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ノート:高句麗/過去ログ1

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高句麗建国

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三国史記の神話では紀元前30年代となってますが。あくまで内容は神話的であり、三国史記の成立年代が遥か後代であることも踏まえると、根拠に乏しい。後漢書では武帝が朝鮮を滅ぼした後、(BC108年)玄兎郡に高句麗を県として服属させたとあります。--以上の署名のないコメントは、122.134.170.152会話/Whois)さんが 2012年2月4日 (土) 03:21 (UTC) に投稿したものです(Isamit会話)による付記)。

高句麗・渤海歴史帰属問題

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満州(中国東北部)の帰属問題に関しては満州の記事内に記述してください。らりた 2004年9月16日 (木) 13:20 (UTC)

らりた氏の提案は尊重されておらず、それぞれの記事とノートでてんでに行なわれているようです。この問題は高句麗・渤海という過去の国に関することではなく極めて現代の問題です。この問題を記事内で争うことによって、この記事の編集ができなくなることは大きなマイナスと考えます。韓国・北朝鮮側に立ち「朝鮮の歴史」であるとする方には記事題名にご不満を持つとは思いますが、このことに関する記事編集や議論は既に立項されている東北工程ノート:東北工程に集約されるべきものと考えます。これに伴い、該当高句麗#高句麗の歴史帰属をめぐる問題節の内容は概略にとどめることも提案します。--編集仁王 2008年5月25日 (日) 11:43 (UTC)

仏教

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はじめて日本列島に来た仏教徒は高句麗人司馬達止(孫はかの有名な止利仏師)。この高句麗人、はたして仏教を伝えたと言えますか?—以上の署名の無いコメントは、219.25.162.93会話/whois)さんが[2005年4月30日 (土) 13:22 (UTC)]に投稿したものです。

  • 日本の歴史学者でも538年だ552年だと言うのはあくまでも公的な伝来であって、司馬達止が自宅で仏像を祀った事例こそ、日本仏教の最初(即ち伝来)とすべきだとする方はいます。--水野白楓 2006年7月14日 (金) 03:04 (UTC)

保護しました

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本文を保護しました。ブロックもよかったかな、と思ったのですが、以前から続く悪戯のようでしたので、いったん保護という形にさせていただきました。-- Lusheeta:Talk 2005年7月3日 (日) 00:44 (UTC)

たかが子供の悪戯如きで保護を行うのは不可解なのだ。少しは子供に厳しくなって、当該IPをブロックすべし。Sionnach 2005年7月10日 (日) 04:14 (UTC)

2006年7月の編集保護

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[219.49.209.48]さん。高句麗は朝鮮民族の国家であることは歴史上明白であるが、後継の渤海と同じように北朝鮮韓国中国歴史歪曲により、高句麗史はどちらの歴史に帰属するかについて論争が引き起こされてしまった。という記述は韓国のPOVであると思います。また、後述するように、以下を削除される理由を教えて下さい。ラーメンでも編集合戦を繰り返して保護にしたようですが、今後はノートにおいて真摯な議論をされることを希望します。Real Madrid 2006年7月12日 (水) 17:02 (UTC)

IPの投稿者の返事がない。この際半保護にしてはどうだろう。Sionnach 2006年9月23日 (土) 02:07 (UTC)

投稿記録をみると該当IPは他の記事への編集を盛んにされておりますが、こちらへの議論に参加される気配がありません。いったん保護解除いただき、同様のPOV編集が見られる場合にはあらためて議論の申し入れをしたいと考えますので、保護解除依頼を行います。当方が編集したい内容は、官制の記述(美川王から移動)、王一覧をリンク化、沃租のリンク修正などです。--田英 2006年12月10日 (日) 07:55 (UTC)

希望していたこれらの修正はひとまず終えました。--田英 2006年12月17日 (日) 13:57 (UTC)

anotheruseについて

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最上段にあったものを移させていただきました。--田英 2006年12月17日 (日) 13:57 (UTC)

--210.198.80.13561.117.184.139218.230.33.253 2006年9月23日 (土) 02:02 ~ 2006年10月3日 (火) 08:24~08:26 ~ 2007年5月17日 (日) 08:22~08:35 (UTC)
保護中であったために、上記anotheruseをノートのほうに貼られたのだとお見受けします。はこぶね白書のノートも拝見しましたが、登場人物をはこぶね白書の記事本体へ統合するための論議中のようでした。統合の議論が終了するまでは登場人物が個別に記事作成されるわけではないと思いますので、そちらが一段落するまでは、本記事へのanotheruseの貼り付けはご遠慮いただくようお願いいたします。--田英 2006年12月17日 (日) 13:57 (UTC)
大変申し訳ありません。返信するのが遅くなりました。この項目の編集保護が解除されたため、このテンプレートを再編して本文に貼り付けました。あと、はこぶね白書の項目の議論も統合という形で終わりました。--218.230.33.253(元210.198.80.13561.117.184.139) 2007年5月17日 (木) 08:22~08:35 (UTC)

なぜハングル?

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中国と韓国がその帰属をめぐって争っている高句麗ですが、どうしてハングルだけが、ベタベタ貼ってあるのでしょうか?私は、

  1. ハングル、韓国語のカタカナ転写の原則削除
  2. ページ上部の言語ボックスからもハングルを削除。次善策として漢語拼音との併記

を提案します。

そもそもハングルやそのカタカナ転写は日本語版にとって全然意味のない情報です。高句麗関連の原資料は、日本で作成された一部の例外を除きすべて漢字で書かれています。そして、高句麗語や高句麗語の語彙を写した漢字音は、現代韓国語やその漢語音とは別物です。CJKV以外の言語では音を表記しないとどうしようもないですが、日本語の場合は漢字を元の通りに書いておけばすみます。おまけに現代の国家が帰属をめぐって争っているとなれば、もう不要なハングルは削除するしかないでしょう。 Eagan 2007年6月15日 (金) 11:13 (UTC)

