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ノート:DARKER THAN BLACK -流星の双子-/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

過剰な情報の掲載の差し止めを求めます。

本作が現在、テレビ放映中の作品であり、また情報が不透明な事を考えると、この項目はウィキペディアで求められている中立性を欠いていると思われます。 多くの過剰な情報、たとえば死亡などの情報は本作を視聴していない閲覧者にとって、物語の本筋に関わる重大な情報であり、核心というよりもネタバレと表現した方が適切でしょう。 少なくとも、公式サイトや雑誌などで紹介されている情報以上の事を掲載するべきではありません。 ウィキペディアを閲覧するのは、編集者本人だけではないのは明白です。 --Redchups 2009年10月22日 (木) 14:12 (UTC)

新番組の記事はそれだけ注目されていることもあり、諸IP氏による過剰加筆が行われがちですが正に本記事は現在そういった様相を見せ始めています。この場合、記事の差し止めを行うだけではなんら歯止めにはなりません。
根本的に問題を解決するためには半保護をした上で、ローカルルールを適応することが妥当と考えます。
その措置をした上で差し止めをするのであれば分りますが、とりあえず結論から言うとこの提案については私は反対です。現状やっても意味がないことでしょう。
--V-gamma 2009年10月23日 (金) 14:04 (UTC)

履歴をみるかぎり、一度は殺害などの情報を消したにも関わらず、再編集して掲載し直したのはV-gammaさん、あなた自身であるようですが。現状のままで半保護をするのは意味をなさないので、まずは合意を取り付ける事が先決だと思います。諸IP氏による過剰加筆が行われがちだというのなら、まずは御自身が中立的な記事を書くように心がけるべきではありませんか?--Redchups 2009年10月23日 (金) 15:29 (UTC)

Redchupsさんはネタバレは記載するなというお考えなのでしょうか?Wikipedia:ネタバレをご覧になれば分かるようにWikipediaにおいては作品を解説する上で必要なものならばネタバレの掲載に躊躇せず記載してかまいませんので、「作品未見者に配慮する」という観点からネタバレを記載しないという編集は認められていません。この点だけはご理解いただくようお願いいたします。もちろんネタバレについてはWikipedia:検証可能性を満たす必要がありますが。--Web comic 2009年10月23日 (金) 16:10 (UTC)
反対 失礼ながら、RedchupsさんはWikipediaに関する知識を深められるのが先かと。--Mobius 2009年10月23日 (金) 16:49 (UTC)

ネタバレの自重を促すわけではなく、わずかにしか進行していない作品を事細かに解説する必要性に疑問を感じるだけです。作品中で誰かが何かをするたびに書き換えていくぐらいなら、現在のところはネタバレ、話の流れに合わせた編集はやめて、もっと単純な登場人物や用語の紹介に留めておくのが懸命だと思うからです。--Redchups 2009年10月23日 (金) 17:10 (UTC)

Redchupsさんは「ウィキペディアで求められている中立性を欠いている」と仰られているわけですが、この「中立」という意味を履き違えていらっしゃったようですね。そのことは気になっていたのですが、確信がなかったのであえて指摘しませんでした。ここで言う「中立」というのは作品を「既に見た人」、「まだ見てない人」に対する「中立」ではなく、「公正にその作品を評価しているかどうか」の「中立」であるわけです。提案者が意味を誤ってこの案件を提示している以上、この件についてのこれ以上の議論は意味を成しませんね。
付け加えて言うならば、私が言った「過剰加筆」というのは「その記事全体の状況を無視した、明らかに蛇足な記述」、及びもしくは「〃、性急な記述」という意味で述べたわけであり、ネタバレに関してのものではありません。そのあたり誤解の無いようお願いいたします。
さらに説明しておきますと、この「性急な編集」という意味は、Redchupsさんが仰られている言葉をお借して言いますと、“「情報が不明瞭」な部分を憶測で記述しがちである”ということとほぼイコールです。
「継続中の作品」のスタイルシートを貼り性急な編集の歯止めとし、「ネタバレ」防止の措置がなされているのは「編集者の良心」によって記事が作られているからです。ですから、私もその「良心」のある編集者の一人だと自分では思っていますのでもちろん、性急な編集となることを助長する考えがあるわけではありません。そしてそこにこそ、「中立性」という言葉が掛かってくるわけです。
--V-gamma 2009年10月23日 (金) 18:46 (UTC)
約3週間が経過しましたので、この件に関しては終了ということでタグを外したいと思います。--V-gamma 2009年11月13日 (金) 17:38 (UTC)
報告 タグを除去しました。--V-gamma 2009年11月17日 (火) 16:43 (UTC)

オーガスト7の能力

公式サイトには「マジシャンと呼ばれる契約者。種のない本物のマジックが武器」と書かれています。これを読む限りでは契約能力は「種のない本物のマジック」のようですが、ウィキには「契約能力は自分の周囲の空間を歪める」と書かれています。「自分の周囲の空間を歪める」のが契約能力だという情報は正しいのでしょうか。

本編内で葉月がそのように言及しました。決して無敵のオールマイティではないところを見ればそれで間違いないかと。もちろん擁護はしませんが。--211.131.41.183 2009年10月25日 (日) 17:31 (UTC)
オーガスト7の“契約能力を表す言葉”の典拠としては211.131.41.183さんが言っておられることと同意見です。なお今後、葉月の見立てが実は誤っていたと語られる可能性は0ではありませんが、オーガスト7が死亡した為その展開となるのは考えにくいですね。
それと、これは一応決まりなので提言させていただきますが、ノートで発言される際には必ず署名することが求められています。IPユーザーの方であってもこれは原則ですので今後ご留意いただくよう、よろしくお願いいたします。
--V-gamma 2009年10月25日 (日) 19:12 (UTC)
公式サイトや劇中での契約者本人による能力の説明がないのであれば100%確実ではないと思います。今回の場合であれば「戦闘を見ていた葉月によれば「自分の周囲の空間を歪める」のが能力」と書いた方がいいのではないでしょうか。
--谷川ハル 2009年10月27日 (火) 13:13 (UTC)
作品を見ていてそう捉えられることを、そこまで詳細に書かなくても良いと思います。今回のような場合、たとえ記述が間違っていたとしても「公正に作品を評価していない」ということにはなりません。またWikipediaは百科事典である以上簡潔に文を纏めることが常に求められており、本記事のような創作作品の記述の場合登場人物などの行動を逐次書き加えがちであるため、要点だけを述べる編集としたほうが無難である場合のほうが多いです。
もしどうしても補足の説明を書きたいのであれば、本文ではなく脚注なりコメントアウトで書くなりなどの方法を推奨します。
なお、他にオーガスト7の契約能力について確実な情報があるのであれば、速やかにそれを典拠として編集に反映させる必要があるのは勿論のことです。
--V-gamma 2009年10月27日 (火) 17:45 (UTC)
冗長的な文章になることは避けるべきことですが、「戦闘を見ていた葉月によれば「自分の周囲の空間を歪める」のが能力」という記述が冗長的とはとても思えませんし、良い折衷案だと思います。V-gamma氏は編集を見てるとかなり削ってしまうタイプで、そういうことを全否定するつもりはありませんが、言葉足らずのせいで読み手に解釈の余地を与えることは問題だと思います。それを知っている(見た)人間なら問題ない記述でも、見たことが無い人にも背景がわかるような記述をして欲しいと思います。--EULE 2009年11月5日 (木) 06:06 (UTC)
本記事の作品は現在放送中であり、まだ予定されている話数も多く残されているわけです。登場人物の記述は今後大きく膨れ上がる可能性があるわけで、そのことを配慮した記述とする必要があると思います。
また、作品を見たことの無い人にわかりやすい説明とした記述をすべきとの提案ですが、果たしてそれは必要なのでしょうか。作品を見たことのない人であれば「葉月」と書いても誰のことかすぐにピンとこないでしょうし、ここに書いてあることを辿ってやっと判る程度だと思います。それと作品を見たことのない人がわざわざ「ネタバレ回避」とされている部分を覗き込むこともあまり無いと思いますね。
もしいたとしてもサワリ程度に触れている記述でも十分だと思います。「言葉足らずのせいで読み手に解釈の余地を与えることは問題」と言われているわけですが、やはりあちこちで言われるようにWikipediaはアニメの解説サイトではありませんし、懇切丁寧に説明しておかねばならない必要はどこにもありません。--V-gamma 2009年11月5日 (木) 10:17 (UTC)
まず、今後大きく膨れ上がる可能性についてですが、実際問題として、それが記事バランスを崩壊させるような事態になって対処すれば良いだけの話で、今からそれを論じることは杞憂と言わざるを得ません。もっとも、逐次編集などにおいてはそれはウィキペディア上で懸念されることなのでこの限りでは無いですが、今回の件、及び折衷案が、この論拠に対して大きな問題を持つことになるとは到底思えません。逐次編集では無いですし。これをきっかけにして、黒とオーガスト7の対決の詳細を記述を始めたら問題になるでしょうが。
次に、ネタバレの範囲にあれば未読者は見ないってのは関係ないでしょう。未視聴者でもネタバレを読むことはあります。「あまり」とかつけてもあまり意味はないでしょう。なれば、ネタバレ範囲の物は既に見た者のためにあるという話で、これほどナンセンスな話はありません。それこそ、ウィキペディアをアニメサイトか備忘録か何かと勘違いしているとしか思えない。
最後に、懇切丁寧に説明しろと言ってるわけじゃないんです。出典の問題も絡むんです。これは多分に自論を含むところでありますが、本来はウィキペディアは二次資料を活用すべきなのですが、フィクション系ではその性質上、一次資料を用いても(扱う内容にもよりますが)問題はありません。そして一次資料ってのは作品それ自体なわけですから、二次資料などを扱うときと比べて厳密に出典を提示しない。それを問題視して、逐次的に出典を付けるべきだという意見もあるんですが、私は厳密に出典の提示をする必要は無い、正確には、それに類する物で十分に対応できると考えてます。具体的な例として、そう言った出典を気にする人たちは、例え対象が一次資料であっても、こうやります→探偵学園Qの登場人物。でも、こんなの返って面倒で、その説明したい文章の前に「○○編では~」とか「○○はと言っていた」って付けておけば十分だと思います。出典の意義は情報の出所を知るためにあり、それを満たせるからです。また、この方が情報を読み取りやすい。 やや脱線して長くなりましたが、短くなりすぎると例えそれが一次資料から引いた物であってもその根拠(出典)がわかなくなってしまう。そもそも、今回の問題だってわかってる人は葉月の台詞だとわかりますが、わからない人にとってはわからないんですよ。仮に見た当時は覚えていても、これから数年、数十年経った後に、その出典の出所をいつまでも記憶していると思いますか?とどのつまり検証可能性を満たせない。だから、こうやってノートで情報源を求めるという手間をかけることになる。
あと個人的に(少し話が関連するので)苦言ですが、結局のところ氏がやっていることは、冗長的な表現を簡素化しているのではなく、冗長化する可能性があるから刈り込んでいるというものです。これが本当にウィキペディアの目的やルール上で問題があると考えられる程に冗長的であるとかの場合に、それを刈り込むことは悪いことだとは思いません。しかし、氏は人の編集に対して、「問題がある」のではなく「問題になるかもしれない」と言う理由で編集を行う。短期間での連続的な編集と相まって、結局、これは記事の私物化と言わざるを得ない。私物化の意思が無いにせよ無駄にリソースを消費するだけです。例え、気になる編集があろうと、それがウィキペディアが要請する深刻な問題を含む記述で無い限りは、1度深呼吸して見逃し、1週間単位、あるいは1ヶ月単位でメモ帳に自分が相応しいと思った内容に修正した物を下敷きした後に、それを投稿なされたらいかがですか?--EULE 2009年11月5日 (木) 11:48 (UTC)
まず、未視聴者が何のためにこのページのネタバレ部を読むのか?
作品に興味を持って、予備知識を収集している。
      〃     、サワリの部分だけを知りたい。
などでしょう。両者似たようなものですが一応の分類としました。その他にもあるのかも知れませんが、私にはこれぐらいしか思いつきません。
いずれにせよ、作品に興味を持っていることには違いないわけですが、やはり作品を実際に見てから読んでいるわけではありません。そのような人たちについて、作品の詳細を伝える文を書くとするならば膨大な記事となりますよ?果たしてどちらがウィキペディアをアニメサイトか備忘録と勘違いしているのでしょうね。
一次資料を明確にする必要があるとの高説、ありがとうございました。ですが、それこそ備忘録としての性質の強いものじゃあないですか。とは言え、その論自体については特に反論するものではありませんけどね。
私が多く編集に携わったここでも探偵学園Qの記事ほどではないにせよ、一次資料からの出典の明記を注釈として多く記述しています。本来の使い方である本文の乱雑さを抑える目的と、仰られている一次資料の出典を明確にする用途を併せ持つものとなっています。ちなみにこの記事に関してはノートでの発言は一切無く恙無く最終話を迎えることができました。全13話と短いものであり、たまたまかもしれませんけど。
ともかく、この件について私は全く反対しているわけではありません。ただ最初はオーガスト7はもう本編にからんでこないキャラですし加筆するにしても後からでいいと考えていたこともあり、また当件の推進案は明確な考えに基づく意見ではなかったため渋っていたわけです。ですがここに来て、やっと一次資料のことに触れる明確な意見が出たため「それならば」ということです。
しかし折衷案を受け入れるにしても、そのままでは文章が不恰好です。ですから、前々の発言で「脚注としてください」と言っていたわけで。一応、全契約者の契約能力の記述は統一した形としているので、そのようにしていただければ幸いです。
それとご指摘ありがとうございます。ちょうどそれに類した方法でこれからは行こうと思っていたところでした。別に私物化する意図などありませんが、少々サイクルが早すぎる嫌はありましたかね(しかし、ノートでの断わりなく節構造の改変など重大な編集をいきなり行うのもどうかとは思いますが。しかもある程度年月の経っている記事で。あの時は驚きました)。
まぁ、今後は行動を改めるとします。--V-gamma 2009年11月6日 (金) 14:19 (UTC)
(インデント戻します)何か勘違いされてますが、「作品の詳細を伝えるべきだ」とは言って無いでしょう。私の言い方も悪かったんで「見ていない人にも背景がわかるように」と言う言葉はひとまず忘れてください。多分、イメージする物が違いすぎるんだと思いますから(また、本題と直接関係の無い点でもありますし)。しかし、氏がネタバレ範囲にある物は既に見た人間を基準に書けば良いと思っているということは理解できました。それは、はっきり言って百科事典ではない。この点だけは強調しておきます。
と言っても、本題に関してはこれ以上、特に言うことは無いのですが(折衷案を認めているという言質を取れたし、苦言も素直に受け取ってもらえたし)。先に言ったように、既に冗長な文章であるとか性急な編集であるというような場合に手を加えられることには、全く異論はないわけですが、冗長になりそうという理由を持ち出すのは止めて欲しいというくらいです。不恰好だと思うのは、個人の感性の違いだから構いませんが、でも、別にウィキペディアのルールに照らして問題の無い記述であることも確かです(ちなみに私は先に長々と自論を展開したように<ref>タグを多用するのを嫌っています)。言ってみればどちらも正しいわけですから、互いに他人の編集には寛容でありたいものです。
あと完全に蛇足ですが、言及されているので私の編集について意見を述べておきますが、Wikipedia:ページの編集は大胆にを実践したまでなので特に問題だとは思っておりません。確かに当該の記事は長い期間を経ていたかもしれませんが、別に係争中の問題があるわけでも、論争になりそうな内容があって、かつ、それに手をつけたわけでもありません。逆に、節の中に<ref>タグを埋めるとか、階層の深さのバランスが崩れているとか、その他区別の仕方など明らかに問題が多いと判断したから編集したまでです(氏も、そう思ったからこそリバートを行わずそれに沿ってさらに手を加えられたのだと思いますが、リバートした上で抗議した過去があるわけでないなら、今それを持ち出すのは全く無意味でしょう)。ちなみに中身に手を付けるような、大胆な編集の場合には三方ヶ原の戦いや天体戦士サンレッドのように事前にノートに書き込んでおります。
あとついでながら、今度、組織の説明における中国人ではないの記述の辺りで少し思ったこと、編集案を当該のノートで出したいと思うので良かったら意見をお願いします。これは、論争になりそうな内容なのでちゃんとノートで事前承認を取りたいと思っております。--EULE 2009年11月6日 (金) 15:14 (UTC)

