ハインリヒ1世 (リンブルフ伯)
ハインリヒ1世 Heinrich I. | |
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リンブルフ伯 下ロートリンゲン公 | |
在位 |
リンブルフ伯:1082年 - 1119年 下ロートリンゲン公:1101年 - 1106年 |
出生 |
1059年ごろ |
死去 |
1119年ごろ |
配偶者 | アーデルハイト・フォン・ポッテンシュタイン |
子女 |
ヴァルラム2世 アグネス アーデルハイト マティルデ |
家名 | リンブルフ=アルロン家 |
父親 | リンブルフ伯ヴァルラム1世(2世)/ ウド |
母親 | ユーディト(ユッタ)・フォン・ルクセンブルク |
ハインリヒ1世(Heinrich I., 1059年 - 1119年ごろ)は、リンブルフ伯(在位:1082年 - 1119年)、下ロートリンゲン公(在位:1101年 - 1106年)。
生涯
[編集]出自
[編集]文献によると、ハインリヒ1世はヴァルラム2世の息子とされる[1][2][3]。父とされるアルロン伯ヴァルラム2世は初代リンブルフ伯(ヴァルラム1世)となり、母ユーディト(ユッタ)は下ロートリンゲン公フリードリヒ・フォン・ルクセンブルクの娘でリンブルフの女子相続人であった。
一方、父ヴァルラム2世の統治中の1061年ごろの記録に「リンブルフ伯ウド」の名が確認できる。したがってヴァルラム2世とウドは同一人物と考えられ、しばしばヴァルラム=ウドの名で記されることがある[4][5]。
別の文献ではヴァルラム2世とウドは2人の異なる人物であり、ヴァルラム2世はアルロン伯でユーディトの夫であるが、リンブルフ伯とは記されていない[6]。ウドは1061年ごろのリンブルフ伯で、下ロートリンゲン公フリードリヒの弟ザルム伯ギゼルベルトの娘ユッタと結婚したとされる[6]。アルロン伯領とリンブルフ伯領の併合は、初代リンブルフ伯(おそらくウド)の息子ハインリヒ1世がアルロン伯ヴァルラム2世の女子相続人と結婚したことにより行われたという。この妻は、ハインリヒ1世の2番目の妻とされるアーデルハイト・フォン・ポッテンシュタインではなく、子供たちの母親とされている[6]。
公位をめぐる争い
[編集]リンブルフ伯ハインリヒ1世は、1101年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世により下ロートリンゲン公に任じられた。皇帝とその息子(ハインリヒ5世)の間に起こった権力闘争の中で、ハインリヒ1世は皇帝に忠実であり続け、その結果、1106年にルーヴェン伯ゴドフロワ1世に公位を奪われた。下ロートリンゲン公の称号と支配権をめぐって、リンブルフ=アルロン家とルーヴェン=ブラバント家の間で争いが続いた。1128年にハインリヒ1世の息子ヴァルラム3世(リンブルフ伯では2世、1119年 - 1139年)は、後の皇帝ロタール3世より下ロートリンゲン公位を与えられた。1139年、コンラート3世はルーヴェン=ブラバント家に下ロートリンゲン公位を返還した。その後、ヴァルラムの息子ハインリヒ2世が翌1140年にリンブルフ公となり状況は落ち着いた。
子女
[編集]伝承によると、ハインリヒ1世はアーデルハイト・フォン・ポッテンシュタインと結婚し、以下の子女をもうけた。一方で別の文献によると、最初にアルロン伯ヴァルラム2世の娘と結婚して以下の子女をもうけ、2度目にアーデルハイト・フォン・ポッテンシュタインと結婚したという[6]。
- ヴァルラム3世(2世)(1085年頃 - 1139年) - アルロン伯(1115年 - 1119年)、リンブルフ伯(2世)およびヴァッセンベルク領主(1119年 - 1139年)、下ロートリンゲン公(1128年 - 1139年)
- アグネス(1136年没) - プテレンドルフ伯フリードリヒ4世・フォン・ゴーゼック(1125年没)と結婚、フェッケンシュテット領主ヴァロ2世(1126年没)と結婚
- アーデルハイト(1144/46年没) - アルンスベルク伯フリードリヒ短気伯(1124年没)と結婚、クーノ・フォン・ホルブルク(1138/39年没)と結婚、ダッハウ伯コンラート2世(1159年没)と結婚
- マティルデ - ラ・ロッシュ伯アンリ1世(ナミュール家)と結婚
脚注
[編集]- ^ Grote 1877, Tafel 199.
- ^ Bahnson 1912, p. 14.
- ^ Freytag von Loringhoven 1964, Tafel 107.
- ^ Brandenburg 1998, p. 67, Tafel 33.
- ^ Glocker 1989, p. 343.
- ^ a b c d Schwennicke 1999, Tafel 229.
参考文献
[編集]- Heinrich Neu: Heinrich I.. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 8, Duncker & Humblot, Berlin 1969, ISBN 3-428-00189-3, S. 366 f. (電子テキスト版).
- Schwennicke, Detlev (1999). Europäische Stammtafeln. Band I.2, Tafel 229
- Grote, Hermann (1877). Stammtafeln. Mit Anhang: Calendarium medii aevi (= Münzstudien. Bd. 9). Leipzig: Hahn, Tafel 199
- Bahnson, Wilhelm (1912). Stamm- und Regententafeln zur politischen Geschichte. Band III. p. 14
- Freytag von Loringhoven, Frank (1964). Europäische Stammtafeln. Stammtafeln zur Geschichte der europäischen Staaten. Band III, Tafel 107
- Brandenburg, Erich (1998). Die Nachkommen Karls des Großen. Verlag Degener & Co Neustadt an der Aisch. p. 67, Tafel 33
- Glocker, Winfrid (1989). Die Verwandten der Ottonen und ihre Bedeutung in der Politik. Köln, Wien: Böhlau Verlag. p. 343
- “Walram II. von Arlon”. genealogie-mittelalter. 2023年4月30日閲覧。
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