当時の言葉(高句麗語)を写して中朝の史書に漢字として確定させているものが現在の漢音や韓国語音とは別物との指摘はご尤もですが、「日本語版だからハングルを撤去し、そのうえでピン音を載せるのが次善策」というのは、まったく解せません。高句麗の帰属問題に立ち入ることは控えますが、ハングルに加えてピン音を併記するならまだしも、ハングルを消してピン音を載せるご提案では中国に肩入れすることになるとはお考えにならないのですか?--田英 2007年6月17日 (日) 11:58 (UTC)
何か誤解されているようですね。私が提案しているのは、一番良いのは「ハングルの全削除」、それが駄目なら「言語ボックスにだけハングルを残して拼音と併記」です。
それと高句麗王家の世系を朝鮮国王の一覧に載せているのも良くないですね。分離しましょう。
Eagan 2007年6月17日 (日) 22:56 (UTC)
誤読していたようです。ご指摘いただきありがとうございます。その上でハングルの除去・ピン音の併記について反対します。高句麗は現代の朝鮮語(韓国語)圏を含む範囲にあった歴史的存在であり、その文物を表す現代現地語表記は積極的に載せておくものと考えます。現代の国家が帰属をめぐって争い始めていますが、長らく朝鮮史の位置づけで扱われてきたものですし、その争いは決着しておらず定説化に至っていないのですから、争いが存在していることについて本文中で触れていることで、中立性の観点では十分だと考えます。東北工程の存在を理由にハングルを除去したりピン音を併記するのでは、中国寄りとなってしまい中立性を欠くことになると考えます。
同じ理由で、高句麗王家の世系・歴代王の一覧が「朝鮮国王の一覧」(記事名の変更についての提案が出ていますが)に掲載されていることも何ら問題ないと考えます。--田英 2007年6月18日 (月) 12:00 (UTC)
田英さんは、どうやら高句麗史を韓国か中国かの二分法で把握していらっしゃるようですね。韓国人や韓国的の考え方に染まってしまった方はそういう見方にとらわれてしまって、そうでない把握の仕方があるという概念を理解していただくのはなかなか大変です。しかし、現代の特定の国家に結び付けることなく、高句麗を高句麗として記述することは可能です。むしろ、歴史学的な立場からはそうするべきです。因果関係は時間を逆行しませんからね。まあ実証史学POVと言われればそれまでですが、どこぞの民族史観で覆いつくすよりは良いでしょう。
高句麗史に対して様々な見方があるなかで、ウィキペディアがどのようにしてNPOVを維持するのか、残念ながら田英さんの返事は答えになっていません。上述のように、高句麗を高句麗として記述することは可能です。その上で、現代の特定の国家と結びつける個々のPOVを分けて記載するのが最善策と私は考えます。田英さんはこれに優る対案をお持ちなのでしょうか?
確かに歴史上の語を現代語で読むことは少なくありません。それが便宜上のもの、一種の符牒であることを田英さんは認識していらっしゃるのでしょうか? 昔の言葉を正確に再現するのは、特に資料が少ない場合に困難ですし、学者の間で完全に見解が一致することはほとんどありません。それに、歴史学者の考えは、それは言語学者の仕事であって、自分たちの仕事ではないというもののようです。そこで符牒として現代語が使われるわけです。高句麗の場合、日本語で記述する際に、その機能を担うのは漢字です。断じてハングルではありません。
Eagan 2007年6月24日 (日) 11:35 (UTC)

(戻します)まず、私の高句麗史に対する認識としては、東アジア史を構成する一部分であり、その中でも中朝関係史、半島内三国関係史、若干の伽耶・倭(日本)との関係史と捉えているつもりです。単純に韓国(史)か中国(史)かの二分法という考え方はしておりません。Wikipedia:検証可能性を担保するために、依拠する書籍として『朝鮮史』(武田幸男編著、山川出版社)を用いていますし、伝統的に朝鮮半島史・朝鮮史のなかで扱われてきて学説が累積したところに信頼できる概説書があると考えておりますから、韓国(史)寄りだと言われればそれは否定しません。中国史の枠組みで高句麗を扱ったもの、高句麗単独での歴史として考察された、信頼できる概説書がありましたら、お教えいただきたいです。この節の出だしが、いかにも東北工程を意識してのもの、それも俗な言い方になりますが「中国が自国史を主張しているのだから中朝に公平?に、ハングルを外せ、ピン音併記しろ」との御主張のように思いましたので、そうした公平感の実現は、ごく最近提出された中国の欲求に過分に応えるものであって中正を損なうものとの考えを示しました。
逆に尋ねますが、高句麗を高句麗として記述する、とは具体的にどのような形態になるのでしょうか。そして現代の特定の国家と結びついた個々のPOVを分けて記載、とはどのような形態でしょうか。Eaganさんが最善策と仰る記述の仕方が想像できかねます。まさか、中立版は日本語のみ(ひらがな、漢字)、朝鮮POV版はハングル併記、中国POV版はピン音併記(と注音字母も添えますか?)のようなものではないですね? さらに、どこぞの民族史観で覆い尽くされた表記とはどのような形態をさしていますか? NPOVを維持することについては、簡単なことではないと思いますが、他言語表記の有無という表面的なことではなく、記述内容そのものが問われるものだと考えています。Eaganさんのお考えの最善策に優る対案、と言われましても、最善策の姿が想像できませんのでこの点は回答しようがありません。
現代語表記が符牒に過ぎないこと、日本語で記述する際の符牒は漢字であってハングルではない、とのことですが、それはそうですね、としか言いようがありません。高句麗を指して「こうくり(고구려)」と書いてあれば、それはおかしいと思います。ですので、高句麗(こうくり、고구려、コグリョ)のように記されていることで、仰るような符牒としての漢字ありきで追加情報としてハングル、音を添えている状態にあります。そして、単独記事になっている場合には定義文もしくはテンプレート(インフォボックス)にまとめて記述するように意識しています。本文中にハングル・読みを添えているのは、単独立項されそうにない語句(古鄒加(こすうか、고추가、コチュガ)など)に限られていると思いますが、前段の東北工程にかかる公平?の側面は別として、何か不都合があるのでしょうか。
--田英 2007年6月24日 (日) 14:32 (UTC)

