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ハイウェイサイドタウン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 滋賀県 > 湖南市 > ハイウェイサイドタウン
ハイウェイサイドタウン
日章旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 滋賀県
自治体 湖南市
旧自治体 甲賀郡甲西町
世帯数
796世帯
総人口
2,096
北緯35度02分46秒 東経136度03分44秒 / 北緯35.04611度 東経136.06222度 / 35.04611; 136.06222座標: 北緯35度02分46秒 東経136度03分44秒 / 北緯35.04611度 東経136.06222度 / 35.04611; 136.06222
ハイウェイサイドタウンの位置(滋賀県内)
ハイウェイサイドタウン
ハイウェイサイドタウン
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ハイウェイサイドタウンは、滋賀県湖南市町名、行政区名。一般的に「サイドタウン」と略して呼ばれている。

地理

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湖南市北西部にある雨山あまやまと笹尾ヶ岳の南側、名神高速道路の北側に位置する。2019年令和元年)8月1日現在の住民基本台帳によれば、世帯数796戸、人口2,096人である[1]。地区のはずれから700 mほどで、滋賀県希望が丘文化公園の南ゲートに至る。地区の東側に湖南市立菩提寺北小学校、ひかり幼稚園がある。

ハイウェイサイドタウンの開発

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開発される以前は、真砂土の裸地とアカマツ林だった。1966年昭和41年)春に西日本観光[動画 1]別荘地住宅地として開発を始め、同年11月に最初の居住者が入居した[2]

開発コンセプト

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名神高速道路の脇に開発されたため、「ハイウェイサイドタウン」と命名された。100坪規模の敷地、赤い三角屋根の家、マイカー付きで開発されて、当時の流行語の「家つき、カーつき、ババ抜き」[3]に見合う風光明媚な住宅地であり[2]京阪神からの別荘地として分譲された。当初は別荘地として家とマイカーのセットを230万円で販売したこともあった[2]

100数戸の家(販売当初は別荘)が建ち、プールテニスコートも設置されたが、プールは宅地開発の影響により1985年(昭和60年)頃に埋め立てられたため現存しない[動画 2]。テニスコートは自治会館の裏に建設されたが、後に閉鎖され、更地となっている(2023年(令和5年)6月時点)。

ハイウェイサイドタウン自治会

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世帯数が20戸ほどになった1968年(昭和43年)9月1日に自治会を設立した[4]

交通アクセス

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備考

脚注

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出典

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本文

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  1. ^ 湖南市総人口(平成31年8月1日現在)” (PDF). 湖南市 (2019年8月1日). 2019年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月7日閲覧。
  2. ^ a b c 横田秀雄・杉山友子・柏原希衣・瀬戸口美代子 1998, p. 26.
  3. ^ 家付きカー付き婆抜き”. 日本語俗語辞書. ルックバイス. 2022年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月7日閲覧。
  4. ^ 横田秀雄・杉山友子・柏原希衣・瀬戸口美代子 1998, p. 23.

動画

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  1. ^ 「1971年 ハイウェイサイドタウンのプール【なつかしが】(びわ湖放送)」の動画より。プールの写真に「西日本観光」の広告が写っている。
  2. ^ 「1971年 ハイウェイサイドタウンのプール【なつかしが】(びわ湖放送)」の動画より。菩提寺まちづくり協議会文化芸術委員会委員長(当時)の解説から。

参考文献

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  • 横田秀雄・杉山友子・柏原希衣・瀬戸口美代子『自治会発足30周年記念誌 サイドタウンの歩み』ハイウェイサイドタウン自治会、1998年。 

外部リンク

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