早急な加筆はやめてほしい

早い局では木曜の深夜に放送されていますが、遅れて放送されている地域のことも考えるべきではないでしょうか。「見なければいいだけ」という意見もよく見ますが、ちょっと調べたいことがあってウィキで調べようとしたらネタバレされていた、ということもありますし。最新話の内容に関する加筆はせめて一番遅れて放送されている地域に合わすべきだと思います。--谷川ハル 2009年10月30日 (金) 13:05 (UTC)

私も以前までは最後に放送される地域に合わせて編集を行うべきだと考えていたのですが、そこまで厳密にすべきことでもないかと。
なぜならTVの電波に少しでも乗ったその時点で、その作品は「一般に広く公開された」と捉えることができるからです。
あくまで極論ですが、例えばオンエアされていても「これから見る人(リアルタイムに見ていない人)」もいるわけで、遅れて放送される地域の人のことを考えても、その人たちのことは考えなくても良いのでしょうか。その場合、DVDのリリースを待つ……わけにも行きませんよね。
それから、ネタバレと言われているわけですが、上の節でも言っているように基本的にWikipediaに「ネタバレ」という概念はありません。ただ、その部分にある程度の配慮が必要とされる場合もあるので、一定の措置がなされているだけに過ぎません。作品の内容を「公正に評価している」記述としているのであれば、「性急な編集」ではないことも上の節で述べている通りです。--V-gamma 2009年10月30日 (金) 17:12 (UTC)
一応【Wikipedia:性急な編集をしない】というガイドラインはあります。
Wikipediaではタイムリーな編集は禁止されていませんが、速報的な編集をする際には信頼できる情報源の記載と、その情報源の情報が本当に正しいモノであるかを検証できる状態にしておく必要があります。
今回の場合は『信頼できる情報源』はあるのか?それがあったとして『その情報源の情報が本当に正しいモノであるかを検証できる状態』にあるか?ということが問題になるわけですが、恐らくどちらとも条件を満たしてはいません。
少なくとも【Wikipedia:性急な編集をしない】の対象となる行動(ケースb)に該当しているのは確かなので、編集は控えたほうが懸命だと思いますよ。
V-gammaさんは「DVDのリリースを待つ……わけにも行きませんよね」と仰っていますが、BDやDVDの発売を待って編集しても何ら問題はありません。このアニメは全国ネットではありませんので、法に反することなく検証が可能となるのはそのタイミングだという人も多くいらっしゃると思いますから。KIKIAKARI 2009年10月31日 (土) 05:37 (UTC)
見ようとすれば見ることのできる人と放送されていないのでどんなに望んでもDVD・BDが発売・レンタル開始までは見ることが出来ない人を一緒にするのは極論とはいえおかしいです。
Wikipedia:ネタバレも「適切であれば問題ない」というだけで「ネタバレを推奨している」「ネタバレと言う概念はない」という訳ではありません。また「考慮すべきガイドライン」にすぎず「公式な方針」ではないとも書かれています。
「一般に広く公開された」というのも通常は放送が予定されている全局での放送が終了した後では?たった一つの局での放送で視聴できる人が限定されているのであれば「一般に広く」とは言い難いと思います。--谷川ハル 2009年10月31日 (土) 11:25 (UTC)
書き間違えていたので訂正しました。--谷川ハル 2009年11月1日 (日) 05:14 (UTC)
私は、どちらかといえば性急な編集は"させない"(「しない」ではなくあえて「させない」)方ですが、谷川ハル氏の意見には反対させていただきます。基本的にこの問題は、検証可能性との兼ね合いで考えられるべきもので、今までの類似した議論を参考するに、本放送に一定の基準を置くのが妥当だと思ってます。漫画だったら、雑誌掲載時、特にその雑誌の公式な発売日(ジャンプなら月曜、マガジンなら水曜)がネタバレ解禁日となるように。問題は、アニメの本放送の基準をどの局での放送にするかですが、まあ、個人的な感想では、公式ではMBSとTBSを基本にしてるから、MBSより1日遅いTBS放送をネタバレ解禁の基準にして欲しいですけどね。
あと、ウィキペディアは成文法ではなく慣習法なので、「考慮すべきガイドライン」だから拘束力が無いという理屈はあまり通りません。ウィキペディアにおけるガイドラインというのは、実効性を伴う慣習をわかりやすく示した物であり、「ガイドライン」になった以上は原則として従う必要があります。逆に言えば、「公式な方針」であっても、それがかえって不利益をもたらしたり、主旨に反するなら、破っても構わないと言うのがウィキペディアです。氏が、これはかえって不利益をもたらすという理由で、同ガイドラインに反対するのなら構いませんが、公式な方針ではないから従う必要は無いというなら、それは全く反論になってないと言わざるを得ないです。だったら、氏の早急な加筆を辞めさせる根拠となる「性急な編集をしない」もガイドラインだから、氏は全く根拠の無いことを述べているということになります。--EULE 2009年11月5日 (木) 06:06 (UTC)
すみません、「ネタバレという概念はない」という文は語弊を含む言い方であり、発言にあまり意味はありませんでした。また「性急な編集」のことについて触れたのは蛇足でした。ここで述べられていることは「ネタバレ」についてのことでしたね。文の内容に全くの誤りがあるとは思っていませんが、議題の混乱を避ける意味で前の発言の該当の文は撤廃します。
さて、まずこれだけはハッキリとしておきたいのですがここで議題となっていることは「ネタバレ」についてのことであって、「性急な編集」についてのことではありませんよね。今回の提案者である谷川ハルさんの発言には「性急な編集」のことは含まれていませんので、おそらく「ネタバレ」についてのことだと思います。ですが、KIKIAKARIさん、EULEさんの発言があったこともあり、とりあえずそのことが明確にされない限り本題についてここで発言することは難しいです。
以後は、もし性急な編集と見做されるものが本文にあり、それを問題にするというのであれば節を変えての発言が妥当だと考えます。
それと、別に私はこれからも早急な加筆を行うつもりがあるわけではありません。たまたま今回はそうなってしまったのですが、見逃してもらえなかったのであれば今後は十分な配慮による編集としていきたいと思います。ガイドラインは「考慮すべきことだが公式な方針ではない」わけですが、現状編集者の総意と見做されていることです。故に遵守の方向で編集は行われるべきなのでしょう。
なお、どの放送局を基準としても最新話の情報を週毎の加筆としている場合、依然ガイドラインに抵触している可能性があることだけは指摘しておきます。それで問題となったケースがあるのかどうかは知りませんけどね。--V-gamma 2009年11月5日 (木) 09:06 (UTC)
すみません。明記すべきでした。性急な編集ではなくネタバレについてです。
「考慮すべきガイドライン」にすぎず「公式な方針」ではないので従う必要はない、というつもりではありません。ただまだ放送されておらず見ていない人への配慮とWikipedia:ネタバレは別の問題だと思っただけです。--谷川ハル 2009年11月6日 (金) 12:33 (UTC)
(インデント戻します)別に何でも構いませんが、既に述べたように、ウィキペディアのルール(ガイドライン)の内で考えるならば、検証可能性との兼ね合いが問題になるかと思います(私はその前提にいる)。ルールの外で取り決めるというならローカルルールの提案ということなので、この辺の線引きははっきりしておきましょう。ところで、最も遅い地域とはどこを指すんでしょうか?CBCでしょうか?(まあ、それしか無いと思うけど)。その辺もはっきりさせておいた方が良いと思います。
あと、「まだ放送されておらず見ていない人への配慮」を持ち出すなら、「放送すらされてない地域の人への配慮」もあって良い筈ですし、氏は極論であると一蹴しましたが、V-gamma氏のDVDの発売日を基準とするのも一理ある意見だと思いますよ。--EULE 2009年11月6日 (金) 14:29 (UTC)
視聴可能区域に住んでいてwikipediaをよく利用する人ならば放送を見た後「加筆する、加筆しようとする」と考えています。その人達に「やめてください」と言っても止められないので、それならば視聴可能区域に住んではいるがまだ放送されていない人のことも考えて少し我慢してくれませんか?と言っているだけです。ガイドラインが公式な方針ではないので無効だとは考えませんが、ガイドラインに反していなければ何をしてもいいとも考えていません。またこのページ独自のローカルルールを作る気もありません。未見者への配慮も含め事細かに明文化した方がいいというのであれば反対もしませんが。
一蹴したのは「視聴可能なのにまだ見ていない人のためにDVDのリリースを待つ」という部分であってこれが「全国ネットではないので~」であれば問題はなかったんです。この「DARKER THAN BLACK -流星の双子-」のページを利用する全ユーザーが「DVDのリリースを待って、それから加筆・修正する」ことに同意するのであれば「DVDの発売日を基準とする」でも構いません。--谷川ハル 2009年11月7日 (土) 15:30 (UTC)
となると、「結局、何がしたいのですか?」と言わざるを得ない。あくまで「お願い」であるなら、それで結構ですが、最初の意見は単なるべき論であって、お願いではない。だから、こうやって賛否両論、あるいはその主旨を問う意見が付いた。その主旨や論旨を問われている提案者に「私は○○でも構わない」なんて言われても正直、対応に困ります。もう一度言いますが、あなたは何がしたいんですか?--EULE 2009年11月8日 (日) 03:13 (UTC)
節を設けられた段階から疑問には思っていたのですが。
ローカルルールを設定するつもりがないのでしたら今回の件のような場合、ここで意見を言っても大して意味のないことなのですよ。「我慢してください」と言っても、結局「やめてください」と言っているのと同じことです。もし根本的に問題を解決したいのであれば、結局何らかの取り決めを付ける他に方法は無いでしょうね。
提案者の主旨がはっきりとしない以上、ここでこの論議は一旦終了とし、また発言されるのであれば節を変えて論議を行ったほうが良いですね。提案者についてはWikipediaの知識をもう少し深めてから発言なされることを推奨します。
あと、特に私は「映像ソフトのリリースをもってネタバレ解禁とする」とする意思があるわけではありませんよ。あくまで例として「そういう考え方もある」と述べただけで(それを「アリ」と言ったのはKIKIAKARIさんです)。一応、誤解の無き様。--V-gamma 2009年11月8日 (日) 07:34 (UTC)
少し我慢してくださいが何故「我慢してください。やめてください」になるんですか?勝手に「少し」の部分を削除しないでください。
ルールがガイドラインがと言って杓子定規にあてはめていますがそれではダメだと思います。放送を見ました。wikipediaを充実させるため加筆します。まだ放送されていなくて見ていない人(放送を見れない地域の人達ではない)がこれを見てどう思おうがガイドラインには反していないので問題ない、知ったこっちゃない。それでいいんですか?
CBCの放送が終わるまで加筆はすべきではない。そのためローカルルールを設定すべきだ。ローカルルールの設定が決まるまで一切の加筆はすべきではない。加筆された場合は消すべきだ。これでいいですか?
「あの登場人物の名前、何て言ったっけ」と思って見てみたらネタバレされていた。楽しみにしてたのに今回のあらすじを知ってしまった。すごく嫌な気分になりました。CBCの放送を見ている人はMBSの放送が始まるまでの1日しか見ることが許されないんでしょうか。これも「それがwikipediaだ。ガイドラインに書いてある」んですか?誰もが使えるべき百科事典なのに利用を制限するんですか?--谷川ハル 2009年11月8日 (日) 12:50 (UTC)
まず、落ち着いてください。
だれも別にあなたの意見を聞かないと言っているわけではありません。
ただウィキペディアは編集者みんなの合意で動いているのです。あなたの意見を通すためにはみんなが納得しなければならないわけです。そしてウィキペディアに大きなルール(ガイドライン)がある以上、それをなんとかかいくぐって認められるために手続きをしなければいけないのです。それがここだけのルール(ローカルルール)なのです。それを設定するつもりがないとのことでしたので、ならばここで単なる意見を言ってもしょうがないんですよ、と言ったわけです。
つまりあなたが意見を通そうと思うのであれば、「CBCの放送をもってネタバレ解禁とする」というローカルルールの設定を提案してください、ということです。
そして勘違いなされているところを今から言いますね。今のところガイドラインはあなたの言っていることとは逆で、どの放送局を基準にしても毎週の加筆すら禁止する向きのあるきびしいものです。つまりCBCの放送をネタバレ解禁と考えて毎週の加筆としてもガイドラインにさしさわっているかも知れないわけです。でも、ここでローカルルールをきちんと設定すれば一応の編集者の合意がとれているとみなされるわけですから、なんとか言い訳ができるのです。
ですがそうするつもりはないと言っておられたので、じゃあ節(このノートページの小さな見出しのことです)をまた作って話し合いましょう、と私は言ったわけです。おわかりいただけたでしょうか?--V-gamma 2009年11月8日 (日) 14:02 (UTC)
谷川ハル氏の意見ってのは提案じゃないんです。良く言えば強要、悪く言えば単に理想論振りまいてるだけです。
似たような話だと、世界平和を訴える人たちに似ていると思います。世界を平和をするために具体的にどうするの?と聞いてるのに、「あなたは世界平和を望まないのですか?」「あなたは戦争が好きなんですか?」と聞き返してくる。誰もそんなこと言って無いし、聞いてない。あなたの言う理想や動機のために、具体的に何をどうすれば良いかを聞いてるんですよ。別に九条を世界に広めるでも、武力を用いて世界統一をするでも構わないですから、具体的に何をしたいのか聞いてるんです。
最初の「~べきだ」とか、「まだ放送されておらず見ていない人への配慮」とか、「それではダメだと思います」とか、1人で勝手に理想論を並べ立ててるだけなら構いませんが、それを他者にも作用させたいなら、具体的な手段を示す必要があるんです。それを示さないで「自分の理想に感化されないのは・・・(あなたはそう思わないのですか?というような言動)」ってのは、強要です。もっと言えば宗教です。そして、氏はまだ具体的な手段(何がしたいか)を示していない。だから、それを何度も尋ねてるんですよ。ちなみに、単なる「お願い」でも私は構わないと思います。しかし、先に述べた通り、「~べきだ」ってのはお願いとは言えません。
ま、とにもかくにも、V-gamma氏の提案に賛成で、続けるなら、具体的な手段を示す、新規節を立てるのが望ましいと思います。--EULE 2009年11月9日 (月) 00:37 (UTC)