田英さんは「単純に韓国(史)か中国(史)かの二分法という考え方はしておりません。」とおっしゃいますが、それに続く文を読む限りでは、やはり現代の国家から離れて古代史を見ることができないようです。なじみのない概念を理解していただくのは大変な作業ですし、特に田英さんは話がなかなか噛み合わない方のようですが、さてどこから説き起こせばいいでしょうか。
田英さんは「伝統的に朝鮮半島史・朝鮮史のなかで扱われてきて学説が累積した」とおっしゃいますが、それは高句麗の帰属を意味するものではありません。日本の研究者、例えば武田幸男が、「高句麗は朝鮮史である」と積極的に主張していますか?高句麗史をやっている研究者は、まともなところだと文学部の東洋史専修など、そうでなければ国際何とかといった所属になっていて、朝鮮史の看板を掲げています。しかし、片や中国人が「疆域理論」なるものをこしらえて、あたかも唯物史観の発展段階論のようにトップダウンに適用しようとしていて、片や韓国人が「我々の歴史だから我々の歴史だ」的な感情的な議論を繰り返している中、日本の学者はそのどちらとも距離を置いています。では、帰属問題を避けて、日本人が何をやっているかというと、実証史学をやっています。後世の国際情勢がどう変化しようと、過去は変わらないからです。因果関係は時間を逆行しません。だから、厳密に史料批判をして同時代的な状況を把握しようとしているわけです。高句麗よりも渤海を例にした方が、日本人が中国、韓国、北朝鮮の論文を紹介している論説が多くて分かりやすいかもしれませんが、本質的にはどちらでもかわりません。
要するに、韓国か中国かという二分法より前に、現代の国家に帰属させるか否かという区分があります。前者が同じような発想で別の主張をしているのに対し、後者は発想そのものが違います。いわば0か1であって、折り合いをつけることはできません。では、ウィキペディアで相反する見方をどうやって共存させようかといえば、分けて記述するしかありません。つまり、本文をメインの節と枠組み論の節に分けます。メインの節では中国や韓国と関連付けることなく高句麗を記述し、枠組み論の節では韓国史に帰属するという見方と中国史に帰属するという見方を紹介します。伝統的に朝鮮史云々は後者に書けばよいわけです。本文は突っ込みどころ満載なので、あまり引きたくないのですが、一つ例を挙げると、「半島南西部の百済、南東部の新羅とともに朝鮮半島における三国時代をなした。」というイントロは余計でして、枠組み論の中に押し込めるべきです。
さて、ここまでの前置きを踏まえれば、ハングル問題にどう対処すべきかわかります。高句麗語や高句麗語の語彙を写した漢字音は、現代韓国語やその漢語音とは別物です。つまり「音」として何の価値もありません。CJKV以外の言語では何らかの「音」を写さないと表記しようがないのですが、幸い日本語の場合、漢字をそのまま書けばすみます。言葉について議論したいのであれば、歴史学者の素人談義ではなく、歴史言語学の説を引けばよいのです。例えば、最近では、日本人だと清瀬義三郎則府などが高句麗語について議論しています。
ハングルが「音」として無価値なので、ハングルを表記することは、「高句麗が韓国に帰属する」と主張するという効果しか持ちません。しかし、前置きで説明した通り、韓国と関連付ける記述を枠組み論の節の外に置くべきではありません。だから有害無益なハングルを削除しようと言っているのです。おわかりいただけたでしょうか?
Eagan 2007年6月27日 (水) 12:40 (UTC)
Eaganさんの意図がすこし解ってきました。最善とされる記事の形態についても、おぼろげながら想像できるようになりました。いくつか質問させてください。
  1. ハングルの除去の範囲はどこまでですか。本記事及び渤海 (国)記事内の全て、までと考えてよいのでしょうか。それとも高句麗・渤海に属する全ての記事(歴代王や、少ないですが乙支文徳・明臨答夫、中原高句麗碑、乞乞仲象など)の定義部の読み・インフォボックスにまで及ばせるつもりでしょうか。
  2. 日本の研究者は、帰属問題を回避して実証史学の立場を貫いているとのお話ですが、では武田幸男編著『朝鮮史』(山川出版社、2000)においてハングル由来の読み仮名を振っていることをどうお考えでしょうか。(例として、縦書きですので高句麗に対しては右に「コグリョ」のみ、渤海に対しては右に「パレ」、左に「ぼっかい」。「ボーハイ」とは記していません、また、ハングルそのものは書かれていません。)
  3. 中国や韓国と関連付けることなく高句麗を記述し、とありますが、その具体的な形態についてはまだ理解できません。もうすこし掘り下げてご説明いただけますか。
以上の質問とは別に。言葉や音価が問題となる記述については、言語学の成果を用いて(典拠として明示して)行なうべきとのお考えは理解し同意します。その指摘に対しては、過去に私が別の記事で行なった編集について、反省しなくてはならない点もあると思います。しかし、文脈上で音価が問われる記述ではない場合には、ハングルの表記が有害無益とのご理解には同意できません。ハングルが音として無価値なのでハングルを表記することは「高句麗が韓国に帰属する」と主張するという効果しか持ちません、というのが解ったような解らないようなものと感じます。音価の問題として無価値、もしくは誤解を生じる危険があるから除去すべきだ、というのなら理解できます(その場合には音価を問われる記述についてカールグレンでも引いてきてIPA表記するか、ご指摘いただいた清瀬義三郎則府を引いて記すのが妥当なのでしょう。申し訳ないですが清瀬氏の研究がどのようなものなのか、またどのように評価されているのかを私は存じません)。そうではなくてあえて帰属問題を持ち出されている辺りが、はじめに東北工程を想定した議論であって、音についての云々は付けたしのように感じられます。--田英 2007年6月27日 (水) 15:59 (UTC)
話が噛み合わないとの指摘もいただいておりましたので、広く意見を募れるようにコメント依頼へ提出してきました。--田英 2007年6月27日 (水) 16:14 (UTC)

議論その2

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現代韓国語を載せるなら同時に現代中国語も載せないと中立と言えないでしょう。61.209.75.190 2007年6月21日 (木) 14:51 (UTC)

上にも書きましたが、現代中国語(ピン音)の表記をすることについては、東北工程を積極支持することになって却って中立を損ねてしまうと考えます。--田英 2007年6月24日 (日) 14:32 (UTC)
ロシア語表記も書いたらどうだね?現在ロシア領になっている地域にも高句麗は進出したと言われている。英語版でも併記されているので情報はないよりは益しだろう。--Sionnach 2007年6月24日 (日) 14:42 (UTC)
東北工程の有無を基準にするのは事態の歪曲です。あたかも中国側だけに問題があるといってるように聞こえますが? 中立というのは中韓露の三国に平等に配慮することではないのですか? ハングルもピン音もキリル文字もすべて併記するか、さもなくばすべて削除すべきです。61.209.74.58 2007年6月25日 (月) 14:01 (UTC)
コメント依頼をはさんで遅れてしまいましたが、ひとまずこちらにレスいたします。まず、IP61.209.xxx.xxさんへ。東北工程の有無を基準にするのは事態の歪曲」とのご発言には理解に苦しみます。IPさんは当初のご発言で現代韓国語と現代中国語のみを挙げておられ(ロシア語への言及がありません)、Sionnachさんからのロシア語表記の提案を受けて、あわてて中韓露と拡大されています。IPさんが主張される「中韓露の三国に平等に配慮することが中立」なのであれば、IPさんご自身が中立の観点を持っておられないことを指摘いたします。中国を積極支持するお立場からの、見せ掛けの中立の提案となっていることをご認識ください。
続いてSionnachさんへ。キリル表記の提案について、その根拠を1)版図の現在の国家の言語で表記、2)英語版とされてのこととお見受けします。或いは別の意図があるのでしたら改めてお示しいただけると幸いです。2)英語版に倣っての表記追加は必ずしも妥当ではないものと考えます。1)については、世界帝国の類を全て同じ基準で記す(現在の国家の言語・文字で表記する)ことが妥当かどうかを考えたときに、いらぬ混乱を招くものと思い、本件の高句麗について先行適用することには反対いたします。極端な例ですが、モンゴル帝国の表記をラテン文字・キリル文字・アラビア文字・漢字(現代中国語の文字)・チベット文字・ハングル等の文字種すべてについて併記すべきである、というのと同じことになろうかと思います。尤も、Sionnachさんご自身も積極的に表記追加すべしというのではなくないよりはマシとの程度ですので、深入りは控えます。
--田英 2007年6月30日 (土) 16:05 (UTC)

