ハサナル・ボルキア国立競技場
表示
ハサナル・ボルキア国立競技場 Stadium Sultan Hassanal Bolkiah | |
---|---|
施設情報 | |
所在地 | ブルネイブルネイ・ムアラ地区バンダルスリブガワン |
位置 | 北緯4度55分44.5秒 東経114度56分43.6秒 / 北緯4.929028度 東経114.945444度座標: 北緯4度55分44.5秒 東経114度56分43.6秒 / 北緯4.929028度 東経114.945444度 |
起工 | 1980年8月 |
開場 | 1983年9月23日 |
修繕 | 1999年 |
所有者 | ブルネイ文化省スポーツ局 |
運用者 | ブルネイ文化省スポーツ局 |
グラウンド | 天然芝 |
大型映像装置 | 1999年設置 |
建設費 | B$1,000,000,000 |
設計者 | SAAパートナーシップ |
使用チーム、大会 | |
サッカーブルネイ代表 ブルネイDPMM FC | |
収容人員 | |
30,000人 | |
アクセス | |
バンダルスリブガワンバスターミナルから環状ライン乗車 |
ハサナル・ボルキア国立競技場(ハサナル・ボルキアこくりつきょうぎじょう、マレー語: Stadium Sultan Hassanal Bolkiah)は、ブルネイの首都・バンダルスリブガワンにある多目的競技場である。主としてサッカーの試合に利用されている。1983年に開場し、1999年に東南アジア競技大会開催を控え、大型映像ビジョンの設置や観客席の修繕が行われた[1]。競技場の収容人数は30,000人。
建設の経緯
[編集]ブルネイ・ダルサラーム国では異例のことであるが、この競技場の建設資金の一部は、一般国民からの寄付によって調達された。最終的な寄付金額は1,102,761.57ブルネイ・ドルであり、建設費(約1億ブルネイ・ドル)の約1.1%が充足された。建設費に占める寄付金の比率は小さいものの、ブルネイ国民が競技場の設置に大きな関心を持ち、支援をしたということを示す出来事であった。
開場式典
[編集]この競技場は、ハサナル・ボルキア国王の父で先代の国王であるオマール・アリ・サイフディン三世の70歳の誕生日に合わせて1983年9月23日に開場した。
開場日の夕方にはサッカーの親善試合が開かれ、サッカーブルネイ代表とイングランドのクラブチーム・シェフィールド・ユナイテッドFCが対戦した。この試合は、この競技場で開催された初のサッカー大会となった。時差と多湿な気候という条件の中、シェフィールド・ユナイテッドFCはブルネイ代表に1-0で勝利した。翌日にも同じ対戦カードで試合が行われたが、1-1の引き分けに終わった。
主な開催試合
[編集]日本との関係
[編集]参考文献
[編集]- Rozan Yunos(2008)"National Stadium celebrates its 25th year" Brunei Times,2008年10月26日(2011年3月3日閲覧。)
脚注
[編集]- ^ Rozan Yunos(2008)
- ^ アジアオリンピック評議会"Olympic Council of Asia:Games" Brunei 1999 - 20th Southeast Asian Games
- ^ 飛島建設株式会社"施工作品/国際/ブルネイ/国立競技場競泳プール建設工事"(2011年2月28日閲覧。)
- ^ 株式会社コトブキ"スタジアム 都道府県別一覧|株式会社コトブキ"(2011年3月3日閲覧。)
先代 ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアム インドネシア |
東南アジア競技大会 主会場 1999年 |
次代 ブキット・ジャリル国立競技場 マレーシア |