過剰な内容の整理タグについて

118.243.72.63氏によって貼られたタグですが、現段階における当記事にそれほど懸念されるほど過剰な記述が目立っているでしょうか?

確かにガイドラインは一回の放送話にしか登場しない人物の記述がある場合このタグを貼る条件としており、今のところ当記事に該当する項目として「ゴラン」、「斎藤雄介」、「石崎香那美」が挙げられますかね。しかし斉藤、香那美はこの先のストーリーの展開では登場の可能性があるわけですから、現状で判断するのはまだ早いです。ゴランは死亡したため今後登場することはないと思われますが、いずれにせよ当記事が取り扱っている作品は放送中でありますからその辺りは不明瞭なことです。そしてなにより、そのことについてこのタグを貼っているのであれば、ただ二、三のキャラに対してページ全体のことを言っていることになり、あまりにも大袈裟なことです。

もしかして118.243.72.63氏がこのタグを貼られたのは、これからの過剰加筆を懸念してその抑止力とする考えによるものなのかも知れませんが、そうであればそれこそタグを貼る理由にはなり得ません。

またこのタグの文では「読みにくくなっています」「内容の削減をノートで検討しています」となっているわけですが、前者についてはそうは思えず、後者は明らかに誤まりです。「読みにくくなっています」と言うのであれば、もっと大量に情報が書き込まれているアニメ作品の記事などはいくらでもありますし(この記事の作品の前作の記事もそうですね)、そのことを差し引いてもそんなに「読みにくい」とは私には思えません。私的な考えかも知れませんが、このタグはある程度の期間の放送・連載を経過した作品の記事に用いられるべきであって、まだ半クールを消化したばかりの作品を扱っている当記事に貼るのは時期尚早なのではないでしょうか。

ともあれ、ここではっきりと理由を述べた上での添付ではなく、以上の疑問点もあるため、タグを除外させていただきます。--V-gamma 2009年11月19日 (木) 21:43 (UTC)

(賛成)私も現状が過剰な内容には見えません。ノートに誘導しているのを見ると、#過剰な情報の掲載の差し止めを求めます。との兼ね合いでタグの用途(および語句)を勘違いしているのではないかと思います。ここで論点になったことは、ウィキペディアで言う「性急な編集」であって「過剰な内容」では無いので。たぶん、その辺の区別がついていないのでは無いかと思います。性急な編集に対する懸念であれば、わからないでもないので。--EULE 2009年11月20日 (金) 03:31 (UTC)

人物節における編集合戦について

最近色々な問題で除去と差し戻しが繰り返されています。具体的に言うと「ジュライの説明の分散と統合について」「一部地域における未放送内容の除去と差し戻し」の2つです。前者は私が関わっている件ですが、こちらは一箇所にまとめておいたほうがいいと思います。普通立ち位置が変わったとしても、大概は内容を分散させず一箇所にまとめるものです。後者については、まぁ未放送地域の方の気持ちがわからないわけではないのですが...。どうしてもというのなら放送から1週間は最新の内容を記載しないというローカルルールを定めてみてはどうでしょうか?--Cross-j 2009年11月24日 (火) 15:45 (UTC)

ローカルルールの作成に賛成。放送から1週間は、未放送地域の方々に配慮して、最新内容はコメントアウトにするというルールでいかがでしょうか。最新内容の記載禁止にしても、書かれる方が必ず現れると思うので。--イッチー 2009年11月24日 (火) 15:52 (UTC)
Wikipedia:内容に関する免責事項にもあるようにWikipediaはネタバレを禁止していませんので検証可能性を満たしている限りはこのようなローカルルールは作成すべきではないでしょう。Wikipediaには未放送地域に配慮という概念は存在しないとお考えください。--Web comic 2009年11月24日 (火) 16:13 (UTC)
ジュライの記述の件ですが、統合して主要人物の節に書くのは今のままの文章では問題点があることを指摘します。
いまのところ該当のキャラクターは主人公らとチーム的に行動しており、当作の前作におけるメインキャラクターであった4人に当たる立ち位置に設定された様子です。故に当記事はキャラクターの所属する組織や立ち位置に触れる書き方を行っているため、私は該当のキャラクターを主要人物の節に移すことが妥当だと考えました。しかしその際生じる問題点を解消するために分割という方法を取ったわけです。
主要人物の節にジュライの記述を書くとすれば「ジュライは未だMI6のエージェントなのか?」という厄介な問題が浮き上がってきます。主要人物の節に記述するのであれば現在もジュライが「MI6のエージェントである」ことが確実でない限りは明言することを避けねばなりません。そこで言葉のトリックですが、「MI6のエージェントであった」と書けば間違いではなくなります。必ずしもそれは「現在はMI6のエージェントでない」と述べてるわけではありませんから。とは言え彼は確実に以前は「MI6のエージェントであった」のですから、そのことについて全く触れないわけにもいきません。ですから別の節で述べているわけです。
分割は、それらの問題をクリアするためのとりあえずの処置とお考えください。
主要人物の節に完全にジュライの記述を移すのであれば、その問題をカバーする文章を書かねばなりません。それが出来るのであれば別に構いませんが、そうでない以上はこの方法しかないと思います。やや珍しい書き方かもしれませんが、前作の「魏志軍」のような例もあることですし、Wikipediaの記事のスタイルは自由です。
ローカルルールに関しては、Web comicさんの意見が正論かと思います。氏の意見に反論できる要素はおそらく見当たらないでしょう。--V-gamma 2009年11月24日 (火) 22:46 (UTC)
Web comicさんの意見は正論ですが、最新内容を執拗に消してまわる方が存在して、トラブルになっているので、ローカルルールという話が出ているのです。最新内容を執拗に消す方はIPユーザーのようですので、編集合戦を避け、なおかつローカルルールをもうけないのであれば、半保護にするしかありません。--イッチー 2009年11月25日 (水) 05:31 (UTC)
未放送地域に配慮するという意味でのルールは方針にそぐわないものですが、そもそも放送されたものには検証可能性があるのかないのかという話題は、私の知る限り未だ決着を見ていません。他の検証可能な媒体(雑誌、公式HPなど)に掲載されていないエピソードは、DVDが出るまで書かないというルールならば可能でしょう。
記載をする場所についてですが、私はそもそもMI6の節自体、MI6が今後何らかの動きを見せないのであれば不要と考えています。また、例示のあった前作の魏志軍とは事情が異なります。彼については記述を分けることで起こるデメリットと、2話で1つのエピソードというでわかりやすく記述するメリットを比べたら、前者の方が小さいということです。別の組織に関することを書くわけにもいかないことや、再登場が後の方の話数であったことも、私が別記載に賛成した理由の一つです。ジュライの場合、この移動が始まってすぐですから今後どのような行動をとるのかもわからないので、例えば再び別行動をとるようになったら分割記載はややこしいものとなります。そして、「主要人物」は所属を記載している場所ではないので、記載内容を分ける必要はありません。案内の記述ぐらいはあっても良いと思いますが。--春日椿 2009年11月25日 (水) 17:20 (UTC)
魏志軍が分割記述となった経緯や検証可能性のこと、分りました。ありがとうございます。
それにしても、放送中の作品において一次資料に検証可能性があるのか不明瞭であるのなら、ジュライが主要人物であるということも「わからない」ということになりますね。とは言え、それは決着を見ていないことであるわけで。
二次資料として公式HP(私はこれをあまり信頼できるものとは考えていませんが)を考えるならば、キャラクター紹介に「MI6のエージェント」と明記されています。たしかにそのことを考えれば「MI6のエージェントである」と記述するのは間違いではないことになりますから、前の発言での主張は取り下げねばなりませんね。ただ現在のままの記述とするにしても、「MI6のエージェント」としていることが必ずしも正確な記述であり、Wikipediaで最も重視されている「中立性」(つまり作品を公正に評価しているかどうか)に抵触していない保障はない、とだけは言っておきます。
それから、ここは反論です。MI6の節自体無くても良いとの意見もありましたが、ジュライの立ち位置が未だ明確で無い以上は、撤廃するわけにはいかないと思います。--V-gamma 2009年11月26日 (木) 02:54 (UTC)
(ネタバレ配慮に関してコメント)今回の提案に関しては、編集合戦が起こっているという観点や、もう話数自体も少しということもあって、コメントする気は無かったのですが、経過を見て思ったことを。おそらく、リバートしているのはIPユーザーの1人です。そしてその人物はこの議論を見ている。なので、このユーザーに対するブロックか、イッチー氏も言うように半保護するのが一番手っ取り早いと思います。--EULE 2009年11月30日 (月) 15:22 (UTC)