コメント依頼より

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  • 現在の表記はハングル語表記だけが日本語と併記されていてNPOVから若干ずれていると考えます。Wikipedia日本語版ですから、日本語表記のみで十分ではないでしょうか。他国語版に類似の項目があればそこにインターリンクを貼れば良いのではないかと思います。--Kodai99 2007年6月30日 (土) 22:38 (UTC)
    • 他の方からのコメントがつかないので、コメント依頼提出者(田英)からコメントいただいた方に質問させていただきます。「Eaganさんの案に賛成」「ハングル表記によりNPOVからずれる」とのことですので、現在の表記では韓国POVということでしたら、具体的にどの部分をどうすればよいのか、のご提案をいただきたいと思います。2007年6月27日 (水) 15:59 (UTC)に私から追加質問させていただいている3点について代わりにお答えいただくことでも結構です。--田英 2007年7月7日 (土) 13:12 (UTC)
      • え~、Fugue氏のことは良くわかりませんが、ワタシの考えを述べておきます。
        1. 除去の範囲は関連する記事全てが妥当と考えます。(上にもあるとおり、ワタシは日本語版ですから日本語だけで十分と考えます。もしハングルを掲載するのであれば、他の帰属する可能性のある国の言語全てを併記すべきと考えます。)
        2. 山川出版の考え方について議論しても意味が薄いと存じます。(Wikipediaと山川出版は考え方が違うので違う結論となってもおかしくないため)
        3. Eagan氏がどのように考えているのかわかりませんのでお答えしかねます。
      • とこんな感じですが如何でしょう?--Kodai99 2007年7月7日 (土) 23:29 (UTC)
  • 田英です。コメントいただいた意見への反論となり申し訳ないですが、「日本語版だから日本語だけで十分」というご意見では、意図されるところがわかりかねます。「高句麗・渤海に限定して」「日本語版だから~」というお考えではないと思いますが、「ありとあらゆる記事から日本語外の表記をなくす」へと及ぶのでしょうか? であれば議論の場は変わってくると考えます。例えば神聖ローマ帝国はドイツ語表記(文中にラテン語表記はあります)のみですが、ドイツPOVとしてドイツ語表記の除去を求められるのでしょうか。また、「帰属する可能性のある国の言語全てを併記すべき」については、同じく神聖ローマ帝国でイタリア語・チェコ語・フランス語などの表記を求めて、そのことが支持されるでしょうか?上記2007/6/30に私が投稿したものですが、モンゴル帝国の諸国語表記はどうでしょうか。現状では、中心となる国語での原語表記が標準の状態であり、「日本語版だから日本語だけで十分」「帰属する可能性のある国の言語全てを併記すべき」というのはご自身が仰られるようにKodai99さんのお考えであって、コンセンサスの得られているものではないと考えます。
高句麗については英語などのGoguryeo、ロシア語のКогурёがハングルの読みに基づく表記(ピン音読みに基づく英語表記だとGaogouliのようになるのでしょうか)となっているように、ハングルが原語として記されているのが自然な状態だと思います。日本語だけで十分というコンセンサスがないので、ハングルを除去する意図がわからなくなります。そして、ピン音を追記することについては中朝間の論争への配慮としか読み取れず、そうした配慮は中国に肩入れすることになると指摘しております。尤も、この高句麗の帰属問題が長期化して、国際的にもその帰属は中朝のどちらとも言いかねる、という時代になれば、渤海の記事のようにハングル・ピン音併記が望ましくなるのではないかとは考えております。(私は渤海の記事まで手が回らないので立ち控えておりますが、渤海記事にTemplate:朝鮮の事物Template:中華圏の事物を使用していない現在の状態を妥当だと考えています。)
ついでながら、英語/ロシア語の表記について、インフォボックスに記されているGoguryeoというのはあくまでもハングルのラテン文字転写であって、英語表記ではありません。中朝で帰属を争っている状況下ではこれらの表記を強行すると朝鮮寄りであるという批判のもとになるかもしれませんし、私も必要のないことと考えています。
山川出版社の件は、Wikipediaの編集方針とは違う考え方となってもやむを得ないとのご指摘は了解しました。Eaganさんへの問いの意図としては、学術的には「帰属問題を回避して実証史学の立場を貫いている」とのご主張に対し、反証として提示し、Eaganさんの論旨とのご確認をお願いしておりましたので、ご放念下さい。
さて、再びハングルの除去の対象範囲ですが、高句麗記事内の「朱蒙(ジュモン)」や王姓の「高(こう/コ)」については除去してもよいものと私も考えます。それらはリンク先の個別の記事(東明聖王や他の高句麗王)で読みが記されていれば足りるからです。インフォボックスにある고구려は記事名の原語表記であり削除すべきではないと考えるものです。官位名(例えば「相加(そうか、상가、サンガ)」)については単独の記事が起こされておらず、今のところはこの記事内でしか記されないものです。
--田英 2007年7月12日 (木) 14:56 (UTC)

