コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ハリド・スカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル

ハリド・スカー
モロッコの旗 モロッコ
陸上競技
オリンピック
1992 バルセロナ 男子10000 m
世界陸上選手権
1995 イェーテボリ 男子 10000 m
1991 東京 男子 10000 m

ハリド・スカー(Khalid Skah、1967年1月29日 - )は、モロッコの陸上競技選手。1992年バルセロナオリンピックの金メダリストである。

経歴

[編集]

スカーは、モロッコ中部の高原の町ミデルト出身。クロスカントリーの選手としてその名を知られるようになり、1990年、1991年と世界クロスカントリー選手権を連覇。

スカーは1991年から、トラック競技にも出場するようになると、シーズン当初からその強さを発揮しだす。オスロの10000mでその強さを見せ付けると、同年夏の世界選手権では優勝候補の一人として目されるようになる。しかし、東京の世界選手権では、ケニアリチャード・チェリモモーゼス・タヌイによるチーム戦略にはまってしまい3位に終わってしまう。さらに次に出場した5000mでも、スカーは疲れてしまったのか6位と惨敗してしまった。

スカーは、翌年のバルセロナオリンピックでは、10000mに出場。レースは、中盤以降、チェリモとのマッチレースとなる。ところが残り3周で思わぬことが起こる。2人の前に周回遅れのモロッコのハムー・ブタイブが現れ、ブタイブはそのまま先頭集団に残り、スカーを有利にするため、チェリモの前を2回も追い抜くような行動に出た。このような行為は、周回遅れのランナーはほかのランナーを助ける行為をしてはならないと定めた協議規則に反している。この行為に観衆は怒り、また審判もブタイブをつまみ出そうとするができずに終わった。

残り150mでスカーはスパートし、チェリモを引き離し1着でゴールインするが、その直後スカーの失格が発表され、チェリモが金メダルとなることで観衆は大喜びした。これに対し、モロッコ側は異議を申し立てる。異議は認められ判定は覆り、スカーの金メダルが復活した。表彰式では、スカーに金メダルが贈られると観衆から大ブーイングが起こり、チェリモの銀メダルにはスタンディングオベーションが贈られたのであった。

スカーは、1993年に、自身唯一の世界記録を樹立(2マイル:8分12秒17)。しかし同年の世界選手権の5000mでは5位に終わった。1995年の世界選手権では10000mで2位と結果を残した。1996年アトランタオリンピックでは、開会式においてモロッコ選手団の旗手も務め、前回大会と同じ10000mに出場。しかし7位と惨敗してしまった。

スカーは、1997年にノルウェーの市民権を得る。しかし、モロッコは、スカーが国際大会に出場するのを拒否したため、スカーは国際大会から姿を消す。2001年に再び出場することができるようになると、2001年の世界ハーフマラソン選手権で10位という成績を残した。

自己ベスト

[編集]
  • 1500m - 3分38秒10 (1992年)
  • 3000m - 7分36秒76 (1994年)
  • 5000m - 13分00秒54 (1994年)
  • 10000m - 27分14秒53 (1995年)
  • ハーフマラソン- 1時間00分24秒(1998年)
  • マラソン - 2時間16分34秒(2003年)
  • 3000mSC - 8分19秒30 (1994年)

主な実績

[編集]
大会 場所 種目 結果 記録
1990 アフリカ陸上選手権 カイロ(エジプト) 10000m 1位 28分31秒1
1991 世界陸上選手権 東京(日本) 5000m 6位 13分32秒90
1991 世界陸上選手権 東京(日本) 10000m 3位 27分41秒74
1992 オリンピック バルセロナ(スペイン) 10000m 1位 27分46秒70
1993 世界陸上選手権 シュトゥットガルト(ドイツ) 5000m 5位 13分07秒18
1994 IAAFグランプリファイナル パリ(フランス) 5000m 1位 13分14秒63
1994 IAAFワールドカップ ロンドン(イギリス) 10000m 1位 27分38秒74
1995 世界陸上選手権 イェーテボリ(スウェーデン) 10000m 2位 27分14秒53
1996 オリンピック アトランタ(アメリカ合衆国) 10000m 7位 27分46秒98

外部リンク

[編集]