健全な議論ができないという抗議について

このノートにははじめて書きこむ者だが、なんだろうね、EULEとかV-GAMMAとかいった固定が縄張りをつくっていて、でネタバレはひかえるべきじゃないだろうかという考えの人が何かノートに書くと、「wikipediaについて深めるべき(=半年ROMってろ)」とかなんか出てきて「ネタバレを書くのはなんら問題ない」といってネタバレに慎重な人をつぶしてまわるみたいな感じに見える。上の谷川ハルとかイッチーとか「論破」されてるでしょ。記事にネタバレをどこまで許容するかの基準は別にして、気軽に意見を言えない空気がある。--210.136.180.151 2009年11月25日 (水) 12:12 (UTC)

気軽に意見を言えない空気があったら、そもそも議論は発生してないんじゃないかね。--EULE 2009年11月25日 (水) 12:22 (UTC)
大勢で議論すべきなのに「気軽に意見を言えない空気」なので参加・発言を控える人が大勢いて特定の少人数でのみ議論されている。つまり公平・中立性が疑われる、というようなことを言っているのでは?
「 気軽に意見を言えない空気」=「誰も発言しない」=「議論にならない」という考え方は僕には理解できませんね。
ネタバレに慎重な人をつぶしてまわるみたいな感じに見える、という人がいる時点で公平・中立ではないですよね。言葉で相手を納得させるのではなく「つぶして」るんですから。----以上の署名のないコメントは、222.14.190.30会話/Whois)さんが 2009年11月25日 (水) 13:12 (UTC) に投稿したものです。
特定の少数に問題があるというなら、コメント依頼を行えば良い。あるいはもっと大きな上位概念で問題提起するのも手だ。例えば、プロジェクト・アニメとか井戸端とか。個人を名指しで非難するなら、利用者行為についてコメント依頼を行えば良い。そういった手段を取らずに、単に自分(あるいはそういう意見を持つ者)は排除されてるとか何とか言うのは、私には「自分の意見が尊重されない」=「特定の人間の寡占状態だ!」って負け惜しみを言っているようにしか見えません。議論が始まる前から負け惜しみなんてかっこ悪いことこの上ない。
だいたい、ネタバレを問題視しない派は別に、何の根拠も無く言ってるんじゃなくて、ちゃんと理由を付けている。それを反証しない人間、例えばハル氏のような、を潰してるように見えるというなら、それは自業自得としか言えない。ちなみに、ひとくくりにされてしまってるが、イッチー氏は、ちゃんと「編集合戦が起こってるから」と理由を述べて反証している。これを議論って言うんですよ。
議論はちゃんとできる状態にある。そう見えないなら、それは自分の方に何かしらの問題があると考えた方がいいですよ。そういう人たちの考える議論と社会一般で言う議論は全く別物ですから。あと署名は忘れずに。--EULE 2009年11月25日 (水) 13:45 (UTC)
(報告)サブセクションで分けました。--EULE 2009年11月25日 (水) 15:46 (UTC)

契約者のメシエコードと対価の記述について

標記について、下記を提案いたします。

  • 契約者のメシエコード及び対価が不明である場合、これを記述しない。

現在、登場人物の節で、契約者については全員メシエコードと対価についての記述があります。 しかし今作において、現時点では黒<ヘイ>以外のメシエコードは不明であり、対価についても一部の登場人物ははっきりしていません。 何度も「メシエコードは不明」などと書かれていると、くどく感じますし、不明な事項を「不明である」と記述する必要は無いと思います。 なお、対価らしき描写があるものについては、その人物がそういった行動をとっていることを記述するにとどめ、対価であると断定しない形で記述するべきだと考えています。 以上、ご意見などありましたらよろしくお願いします。--160SX 2009年11月25日 (水) 14:56 (UTC)対価については撤回します。--160SX 2009年11月26日 (木) 12:09 (UTC)

メシエコードについては賛成です。まあ、ある程度、妥協するとしても、登場人物欄の最初に、メシエコードは分かる物だけ記述みたいな説明があれば十分でしょう。
対価についてですが、一部といいますが、現状ではっきりとはわからないのは最新話に登場したイリヤだけです。まあ、次善作としての提案という意味なら良いかもしれませんが、メシエコードと違い現状で特に問題視するような物とは思えません。--EULE 2009年11月25日 (水) 15:46 (UTC)
前作のとき起こった「契約者ではない」とにたような話題かと思いますが、それと違う点をひとつ。「不明」というのは正しいのかということです。この世界でも、メシエコードというものは存在しているのでしょうか。黒<ヘイ>がまだそう呼ばれているのは単にそれ自体がコードネームとなったためとも考えられます。何らかの媒体に、不明と書いてあるならこの反論は。--春日椿 2009年11月25日 (水) 17:20 (UTC)
メシエコードについて、私は「不明」としている媒体があるのかどうかは知らないので、そのあたりは何とも言い難いのですが、その件は160SXさんの提案には概ね反対するところではないです。前作の記事の記述の仕方で統一していたわけですが、「そうしなければならないのか?」という問いに今のところ反論する要素も理由もありませんから。
今後なんらかの情報が挙がって来て、また状況が変わるかもしれませんが、その時はまたその時の対応で。
対価についてはEULEさんと同じ意見です。こちらも今後問題が生じた時点での対応とすれば良いでしょう。--V-gamma 2009年11月26日 (木) 02:54 (UTC)
まず、対価について、上記の提案から削除させていただきます。イリヤの件もありましたが、ミチル登場時に次回予告から推測された記述があったため提案に加えましたが、現時点で問題になる事柄ではないと認識いたしました。
次に、メシエコードの件ですが、春日椿さんの主張を正しく理解できているか自信が無いのですが・・・。
個人的な推測になりますが、今作が前作の続きであり、同じ世界の話であれば、メシエコード自体は存在すると考えます。前作では契約者の事件を扱う警察の視点もあったため、メシエコードが幾度か明らかにされたのだと思います。今作ではたまたまその機会がないだけ、と考えています。誰がどうやって決めているものなのか、作中では全く説明がないので想像の域を出ませんが・・・。
また、何らかの媒体(雑誌等でしょうか)に「不明」と記述されていたとしても、本記事に「不明」と書く必要は無いと思います。
いずれにしても、「メシエコードは不明」と書く必要は無いと考えています。--160SX 2009年11月26日 (木) 12:09 (UTC)
ミチルは、次回予告からの予測ではなく公式HPの情報じゃないかと思います。--EULE 2009年11月26日 (木) 13:28 (UTC)
ミチルの件、放送より公式が先だったのですね・・・すみません、自分の思い違いでした。--160SX 2009年11月26日 (木) 13:53 (UTC)
誰も反対する人がいませんので「メシエコードは不明」という文言は除去しました。
蛇足ですが一応。もし、この作品でもメシエコードが一般的に存在していて、今作ではたまたまその機会がないだけというのであれば、それはそれで契約者としての基本情報として、あっても良いものであると考えます。この場合、書き方によっては独自研究ではなくなります。--春日椿 2009年12月26日 (土) 16:20 (UTC)

拝見

とりあえず、過去にも同じような問題が起きていたことはわかりました。
性急な付け足しが、編集の回数を増やし、あまり歓迎もされていない傾向など。「健全な議論ができないという抗議について」あたりは、一般人の率直な気持ちですよね。官僚や役人ではなく(中堅ログインユーザ以上の)。あまりに民意を無視して閉鎖的につづけると、wikipediaも長続きしませんよ、政財界で指南役をやってる私だから公言しますけど。
訓練は指導しません、モノ書きの世界では…訓練か指導、どっちかはします。灸を据える、では別の意味を持ちます。言質を取るという表現も使い方がおかしい。言い回しにも、あれえこれは…というのが多い。文章力、国語力を磨きましょう。一応、東大レベルです私の場合。そのまま番組作りなどモノ書きになってます。人に文書を書いて、見せる仕事です。どうしても半固定が単独で仕切ると表現やそのレベルが偏りますので、ある程度、文章上級者の提案には応じて欲しいな。
同時に、SEの経歴もある私には、学生上がりのユーザさん個人が、運営ポリシーなども二転三転させてる印象を受けます。ポリシーの統一、意識統一って大事ですよ、いま日本の政財界も、社会も、みんなバラバラで、おかげで海外列強に負けまくっている。日本進まず、海外は着々と積み重ね。

--kasumin777 2009年12月13日 (日) 11:35 (UTC+9:00)

正直、申しあげますと、傍目から見た感じ、編集行為等について、kasumin777氏が他と比べ特に優れているようには見えません。特に、今回のその自己陶酔的な文章は、細かい部分で何を指摘しているかさっぱりわかりません(念のため、言っておくと日本語的な誤りの部分は・・・ まあ、わかりますよ。それ以外)。まあ、単純に言い回しだけが、理解しづらい原因では無いようですが。
個人的な印象として、氏は、ウィキペディアで言う「Wikipedia:雑草とり」する人に近い。ただ違うのは、「訓練を指導した」とか「灸を据える」とか、それが誤り(だと思う)ならば、それだけ直せば良いのに、全体に手を入れるから、問題の無かった物まで改変し、場合によって問題を生じさせている。それを是正されれば、文章力がどうこう言って、また全体に手を入れようとするから、編集合戦が起こる。氏は相手が自分の版に固執していると思ってるようですが、それは氏も同じです。
とりあえず、正しい日本語の使い方を理由として、相手の編集内容を否定するなら、その間違っている部分だけを直してください。--EULE 2009年12月13日 (日) 06:38 (UTC)
ご意見は賜りました。ただ、それもあなたの主観であることもお認めください。「問題の無かった物」のジャッジは簡単ではないですよね。
こちらも普段は番組やITなどのプロの「長」を相手に文章を書く身分です。しかし一般閲覧者の語力リテラシーレベルにはバラツキがあります。国語力を語り出すときりのない長文になってしまいますよね。校正結果というのは、優れているのではないのです。ただ、日本語なる国語としておかしい文体を、治すだけです。修正した箇所の多くは誤りを含みますが、全部実例を挙げたら、これもログばかり増えるので割愛しています、わかると思いますが。
で、他人の文章を含む全分を”部分修正”する、wikiでは基本ですが、これは難しい。半分壊してもリフォームできる家も、少しでも壊すくらいなら建替える方が良い家もあります。国語答案の採点も、足される誤答と、全部書き直される誤答がありますよね。wikiの書き込みが誤りと言うつもりではないのですが…
それと、今まで無数の番組のページを見てきて目が肥えていますが、このページはやや、編集ポリシーが乱れていますね。ネタバレ要素の扱いなども、Vガンマ氏は批判を受けていますし(私NSRユーザ)。中国の、統治し切れてない地方自治の現場を見るようです、少人数に丸投げというか。国語力と、統治力、両方にクレームがあるノートを確認した上で、私も執筆に及んでいますよ。
Vガンマさん他の方も、私の良いと思う部分は残してくれているし、私もそうしているし、それで良いんじゃないでしょうか。どのみち、再来週で放送は終わり、ほどなく過疎ってくるでしょう。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 11:04 (UTC)
ですから、氏はあくまで誤用している語句があるとか、そういうことを理由に編集されている。それは一向に構いませんし、先に述べたように「雑草とり」と呼ばれる問題の無い行為です。しかし、それを越えた部分も編集されているのに、単に「正しい日本語」とやら1つを振り回されても相手は納得しないし、編集合戦が起きるのは必然だ、と言ってるんですよ。だから例えば、「訓練を指導した」とか「灸を据える」そういう部分の編集に留めて、それを越える部分は別に編集をすれば良い。現に氏はこういう編集もされている。あくまでこういう編集に尽きるならば、無用な編集合戦はそもそも起きないんですよ(まさか「訓練を指導する」というのを直すのに、文章全体をいじる必要があるとは言わないと思いますが)。
あと個人的な感想として、ポリシーが好きなようですが、それで良いとか言っておきながら、保護依頼を出そうとしているとか、少なくともあなたにポリシーがあるようには見えませんね。もうちょっとで終わりってわかってるなら、あえて何も手を出さないでおけば良いのに。自分で編集合戦の種をまいておいて(あるいは回避可能なのに回避せず)、自分は編集合戦の回避に尽力しているみたいな態度を取っているように見えます。--EULE 2009年12月13日 (日) 11:34 (UTC)
おっしゃること、いちいちごもっともです。大体あなたという方が、また一般的なユーザさんのあり方も、理解把握できました。「こういう編集」に関しては、更新と差し戻しが無用に何度も何度も行われているため「善意」ですよ。死体、殺された死体、死体、きりがない不毛だったんで、正しい用語をあてがっただけ。更新の負荷や転送量の計算とかSEだったんでわかりますけど、部分更新は小さいはずですよね。色々熟慮の上です。「文章全体をいじる必要があるとは言わないと思いますが」は主観要素ですね。ではモノ書きをやってください、みたいな話になってしまう不毛をはらんでいるかと存じます、膨大な抗議や論議に繋がります。ひいては「弱点つるしあげ」のように見えてきませんか?それだと2chに限らぬ「ネット利権のシノギあい」に映ってしまいます。http://slashdot.jp/comments.pl?sid=465504&cid=1634922
 保護依頼などは過程としての話です。いま夜半、明日以降、状況は変わっていくのですから(笑)決して二枚舌や打算ではないですよ。ごらんの通り、ユーザ登録はこないだですから、不慣れもあります。組織の中でのgovernanceやleadershipそういうのも経験者ですので、徐々に信用を得ていければと思います。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 11:57 (UTC)
おおまかなことはEULIさんが言ってくださったので補足的に述べますが、まぁなんにせよですね、文体に拘っておられるようですが、Wikipediaの記事にとってその部分は次点に位置する要素であるはずです。最も重視されるのは確実な検証可能性を満たしているかどうかであり、出典が明確にされているかどうかです。それは中立的な観点、つまり作品を正当に評価しているか、に繋がってくる訳です。
要するにそれをクリアできていれば多少文がヘンであってもさして問題の無いことなのですね。記述の内容さえちゃんと伝われば。というか、優先して重視すべき事項のため文章がおかしくなることはあります。上手な文章であることには越したことはありませんが、むしろ最優先事項を侵害する恐れがあるのであれば元の記述に手を加えるべきではない。そのあたりを考慮したうえでの編集なのでしょうか。
それにしても、5年の経歴がある割にはなぜ保護依頼が出されていないのにタグを貼り付けるなどの行いをするのですかね。「性急な編集」のことについても正確に理解されているのかどうか疑問です。
あとご自身の実際の仕事のことをやたらと引き合いに出されますが、実際社会での個人の経歴、年齢、性別は別にWikipediaを編集する上では関係の無いことです。その利用者について参照することではあるかもしれませんが、重視すべきは上記のことを含めちゃんとした編集ができているかどうかです。ご自身のことを「文章上級者」と言われるわけですが、他の利用者から見てはっきりとそれと分ることがあるとでもお考えなのでしょうか。ここでの現状はあくまで「自称」に過ぎないことだと思います。むしろ、しきりにそのようなことを述べる利用者は自身を客観的に評価できているのか疑わしく感じますね。
とにかく特殊な環境の仕事のことを引き合いに出しても、万人に理解し難いことであることは確かです。ここで記事の編集に関わらない自己主張をしても意味のないことですよ。--V-gamma 2009年12月13日 (日) 13:33 (UTC)