(インデント戻す)ハングルの除去以外については了解です。本人しかわからんでしょうしね。

  • …。コンセンサスの得られた考えに基づく発言しか認めないと仰っているのですか?ワタシはワタシの考えがあり、田英さんには田英さんの考えがあります。そのことを認めないのであれば、記事は保護されるだけでしょう。何のためにコメント依頼をしたのかお忘れにならないようにお願いします。
  • で、ワタシは日本語以外の言語は英語がちびっとわかるだけですから、ハングル語などあってもなくてもどうでもいいのです(読めないし)。ただ、「どうかな」と訊かれたので、「いらない」とお答えしたまで(あっても読めないから読む上では邪魔と感じているためです)。どうでもいい意見といえばどうでもいいのでほっとかれても怒りはしません。
  • むしろ、高句麗のあった時代においての高句麗の母語(共通語)で書くべきなのかもしれませんねぇ。その時の母語で書くことのほうがよりよい(というか、理解を助けるに役立つ)のではないかと思います。
  • ハングル語での表記は、(言い方ははおかしいかもしれませんが)正しいのでしょうか?それが前述の「その時代における母語はなんだったのだろう?」という質問の大元です。
  • 除去する範囲についてですが、ワタシの考えでは全ての記事になります。が、それはコンセンサスを得られないでしょうね。むしろ一部の記事でそのような動きをするよりも、田英さんの言われるとおり場所を変えて、「記事の中の日本語以外の表記について」とでもして議論を行った方がよりよい結論になるのではないかと思います。--Kodai99 2007年7月13日 (金) 12:46 (UTC)
    • 二次コメントをいただけたKodai99さんに対してくどくどしく強い物言いとなりましたことをお詫びいたします。申し訳ありませんでした。コンセンサス云々については、「日本語版だから日本語だけで十分」というご意見に対しての私の警戒心の現われと考えていただいても結構です。(一次コメントから反応の消失する方も多いようですので、以後の通りすがりのコメントで「日本語版だから~」に安易に同調されての除去意見だけ書きおかれていくことを警戒し、予防線を張ったようなものといえるかもしれません。多数決で決める場ではないにしても、意図を量りかねる意見が連なっていくかもしれないと思い、後で悔やむくらいなら先に考えを述べておこうとしました。)
    • Kodai99さんも仰られるように、当時の言語による原音についてそれが検証可能なレベルで記せるものならば、ぜひ情報の追加は図りたいところです。Eaganさんとのやり取りにもありましたが、対象に即した言語学・音韻研究の成果を用いなくてはならないと考えますので、かなり敷居の高いものだと感じています。例えば上古音・中古音などを載せた漢和辞典を利用して個々の漢字にそれらを適用して本文に記述してしまうということは、独自研究の発表としかならないので、高句麗語の語彙についての研究の中で言及された音価を記す必要がある、と思います。ただし、こうした当時の言語体系からの表記の問題と、現代のご当地の言語による原語表記とは別次元の問題だと考えています。相変わらずくどい物言いですみません。--田英 2007年7月13日 (金) 15:09 (UTC)
      • 別に怒ってはいませんから気にしないでくださいまし。
      • 当時の言語については、高句麗を研究している方ならどなたか知っていそうな気がしますねぇ。当時の資料から直接持ってくるのは微妙にwikipediaでは独自研究として認められないような気もしますし。
      • また、発音が云々よりも記載の有無が問題かなぁという気がします。つまり、「高句麗での母語は中国語なのかハングル語なのか、はたまたロシア語なのか…」ということですね。母語以外の表記は理解を助けるためにあるわけで、ワタシ的にはあってもなくてもよいことになります。まぁ、素人のたわごとと斬って捨てても構いませんが。--Kodai99 2007年7月14日 (土) 01:40 (UTC)
        • 高句麗語の記事をご覧になられるといいかもしれません。私はその記事に追加編集をするだけの材料は持ち合わせておりませんが、当時の言語、それをどのように再現しようとしているのか、の概況は見て取れると思います--田英 2007年7月27日 (金) 02:57 (UTC)

とくに結論が出たわけではないですが、いったんコメント依頼のほうは終了報告しておきます。--田英 2007年7月27日 (金) 02:57 (UTC)

当時の言語からの観点は

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日常の文字としてのハングルは当時はなかったかとおもいます。それとは別に(他の方のコメントにもありますが)、当時の人々の言語はどうだったのだろう、また高句麗内での地域による言葉の分布などはどうだったのだろうか、と思います。 当時文字は漢文(漢字)が使われていたと思いますが、言葉と生活の観点から高句麗の人々を述べた場合、それは朝鮮人だったのか、中国(満州地域)の人だったのかが、見えてくるようにも思います。言語の項目があってもいいと思いますし、情報量によっては文化の項目に、言語と人々の生活に関する情報を加えてもいいと思います。 --Eurodollers 2007年12月21日 (金) 23:06 (UTC)

王族の姓「高」について

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王姓を高とすることに対して、『三国史記』は後世の逆推、広開土王以前には中国式の姓なし、と記入されていますが、その出典を提示いただきたいと思います。『三国史記』以前の史書で高句麗王姓を伝えるものに、

  • 『宋書』列伝57:「東夷高句驪國,今治漢之遼東郡。高句驪王高璉,晉軍帝義熙九年,遣長史高翼奉表獻赭白馬。以璉為使持節、都督營州諸軍事、征東將軍、高句驪王、樂浪公。」(高璉は長寿王)南斉書より古い宋書に記述があるのを確認したので追加。また本紀3武帝紀にも同等の冊封記事があります。--田英 2007年6月24日 (日) 00:14 (UTC)
  • 『南斉書』列伝39高句麗伝:「宋末,高麗王樂浪公高璉為使持節、散騎常侍、都督營平二州諸軍事、車騎大將軍、開府儀同三司。」(高璉は長寿王)
  • 『魏書』列伝88高句麗伝:「朱蒙遂至普述水,遇見三人,其一人著麻衣,一人著納衣,一人著水藻衣,與朱蒙至紇升骨城,遂居焉,號曰高句麗,因以為氏焉。」(姓については曖昧)
  • 『北史』列伝82高句麗伝:「硃蒙遂至普述水,遇見三人,一著麻衣,一著衲衣,一著水藻衣,與硃蒙至紇升骨城,遂居焉。號曰高句麗,因以高為氏。」(高姓を明確化)
  • 『資治通鑑』109晋紀安帝甲隆安元年(397年)夏四月丁丑条に北燕高雲(慕容雲)の出自として高句麗の支族出身であることが記されているようです(井上秀雄訳注『三国史記』第2巻 平凡社 1983 ISBN 4-582-80425-X p.146 注65)。ただしこの箇所は『三国史記』高句麗本紀・広開土王紀では「北燕王雲の祖父の高和は高句麗の氏族であり、自ら高陽氏の子孫といい、そのために姓を高としている」としています。

などがあります。一次資料(史料)を見ると高句麗王に高姓をつけて記した初出例は長寿王であって広開土王ということにはならないと思いますし、二次資料で「広開土王が始めて高姓を用いた、広開土王より前は中国式の姓がなかった」とするものは心当たりがありません。後世の仮託ではなく建国時より高姓を用いたとする同時代資料も見当たらないのですが、冒頭下線にあるような姓なしと断定するような資料もないと思います。二次資料による出典を示していただくことをお願いします。--田英 2007年6月18日 (月) 15:21 (UTC)

また、東明聖王・広開土王の諱とあわせての姓名の記述がされていましたが、王と五族の節においては必然性が感じられないのでコメントアウトしております。ドラマ太王四神記の影響なのでしょうか?--田英 2007年6月18日 (月) 15:21 (UTC)

