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ハンバーグ (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハンバーグ
1911年当時のハンバーグ
現役期間 1897年 - 1898年
欧字表記 Hamburg
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1895年[1][2][3]
死没 1915年9月10日[3]
Hanover
Lady Reel
母の父 Fellowcraft
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 C. J. Enright[2][1]
馬主 John E. Madden
→Marcus Daly[2][1]
調教師 John E. Maddenアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
→William Lakelandアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[2][1]
競走成績
生涯成績 21戦16勝[2][1][3]
獲得賞金 60,380ドル[2][1][3]
テンプレートを表示

ハンバーグHamburg1895年 - 1915年)は、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬種牡馬。19世紀末に21戦16勝の戦績を挙げ、後年1898年の年度代表馬に選出された。1986年アメリカ競馬殿堂入り

経歴

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出自

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ケンタッキー州の生産者、J・エンライト大佐が持つエルメンドルフ農場で生まれたサラブレッドの牡馬である。鹿毛の馬体に幅広の流星を持ち、また後肢2本ともに白徴があったという。1897年、ハンバーグは2歳時にオーナーブリーダーのジョン・エドワード・マッデンによって1,200ドルで購入された。マッデンはハンバーグを自ら調教していたが、本人曰く今までで最も調教の難しい牡馬だったという[2]。しかし、一度調教が思うようになると、ハンバーグはきびきびと運動し、飼葉をモリモリ平らげていった[2]

競走馬時代

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2歳時のハンバーグは16戦して12勝を挙げ、マッデンに38,595ドルの賞金をもたらした[1]。特にダブルイベントステークスを129ポンド、またフラッシュステークスオータムステークスでも129ポンドを積まれながら優勝した。さらにエレクトリックハンデキャップで132ポンド、コングレスホールハンデキャップで134ポンド、グレートイースタンハンデキャップでは135ポンドを課せられながらも優勝している[1]。これらの斤量は2歳馬の課せられたものとしては非常に高いものであり、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館の解説には、ハンバーグを「若駒として今までにない斤量を経験した馬」と紹介している[1]。また、2歳馬ながら古馬と対戦した経験もあり、9月に行われたフライトステークスでは4歳馬リクイタル相手に2馬身差で敗れたものの、3着馬には10馬身もの差をつけていた[2]。『ニューヨーク・ジャーナル』の記者フランシス・トレヴェリヤンの記事によれば、当時の最強馬ドミノの馬主であるジェームズ・ロバート・キーンをして「ハンバーグのほうがドミノの2歳時より優れている」と語らしめたという[2]

1897年12月、マッデンは銅産業の大御所マーカス・ダリーにハンバーグを購入したいと打診された。当初は50,000ドルを提示していたが[2]、最終的に40,001ドルで売却した[1][2][注 1]。それまでハンバーグはマッデン自身が調教していたが、マーカス・ダリーはハンバーグをビリー・レイクランドの厩舎に引き渡している。ダリーは、モンタナ州ハミルトンに自身の牧場であるのビタールートストック牧場を持っていたが、ハンバーグは東部にあるレイクランドの厩舎に引き続き預けていた。一方のマッデンは、売却した利益を基にレキシントンに自らの牧場を建て、同馬を記念して「ハンバーグプレイス」と名付けている[1][2]

3歳時の初戦は5月26日のベルモントステークスで、まだ調教が足らずぶくぶくに太っていたハンバーグは勝ち馬ボウリングブルックから16馬身差離された3着に敗れた[2][5]。当時、この敗因には不良馬場であったことやスタミナ不足などが考えられた[2]

しかし以降のハンバーグはマッデン所有時と同様に強く、ダリーに多くの勝ち星をもたらした。翌戦のスプリングスペシャルステークスでは8馬身差の勝利、続くスウィフトステークスでは6馬身差で勝利した[2]。これらの競走で手綱を担当した騎手トッド・スローンは、ハンバーグについて「私が今まで乗ってきた中で唯一の偉大な馬だった」と語った[1]。その次のローレンスリアライゼーションステークスではケンタッキーダービー優勝馬のプローディトが対戦相手になったが、ハンバーグは終始先頭を譲らないまま2馬身差で同馬を打ち負かした[2]

