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バハルダール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バハルダール

アムハラ語: ባሕር ዳር
州都
バハルダール市中心部
バハルダール市中心部
バハルダールの位置(エチオピア内)
バハルダール
バハルダール
バハルダールの位置
北緯11度36分 東経37度23分 / 北緯11.600度 東経37.383度 / 11.600; 37.383
エチオピア
アムハラ州
バハルダール
面積
 • 合計 213.43 km2
標高
1,800 m
人口
(2015年)
 • 合計 243,300人
 • 密度 1,100人/km2
等時帯 UTC+3 (東アフリカ時間)
バハルダールのリゾート・ホテル

バハルダール (アムハラ語: ባሕር ዳር) はエチオピア北西部のアムハラ州の州都。 青ナイル川の源流のタナ湖の南岸に位置する。 2002年にはUNESCOの平和都市賞を受賞した[1]。 首都アディスアベバから約578 km北北西に位置する。 2015年の人口は24万3300人。

気候

[編集]
バハルダール (1981年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 37
(99)
36
(97)
36
(97)
38
(100)
38
(100)
32
(90)
30
(86)
29
(84)
29
(84)
35
(95)
35
(95)
33
(91)
38
(100)
平均最高気温 °C°F 29
(84)
31
(88)
32
(90)
32
(90)
32
(90)
29
(84)
26
(79)
25
(77)
26
(79)
27
(81)
28
(82)
28
(82)
28.8
(83.8)
平均最低気温 °C°F 8
(46)
9
(48)
11
(52)
13
(55)
13
(55)
13
(55)
13
(55)
13
(55)
12
(54)
12
(54)
10
(50)
8
(46)
11.3
(52.1)
最低気温記録 °C°F 8
(46)
8
(46)
9
(48)
5
(41)
6
(43)
10
(50)
9
(48)
8
(46)
7
(45)
7
(45)
9
(48)
6
(43)
5
(41)
雨量 mm (inch) 2
(0.08)
2
(0.08)
12
(0.47)
28
(1.1)
80
(3.15)
205
(8.07)
396
(15.59)
375
(14.76)
211
(8.31)
87
(3.43)
12
(0.47)
6
(0.24)
1,416
(55.75)
平均降雨日数 (≥0.1 mm) 1 1 2 3 10 18 28 28 20 10 3 1 125
出典1:World Meteorological Organisation[2]
出典2:National Meteorology Agency (records)[3]

歴史

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16世紀 - 17世紀、バハルダールが誕生した。 スペイン・ハプスブルク朝出身の建築家のペドロ・パエス英語版 (1564年 - 1622年) が活躍した[4]

19世紀中盤、テオドロス2世 (1818年 - 1868年) が軍を駐屯させたが、兵士の間でコレラが流行した為、ベゲムデル英語版に移動させた[5]

1937年4月23日、第二次エチオピア戦争の中でイタリア王国軍がゴンダールからバハルダールに進軍し、占領した。

1940年10月21日 - 22日、イギリス空軍がバハルダールを空襲した。

1941年4月27日、イタリア王国軍が撤収した[5]ハイレ・セラシエ1世 (1892年 - 1975年) の宮殿の1つがバハルダールに位置し、遷都も考えられていた。

1961年6月15日、バハルダールの3 km北で、青ナイル川に226 mの橋が架けられた[5]

1963年、ソ連が290万ブルをかけて技術大学を建設した。 農業機械、産業化学、電気、木工、加工、繊維、金属専攻が設置された。

1988年5月、エチオピア内戦の中で、第三革命軍 (TLA) の603兵団の本部が置かれた。

1990年3月3日 - 4日、第三革命軍はバハルダールから撤退する際に近くの橋を爆破した。 その後エチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF) とデルグ英語版が占領した[5][6]

2007年1月6日 - 9日、国立投資市場及び貿易祭が開催された[7]

人口

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  • 1984年5月9日:5万4800人
  • 1994年10月11日:9万6140人 (2万857世帯) (男:4万5436人、女:5万704人)
  • 2007年5月28日:15万5428人
  • 2015年7月1日:24万3300人[8]

民族

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第一言語

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宗教

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バハルダール近郊のタナ湖の教会の壁画

ゲエズ語で礼拝を行うエチオピア・カトリックの大聖堂が有る。

観光地

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ダム建設前の青ナイル滝

教育

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交通

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バハルダール空港入口

スポーツ

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  • バハルダール競技場:6万人収容(国内最大)
  • バハルダール大学競技場:1万5000人収容

姉妹都市

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関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ UNESCO Cities for Peace Prize, 2002 (PDF)
  2. ^ World Weather Information Service – Bahir Dar”. World Meteorological Organization. 2016年7月27日閲覧。
  3. ^ Climate of City: Bahir Dar”. National Meteorology Agency. 2016年7月27日閲覧。
  4. ^ Richard Pankhurst, The Ethiopians (Oxford: Blackwell, 2001), p. 103
  5. ^ a b c d "Local History in Ethiopia" (PDF) Archived 2008年4月8日, at the Wayback Machine. The Nordic Africa Institute website
  6. ^ Gebru Tareke, The Ethiopian Revolution: War in the Horn of Africa (New Haven: Yale University, 2009), p. 302
  7. ^ Bahirdar City to host trade fair marking Millennium celebrations”. WIC. 2006年11月30日閲覧。
  8. ^ City Population”. 2016年8月30日閲覧。
  9. ^ Census 2007 Tables: Amhara Region, Tables 2.1, 2.4, 2.5, 3.1, 3.2 and 3.4.
  10. ^ Sister Cities International (SCI)”. Sister-cities.org. 2013年4月21日閲覧。

外部リンク

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