Murasagiさんによってこのように編集されていますが、鮎貝房之進『朝鮮姓氏・族制考』に基づく記述の範囲が不明瞭なように思います。該当書籍を見ていませんので訂正することには躊躇しておりますが、

  • 「高姓を称したのは長寿王が最初」(要旨)→「高姓とともに記録に残ったのは長寿王が最初(『南斉書』)」辺りにしておくのが穏当と考えます。
  • 「長寿王が高姓を名乗ったのは北燕の慕容雲の伝を契機と考えるのが自然。広開土王が高安と記された可能性」(要旨)→鮎貝がそう記述しているのであればそれを明記するべきですし、そう記述されていないのであれば、独自の研究に相当するような危うい記述だと考えます。
  • 「漢風の姓は対中国外交の必要から使用が始まった」(要旨)についてはそうなのですが、前段とのつながりでの違和感があります。長寿王(または広開土王)から高姓が明確化したことと外交の開始とを紐付けて述べる意図だとすれば、中国王朝との外交自体はそれよりも前に始まると見られるので、噛み合わないと思います。何を以て外交とするかは簡単には定義できないですが、冊封されて中国王朝の内臣となったのは16代故国原王が初出例ですから、この時点で姓が明確化していなくてはおかしい、となるように思います(あまり深入りすると、これが独自研究となってしまいますので控えますが)。

くどくどしく書いて申し訳ないですが、せっかく鮎貝『朝鮮姓氏・族制考』を挙げられているので、それを活かした記事になることを願って、以上の3点の問合せをさせていただきます。--田英 2007年6月20日 (水) 13:03 (UTC)

上記3点のうち2点は修正しました。第2点の鮎貝は部を姓のように使う例があると指摘しているだけです。で高雲との関係ですが、典拠はしいていえば井上秀雄ですが、高雲との同族関係の確認によって高句麗が高姓を名乗るきっかけになったのは情況から明らかであり特定の誰かの説というほどのものとは思いません。それは井上秀雄も東洋文庫の注の中でいっていると思いますが井上秀雄個人の特殊な説でしょうか?(もしそうなら井上説として典拠にするのもいいと思いますが)。第3点は承服しがたいです。唯一の理由である必要はなく、「そんなら外交始まった途端に中国式の姓が同時発生しないとおかしい」というのは歴史学問的な発想と思えません。高句麗の当初から高姓をもっていたと考えている学者はいないと思います。3点いずれも基本的に通説に乗っ取っており大きく逸脱したことは書いてないと思ってますが、私の考えとは別に田英さんが御自由に書き加えて諸説併記の形として読者に判断させる形式にしてみてはいかがでしょうか。Murasagi 2007年6月21日 (木) 10:46 (UTC)

お返事ありがとうございます。Murasagiさんの編集の意図と背景とが解りました。続けて以下の確認をさせていただきたいと思います。1)については解決と思いますので、2)・3)についてもうすこし掘り下げます、
  • 2-A)高雲との同族関係の確認については典拠は井上秀雄とする必要はないでしょう。上のほうでの私の挙げ方がよくなかったのですが、北燕の高雲との同族とする件については、広開土王紀・十七年春三月条に記述があります。
(広開土王)十七年春三月。遣使北燕。且叙宗族。北燕王雲、遣侍御史李拔報之。雲祖父高和、句麗之支庶(属)、自云高陽氏之苗裔。故以高爲氏焉。慕容寶之爲太子。雲以武藝侍東宮。寶子之、賜姓慕容氏。(『三国史記』巻第十八・高句麗本紀第六)
それに対応する記事が『資治通鑑』109晋紀安帝甲隆安元年夏四月丁丑条にある、ということを井上秀雄は注釈しています。私自身が資治通鑑の該当記事を確認していないので、井上訳注本に拠って、資治通鑑に記載があることを挙げたつもりでした。三国史記の記事の出典を資治通鑑に確認したことの注記です。
  • 2-B)井上秀雄は広開土王本紀記事の出典を資治通鑑と注釈しただけですので、
「東洋文庫「三国史記」の井上秀雄による注にもあるように、長寿王が「高」姓を名乗ったのは先代の広開土王の末期に北燕の高雲との同族関係が確認されており、情況からするとこれが契機と考えるのが自然である。」(Murasagiさんの2007-06-21T11:08:30UTCの編集より引用)
とされている書き方だと、井上秀雄が注釈で「長寿王が(はじめて)高姓を名乗った」「高句麗王が高姓を用いるようになったのは北燕の高雲との同族関係の確認を契機とする」としているように読めてしまいます。そうしたことは井上秀雄は書いていませんから、井上秀雄を挙げての記述は除去しなくてはならないと考えます。
  • 2-C)「高雲との同族関係の確認によって高句麗が高姓を名乗るきっかけになったのは情況から明らかであり」とお考えのようですが、そうした類推は可能とは思いますが、定説化しているわけではないようです。そうした学説や、概説書の記述があるのであれば、それを出典として示していただくことをお願いしています。少なくとも井上秀雄はそうしたことは言っていませんし、鮎貝房之進も書いていないようです。ですから、この部分はそうした類推ができるけれども、Murasagiさんの見解に留まるものだといえると思います。
  • 3)中国との外交関係とともに国姓が必要になった、とする考え方が広く行なわれていることに異議のないことは前にも述べたとおりです。
広開土王の治世が長引けば、広開土王も「高安」と名乗った証拠が残った可能性は高かったろうが当該記事のあと間もなく王は死去し、中国側に記録の残るような外交の機会がなかったので、高姓を称した初の王としては次の長寿王が中国側に記録されたのである(Murasagiさんの2007-06-21T11:08:30UTCの編集より引用)
とされていますが、まず、広開土王の治世が長引けば高安が記録された可能性が高いという仮定に基づく記述は不要ですし、早世したために「長寿王が(高姓とともに始めて)中国側に記録された」と断定的に書くことが独自見解になると思います。こうした見解が既に学説として発表されているのであれば、一説として書くことは可能だと思います。

Murasagiさんの仰るように通説を大きく踏み外した記述ではないと思いますが、類推に基づく見解であればやはり出典のない独自研究として記述は控えないといけないと考えます。確認できた部分については、要出典の下線部から外れるように編集しておきます。--田英 2007年6月21日 (木) 13:09 (UTC)