最後の競走となったブライトンカップでは、オグデンやハワードマンといった有力馬を相手にしたが、それらを完全に置き去りにした独走劇を繰り広げて優勝した[2][1]

種牡馬入り後

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マーカス・ダリーが1900年に没したのち、ハンバーグを含むその所有場も売りに出され、特にハンバーグは最高価格の60,000ドルでウィリアム・コリンズ・ホイットニーに購入された。ホイットニーが1904年に亡くなると、再びハンバーグは競売にかけられ、ホイットニーの息子であるハリー・ペイン・ホイットニーによって70,000ドルで購入され、1915年9月10日に没するまでニュージャージー州のブルックデール牧場に繋養された[2][1]

ハンバーグは種牡馬としても成功し、殿堂馬アートフルなどを含むを含むステークス競走勝ち馬27頭の父となり、1905年にはアメリカリーディングサイアーを座に輝いている。その他、牝馬として初のケンタッキーダービー優勝馬となったリグレットの母父でもある。以下は主な産駒[3]

  • アートフル Artful - 1902年生、牝馬。フューチュリティステークスなど。アメリカ殿堂馬。
  • ボロウ Borrow - 1908年生、騸馬。ミドルパークプレートなど。英米で競走。
  • バーゴマスター Burgomaster - 1903年生、牡馬。ベルモントステークスなど。
  • バスキン Buskin - 1910年生、騸馬。プリークネスステークスなど。
  • ダンデライオン Dandelion - 1902年生、牡馬。トラヴァーズステークスなど。
  • フリゼット Frizette - 1905年生、牝馬。ローズデイルステークスなど。フリゼット牝系の祖。
  • ハンバーグベル Hamburg Belle - 1901年生、牝馬。フューチュリティステークスなど。
  • プリンスユージン Prince Eugene - 1910年生、騸馬。ベルモントステークス。
  • ロージーオグレイディ Rosie O'Grady - 1915年生、牝馬。ファッションステークスなど。

後年の1986年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館はハンバーグの功績を称え、同馬の殿堂入りを発表した[1]

競走成績表

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  • 競走名の略記はSはステークス、Hはハンデキャップを意味する。
  • 競走の格付けや馬場、距離や条件などは開催当時のもの。当時はグレード制未導入。
  • 距離・条件の略記はDはダート、fはハロンを意味する。1ハロンは約201メートル・1/8マイル
  • 斤量の単位はポンド。1ポンドは約0.453キログラム
  • 着差は優勝時は2着馬との差、それ以外は1着馬との差。
  • 以下の競走成績はDRF.comの情報に基づく[5]
出走日 競馬場 競走名 距離 斤量 着順 騎手 時計
(1着)
着差 1着(2着)馬
1897.06.09 グレーヴセンド アローワンス D5f 104 1着 Wilhite 1:03.25 1馬身 (Previous)
1897.06.15 グレーヴセンド アローワンス D5f 122 1着 Wilhite 1:02.25 2馬身 (Previous)
1897.06.22 シープスヘッドベイ ダブルイベントS (1) D5.5f 122 3着 Wilhite (1:09.00) 3馬身1/2 Bowling Brook
1897.07.05 シープスヘッドベイ グレートトライアルS D6f 122 1着 Wilhite 1:12.00 4馬身 (Previous)
1897.07.10 シープスヘッドベイ ダブルイベントS (2) D6f 129 1着 Wilhite 1:11.00 2馬身 (Uriel)
1897.07.28 サラトガ フラッシュS D4f 129 1着 Wilhite 0:50.00 1馬身1/2 (Handball)
1897.08.04 サラトガ コングレスホールH D5f 134 1着 Wilhite 1:01.50 1馬身 (Archduke)
1897.08.07 サラトガ グランドユニオンホテルS D6f 129 2着 Wilhite (1:15.00) アタマ差 Archduke
1897.08.17 ブライトンビーチ ライジングジェネレーションS D6f 127 1着 Simms 1:15.00 3馬身 (Central Trust)
1897.08.21 ブライトンビーチ エレクトリックH D6f 132 1着 Simms 1:14.25 1馬身1/2 (Handball)
1897.09.01 シープスヘッドベイ フライトS D7f 105 2着 Simms (1:26.00) 2馬身 (Requital)
1897.09.04 シープスヘッドベイ フラットブッシュS D7f 120 2着 F. Taral (1:28.00) アタマ差 Previous
1897.09.06 シープスヘッドベイ オータムS D6f 129 1着 F. Taral 1:11.00 2馬身1/2 (Archduke)
1897.09.11 シープスヘッドベイ グレートイースタンH D6f 135 1着 F. Taral 1:10.00 1馬身1/2 (Kitefoot)
1897.09.14 グレーヴセンド プロスペクトS D6f 127 1着 F. Taral 1:15.00 2馬身 (Handball)
1897.09.16 グレーヴセンド エクセルシオールS D6f 115 1着 F. Taral 1:15.00 2着 (Handball)
1898.05.26 モリスパーク ベルモントS D11f 122 3着 F. Taral 2:32.00 16馬身 Bowling Brook
1898.06.08 グレーヴセンド スプリングスペシャルステークス D8.5f 105 1着 T. Sloan 1:49.00 8馬身 (Sly Fox)
1898.06.23 シープスヘッドベイ スウィフトS D7f 126 1着 F. Taral 1:27.00 8馬身 (Loiterer)
1898.07.04 シープスヘッドベイ ローレンスリアライゼーションS D13f 122 1着 T. Sloan 2:51.00 2馬身 Plaudit
1898.07.30 ブライトンビーチ ブライトンカップ D18f 112 1着 T. Sloan 4:02.75 100馬身 (Ogden)

