ノート:Climatic Research Unitメールハッキング事件/過去ログ6 記事名
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なぜWikiに「クライメイトゲート事件」の項目がないのか
[編集]なぜ、wikiには「クライメイトゲート事件」「クライメートゲート事件」の項目がないのか。wikiを訪れた人(私を含めて)は不思議に思うだろう。ウィキにあるのは「Climatic Research Unitメールハッキング事件」なる意味不明のものだ。
英国テレグラフ紙の署名コラム[1]でこの問題が取り上げられている。「クライメートゲート事件について知りたければウィキぺディアは使わないでください。」とまで言われている。理由は簡単だ。そう呼ばれたくない!とする「温暖化派」が必死に抵抗するからである。テレグラフ紙のコラムによれば、その理由は一部活動家が温暖化に懐疑的な項目を消して回っているからである。事実、あまりにひどい管理ぶりから、「活動家」がその管理者権利をはく奪されたという。
日本版グーグルで、「クライメイトゲート事件」のヒット件数と「なんちゃらメールハッキング事件」のヒット件数を比較してみればよい。どちらが求められているものかは一目瞭然である。
このノートでも、IP署名で『「温暖化派」を使用する者のノート投稿は消しても良いのだ」と言い出すレベルの人間が存在し、現実に私の投稿を消して回っている者がいることはすぐに確認できる。つまり、このような人間を相手に、「真面目に」本項目を修正しようとする者はどう対応するのだろう?
ちなみに、「懐疑派」という単語は自身でも使用するが「温暖化派」は使用禁止なのだそうだ。(笑)その理由については未だ不明である。何度問いかけても返答はない。自身が使用する「懐疑派」とは何についての「懐疑」なのかさえ回答できずにいる状態だ。もちろん「温暖化派」とは「懐疑派」と呼ばれる概念に相対する概念である。←何度言っても理解できないレベルなのであろうか(>惰性)。
まあ、このような状態であることが次第に世間に広まっており、ウィキの信用まで下げているのが現状ということだ。このような状況は、ウィキにお世話になっている人間にとってはゆゆしき問題である。よって、あえてそのような態度をとる者にここに議論を求めるものである。--Wikiwachuritu 2010年2月8日 (月) 14:42 (UTC)
「クライメートゲート事件」の呼び名の方が広まっているのでそれを使うべきという意見も一理あります。必要なのは相手の意見に耳を傾けつつ自分の意見の妥当性を説明することであって、敵対する側を扱き下ろしても何の解決にもなりません。
あと、クライメートゲート事件という項目はリダイレクトとして存在していて、こっちの名前で検索しても記事にたどり着くことは出来ます。一応ですが。--Punu 2010年2月8日 (月) 16:22 (UTC)
御意。私は議論もせずに消して回る好意に立腹しているわけだ。ノートの投稿まで消して回る者への怒りが表れてしまっているようだ。--Wikiwachuritu 2010年2月9日 (火) 10:11 (UTC)
世の中で通用している語であっても、Wikipediaの(中立性などの)立場で、表題に使うべきでない語があると思います。「...gate」を避けるというのは英語版だけのルールかもしれませんが、ウォーターゲート事件との類推がとくに強いわけではなく、CRUの科学者をニクソン大統領になぞらえるのは(現在の記事本文でも指摘されているように)中立的でない観点と思われますので、Wikipedia自身の用語としては「...ゲート」は避けるべきだと思います。しかし、利用者が検索をする便宜のため、世の中で通用している語を見出しにあげてそこから転送することは、むしろ積極的にするべきであり、「...ゲート」は転送専用の表題として使ってもいけないほどひどい用語ではないと思います。
同様に考えますと、Wikipediaが(引用でない)地の文で使う用語として「温暖化派」は不適切です。同程度に「懐疑派」も不適切です。温暖化の議論をする人が2種類にきれいに分かれるわけではなく、まして、それぞれの派が一枚岩に団結しているわけではないのです。しかし、説明の便宜上、似た意見の人をまとめて論じるための用語が必要になることはあります。そういう便宜的用語として、わずかな違いですが、「懐疑派」よりは「(温暖化)懐疑論者」のほうがよいと思います。また、それと対照して論じるために、人為起源の温暖化が起きるという見通しに自信を持っている人を、科学者とかジャーナリストとかいう職種と無関係にくくる必要があれば、その場限りの便宜的用語(記事表題になりうる熟語ではない)として「温暖化論者」といった表現をしてもよいのではないかと思います。--Masudako 2010年2月11日 (木) 12:08 (UTC)
- Ikunaiさんが既に話題に出したとおりScepticを懐疑派と訳すのはおかしいと思いませんでしたが、あらためて本文を見ると「懐疑論者」と両方あり統一されていない。そういうご指摘なら大変わかり、懐疑論者に統一すべきという指摘は建設的な指摘であり賛同します。まともな文献で懐疑派と訳されることも多くあるので、誤訳とまでは思いませんが。一方で温暖化派というのは意味不明であり、「温暖化を歓迎する人、寒いのは嫌いで温暖化してほしい人」という意味というニュアンスさえあります。懐疑派の反対の意味と主張するなら、英語ではなんと言うのか、また日本語のまともな文献で使われているのか、という質問に一切答えず編集強行しました。その他のルール違反と加え、相手する価値はない(さらには、相手すると助長するので無視するべき)と判断しました。掲示板等で隠語として温暖化派と使われているのかもしれませんが、隠語でもいいのなら盗撮を「田代」、鏡を使ったのぞきを「植草」と百科事典で使用してもいいことになってしまいます。--211.5.25.46 2010年2月12日 (金) 03:17 (UTC)