グリッド戻します。 「文体に拘っておられるようですが、Wikipediaの記事にとってその部分は次点に位置する要素であるはず」 はず???仮定で物を言われますか、重要なポイントを。 これまでの各ページでの編集でも、そこは次点じゃなかったですよ。 「優先して重視すべき事項のため文章がおかしくなることはあります。」 これがイイワケでなければ、なんでしょうか。 「さして問題の無いこと」 それは、”半常連”と一般閲覧者に揶揄されている面々の、狭い常識というか、慣例でしょう。 「文章が読みにくかろうが、高校のテストでもバツ食らうレベルだろうが、黙認しろ」 というのは、wikiの趣旨に反しますよ。wikipedia内の慣例にとっては別でしょうけども。 目に付けば、治すでしょう。普通の人なら。 悪しき編集合戦も含め、総会屋じみた半常連とやらの温床になっている、という印象を受けますね。 もしくは、霞ヶ関化しているwikipediaユーザ群、というかね。内部事情優先で、文体は二の次とは。 内部ルールに則していれば、、後は不手際をやっても許される、などと公言する環境とは。

「出典が明確にされているかどうかです。それは中立的な観点、つまり作品を正当に評価しているか、に繋がってくる訳」 てきとうに長文にすれば、何を言ってもまともと思ってもらえるのですか?Kasumin777 2009年12月13日 (日) 13:54 (UTC)

返答しようかと思ったら、何か井戸端で始められたようなので返答はやめておきます。まあ、今回言おうと思ったのは、端的に言えば、誤った日本語を直すために、記述内容が変わっていたら、それは編集ではなく改竄だ、ってところなんで大した内容があるわけでもないんですが。--EULE 2009年12月13日 (日) 15:02 (UTC)
内部ルールを守りさえすればなれる常連ユーザであれば、そうでないユーザの編集内容を改ざんだと大挙して責め立てられる。ひどい霞ヶ関的腐敗だというのは私見に過ぎませんが。いくら組織力に守られても現場にあるのは「腐敗」です。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 15:23 (UTC)
いろいろとあった様ですが、あらかた決着付きましたかね(というか氏の自滅ですか)。
Kasumin777氏にはいくらか言いたいことがあったのですが、事態が収拾した様子なので氏に対するこれ以上の発言は控えます。
井戸端の方では同情的な意見もあり私もそう考えたいのですが、その後氏のtwitterにて「昨日一日、wikipediaマフィアどもと交戦したからな、連中というものの欠陥がよくわかった。見聞きした程度じゃない」などという発言を見ればその気持も失せてしまいます。ちなみにこの口調聞き覚え(読み覚え?)あると思ったら、平井和正の小説の主人公とよく似ています。そんな風に自身を演出する自己陶酔性などを含めて考えると、私には氏のなにもかもが疑わしく思えてなりません。とにかく、最初に言っていたことに尤もなことがあっても、その後の行動によって残念ながら全てが台無しとなってしまいましたね。--V-gamma 2009年12月14日 (月) 12:38 (UTC)

やっぱりスキップあったほうがいいのでは

EULEさんらの細部の編集では除去されてしまいましたが、そこに意味もあるのは承知ですが、 たとえば一昨年の「地球へ…(アニメ)」のページで、キャラの顛末が「ネタバレ」で隠されてる、あれ私は重宝したんですよーー。 確かに、スキップはデザイン上、邪魔っ気ですね。でも、ネタバレ隠しが廃止され、代替手段として、あれしかない。そういう「ユニバーサルサービス性」を重視して、邪魔っ気は承知で各所に加えてみたんです。 全部をスキップするのが実装されてるけどあれ「イイワケ」でしょ?お役所みたいな。 東京もん、キー局もんの都合で、放送弱者を振り回すだけで、いいんでしょうか、私は日頃、政財界や各業界に指南したり、疎通したり、ドキュメント送受したりしているので、どうしても国政や社会という単位で考えてしまう。

だからもし、wikipedia編集常連者で賛同される方がおられたら 私の代わりにでも、復活させてみてはくれませんでしょうか。

Kasumin777 2009年12月13日 (日) 11:12 (UTC)

いくつか理由はあるんですが、1つはスキップ形式のネタバレは色々と問題点を指摘されて、今も審議されていたりします(Wikipedia‐ノート:ネタバレを参照)。で、他の理由も全部そこで取り上げられている物に尽きるのですが、たかが数行のスキップを多用するのは、本来の目的であるネタバレ回避に大して意味を持たない。絶対に目に入るから。単に読み辛くするだけで、それに比して得られるメリットは大して無いでしょう。現状でスキップ自体を用いることを否定する物ではないです。数行程度をいくつにも渡ってスキップさせることを否定しています。--EULE 2009年12月13日 (日) 11:50 (UTC)
cool おおすじ異存有りません。ただ、ならばこそネタバレ隠しscriptは廃止しないほうが良かったなあ…閲覧者視点で。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 12:07 (UTC)
この手のネタバレ関連全てに言えることですが、ネタバレそれ自体に関して異論があるなら、ここでやるんじゃなくて、ネタバレあるいは井戸端などの上位概念でやれば良いんですよ。それを主題に関係なくローカルでやろうとするから、こちらとしてはウィキペディアではWikipedia:ネタバレがある、としか言いようが無い。自分の主張に自信があるなら、それこそ、そこでやれば良い。それで賛同者が多ければルールが改定され、少なければ、あなたの主張はあなたが思ってるほど良い物ではないってだけの話で。--EULE 2009年12月13日 (日) 15:10 (UTC)
下にも似たようなことは書いたけれども、そういうややこしい内部ルールが、ゆがんだ人材を多く残す温床になっていると言うことです。井戸端にはもう行ってますよ。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 15:20 (UTC)

契約者の能力の記述は、公式サイト準拠が望ましいのでは

こうした番組の制作と時にはタッグを組んで、ネタを一緒に考える身分ですが、それでも、もしこの番組の内側だとしてもですよ、悩みますよ。やはり、監督の弁をもとに書き起こす公式サイトの簡潔なまとめ方(一次情報)は優秀で、そこから新たな文を書き起こす(作中の印象からの二次情報)のは、中々難しい割に、ズレていきます。MI6マジシャンの記述などは、特にそう思います。wikipedia編集5年生のささやきと思って、聞き流してみてくださいね。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 11:23 (UTC)

鎮目なんか見るとわかりますが、公式だからといって情報が正しいとは限らない。そういう点で情報源としては信用に足りない。まあ、だからと言って完全に情報源としては排除すべきとは言いませんが、一次資料を全否定するほどの価値は無いですよ。--EULE 2009年12月13日 (日) 11:50 (UTC)
「一次資料を全肯定するほどの価値は無い」かな?正しくは。たとえば、公式って放送開始から有るわけで、小出しの一言で済ませがちで(特に謎がおもしろいダーカーみたいなのは。中にはこまめな別作品公式サイトもあるけど)。でも、じゃあwikipediaでそのふくれあがった全部情報の追記を、誰かがやりましょうというのは、トラブルに繋がりやすい。みんなの自治編集が「無駄なフェイルバック」をリピートしている現状を見せられると、ああこりゃ運用ポリシーだね、と私は判断したわけですね。ボードリーダー性を、もう少し重視しても良いような…wikipedia日本の場合は。いいリーダが増えてくると、編集内容も新任者も質がよくなっていきますよ。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 12:08 (UTC)
公式サイトは情報源の一つにすぎません。また、情報源としては一次情報である作品そのものとは違い「自主公表された情報源」となります。これは他の情報源の内容と一致する限り利用できるもので、避けるべき情報源とも言われています。--春日椿 2009年12月13日 (日) 12:29 (UTC)

それは、どうかな。今や公式サイト制作スタッフも、スタッフロールに載ります、公式サイトも番組の一部です。すべてのアニメがそれを完備しているわけではないけれど。「検証可能である限り載せる」と検証可能性は謳っているので、避けるべきという論拠には疑問です。むしろ主観が多分に含まれた創作性(検証不能)が、たとえばMI6マジシャンの項にしても疑問を投げかけられてますね。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 13:59 (UTC)

記事に掲載して良い基準は、Wikipedia:検証可能性のみではありません。また「ウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより検証できる内容だけだ」とはありますが、「検証できる内容であれば何をのせてもかまわない」とはどこにも書いてありません。また、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触するような、作品を解釈する記述はそもそも掲載すべきではないのですから、比較対象としては不適切です。
避けるべきという論拠は、Wikipedia:信頼できる情報源です。--春日椿 2009年12月13日 (日) 14:52 (UTC)
つまり、このページの常連ユーザさんは、「作品を解釈する記述はそもそも掲載すべきではない」のに、何度か書いているわけですか…MI6マジシャンの能力の項とか。で結局、なぜ公式サイトは「避けるべき情報源」なのか、説明されてないように思います。Kasumin777 2009年12月13日 (日) 15:11 (UTC)
えっと、『「一次資料を全肯定するほどの価値は無い」かな?』って言われましたが、何が言いたいのかわかりません。皮肉?だとしたら皮肉の使いどころを間違ってますよ。違うなら、「一次資料を全否定するほどの価値は無い」で間違いは無いですよ。ってかそれ以外にしか読めないと思うんだけど。--EULE 2009年12月13日 (日) 15:06 (UTC)
単に表現が回りくどいだけですね。こうした場ではまかり通るんでしょうけどね。つまり「ってかそれ以外にしか読めないと思うんだけど」というのは自己満足で、大半の一般閲覧者は理解してないと言うことです。霞ヶ関化しているwikipediaKasumin777 2009年12月13日 (日) 15:18 (UTC)
えっと、鏡を見て少し休まれた方が良いかと。(こういうのを表現が回りくどいって言う)。
ふざけは、ともかく、少なくとも、2009年12月13日 (日) 11:50 (UTC)の私の発言に対して、「一次資料を全肯定するほどの価値は無い」じゃないですか?って(皮肉とかではなく)言っちゃうのは、ちょっと危ないなあと。ご自信が周りくどい表現使うの好きだから、勝手に深読みして混乱してるだけなんじゃないですかね、たぶん(こういうのを皮肉と言う)。とりあえず、すぐに返信する必要は無いので、明日にでも、もう一度読み直して、返事をいただければ良いなと。--EULE 2009年12月13日 (日) 15:31 (UTC)
(追伸)色々考えてみましたが「だからと言って公式サイトの情報を完全に情報源としては排除すべきとは言いませんが、公式サイトの情報に一次資料を全否定できるほどの価値は無いですよ。」って書けば良かったですかね。これなら氏も、氏の言う大半の一般閲覧者でも勘違いすることなく理解できたでしょう。--EULE 2009年12月13日 (日) 15:54 (UTC)
ええと、このページの常連ユーザというのが何を指しているのか不明ですが、編集をしている全てのユーザーが公式な方針(やガイドライン)を読んでいるわけではないでしょうし、独自研究なる概念にも個人差があるようですので、このページに限らず書き込むべきではない内容が書かれているということはよくあります。
提示した公式な方針、及びガイドラインを全て読んでも、公式サイトが避けるべき情報源とされている(及び作品そのものとは違う)理由がわからないと言われるのであれば、それはあなたが上で主張されているような国語力の持ち主ではないと言っているようなものだと思います。理由が納得できないという意味であれば、それはここで言っても何にもならないので、方針ページや井戸端で問題提起すれば良いでしょう。--春日椿 2009年12月15日 (火) 16:20 (UTC)


