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ハワード・W・ギルモア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハワード・ウォルター・ギルモア
Howard Walter Gilmore
海軍十字章を受章したハワード・W・ギルモア(1942年)
生誕 1902年9月29日
アラバマ州 セルマ
死没 (1943-02-07) 1943年2月7日(40歳没)
ラバウル近海
所属組織 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
軍歴 1920 - 1943
最終階級

海軍中佐

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ハワード・ウォルター・ギルモアHoward Walter Gilmore, 1902年9月29日 - 1943年2月7日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は中佐名誉勲章受章者。

第二次世界大戦中に活躍したアメリカ潜水艦の艦長の一人であり、「グロウラー」艦長としてアリューシャン方面の戦いでは日本海軍駆逐艦3隻に大打撃を与える戦果を挙げる。のちに「グロウラー」とともにソロモン諸島の戦いに転じ、日本海軍艦艇に体当たり攻撃を行ったが反撃を受けて重傷を負い、わが身を捨てて「グロウラー」を救った。この功績により、戦死後に名誉勲章が追贈された。

生涯

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前半生

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ハワード・ウォルター・ギルモアは1902年9月29日、アラバマ州セルマに生まれる。1920年11月15日、ギルモアはアメリカ海軍に入隊し、2年後の1922年に海軍兵学校(アナポリス)を受験して合格[1]。1926年、ギルモアは456名中34位の成績でアナポリスを卒業[1]。卒業年次から「アナポリス1926年組」と呼称されたこの世代の主な同期には、「グラニオン」艦長として戦死したマナート・L・エベールがいる。卒業後は戦艦ミシシッピ」に配属されたあと、1930年に潜水艦を志願して、以降はさまざまな潜水艦や陸上勤務を経験した。

やがて、ギルモアは新鋭潜水艦「シャーク」に副長として着任。ところが、「シャーク」の整調航海時に立ち寄ったパナマで上陸休暇をとっていた際にならず者の集団に狙われるも、喉に切り傷を負っただけで事なきを得た[1]真珠湾攻撃の翌日の1941年12月8日[注釈 1]、ギルモアは建造中の「グロウラー」の艦長に指名されて「シャーク」を退艦した。

第二次世界大戦

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早埼との衝突で湾曲したグロウラーの艦首

ギルモアは「グロウラー」艦長として太平洋海域で4回の哨戒を行った。1942年7月5日、ギルモアの「グロウラー」はキスカ島沿岸部に近接し、3隻の日本海軍駆逐艦、「」、「」、「不知火」に対して雷撃を行い、「霰」を撃沈して「霞」と「不知火」を大破させて戦線離脱に追い込んだ。この戦功が評価され、ギルモアに最初の海軍十字章が授けられた[2]。続く二度目の哨戒でも東シナ海台湾海域で特務艦「樫野」を含む合計約15,000トンほどの艦船を撃沈し、この戦功で二度目の海軍十字章に代わる金星章が授けられた[2]。1942年10月からの三度目の哨戒ではトラック諸島近海を哨戒するも大した戦果はなく、哨戒期間終了後はブリスベンに移動した。

1943年1月1日、ギルモアの「グロウラー」は四度目の哨戒で出撃。この哨戒でも通商破壊任務を継続した。1943年2月6日夜から7日未明にかけて「グロウラー」は輸送船団を発見し、水上攻撃を仕掛けるため接近していった。ところが、そこに横須賀からラバウルに向けてただ1隻で航行中の特務艦「早埼」が接近し、衝突を企図しているかのように向かってきた。「グロウラー」は接近のついでに充電を行っていたが、ギルモアは艦内に警報を発して「左いっぱいに転舵!」“Left full rudder!“ と命じた[3]。しかし、17ノットの速力で航行していた「グロウラー」は衝突を避けることができず、「早埼」の中央部に衝突して艦首部は18フィートにわたって折れ曲がり、艦首発射管は使用不能となった。また、衝突の衝撃で艦は50度も傾いた。

「早埼」からは高角砲と機銃が乱射され、艦橋は血の海と化し当直見張り員のうち将校と水兵の計2名が即死し、ギルモアを含む残りも全員負傷した[4]。ギルモアは艦橋の手すりに何とか横たわると、生き残った艦橋の乗組員に対して「艦橋から去れ!」“Clear the bridge!“ と命じる。副長アーノルド・F・シャーデ少佐(アナポリス1933年組)も司令塔にいて衝突で軽い脳震盪を起こしたが回復し、ギルモアが艦内へ退避するのを待っていた。ところが、やがてシャーデが聞いたギルモアの言葉は、「潜航せよ!」“Take her down!“ であった。ギルモアは、負傷の身の自分が艦内に入るのに手間取って艦を危機に陥れるより、その時間を削ってただちに潜航させて艦と乗組員を危機から救うことを選んだ。シャーデはギルモアの命令を聞いて一瞬迷いが生じたものの、すぐにギルモアの意図を理解して損傷の「グロウラー」の潜航を命じ、危機から逃れることができた。「グロウラー」は夕刻になって浮上したが、そこには「早埼」の姿もなければギルモア(の遺体)も漂流していったのか姿がなかった。シャーデは2月8日に哨戒の中止を報告し、「グロウラー」は2月17日にブリスベンに帰投した[5]。ギルモアは「グロウラー」を救うためにわが身を犠牲にした行為が讃えられ、潜水艦部隊に対する将兵へのものとしては最初の名誉勲章が贈られた[2][4]