どうも噛み合ない感じがしてたんですが、どうやら東洋文庫の注といっても別の部分の注のことを言ってるようです。ちょっと今手許にないので正確なことは言えませんが、私が言っていた注と御指摘の(上記に引用されている)注とは別のもののようです。もしかしたら三国史記の注ではなくて他の著作かも知れませんが(井上秀雄じゃないかも)。いずれ出てきたらこのノートで報告しましょう。遠い先ではないと思いますので。それと私の悪文をすっきり読みやすく直してくださってありがとうございます。Murasagi 2007年6月23日 (土) 21:54 (UTC)

お詫びしなくてはならないことがありました。別の部分の注、ということで気になって再確認してみたところ、井上訳注『三国史記』2巻の始祖東明聖王紀の文頭の「始祖東明聖王、姓高氏、諱朱蒙。」について、
高句麗王が高氏を称した初見は『宋書』高句麗伝の高璉(長寿王)である。この高氏は北燕王の高氏に由来するもので(広開土王十七年条参照)、高句麗の高をとったものではない。初期の高句麗の王には解を冠する名が多く、解は太陽を意味し、天帝の後裔の美称であろう。(井上秀雄訳注『三国史記』第2巻 平凡社 1983 ISBN 4-582-80425-X p.24 注3、出典確認のために引用)
と注釈されていました。1)前記の2-B、2-Cについては私の読み込み不足でした。2)初見例を『南斉書』としていましたが『宋書』であり、こちらも原書確認不足でした。2-B箇所では、Murasagiさんが編集されていたように井上訳注本を出典としての記述に戻そうと思います。北燕由来の高氏とするのが井上秀雄の特殊な説かどうかの判断はせず、淡々と出典としての記述になるようにしてみます。また、この際に出典についての書籍・掲載ページを明確化するために、<ref></ref>を用いた注釈表記に切り替えられるところをほかにも編集してみようと思います。その後には、鮎貝『朝鮮姓氏・族制考』の書誌情報、掲載ページなどを補強していただけると助かります。
ともかく、私の確認不足からくる思い込みで独自研究との決め付けで進めてしまい、申し訳ありませんでした。--田英 2007年6月24日 (日) 00:14 (UTC)

高句麗の国名について

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2008年1月20日の一連の編集で利用者:士燮 威彦さんが高句麗の国名について「鄒牟が卒本扶餘の別称である句麗に自分の苗字の高を加えた」旨の記述になっておりますが、寡聞にしてそのような説は初耳です。出典を求めますのでよろしくお願いします。--ろう(Law soma) D C 2008年1月21日 (月) 03:08 (UTC)

地図について

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Evawenさんに過去に私がrvした地図について再rvされました。これについて私の考えを述べておきます。この地図は中国の王朝名から推察するに4世紀から6世紀にかけての概略図であろうと思います。6世紀を含んでおりますので、伽耶新羅に組み入れられた後の勢力図であっても間違いとは言えません。しかし地図のキャプションでは明確に「5世紀終わり頃」と書かれています。これでは伽耶が独立勢力であった長い期間が無視されてしまいます。前回は単純に地図を戻しましたが、今回はキャプションを「6世紀後半頃」にしました。これでも駄目なら、理由を書いてください。--ろう(Law soma) D C 2009年11月26日 (木) 09:24 (UTC)

独自研究

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  1. 金芳漢著『韓国語の系統』が誤り引用されていて彼は"指名者料だけでなくより幅広い比較言語学的な研究方法を通じて古代三国の言語が同一だったことを立証"している
  2. "李基文"の論文にも高句麗が新羅言語と違うという一つの仮設を主張したが,その論文には高句麗が朝鮮族の先祖ではないとの内容はなくて, その論文ですら,44% 中世朝鮮語と対応されることで叙述している。 すなわち高句麗と新羅御駕完全に関連がないということは偽. "李基文"の論文はすでに反論論文が数えきれない程出ていてその人の"仮設"が定説で確立されたことはない。
  3. この時代には満洲族が存在しなくてツングース界が満洲族ということができなくて
  4. 高句麗の言語は他のツングース系統民族と明確に違うと中国の歴史書物に明確に記録されている
ツングース語(満洲語含む)とは高句麗御駕大きく異なるということが中国の正史らに出ていて,百済と新羅と間接的に連結の輪を探すことができる端緒があって現代朝鮮語もツングース語とは大きく異なったと見る時,高句麗語 = ツングース語系という主張は錯誤の主張であり,独自研究による恣意的編集である確率が高い。W450by11 2010年1月15日 (金) 14:54 (UTC)
高句麗はツングースではない, "扶餘韓共通語"に属します. またどんなソースにも高句麗語と中世朝鮮語は数対応されると敍述されているし, 完全に違うという内容はどこにも尋ねることができません W450by11 2010年2月3日 (水) 21:16 (UTC)


韓国の工作員が湧いてるな。思いっきり韓国よりな編集を行って不都合な箇所は片っ端から削除していく。W450by11 さん。あなたの投稿記録を見ると韓国に不都合な箇所を片っ端から削除されているので韓国人なんでしょうが、もう少し日本語を勉強して書き込んでください。あなたの書き込みは意味不明です。あなたの出した資料は「言語が違う」というだけのものであり、高句麗人は満州族の母体であるとする見解を否定するものではありません。出典の出ている説を個人の感情から隠蔽し、消し去ることはお止めください。あなたは以前無期ブロックされたAlertkeepではないでしょうか?どんなに工作しても高句麗人と現代の韓国人は民族的関連が弱く、高句麗は扶余人で東胡の一部で、高句麗の血統を受け継いだのは現在の満州族。

広辞苑より

【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。また、その建てた国。ツングース族の一。

【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。

【渤海】八~一〇世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。靺鞨族の首長大祚栄が建国。

【靺鞨】ツングース族の一。粟末靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。

高句麗の支配層の扶余族はツングース系民族(鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』中公新書、金達寿『朝鮮』岩波新書 )、そして靺鞨もツングース系民族で、現在の満州族の母体。 「高句麗の主要民族は満州族の一種 (略) 高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である。 (略) 渤海は、唐の高宗の代に高句麗が唐・新羅の連合軍に討滅された後、唐の玄宗から渤海郡王に封ぜられた大祚栄氏がつくったツングース系の国であった。(黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』 )」--125.203.198.208 2010年2月9日 (火) 05:55 (UTC)