>Masudako しごくごもっとも。「懐疑論者」は使用可で、「温暖化派(温暖化論者等)」は使用禁止であると、主張する「片手落ち(放送禁止用語だそうだ)」な論者がいるのでねえ。まあ、1か月で合意が成立するとはとても思えないね。旧DIONのIP君ばかりが登場するノートでは。(笑)--Wikiwachuritu 2010年2月11日 (木) 12:37 (UTC)
わたしは「温暖化論者」を提案はしましたが、この用語を積極的に勧めているわけではありません。(これも説明しなければ温暖化を望む人のことだと思う人が多いでしょう。) もし、ある人々をグループとして扱うのが適当だと考えられ、世の中に通用している適当な名前がない(あるいは通用している名前では他のグループとまぎらわしい)場合には、臨時の用語として使うのはよいのではないか、という意味です。必要性がなければ使うべきではありません。また、使うならば臨時の用語であることと定義とを明示する必要があります。
必要性があるかどうかは執筆者各人によって意見が分かれそうですので、「温暖化論者」のような表現を使いたい場合は、まず提案の形で具体的な文例をノートページに出して、異論が出ない形にしていただきたいです。--Masudako 2010年2月12日 (金) 05:11 (UTC)
「温暖化論者」の内容は「人為的温暖化説を支持する人々」であり、英語訳が必要ならば勝手に訳せばよろしい。--Wikiwachuritu 2010年2月12日 (金) 16:11 (UTC)
「人為的温暖化説を支持する人々」と言いたければ少し長くてもそう言うことにしましょう。「温暖化論者」は世の中で使われていることばではありません。「温暖化派」はあるかもしれませんが隠語のようなものと見るべきでしょう。わたしがこれを提案したのは、ある人々についてまとめて述べたいが、世の中に通用する名前がないときに、便宜的なラベルであることを明示して使う場合に限ってのことです。この記事本文の現状ならば必要はありません。今後話題を書きたしていくうちに話題の種類によっては必要になるかもしれないと思ったのです。(そういう話題がなければやはり不要です。) --Masudako 2010年2月13日 (土) 05:44 (UTC)
私の論旨は、「懐疑論者」なる語と相対的に対立する概念を呼称する単語が必要ということです。今回で言えば、「懐疑論者がスキャンダルと言いたてた」という具体性のない言葉のみを置き、その個別具体的な批判内容を記述しないままに、「言い訳」「正当化」の文章をこれでもかと並びたてるという現在の構成から、主張対立点を明確にし、双方の主張を明確に区別して記述するというシンプルな構成への変更です。そのためには、「懐疑派の主張」と「『懐疑派の相対的対立概念呼称』派の主張」と分離する必要があったわけです。「懐疑派」なる単語のみが存在し、何が問題となっているかも明示されずに、あとは「正当化」と「言い訳」の文章が並ぶ構成なんてとても中立とはいえなでしょう。
この構図はホッケースティック論争にもいえますね。何が問題となっているのか全然わからない。わからないままに、「正当化」しようとする文章が並んでいる。マンのグラフが第4次報告に「載っているのだ」と主張するが、その「載り方」をみれば、ひとつの図上に13本の曲線とともに混在されどれがどれだか区別さえできないグラフとなっているという事実。それが「これらを比較して評価することができるようになっている」と表現されるのです。(笑) --Wikiwachuritu 2010年2月13日 (土) 14:38 (UTC)
Wikipediaの「独自研究を述べない」という制約のもとで、まだ評価の定まっていない事件について述べるのはとてもむずかしいです。あせって書きかえるのではなく、事実が誤解なく伝わる表現をじっくり考えてください。
地球温暖化に対する懐疑論のページを見ればわかるように、温暖化懐疑論と言われるもののうちにはいろいろな主張があり相互に矛盾するものさえあります。ふだん団結あるいは協調して動いているわけではないのです。また、人為的温暖化説を支持する人々がふだん懐疑論者に対立して団結あるいは協調して動いているわけではないのです。しかしときどき部分的に対立構造をとります。ジョーンズ、マンたちは、2003-2005年ごろに、彼らが懐疑論者(skeptics)と呼ぶ人たちに対抗して団結した行動をとろうとしていたのかもしれません。
この記事本文については、新たな変更をする前に、まず著者たちの間で、今の文章で「懐疑論者」「懐疑派」という用語が使われているところそれぞれの意味あいを確認したほうがよさそうです。別の用語に変えたほうがよいことに気づくところもあるかもしれません。登場人物たとえばジョーンズが使ったからそれに従うところはそのことがわかる表現にするべきです。残ったところはWikipediaの著者の立場で使うことになるので、著者どうしで合意できる(少なくともがまんできる)意味づけを考えましょう。反対概念を表わす用語が必要かどうかは、その検討の過程で定まってくるでしょう。
ホッケースティック論争の右下の図(IPCC AR4の図の類似品)を見て読者に伝わることは「マンたちの1999年の曲線は複数の同類の研究成果のうちで特別なものではない」ことだと思います。その記事での「比較して評価できる」はそういう意味だと思いますが、わかりにくければ文章表現のくふうは可能です。その図の直接の説明文だけでなく位置づけの表現まで書きなおしたいならば、AR4を少なくとも6章の要約と6.6節を読んでから考えてください。すでに読んで考えているのでしたらよけいなことを言ってすみませんが。--Masudako 2010年2月13日 (土) 16:37 (UTC)