ノート:麻原彰晃
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出身予備校に関する記述
[編集]Arpeggioさんによる「代々木ゼミナール渋谷校?」と同様の趣旨です。些末なことではありますが、出典付きの記述ですし、9年も経過しているので改めて節を設けます。
標題の件ですが、2006年3月24日に「代々木ゼミナール池袋校」(差分1)と具体的な校名が書かれ、同年5月7日に「代々木ゼミナール渋谷校」へと書き換えられています(差分2・差分3)。この記述は出典の無いまま放置されていましたが、2013年7月13日に「1977年(昭和52年)春(22歳)に再上京し、代々木ゼミナール渋谷校(現在は廃校により存在しない)に入学」の部分に対して出典が付されました(差分4)。
しかし、Arpeggioさんのご指摘どおり「代々木ゼミナール渋谷校」は当記事と当記事を参考にしたと思われるページでしか見当たりません。念のため、『渋谷区教育史 資料編』(渋谷区教育委員会、1992年、全国書誌番号:92066951)巻末の年表 (p.685-793) をチェックしましたが、1977年以前に開設された渋谷区内の代々木ゼミナールは代々木校(1953年6月開校)、原宿校(1966年1月開校)の2校しか確認できませんでした。『ゼンリンの住宅地図 渋谷区 1977』(日本住宅地図出版東京支社、1976年11月、1977年10月再販、全国書誌番号:20526429)でも同様です。
そこで、差分4で挙げられていた出典 髙山文彦著『麻原彰晃の誕生』(2006年、文春新書、ISBN 4-16-660492-9)55頁を確認したところ、該当するのは以下の記述でした。
…… 東京・渋谷の代々木ゼミナールに通いはじめたのは二十二歳、一九七七年の春からだ。 …… — 髙山文彦、『麻原彰晃の誕生』p.55 l.14
確かに「東京・渋谷」と明記されていますが、これは「東京都渋谷区」の省略にすぎず、「麻原が『渋谷校』に通っていた」「その『渋谷校』は廃校になった」という出典にはなりえないと思います。
参考のため、2つの資料を引用します。
…… 被告人は、卒業後、熊本市や鹿児島県姶良郡加治木町で鍼灸・マッサージ師をし、その後、長兄から資金援助を受けて上京し、同五十二年五月二十五日、受験予備校に入校したが、そこで同校に通っていた女性(当時十八歳)と知り合い、同五十三年一月七日、同女と結婚し、千葉県船橋市内で、「亜細亜堂」という名称で鍼灸院を開業した。 …… — 読売新聞社、1996年4月25日付 読売新聞夕刊 p.14 「麻原被告第2回公判検察冒頭陳述の全文」
77年5月 上京し、渋谷の代々木ゼミナールに入学 — 朝日新聞社、『週刊朝日』2012年6月22日号 「完全詳報 オウム事件のすべて」 p.25 「松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚とオウム真理教の歴史」(年表形式)
これらを総合して、特定の校名を挙げずに「1977年(昭和52年)5月に代々木ゼミナール(東京都渋谷区)に入学」程度の記述にとどめることを提案します。出典資料の妥当性も含めて、賛否・ご意見をよろしくお願いします。--Tkmkz[会話] 2015年11月7日 (土) 13:14 (UTC)
- 遅ればせながら本文に反映しました(差分)。--Tkmkz (talk) 2018年4月5日 (木) 15:32 (UTC)
- 遺骨について、FNNの報道がありました。東京家裁において、妻・三女側と四女側との間で遺骨の引き渡しをめぐる審判が行われており審理中だとのこと。ソースにリンクしておきます。(2019年7月4日 FNNPRIME【独自】麻原死刑執行から1年 いまだ東京拘置所にある遺骨をめぐる争い https://www.fnn.jp/posts/00047087HDK/201907041200_reporter_HDK )--219.100.84.156 2019年7月5日 (金) 06:43 (UTC)
麻原彰晃ではなく本名の松本智津夫を使うべきでは
[編集]私は、「麻原彰晃」ではなく、本名の「松本智津夫」をここでは使うべきであると思います。理由は以下の通りです。
①他の逮捕された信者たちはWikipediaにおいて「テロリスト」と認定され記事の名前も実名になっているのに対し、麻原彰晃こと松本智津夫は本人が名乗った名前である「麻原彰晃」が記事の名前になっているのはおかしいのではないか
②「麻原彰晃」という名前を使うのは麻原彰晃こと松本智津夫を神格化しているかのようで、不謹慎極まりないと思う