イリヤの対価

イリヤの対価は作中ではっきり描写はされず、公式サイトにも書かれないんですが、何か出典はありますでしょうか?まあ、契約者は合理的だから、対価でもない限り、絵を描くことなんてしないって言えばそれまでなのですが、さすがにこれだと独自研究の領域なので。--EULE 2010年1月29日 (金) 15:15 (UTC)

忘れた頃の風魔手裏剣にござる…契約者になる前、人間だった頃の欲情的な殺人の具体的手法を絵に描く(契約者になると感情や欲を持てないと自嘲)--Kasumin777 2011年9月13日 (火) 13:40 (UTC)

「節:用語」の三鷹文書・イザナギの記述について

(Kasumin777氏との対話についてはこちらを参照)

Kasumin777氏へ。とりあえず折衷的な文とさせていただきたいのですが、いかがでしょうか。

『DARKER THAN BLACK -流星の双子-』OFFICIAL FANBOOK「三鷹文書分析報告」P.13に書かれている三鷹文書についての記述は、

“長い間、政府の一部機関によって秘密裏に保管されていた謎の「予言書」。~”

となっており、「預言書」ではなく「予言書」なんですね。まぁ、それは表記の仕方の問題で細かいことですが、次の部分の氏の書き方は抵抗を感じます。

「作中より50年前」と書かれているわけですが、『DARKER THAN BLACK -流星の双子-』OFFICIAL FANBOOK「三鷹文書分析報告」P.80に書かれていることは、「50年前に書かれた」とだけしか書かれていないんですね。これは普通に考えて何時より50年前かと言うと、アニメの黒と蘇芳が出会って活動していた時期からだと思うのですが、その明言はありません。もしかしたら2年前の前作から数えて「50年前」かも知れませんし、DTB外伝から50年前かも知れません。まぁ、それらにしろ1、2年の差異かもしれませんが、とにかくいつより「50年前」かはハッキリしてないわけです。ですので、ここは言及を避けたほうがよいですね。

次の文節ですが、「ちょっとした機器操作ミスに」というのは特筆しなければいけないことでしょうか?

前作の最後で未咲の使用していたボイスレコーダーを彼女が改めて調べる過程で、「ちょっした機器操作ミス」から偶然にも彼女はアンバーのメッセージを発見するわけですが、結局こんな一語を付け加えただけでは特にアニメを見たことのない人に対しては何の事かわからず、あってもなくてもさして変わらないことだと思います。こう言うと、また「アニメを見ていない読者への配慮がない」と誤解されるかもしれませんが、私が言っているのはむしろ「見たことのある者の観点で書いているのが問題だ」と言っているわけです。それこそ「アニメを見ていない読者への配慮がない」。

どんなに詳細に文でアニメの内容を綴っても、見たことのない人に完全に解からせるなど不可能なことです。

また、こういった創作作品の記述は、端的にかつ的確に読者に解からせることが必要で、「あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説」はしてはいけないというのは常識的な感覚でわかると思うのですが、ガイドライン「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」でも制限が述べられております。

次にイザナミの記述についてですがここも何か、変える必要あるんでしょうかね?

氏の記述で特に気になるのは「多重人格」と言い切っている点です。銀にはイザナミの人格のほかには無いと思うのですが、この書き方だと二つ以上の人格があるようにも取れます。「アニメを見たことのない人への配慮」がここにあるんでしょうか?

「その正体は銀、彼女自身であった」「その正体は銀であった」……まぁどちらにせよ言っていることは同じなんですけどね?ただここは、ヒロインですし重要キャラクターですし、多少はドラマチックに書きたいじゃないですか。

「殺す」をわざわざ「致死へいざなう」と書き変えているのはなにか意味があることなのでしょうか?

イザナミということで「いざなう」という単語を入れたいというのであれば、すでにその下記に「あるいはまた他の次元へと誘われる」という記述があるのですが、これだけでは足りませんかね?--V-gamma 2011年9月19日 (月) 15:02 (UTC)

報告 およそ半月が経過しましたが、Kasumin777氏から返答がないため記事を差し戻しました。--V-gamma 2011年10月8日 (土) 07:11 (UTC)

まったくここ見てなかったんですけど、結局あなたは、重箱の隅を突いて、自分がこのページのヌシになりたいだけですよね、以前から(初回放映当時から)ずっとその姿勢だけど。見る人が見れば諸わかりじゃあありませんか。http://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-1639.html

…さておき、何度も言いますが「revertする必要がどこにありますか?自分なりに『ここは違うな』という部分を部分編集されるのが筋でしょう。「自分としてはここが気に入らないんだ、というか全部自分の文章で埋まって無いと嫌なんだ、だからrevertする」と公言し、あとはルールを重箱の隅を突いて自己正当化してるだけじゃ無いですか。専制君主と変わらない。

「私から」回答が無いことは、あなたの一存で版を戻すrevertを全肯定しません。呼びかけるべきは閲覧者全員で会って、私では無い。あなたには真の意味での対話姿勢が感じられない。敵に勝つ、陣地を得る、ことしか。「性急な編集はおやめください」「差し戻しを乱用なさらぬよう…(短期間にもう2回もやっている常習犯)」--Kasumin777 2011年10月11日 (火) 08:44 (UTC)

一例として、返答をしてきます。

  • 「殺す」をわざわざ「致死へいざなう」と書き変えているのはなにか意味があることなのでしょうか?

殺すことではありません=誤りです。各契約者の、自分の能力を暴走させて、死なせるスキルです。解釈の違いの範疇でもありますから、貴方一人だけが納得できる表現が「殺す」だとしても、それも主観でしか無い。「結局は殺してるじゃねーか」「いや死なせてるんだろ」という。…以前にもこの論争はあったんじゃなカッたっけ、掘り下げませんけど。

  • どんなに詳細に文でアニメの内容を綴っても、見たことのない人に完全に解からせるなど不可能なことです。
  • また、こういった創作作品の記述は、端的にかつ的確に読者に解からせることが必要で、

貴方の文章は、文学書を読みふけった私の目にもナジャコリャイミフ、の部分が節々に見受けられて見苦しいですよ。まあこれも主観ですがね、貴方にとっては私の文章もお見苦しい部分があるのでしょう。

私の各文章が

  • 「あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説」

であると貴方が主張するのも、ゆえに主観でしかありません。『絶対的尺度』とするにはもっとおおくのユーザの意見が必須ですよね。

氏のしていることが、私の視点からは、自分の文章の版に差し戻ししたいがための重箱の隅突きばかりにしか見えませんので…まずは一例のみ。各位のご返答、ご感想を待ちます。--Kasumin777 2011年10月11日 (火) 08:44 (UTC) 

あと一点だけ、ひどい言い方されてるので。

なんか「予言か預言か」って言いますが、そこは私が編集する前から同じですよ、なんで『私のせい』だと思ったんですか?この私に対して感情的になっておりませんか、?私しか見えなくなっていませんか?この件に関しては、私だけでは無く、他の編集者も相手取って争っておる格好ですが…もっと冷静に、きちんと精査しましょう。重箱の隅を突つくにもwikipediaの場合は大変ですよね…基本的に不毛であります。重ね重ね…「みんなで編集していく辞典であり、誰かの加筆が気に入らないと言うことで差し戻しや、部分差し戻し同然の、行為をする人は、wikipediaにはふさわしくない」とだけは忠告させていただく。やくざもののなわばりあらそいのような殺伐…とまではいいませんが、そのような『辛辣さ』を繰り返しておるのが過去2年間のこのページの編集経緯ですので、「もっとおおらかに」いきませんか。誰だって「俺の文章の版に差し戻しを繰り返すぞ」と、相手に自分を全否定され、相手が自身を全肯定していれば、おもしろくありませんしね…それでは社会円満が損なわれます。--Kasumin777 2011年10月11日 (火) 08:56 (UTC)

もう一回だけ追記します、ほったらかしはよくないと思って。V-gammaさん、以下を提案します。

  1. いったん、差し戻しを自主的にキャンセルしてください。私がこのページを拝見したのはまだ『本日』であります。(「性急な編集をしない」に基づき)貴方が私のノートに告知でもしたなら話は別だったのですが…
  2. コメント依頼にかけています。参加が増えるかは不透明ですが、より多くの人々が意見してくれるまで、性急な「『差し戻し』は控えて」ください。
  3. たとえ私の編集した部分の文章が気に入らなくてもです(だから私の版は、それに抗議した上での差し戻しでしたよね。)。
  4. ただし、明らかな誤りの部分『だけ』の雑草取り、つまり一般的な部分加筆編集はこの限りではありません(預言か予言かの誤りも該当)。
  5. 貴方の問題点は、すぐ差し戻して、『貴方が書いた文面が大半を占める版』に戻す独りよがりの姿勢です。
  6. 全編集参加者へのリスペクトが無い姿勢ではwikipediaは成り立ちません。自分の文章だけを保存したいならウェブサイトを開設して行えばよい。
  7. ゆえに、悪く言えばつぎはぎになりますが、なるべく不要な全文置き換えや版差し戻しは、控えましょう。

氏のご助言に従い、以下を引用します

  • (Wikipedia:論争の解決)あなたが偏っていると考える編集や不正確だと考える編集を単純に元に戻す (revert) 衝動を抑え、代わりにその編集をさらに発展的に改善して下さい。そうすれば差し戻すより内容をより豊かにできます。
  • (Wikipedia:礼儀を忘れない)単純にRevertをしない。たとえ個人的に気に入らない編集をされても、まず参考文献を求めたり、記事内容を改善したり、またHelp:ノートページで議論をする。差し戻し前には熟慮し第三者から見ても明らかな荒らし行為にとどめる。

いちいち数えませんがおそらく、2009年から数えて5度以上、差し戻し、もしくはそれに近い「作中用語」節ごとの旧版戻し、およびそれに等しいことを、V-gamma氏は繰り返しております。彼はwikipedia規則に精通しており戦術的に持ち出しては来ますが、2年間の時系列を鑑みても、この方は”確信犯”ですね。

以上、おそらく返答が無いということは無いでしょうが、半月待ちます。--Kasumin777 2011年10月11日 (火) 12:41 (UTC)