なお、実際には「グロウラー」の方が先に「早埼」を発見しており、その行動をレーダーにより察知していたものの、艦橋にいたギルモア以下の当直見張り員は「早埼」の動きに気づくのが、なぜか遅れていた[6]

記録と栄誉

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ハワード・W・ギルモアの哨戒記録
  出撃地 出撃日 日数 戦時中認定の戦果
隻数/トン数
JANAC[注釈 2]認定の戦果
隻数/トン数
哨戒区域
グロウラー-0 真珠湾[7] 1942年5月[7] 15[7] 0 / 0[7] 0 / 0[7] ミッドウェー海戦
グロウラー-1 真珠湾[8] 1942年6月20日[8] 27[9] 2 / 3,400[9] 1 / 1,500[9] アリューシャン列島
グロウラー-2 真珠湾[10] 1942年8月5日[10] 49[11] 4 / 26,000[11] 4 / 15,000[11] 東シナ海
グロウラー-3 真珠湾[12] 1942年10月22日[12] 49[13] 0 / 0[13] 0 / 0[13] トラック
グロウラー-4 ブリスベン[14] 1943年1月1日[14] 48[15]/38[注釈 3] 1 / 4,500[15] 1 / 5,200[15] ビスマルク諸島


 

ハワード・W・ギルモアの撃沈スコアランキング
順位(隻数) 哨戒回数 隻数/トン数
戦時中認定
隻数/トン数
JANAC
66[16] 4[16] 8 / 37,300[16] 6 / 22,681[16]


 

名誉勲章

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名誉勲章感状
アメリカ合衆国大統領は議会の名において、1943年1月10日から2月7日までの「グロウラー」の第4の哨戒におけるハワード・ウォルター・ギルモア中佐の際立った勇敢さと義務をも超越した勇気に対して、名誉勲章を追贈する。
絶え間ない敵の脅威と対潜哨戒の中をかいくぐり、ギルモア中佐は果敢な攻撃によって日本貨物船を1隻撃沈し、その火災によって他にも被害を与え、執拗な爆雷攻撃を回避した。2月7日の暗闇の中、敵の砲艦は「グロウラー」への体当たりを試みて接近してきた。ギルモア中佐は衝突を避けるために左に舵を切り、11ノットの速力で敵砲艦に突っ込んで外板を切り裂いた。沈みゆく砲艦からの機関銃弾を浴びたギルモア中佐は、部下に対して冷静に艦橋から去るよう命令し、自らは危険を顧みず艦橋に残った。敵の一斉射撃に屈しながらも最大限の努力を行ったギルモア中佐は、最後の瞬間に「潜航せよ!」と当直将校に対して最後の命令を下した。「グロウラー」は甚大な被害を受けたが、戦死した中佐に闘志をかきたてられた、よく訓練された乗組員によって母港に無事生還した。 — [2]

今日においても、「潜航せよ!」“Take her down!“ はアメリカ海軍潜水艦部隊における伝統的なフレーズとして語り継がれている[4]

その他の栄誉

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脚注

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注釈

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  1. ^ アメリカ時間
  2. ^ JANAC英語版
  3. ^ 48日のうち、ギルモア戦死後の2月7日以降を除いた分
  4. ^ エベールの名前がアレン・M・サムナー級駆逐艦の一艦に命名されたように、アメリカ海軍の駆逐艦の艦名には将官の名前が命名されており、潜水母艦にはギリシア神話海神や、ロバート・フルトンジョン・フィリップ・ホランドなどアメリカ海軍潜水艦史における先人の名前が付けられている。ギルモアと同じく戦死後に名誉勲章が追贈されたサミュエル・D・ディーレイ(アナポリス1930年組)ですら、ディーレイ級護衛駆逐艦のネームシップに命名されている。

出典

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参考文献

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サイト

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  • "ハワード・W・ギルモア". Find a Grave. 2013年1月25日閲覧
  • "ハワード・W・ギルモア". Find a Grave. 2013年1月25日閲覧
  • "ハワード・W・ギルモア". Hall of Valor. Military Times. 2013年1月25日閲覧
  • Submarine Hero-Howard Walter Gilmore” (英語). Undersea Warfare Summer 1999 Vol. 1, No. 4. Edward Whitman / Chief of Naval Operations Submarine Warfare Division. 2012年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月25日閲覧。

印刷物

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関連項目

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