私の考えに賛同する方がいましたら、この記事の名前を麻原彰晃から松本智津夫に編集しようと私は思います。--三千世界の魔法少女(会話) 2021年1月2日 (土) 21:49 (UTC)
- Wikipedia:記事名の付け方では「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」というのはあげられています。書籍等での使用例において「麻原彰晃」と「松本智津夫」の量を比較して、「松本智津夫」の使用例が多ければ、改名がしやすくなると思います。--2400:4133:9B77:FE00:F977:3031:7134:5587 2021年1月2日 (土) 23:40 (UTC)
本名への改名には反対します。①と②はいずれも改名の理由にはなり得ません。①の「本人が名乗った名前が記事の名前になっているのはおかしいのではないか」というのは全く理由になっていませんし(そもそも通称(芸名や筆名等も含む)で呼ばれている人物は多くの場合、本人が自ら名乗っている名前です)、②の不謹慎極まりないなどというのはただの感情論でしかありません。「麻原彰晃」という名前は「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」という条件を十分満たしていると考えられます。--37.143.25.10 2021年6月24日 (木) 14:36 (UTC)
「現在の活動」について
[編集]infoboxの「現在の活動 刑死」という記述ですが、こちらの記述の意図は何でしょうか。
Burst Booster氏により追記されたものが現在残っていますが、過去にも同様の記述があり、いったん削除されたという事情があるようです。
2018年7月7日 (土) 02:33時点で一度削除された様子 https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83&type=revision&diff=69138474&oldid=69137330
Burst Booster氏の追記(現在の記述) https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83&diff=prev&oldid=78023660
侵入者ウィリアム氏と同様の理由で、現在の活動が「刑死」であるという記述は不適当だと私は考えます。 日本語としてもおかしいと思います。
--旅に出よう一人で(会話) 2021年2月2日 (火) 01:26 (UTC)
「経歴」に関して
[編集]成人前 松本智津夫 1955年3月2日午前3時34分、麻原彰晃こと松本智津夫は、熊本県八代市高植本町[注 1] の「松本畳店」を経営する畳職人の家庭の四男(男6人女3人の9人兄弟の第七子)として生まれた[8][9][10][電 3][11]。先天性緑内障のため生来、左目がほとんど見えず、右目の視力は1.0程度だった[10]。
とありますが、最後の「左目がほとんど見えず、右目の視力は1.0程度だった。」というのは ほとんど見えない左目とよく見える右目 という意味なのでしょうか?その場合、以下のように訂正していただく事は可能でしょうか? 「左目がほとんど見えなかったのに対し、右目の視力は1.0程度あった。」 2404:7A82:1300:9A00:1549:38D6:D16:C909 2021年11月4日 (木) 12:30 (UTC)
- 成人後の 薬事法違反で逮捕
- の項目において、妻の話がいきなり出てきて分かりにくい。--ひろしま(会話) 2023年3月5日 (日) 11:07 (UTC)
「松本智津夫」の扱いに関して
[編集]このページへのリダイレクトであった「松本智津夫(ノート / 履歴 / ログ / リンク元)」に関して、{{もしかして}}に書き換える編集が繰り返されています。「松本智津夫」は本名なので誤表記ではなく{{もしかして}}を適用させるべきではないと私は考えています。直近も繰り返しリバートされていることに気づかずに差し戻してしまい、編集合戦に加担したと評価されても仕方のない状況なので、ノートでの合意形成に持ち込みたいと思います。Template:もしかしての説明で「使用する前に、誘導先のノートページで合意を得るようにしてください。」とあることも踏まえて、本当に{{もしかして}}を用いるべきであれば、そのように合意形成していただければと思いますが、最初に申し上げた通り、私は本当に{{もしかして}}を用いるべき状況ではないと考えています。(最初に{{もしかして}}を適用した利用者にはLTA:MAYAOの疑いが指摘されているようですが: 特別:差分/86722508)--郊外生活(会話) 2022年2月15日 (火) 13:40 (UTC)