とりあえず、最初の差し戻し[1]についてはよくKasumin777氏の理解に努めた上でのものではなく、また今回の差し戻し[2]についても期間が経過して氏からの返答がなかったとは言え、ご意見を伺った上のものではありません。感情を害されたのであれば、お詫び申し上げます。
ただ自分の版を差し戻されたからといって、その相手を罵詈雑言で扱き下ろしても良いというわけではない。氏ご自身上の発言でも仰っておられるように、Wikipediaの利用者同士の間では、善意をもって礼儀を忘れない姿勢がガイドラインでも推奨されていることはもう氏もご存知でしょう。それに私の最初の差し戻しは記事に明らかなミスがあった為ですし、二度目[3]はそのことを分かっておられない様子でしたので、それを要約に記した上でのことです。今回に限ってもおよそ19日、氏からの返答を待って、音沙汰がなかった上での差し戻しです。
とは言え、「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#具体例」には「もし、他の人がした変更が必要な過程を経ておらず、問題だと感じたら」の悪い例として、「それが有益な変更であったにもかかわらず、「手続き不備」であることのみを理由に差し戻す」ことが挙げられており、私の差し戻しもこれに該当することかも知れません。氏の版が必ずしも「有益」かと言いますと、それは「作中」という不適当な語があったり「預言」などの誤表記(これも氏は私の発言に抗議されていますが、それについては後述)があったりで問題のあるところだと思うのですが、「オレイユが未咲に三鷹文書の存在を語り、黒の行方が示されていると言った」という箇所の記述に限っては正当な部分はあります(これも後述)。
しかし、それにしても個人攻撃を繰り返しておられるので、その態度だけは改めたほうが良いと忠告いたします。
なんにせよ、私について抗議すべきことはあるのでしょうけれど、「なぜあなたが最初に記事の文を書き換えたか」ということを述べておられません。それから私が問題のある行動をしているというのならば、きちんとガイドラインの規則のどの部分に反しているか、それを明示していただけないでしょうか。ちなみに「性急な編集」という言葉を頻繁に持ち出してきておられますが、Wikipediaにおいて「性急な編集」と言った場合、「Wikipedia:性急な編集をしない」で述べられている事柄を指してきます。この件の場合、Wikipediaで言う「性急な編集」とはまったく無縁ですから、その語を使うのは不適当と指摘します。それらは「利用者‐会話:V-gamma#まだいたんですか」でもすでに述べているのですが、ちゃんと読んでいただけているのか甚だ疑問です。
私への指摘が正当なものであれば必ず聞き入れますが、ただひたすら自己の見解のみに基いてこちらに抗議し、要点の得ない指摘・批判をすることは単なるあなたの文句、「非難」でしかありません。私について「対話する姿勢が感じられない」とも仰られていますが、私の利用者会話ページなどでの暴言を含め、氏についてはそれこそ「対話するつもりが感じられない」と言わさせていただきます。
私の文が「意味不明」「見苦しい」ということは聞きました。ですが、それがどういった部分で、なぜそうなのかという説明が全く為されていない。その説明を一番最初に行わなければばならないはずなのに、あなたは私を「版に固執する」「文体が見苦しい」などと「非難」するだけです。そのように相手の理解を得るための正当な手段を取らず議論(にもなってませんが)を進めれば、相手も言い返さずにはいられなくなり論争になるだけと考えが及ばないのでしょうか。つまりこの場合、私からしたらこう言いたくもなります。
あなたが最初に私の文を書き換えたのは「気に入らなかった」からではないのですか?と。
氏の態度・行動・発言は、必ずしも褒められた利用者と言えないものですが、よくよく私が許せないのはご自身の悪い点を棚に上げ、あたかも相手(この場合私ですが)にのみ非があるとしようとする点です。氏は上の発言で互いの歩み寄りの必要を説いておられますが、そうしたければこちらの非難に繋がる衝動的な発言を抑え、まず自己の正当性を主張してください。自らの悪い点を反省する謙った姿勢を見せてください。なにより、あなたはWikipediaにおいて禁止される向きのある事項をいくつも犯しています。その最大のものとしてあるのが……、少し率直に言わせていただきます。
一つに、他の利用者会話ページの節タイトルに「まだいたんですか」などと書き込むなど言語道断。同節のぞんざいな発言を併せ、「社会円満」が聞いて呆れる。そのような人物が「Wikipedia:礼儀を忘れない」を語る資格はまったくない。
氏の行動は「Wikipedia:礼儀を忘れない#例」における「礼儀を欠いた状況を作り出してしまうささいな事例」の4つに当てはまっています。一つ一つ、取り上げてみましょうか。
  • 不作法で粗野な態度。 - 主に私の利用者会話ページでの節を設けての発言。
  • 要約欄での決めつけ語調(「不注意な誤字を修正した」など)。 - 一度目と二度目の差し戻しに際する要約文(これは私の二度目の差し戻しの要約文もそうと言えばそうですが)。
  • 加筆した人に対して、その語学力や言葉の選択を理由に見くびること。 - 私の利用者会話ページや、このノートページでの上の発言。
  • 相手がやってしまった不適切なことに、あれやこれやと言いがかりをつけること。 - 同上、加えて要約文(まぁこれも「お互い様」の部分はありますが、私の今回の発言は氏の目に余る態度へのあえての指摘・苦言です)。
Wikipedia:善意にとる」でも他の利用者に対しては善意に取ることが推奨されており、私も氏が必ずしも悪意に満ちた「荒らし」であると判断しているわけではありません。ですが、当記事の編集や私に対する氏の行動は迷惑となっていることを自覚して、反省していただきたい。
私も最初に差し戻しをしましたが、氏はその差し戻しをさらに差し戻しで返されているわけですから、それは「お互い様」です。しかし二度目の氏の差し戻し(部分差し戻しですが)[4]、これは私などよりよほど「腕づくで解決しようとしている」。私の前の版から、14分後という即時でアンバーのメッセージの部分(その一点のみ)以外を差し戻しておられるわけですが、私が要約文で書ききれなかった「作中」や「預言」(「美咲」もですがこれは私も見落としていた箇所もあり、単純な誤表記ですから問題としませんが)は、ここでもまた元に戻ってしまっています。私も編集の意図を完全に氏に伝えきれていなかったとは言え、これは脊髄反射的な差し戻しだと言えるでしょう。
またこの時の氏の編集の要約文は、文字数が足りずブツ切りになっています。そこまで言いたいことがあるのならば、素直にノートページで取り上げれば良いのに、と個人的には思います。氏は過去にも私の批判に対して衝動的に反応し(当ノートページの上記参照)井戸端で誰からも支持されようのない発言[5]を述べるなど支離した行動を取っておられますが、これらのことから自意識過剰気味な問題のある性格の利用者であるとどうしても見てしまいます。また今回も井戸端で節を設けて発言[6]しておられますが、ここでも氏に対するコメントは批判として寄せられている様子です。穿った見方や、衝動的な感情でものを述べるのではなく、自身が正当であると思うのであればきちっと編集についてのことを述べた論説を持ってそれを主張してください。それがWikipediaにおける利用者同士の対話です。
氏は「預言」とする誤表記(詳細は後述します)を私が氏のせいにするとして「ひどい言い方をされている」と仰っておられますが、私からしたらあなたの私への発言は全て「酷い」。特に、私の利用者会話ページの最初の発言は、節タイトルも含め、明らかな個人攻撃である悪辣な文面です。
Kasumin777さん。そういったあなた自身の態度から、どうして私があなたの一方的な提案を承諾する気分になれるとお考えなのですか。それらご自身の問題ある態度・行動について、改める意識を見せておられるのならまだ酌量もできるのですが。
氏の提案1「差し戻しを自主的にキャンセルしてください」についての私の答えはこれです。
『お断りいたします。私はあなたを正常に物事を判断できる人物であるとは認めておらず、あなたの言っていることについては正当性が感じられません。あなたの提案に記事をより良くするための必要性があると言うのならば、まずそれを証明してください』
氏の提案には以下項目がありますが、提案1の可決をもってして付随する形ですから、私が提案1を拒否した時点で全項目を否定することとなるでしょうか。
今回の場合、明らかなミスを除けば、どちらの書き方が必ずしも間違っているというわけではありません。ただ、一部分のみに限り氏の版にはより記事にとって適正と思われる箇所はあります(後述)。しかし、それは氏によって説明されているわけではなく、現在この私自身からの見解であり意見です。いままでの氏の発言にそのことに触れた記述はまったく見当たりません。
ですが、氏の人物がどうあれ文章を正そうしている気持ちがないわけではないでしょう。「訓練を指導する」という誤りを指摘するなど過去には貢献もあり、それは私も認めるところです(その誤りを書いたのは私ですが、それについてはお礼を言わなければならないところです)。ですので、私も最初は氏の版との折衷的な文を考えていたということもありますから、以下を再度提案したいと思います。ここはより良い記事とするためにも、また氏の心情も量るという意味でも
形とするのが、中立的観点から見ても望ましいのではないでしょうか。Kasumin777さん、これで納得していただければ幸いなのですが、いかがですか。
長くなりまして申し訳ございませんが、最後です。実際の編集内容について。
まず、「オレイユが未咲に三鷹文書の存在を語り、黒の行方が示されていると言った」との旨の記述につきまして。これは上記でも述べているように私は、氏の版で適正であると考える部分です。
私が自分の版で「オレイユが美咲に告げることでその存在が語られた」とここで一旦文を切っているのは、確かにこれはオレイユから未咲に告げられたことでありますがその表現を通じで「作品において視聴者に紹介された」形を取っていることをクローズアップしたいからでした。とは言え、「黒の行方が示されている」とも同時にオレイユは告げていますから、これは一まとめに記したほうが誰がそれを未咲に言ったのか分かりやすくはなるでしょう。氏はご自身の版でそういう書き方をされており、その部分は頷けるところです。
私と氏の版で、この部分の差となっているのは三鷹文書が「作品にとってどういうものか」(私の版)、「作品内でどう表現されているか」(氏の版)という視点の違いと言えるものでしょう。しかし、両版では片方だけの視点要素を主としてもう片方の視点要素を切り捨てる形となっています。そこで、ここは氏の文に形だけは倣って「作品において視聴者に紹介された」ことを表わす文としたいと存じます。
ようするに具体的には
オレイユが未咲にその存在を告げ、また黒の行方が記されているとも語った。
という一文とすれば上記の両視点を補完する形となり、作品の理解について十分な表現となるのではないでしょうか。劇中でのオレイユの台詞は非常に抽象的であり、そのことも踏まえれば、ここは締め括る語を「告げる」とするよりも「語った」としたほうがより作品を表わすことができます。この二つの言葉は似た意味を持つものですが、「告げる」は何か特定の物事を特定の者に伝えるといった狭い範囲で使う限定された性質のものであり、それに対して「語る」は一語でいくつかの意味を持っていますが、「物語を朗誦」するといった特定の何かが表現していることを指す場合もあるものです。
ただしここに続く文は、
そのことから未咲は、三号機関の正体も含めて探るうち、再びのオレイユの示唆からアンバーの音声メッセージを発見。この文書を捜し出すに至る。
として、私の版に準じたシンプルな形とさせていただきたいと思います。氏は井戸端にて「Wikipedia:キャラクターの記述に対するガイドラインでもキャラクターについては端的に伝えることが望まれている」という意見に対し「僅かな加筆」と言っておられますが、むしろ問題は作品の用語節でストーリー・キャラクター(の行動)の解説を行っているということです。とは言え、三鷹文書の発見は紛れもなく未咲の手によるものですから、そのことに関することは必ず書かねばなりません。ですので、私は作品のストーリーでの出来事の要所を記すのみの書き方をしているわけです。Wikipediaの記事で創作作品、特にアニメや漫画作品のものは登場人物節も含めてどうしてもストーリーの解説となりがちな傾向が確かにあり、この三鷹文書の項でも文書にまつわる人物を主語として書く方法を多く用いているわけですが(元からここは私の手によるものですが、申し訳ありませんが他に良い手立てが思いつきません)、それを拡大する書き方をしていたのではガイドラインに反する向きのある懸念が深まるばかりです。
氏は「探る」を「密かに調査を進める」と書き換え、「ちょっとした機器操作ミス」「手伝い」といった語を加えられておられるわけでありますが、用語節に未咲の三鷹文書の発見に至るまでの詳細をどうしても書く必要がある、必ずそれらの語が作品の理解について重要であると仰られるのであれば、そのことを説明してください。私はガイドラインに反する向きのある懸念を除く意味でも、この三鷹文書の項での未咲の行動の記述はできうる限り簡潔にすべきであると主張します。詳細な記述を書くとしても、それはあらすじや登場人物節に書くべきでしょう。
「イザナギの“殺す”という部分は書き換えたほうが良い」という意見について。
改めて調べたところ、これについては一応劇中の第10話にて黒に尋問された際の曜子の「イザナミは契約者を殺す」という台詞があるのです。同話では、それを聞いた黒がフラッシュバック的に「外伝」で銀が能力で契約者たち(クロード(このピストル自殺は幻覚でしたが)、小姐)を「殺した」シーンを回想する様子が描かれています。まぁ、仰るとおり解釈の違いですから「殺す」と書くのは語弊がある、と言われればそうかも知れません。ですが、劇中で「殺す」という語を使って表現(言及とも言っていいでしょうか)されているのだから、ここはその通りに書いても良いのではないでしょうか。
実は私も最初、ここは「殺す」よりも「死に至らしめる」という書き方にしようかと思ったことはあります。しかし、それはイリヤの項の文にも記していたので、別に「殺す」という劇中でも使われていた語でも間違ってはいないなと書いたのを記憶しています(二年も前の話ですし、はっきりとではありませんが)。また、イリヤのほうは契約能力の記述であり、これはオフィシャルファンブックからの明確な出展があるものですから変える訳にもいきません。まぁイリヤの項の「死に至らしめる」という記述と重複しても別に記事としては問題のあることではないでしょうけど、やはりヒロイン級のキャラクターと一つの回のみで活躍する敵キャラクターとでは差異を付けた表現としたいところです。
ちなみに、この事についての論争がこのノートページであったとは私は記憶しておらず、改めて読み返してみてもやはり確認できませんでした。
次に、抗議しておられる「預言」の誤表記について。氏は「預言となっていたのは最初から」と仰っておられるわけですが、そんなことは最初に書き直した時点でわかっていました。私が言っているのは、氏の二度の差し戻しにおいてことごとくその部分が誤表記に戻っているため、「折角書き直した部分をなぜ元に戻すのか」ということを言っているわけです。
「美咲」を「未咲」と私が直した箇所も同様に氏の差し戻しによって元の誤表記に戻っており、これについてはまだ私も見落としていた部分があって現在の版でも「美咲」となっている箇所が残っていますが、「もっと冷静に、きちんと精査」しなくてはならないことは「お互い様」だと思います。
とにかく「予言」や「作中」のところに関しては、これら<ref>で出典としてオフィシャルファンブックを明示している部分は当該書籍を読んでいないのであれば、編集に際し手を触れてはいけないところではないでしょうか。--V-gamma 2011年10月22日 (土) 02:02 (UTC)