血統表

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ハンバーグ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ヘロド系
[§ 2]

Hanover
栗毛 1884
父の父
Hindoo
鹿毛 1878
Virgil Vandal
Hymenia
Florence Lexington
Weatherwitch
父の母
Bourbon Belle
鹿毛 1869
Bonnie Scotland Iago
Queen Mary
Ella D. Vandal
Falcon

Lady Reel
鹿毛 1886
Fellowcraft
栗毛 1870
Australian West Australian
Emilia
Aerolite Lexington
Florine
母の母
Mannie Gray
青毛 1874
Enquirer Leamington
Lida
Lizzie G. War Dance
Lecompte Mare
母系(F-No.) (FN:23-b) [§ 3]
5代内の近親交配 Vandal 4x4, Lexington 4x4x5x5, Glencoe 5x5x5 [§ 4]
出典
  1. ^ [6], [7], [2]
  2. ^ [7]
  3. ^ [6], [7], [2]
  4. ^ [6], [7]

ハンバーグの母レディーリールはジェームズ・E・キットソンより購買した馬で、その牝系は1830年代にイギリスよりカナダに輸出された繁殖牝馬ギャロッペードの子孫に遡るものであり[8]、またドミノの半姉にあたる馬であった。レディーリール自身もビーコンステークスでステークス競走に勝利した経験のある馬であった[2]。エンライトは同馬を1894年に購入、この時点でハノーヴァーの子を身籠っている状態であった[2]

脚注

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参考文献

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  • William H. P. Robertson (1964). The History of Thoroughbred Racing in America. Bonanza Books. ASIN B000B8NBV6 
  • Champions, The Lives, Times, and Past Performances of America's Greatest Thoroughbreds, Revised Edition, Champions from 1893-2004. Daily Racing Form. (2005). ISBN 978-1932910025 

注釈

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  1. ^ 資料によっては40,000ドルで取引されたとある[4]。この40,001ドルという金額は、1860年代にレオナルド・ジェロームがケンタッキーの購入に費やした40,000ドルを上回るアメリカレコード取引価格であった[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Hamburg (KY)”. National Museum of Racing and Hall of Fame. 2021年3月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w Anne Peters. “Hamburg”. Thoroughbred Heritage. 2021年3月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e Avalyn Hunter. “Hamburg (horse)”. American Classic Pedigrees. 2021年3月8日閲覧。
  4. ^ Robertson p.207
  5. ^ a b Hamburg”. DRF.com. 2021年3月8日閲覧。
  6. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Hamburg(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年3月8日閲覧。
  7. ^ a b c d Hamburgの血統表”. netkeiba.com. 2021年3月8日閲覧。
  8. ^ Turk Mare - Family 23-b”. Thoroughbred Bloodlines. 2014年8月10日閲覧。