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ノート:BV 155 (航空機)

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  • Me109Tは旧式化しませんでした。母艦が無いので配備されなかっただけです。後継機の必要ありませんね。それから、ドイツ機の命名規則は日本陸軍のキ番号と同じで順番に番号を与えその前にArとかMeとか社名をつけました(出典・酣燈社『ドイツ軍用機の全貌』)。型式番号は原則として重複しません。ただ原型が中止された時同じ番号が使われた例が数例あります。Me162(双発爆撃機)とHe162(ジェット戦闘機)の例です。Me155とBv155の場合の同一番号の例を図書館や拙各参考資料から見つけられませんでした。要出典(ホームページ等の2次資料でなく書籍等の1次資料で)とさせていただきます。同一機体でも会社変われば番号は変わってしまうのです。Me163D⇒Ju248⇒Me263のように。papamaruchan22 2007年11月26日 (月) 11:04 (UTC)[返信]
  • ↑上記要出典を撤回します。いろいろ調べましたら、スミソニアン博物館関係の記述に同一番号でMeからBvへ変わった事例がみつかりました。原型が中止された時同じ番号が使われた数例の内のひとつだったのでしょうねぇ。自分ではってマッチポンプ状態でお恥ずかしい限りです。papamaruchan22 2007年12月5日 (水) 09:09 (UTC)[返信]
  • Me155の計画自体 艦上戦闘機としての開発(Me155A)→ほぼ同時に高高度戦闘機型の開発(Me155B)→艦上戦闘機型開発中止→Me155Bとは別に高高度戦闘機開発に着手(Me P1091)→Me P1091とMe155Bの計画を統合し改めてMe155Bとして開発→B&V社が開発協力→Me155Bの開発がB&V社に移る→Me155B計画破棄

 という非常に複雑(そして怪奇)な変遷を辿っていたようです。何か第二次世界大戦末期のドイツの混乱を象徴したような感じですね。後、Me109Tは母艦が無いので配備されなかっただけなのですが、母艦の完成が遅れてしまったため1942年時点では流石に当時の主力戦闘機Me109Gと比べると見劣りした=旧式化したということでよろしいのでは。それ故、まだ航空母艦開発を続けていたドイツ軍当局は、Me109G並の性能を持つ新型艦上戦闘機(=Me109Tの後継機)の開発を命じたのだと思いますよ。。Miepenpen 2007年12月7日 (金) 14:45:51(UTC)

  • そうですねぇ、Miepenpenさんの変遷経緯判りやすいですね。さて旧式化したかどうかですが10機造られたTはEの変型として開発されたんでEとG型と比べれば当然改良したG型よりE(T)型は旧型といえますが、旧式化したのでMe155の開発に進んだとは思えません。母艦が無いので配備されなかっただけです。それの証左に10機作られたT型は後に再びE-3へと逆改造されているのです。(酣燈社・「ドイツ軍用機の全貌」執筆担当・岩井由紀)よって後継機は高々度機としての開発となったのですね。papamaruchan22 2007年12月19日 (水) 12:41 (UTC)[返信]