まず社会的一般論として、wikipediaに限らず言わせていただくと「あまりの長文で相手を参らせるのは戦術」つまり敵対行動と受け取られるのが社会通念的です。簡潔にした短文が友好の意を示すとも限りませんが、相手の身になって書かれた文面とは得てして要約され理解を得やすく相手の労力を軽減する内容にされております…あくまでビジネスからプライベートまでを含めた一般論ですが。では敵対的戦術とはどういったご職業が用いるのか…弁護士、契約書作成業、公的な法律や判決文や調書等々…よほど知的に相手をとっちめたい場合が大半。

それはさておき、あまりの文章量につきナナメ読みのみで失礼しますが、ブイガンマ殿のおっしゃることは大体わかったつもりになりました。wikipediaの内部法令を駆使し、きわめて裁判的にこちらを追い詰める条文が散見されますが、これらは第三者からは罵りあいの範疇と受け取られるでしょうから(両者の片方が明白にプロレベルの荒らしでもない限りは)、これは重視しません。私の方から同じ手口で報復的と受け取られるようなことに訴えるのも、永久報復テロの構図へ繋がり易いことも鑑み、行いません。

どうやら氏にとっての『両者の妥協点』とは「私が、最新版に必要最低限を加筆する」ことのようですので、なるべくそうなるよう尽力はしました。あくまで敵対的意思が含まれぬよう汗水を垂らしたことはご報告いたします。

余談ですが私も2ストレーサー乗り&整備工ですし、京都現地の某制作会社とは懇意にさせてもらっておりますし、あまりそちらの地方の方と激しいイザコザを続けるのは好ましいとは思っておりません。手打ちというと言葉がイマイチですが、そのように受け取っていただけると幸いであります。--Kasumin777 2011年10月30日 (日) 16:46 (UTC)

あと、かなり蛇足ではありますが…『検証可能性』というウィキペディアルールからすると、TVアニメの公式ムックの類いはこの要件を満たしているのか微妙なところではあります。(参考Wikipedia‐ノート:検証可能性/Archive04)公式ムックとして出版されているかどうかというよりも、誰でもその本を検証できる場がどこかにあるかどうかということですね。公文書や一般書籍なら公的機関や図書館がありますが、アニメのムックだと…『参考程度』としてのrefになってしまうかと。閲覧できる場も無い、所有者も数少ない、公式ムックの所有者しか編集できないとなるとこれもwikipediaらしさが著しく損なわれる。…これも『全員で妥協』という範疇なのでしょうけどね。反面、そのアニメの公式サイトはref対象にできないというのも変な内部ルールではあります。--Kasumin777 2011年10月30日 (日) 17:00 (UTC)

敵対的意思もなにも、氏の私の利用者会話ページでの発言からして、こちらにとっては明らかに喧嘩を売られているようなものです。前の私の発言が読みやすい纏まった文にできなかったことについては謝りますが、むしろ氏にはこれほどの長文となるほどにまで指摘される言動をご自分が数多く行っているのだということを自覚していただきたい。
公的文書が敵対的とか内部法令がどうとか、この件に直接関係のない事こそ問題ではないです。社会的一般論を持ち出してきておられますが、Wikipediaのルールを知らないのにも関わらず編集を行っている方がそれを語っても説得力はありません。私が内部法令を駆使しているというご意見は批判なのかどうかはわかりませんが、利用者が記事を編集するにあたってWikipediaのルールを知らないことのほうがよほど問題があると言わせていただきます。問題のある行動を取る利用者を見逃していたのでは、それこそ無法地帯となってしまう。「Wikipediaのルールを知らなければ編集をしてはいけないのか」と言われれば、それは編集の度合いにもよりますが、ルールを知らないまま深く編集に関わる利用者は間違った編集・行動を繰り返すこととなり結局他の利用者に迷惑をかけてしまう。ルールを知らない利用者が他の利用者の目に触れないところで編集を行えば、記事の品質を落とすことにも繋がります。
Wikipediaに何のために規則があるのかというと、利用者同士の衝突を避けて記事の品質をより良く保つためです。Wikipediaのコミュニティでもまた現実の社会同様、ルールを知っている者が知らない利用者の問題のある行動について指摘するのは当たり前のことであり、知らない利用者は知っている利用者からの指摘を自然体で受け止め、考えるべきです。あなたもまたWikipediaの利用者である以上、Wikipediaのルールにはしっかりと則って、他の利用者の規範となるような行動を見せてください。ご自分が仰るような実生活で高度な仕事を受け持つ立場にあるのならば、そのようなことは言われずとも理解しておられると思うのですが。
社会的一般論を持ち出すのであれば、ここ(Wikipediaのコミュニティ)で取り決められた、もしくは推奨されていることも順守してください。自身の悪い点を謝罪し、反省の意を表明することなく指摘を指摘で返す姿勢は褒められたものではないでしょう。
ご自身に「敵対的意思は無い」とは仰られておられますが、私が提案したことについての意見・返答がありません。なにより、対話による合意がまだ形成されていないのに、本文記事を編集しておられる事については、氏の誠実さが疑われるものであり、遺憾であります。状況としては、私と氏との対論がすでに始まっており継続中であるわけですから、問題が解決していないうちに記事を編集するということはガイドラインの推奨から外れた行為です。
と言っても、今回の氏の編集内容自体については、概ね許容できる範囲ではあります。細かいことを言えば異論は多々あり、どうしても気になる点もニ、三ございますが、善意に取れば氏は「行動で示した」ということにもなるでしょうか。
しかし、やはりそれは事前に告知した上ではありませんし、結果的に間違いのない編集と評価されるものであっても、氏は然るべき手続きを経ず独断で行動しておられる訳です。編集内容に誤りはなくとも、それは拙速かつ強硬な姿勢(ごり押し)であると指摘します。問題となっている部分について、他の利用者(私)の理解を求めた上での編集ではないのですから。
ですが、すでにやってしまったことをいつまでもグジグジ言うのもなんら建設的ではなく、これはガイドラインの方針に反する傾向を作ることになりますから、これまでの事も含めて水に流したいところではあります。前の氏の発言からは、以前よりは私についてご理解していただけている様子が見られ、いくらかの歩み寄りも感じます。ただし、私の利用者会話ページで暴言したことの謝罪の明言は未だありませんから、私の氏に対する侮辱されたことについての憤りと、利用者としての不信感などのマイナス感情は依然払拭し難くわだかまっております。
Wikipediaの利用者としての出会いが私生活面に関わってくるとは思いませんが、とりあえず大きな禍根があるとすればその点です。氏との関係の改善にはまだ問題を残しているかも知れませんが、一言私の利用者会話ページでの暴言についての謝罪の意を示していただければ、私の心情と氏についての人物評価はもっと良い方向へと改まるでしょう。--V-gamma 2011年11月11日 (金) 09:28 (UTC)
(追記)「公式ムックの検証可能性」のことについて。
公式ムックは確かに、図書館の蔵書として見つけることは難しく、およそ購入者などの限られた者しか閲覧できないかもしれません。絶版となった場合、古書としての入手も可能ではありますが、やはり確実に閲覧できるものであるとは言いがたいものです。そして、公式ムックも公式サイトと同じ「自己公表された情報源」に相当するかもしれません。
しかし、ガイドラインを熟読すれば公式ムックは「自己公表された情報源」に記されている「例外」であることが分かると思います。つまり、当記事におきましては「自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリスト」=「MBS」であり、「こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて」=「MBSで放送された映像作品の大手出版社発行の関連書籍」と、取れるのではないでしょうか。対して公式サイトは出版社を経由したものではありませんから、そこが二者の大きな違いとなっている訳です。
アニメ作品の公式サイトのような自己公表されたウェブサイトであっても、信頼できる第三者の手を経て公表されていればそれは「信頼できる情報源」となりうるものですが、大抵のアニメ公式サイトにはその明記はなく、DTBジェミニの公式サイトもその例には漏れません。
(ただし、アニメの公式サイトは「信頼できる情報源」かどうかは疑われていますが「二次資料」には違いありませんから、他の信頼できる二次資料と照らし合わせて、不一致がなければ補足的に用いることはできる可能性はあります。創作作品の記事における一次資料、二次資料の扱いにつきましては「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」にも詳しく述べられており、併せてお読みくださることをお奨めいたします。)
ともあれ、「Wikipedia:検証可能性」には「図書館の蔵書として確認できる書物こそが検証可能性を満たす資料である」とはどこにも述べられておりませんし、なにより「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです」と冒頭にはあります。この「広く信頼されている発行元」というのがどこまでのものかというのは議論を生じる部分ではあるかと思いますが、“『DARKER THAN BLACK -流星の双子-』OFFICIAL FANBOOK「三鷹文書分析報告」”の発行元である「スクエアエニックス」は「信用できる第三者的立場の出版社」と思われる歴とした法人でありますから、これに相当するものと言えるのではないでしょうか。
また同ガイドラインでは、氏が意見されている「誰もが検証できる場がどこかにあるか」ということについては問題とされていません。そこでは資料の閲覧の「場」のことよりも、資料の「質」についてのことが述べられています。資料の閲覧の場のことについての議論がそのガイドラインのノートページで行われているにしても、現在のガイドラインに反映されているわけではなく、ここでそのノートページを「参考」として持ち出すのはお門違いであると指摘します。そういった意見があることは何かしらの参照となることかもしれませんが、ここでの議論についてはなんら効力があるものではありません。氏がガイドラインのノートページの意見も参考とすべきと仰るのであれば、むしろそこには『(情報源について)「誰にでも見ることができる」ことを、求めすぎることには、懸念があります』という意見も見られるのですが、いかがお考えなのでしょうか。
もう一つ、二つ氏にお訊ねします。公式ムックが「検証可能性」が疑わしいと仰るのであれば、氏は何を二次資料として記事を編集していらっしゃるのですか?
氏にそのつもりがあるのかは分かりませんが、例えて言います。もし氏が「図書館の蔵書として確認できるアニメ作品について言及している書物のみが検証可能性を満たした“信頼できる情報源”の二次資料である」と主張されるのならば、その意見が認められた場合、このDTBGの記事などは僅かにただ一つだけ「信頼できる情報源の二次資料」としてあった公式ムックさえ否定されることになるかもしれません。“『DARKER THAN BLACK -流星の双子-』OFFICIAL FANBOOK「三鷹文書分析報告」”が図書館の蔵書として見つかれば問題はありませんが、その可能性は低く、見つからなかった場合全ての記述が独自研究とみなされ記事が丸ごと削除の対象となってしまいます。そのあたりはどうお考えなのですか。
Wikipediaで創作作品……特にアニメ作品や漫画作品の記事を詳細に書くということは、検閲に際して常にグレーラインの懸念があることは否めないのが現状です。したがって、その独自研究色を払拭するため注釈として大手出版社発行による刊行物を参照とすることは、「切り札」とも言えるものであり、出来うる限り用いなければならない最も重要な手段であるということを認識しておいてください。
もうお分かりいただけたかと思いますが、このように創作作品の編集に際してその作品の制作者が認めている大手出版社による刊行物は必携の二次資料です。それら刊行物には雑誌の記事や公式ムックが含まれますが、創作作品の記事にとってはそれほど重要なものであり、それを参照せず編集を行っていることを指摘されて「検証可能性」を持ち出した氏の発言については、蛇足にしろ詭弁であると言わせていただきます。もしくは、Wikipediaのルールについて無知であるが故の発言かも知れませんが、そうであれば中途半端な知識を振り回さずに、もっとガイドラインを熟読して、熟考してからの発言をお願いいたします。--V-gamma 2011年11月11日 (金) 09:28 (UTC)細部加筆・修正--V-gamma 2011年11月11日 (金) 22:08 (UTC)訂正--V-gamma 2011年11月12日 (土) 03:36 (UTC)