ハイウェイサイドタウン
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ハイウェイサイドタウン | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 滋賀県 |
自治体 | 湖南市 |
旧自治体 | 甲賀郡甲西町 |
世帯数 |
796世帯 |
総人口 |
2,096人 |
北緯35度02分46秒 東経136度03分44秒 / 北緯35.04611度 東経136.06222度座標: 北緯35度02分46秒 東経136度03分44秒 / 北緯35.04611度 東経136.06222度 | |
ハイウェイサイドタウンは、滋賀県湖南市の町名、行政区名。一般的に「サイドタウン」と略して呼ばれている。
地理
[編集]湖南市北西部にある
ハイウェイサイドタウンの開発
[編集]開発される以前は、真砂土の裸地とアカマツ林だった。1966年(昭和41年)春に西日本観光[動画 1]が別荘地・住宅地として開発を始め、同年11月に最初の居住者が入居した[2]。
開発コンセプト
[編集]名神高速道路の脇に開発されたため、「ハイウェイサイドタウン」と命名された。100坪規模の敷地、赤い三角屋根の家、マイカー付きで開発されて、当時の流行語の「家つき、カーつき、ババ抜き」[3]に見合う風光明媚な住宅地であり[2]、京阪神からの別荘地として分譲された。当初は別荘地として家とマイカーのセットを230万円で販売したこともあった[2]。
100数戸の家(販売当初は別荘)が建ち、プールやテニスコートも設置されたが、プールは宅地開発の影響により1985年(昭和60年)頃に埋め立てられたため現存しない[動画 2]。テニスコートは自治会館の裏に建設されたが、後に閉鎖され、更地となっている(2023年(令和5年)6月時点)。
ハイウェイサイドタウン自治会
[編集]世帯数が20戸ほどになった1968年(昭和43年)9月1日に自治会を設立した[4]。
交通アクセス
[編集]- 備考
脚注
[編集]出典
[編集]本文
[編集]- ^ “湖南市総人口(平成31年8月1日現在)” (PDF). 湖南市 (2019年8月1日). 2019年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月7日閲覧。
- ^ a b c 横田秀雄・杉山友子・柏原希衣・瀬戸口美代子 1998, p. 26.
- ^ “家付きカー付き婆抜き”. 日本語俗語辞書. ルックバイス. 2022年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月7日閲覧。
- ^ 横田秀雄・杉山友子・柏原希衣・瀬戸口美代子 1998, p. 23.
動画
[編集]参考文献
[編集]- 横田秀雄・杉山友子・柏原希衣・瀬戸口美代子『自治会発足30周年記念誌 サイドタウンの歩み』ハイウェイサイドタウン自治会、1998年。
外部リンク
[編集]- 1971年 ハイウェイサイドタウンのプール【なつかしが】 - YouTube(アミンチュ公式チャンネル(びわ湖放送)、2021年2月10日公開)