に行われた[20]。社会福祉業者の厳格な免許制度が実施されたため、1978年の宿泊数は 300,281泊にまで減少した[21]。実務提供者の分散化した構造や AGBSの温泉業独占により、経営者の好むリハビリテーション処置だけが限定的に行われるようになった。1997年1月1日に発効した成長および雇用促進法 (WFG) によって、さらなる不振が起きた[22]。ドイツ全土で、ドイツ年金保険が提供した医学的リハビリテーション上のサービスだけで、1996年の 960,622泊から1997年の 629,752泊に減少した[23]。法的に定められた、リハビリテーション措置の1件あたり4-3週間の入院期間短縮や、請求期間の3-4年間の延長によって稼働率は約 50 % 減少した。

現在バート・ザルツシュリルフには3つのリハビリテーション病院が存在する: リハ=クリーニク・ナトゥラーナ(136床)、健康リゾート・ドクトル・ヴュストホーフェン(130床)、トメザ専門クリニック(98床)である。バート・ザルツシュリルフは、ドイツ・戸籍役場職員連合協会 e.V. の本部所在地である。ここにある戸籍学アカデミーでドイツの戸籍役場職員の教育・専門訓練を行っている。

工業

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町の中心部の外側に、EMODモーター GmbH の本社工場がある。この会社の支社がフルダにある。

文化と見所

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聖フィトゥス教会

見所

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  • カトリックの聖フィトゥス教区教会
  • マリエングロッテ
  • 温泉療養施設
  • 太陽観測所
  • 郷土文化博物館

参考図書

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  • Michael Mott (1995年9月7日). “Ein Wasserturm „für“ Seine Majestät / Ein Stück Bahngeschichte: Wo einst die Dampfloks Wasser tankten, lebt heute der neue Eigentümer zentimetergenau geplant”. Fuldaer Zeitung: p. 12 
  • Walter Georgi (1930頃). Bad Salzschlirf, eine Bädermonographie. Weimar: Dietsch & Brückner AG 
  • Max Hirsch (1913). Bad Salzschlirf als Kurort. Lauterbach: Berghäuser 
  • Rudolf Post (2013). Die Mundart von Bad Salzschlirf (Kreis Fulda). Einführung, Wörterbuch, Haus- und Flurnamen. Aufgrund der Sammlung von Karl Post (1903–1983). Bad Salzschlirf 

これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。

出典

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  1. ^ Hessisches Statistisches Landesamt: Bevölkerung in Hessen am 31.12.2023 (Landkreise, kreisfreie Städte und Gemeinden, Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)]
  2. ^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. pp. 181, 695. ISBN 978-3-411-04066-7 
  3. ^ Hessisches Ministerium für Wirtschaft, Energie, Verkehr und Landesentwicklung, ed (2016). “81. Sitzung des Fachausschusses für Kurorte, Erholungsorte und Heilbrunnen in Hessen vom 13. Oktober 2015”. Staatsanzeiger für das Land Hessen (7): 218. 
  4. ^ Franz bei der Wieden (1974). Aktiengesellschaft Bad Salzschlirf. ed. Von A–Z durch Bad Salzschlirf (6 ed.). p. 28 
  5. ^ Rudolf Müller; Hans Rothe; Fritz Severin (1976). Chronik von Bad Salzschlirf. Fulda: Parceller und Co. pp. 63- 
  6. ^ Franz bei der Wieden (1974). Aktiengesellschaft Bad Salzschlirf. ed. Von A–Z durch Bad Salzschlirf (6 ed.). p. 8 
  7. ^ Franz bei der Wieden (1974). Aktiengesellschaft Bad Salzschlirf. ed. Von A–Z durch Bad Salzschlirf (6 ed.). p. 56 
  8. ^ Eduard Martiny (1845). “Der Bonifaciusbrunnen und die Bade-Anstalt zu Salzschlirf im Kreise Fulda”. p. 128. https://books.google.de/books?id=8aw8AAAAcAAJ&pg=PA128&hl=de&ei=yMqDTLXOCY-G4QbmrICZBQ&sa=X&oi=book_result&ct=result#v=onepage&f=false 2019年9月27日閲覧。 
  9. ^ “Erste Quellenkönigin in Bad Salzschlirf”. Fuldaer Zeitung. (2010年5月25日) 
  10. ^ a b Gemeinde Bad Salzschlirf”. 2019年9月27日閲覧。
  11. ^ Franz bei der Wieden (1974). Aktiengesellschaft Bad Salzschlirf. ed. Von A–Z durch Bad Salzschlirf (6 ed.). p. 19 
  12. ^ Franz bei der Wieden (1974). Aktiengesellschaft Bad Salzschlirf. ed. Von A–Z durch Bad Salzschlirf (6 ed.). p. 5 
  13. ^ Franz bei der Wieden (1974). Aktiengesellschaft Bad Salzschlirf. ed. Von A–Z durch Bad Salzschlirf (6 ed.). p. 14 
  14. ^ Kommunalwahlen 2016 in Hessen - Bad Salzschlirf”. 2019年9月28日閲覧。
  15. ^ Bürgermeisterwahl in Bad Salzschlirf am 17.06.2012”. 2019年9月28日閲覧。
  16. ^ Der Hessische Minister des Inneren (1948年). “Verleihung des Rechts zur Führung eines Wappens an die Gemeinde Bad-Salzschlirf, Kreis Fulda vom 15. Januar 1948”. Staatsanzeiger für das Land Hessen (4/5): p. 33. http://starweb.hessen.de/cache/STANZ/1948/00004.pdf#page=1 2019年9月28日閲覧。 
  17. ^ Der Hessische Minister des Inneren (1951年). “Verleihung des Rechts zur Führung einer Flagge an die Gemeinde Bad Salzschlirf, Landkreis Fulda, Reg.-Bez. Kassel vom 15. November 1951”. Staatsanzeiger für das Land Hessen (49): p. 739. http://starweb.hessen.de/cache/STANZ/1951/00049.pdf#page=1 2019年9月28日閲覧。 
  18. ^ Radroutenplaner Hessen - Vulkanradweg”. 2019年9月28日閲覧。
  19. ^ Rudolf Müller; Hans Rothe; Fritz Severin (1976). Chronik von Bad Salzschlirf. Fulda: Parzeller und Co. pp. 85- 
  20. ^ Franz bei der Wieden (1974). Aktiengesellschaft Bad Salzschlirf. ed. Von A–Z durch Bad Salzschlirf (6 ed.). p. 44 
  21. ^ Aktiengesellschaft Bad Salzschlirf, ed. Geschäftsbericht für das Jahr 1978. p. 1 
  22. ^ “Rehabilitation: Neue Rechtsvorschriften”. Deutsches Ärzteblatt 94 (23): A-1551 - A-1552. (1997). https://www.aerzteblatt.de/archiv/6646 2019年9月29日閲覧。. 
  23. ^ Deutsche Rentenversicherung, ed. Reha-Bericht 2010. p. 23 

外部リンク

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