日本の学界では高句麗人はツングース民族と考えられている。

濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」「高句麗族はツングース系の扶余族の別種(木村誠 趙景達 吉田光男 馬淵貞利編『朝鮮人物事典』)」、諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」、Searchina三国史記によれば、高句麗の始祖は朱蒙。ツングース系の一部族である扶余族(2008年2月24日serchina)」、黄文雄遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」、鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」(夫余とは、村山正雄「古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族(Yahoo!百科事典)」、佐々木史郎「夫余と靺鞨はツングース系の民族ではないかと考えられている(Yahoo!百科事典)」、山川出版社『世界史用語集』「【夫余】同じツングース系の勿吉に滅ぶ。百済の王は夫余族と言う」)、護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、宮脇淳子「高句麗人は、南満州で半農半牧の生活をしていた貊人の一種である(宮脇淳子著『世界史のなかの満洲帝国』)」(貊とは、山川出版社『世界史用語集』「【貊族】紀元前7世紀~紀元前6世紀以降河北省長城地帯から中国東北地方にいたツングース系民族で、漢族・モンゴルに系に圧迫されて東方に移り、のちの夫余・高句麗を建国」)、広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」、大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」大辞林「【高句麗】中国東北部にいた扶余族の一支族が建国」、日本大百科全書「高句麗は夫余族の一派で、鴨緑江中流域を中心にして紀元前後に王国をつくった」--125.205.121.55 2010年5月8日 (土) 15:36 (UTC)

ピンインについて

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個人的な質問なのですが、わたしの手元にある本の「高句麗」の中国語はgao1gou1li2なのですが中国語版ではgao1gou1li4となっています。だれか歴史書の註釈で、漢字の読み方を示したものをおもちでしょうか。ご教示ねがいます。--字正 2010年6月21日 (月) 10:21 (UTC)

手元の中国語辞典では「麗」は「li2」と「li4」の両方があります。しかし、どちらかが正しいわけで、中国語辞典では「li2」の方が正しいようです。そうすると、中国語版の方が、間違っているということになります。--Bletilla 2010年6月21日 (月) 12:32 (UTC)
一信ありがとうございます。ベトナム語版でもli2に対応する「ly」で写していますからだいたいそうだろうと思っていました。--字正 2010年6月21日 (月) 14:52 (UTC)
「麗」字は日本の音読みがふたとおりあることからもわかるように、唐代にはすでに読み方の区別があったようです。ですからどこかの歴史書の註釈に読み方を限定する文章があるのではないでしょうか。--字正 2010年6月21日 (月) 14:52 (UTC)

保護報告

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編集合戦により1か月保護しました。歴史地図を貼付する際にはその地図が示している西暦年を明示して、適切なキャプションと共に使用するようにしてください。

I have protected this page for 1 month by the edit war. If you use some historical maps, please specify the time of when with an appropriate caption.

為編輯戰保護了1個月。粘貼歷史地圖的時候明示那個地圖表示著的西曆年,與恰當字幕一起請使用。

편집 분쟁에 의해 1개월 보호했습니다. 역사지도를 첨부할 때에는 그 지도가 나타내고 있는 서역년을 명시하고, 적절한 캡션과 함께 사용하도록 해 주십시오.--ろう(Law soma) D C 2010年10月8日 (金) 01:10 (UTC)

編集合戦により3か月保護しました。歴史地図を貼付する際にはその地図が示している西暦年を明示して、適切なキャプションと共に使用するようにしてください。
I have protected this page for 3 month by the edit war. If you use some historical maps, please specify the time of when with an appropriate caption.
為編輯戰保護了3個月。粘貼歷史地圖的時候明示那個地圖表示著的西曆年,與恰當字幕一起請使用。
편집 분쟁에 의해 3개월 보호했습니다. 역사지도를 첨부할 때에는 그 지도가 나타내고 있는 서역년을 명시하고, 적절한 캡션과 함께 사용하도록 해 주십시오.--ろう(Law soma) D C 2011年1月20日 (木) 09:54 (UTC)

扶余・高句麗をツングース民族とする見解に拘る方へ

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参考文献に挙げられている三国史記その他書籍や中国史書には、扶余や高句麗の言語が粛慎や靺鞨と同じ若しくは類似するという記述は一切ありません。差し戻しの前に出典があるなら提示してください--219.161.35.146 2011年7月6日 (水) 12:16 (UTC)

いかにも適当でいい加減で根拠簿弱な事書かれてますが、日本の歴史学界では高句麗はツングースと考えられており、これだけ数多の学者がツングースとしている以上、ツングースとするのが妥当。濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」「高句麗族はツングース系の扶余族の別種(木村誠 趙景達 吉田光男 馬淵貞利編『朝鮮人物事典』)」、諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」、Searchina三国史記によれば、高句麗の始祖は朱蒙。ツングース系の一部族である扶余族(2008年2月24日serchina)」、黄文雄遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」、鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」(夫余とは、村山正雄「古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族(Yahoo!百科事典)」、佐々木史郎「夫余と靺鞨はツングース系の民族ではないかと考えられている(Yahoo!百科事典)」、山川出版社『世界史用語集』「【夫余】同じツングース系の勿吉に滅ぶ。百済の王は夫余族と言う」)、護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、宮脇淳子「高句麗人は、南満州で半農半牧の生活をしていた貊人の一種である(宮脇淳子著『世界史のなかの満洲帝国』)」(貊とは、山川出版社『世界史用語集』「【貊族】紀元前7世紀~紀元前6世紀以降河北省長城地帯から中国東北地方にいたツングース系民族で、漢族・モンゴルに系に圧迫されて東方に移り、のちの夫余・高句麗を建国」)、広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」、大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」--通りすがりの某 2011年7月6日 (水) 14:42 (UTC)
その中に1つとして高句麗やツングース人を扱った書籍や論文が無いのは何故なんでしょうね、答えは解りきってますが。参考文献に挙げられている史書やその他文献にも、高句麗をツングース人とする記述若しくは高句麗・扶余の言語が粛慎や靺鞨などと同一とする記述は出て来ない。
Yahoo!百科事典は参考文献にはならないので、通りすがりの某が責任を持って鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』その他の参考文献に成り得る書籍を参考文献へ載せといて下さい。何を参考にしたのか大いに疑問だけども--219.161.35.146 2011年7月6日 (水) 19:02 (UTC)
とりあえず結論や断定を避けておきました。直接ツングース系民族について取り扱った書籍や、近年の学説動向の分かる文献等が判明するまでは、当分両論併記でいくしかないと思います。とはいえ、正直言って現状ここで判明した出典を拝見する限りでは、「これまで日本、中国では漠然とツングース系と考えられてきた」「韓国では朝鮮民族と考えられてきた」「中国ではツングース系であることを根拠に東北工程で高句麗を中国史としていた」「近年中国ではツングース系でないとする説が出ている」「公平に見て民族系統は不明」以上の何者でもないと思います。--ろう(Law soma) D C 2011年7月7日 (木) 03:29 (UTC)
「魏書・列伝八十八、北史・巻九十四ほか高句麗に言及した全ての史書において、モンゴル系民族(鮮卑→北魏、契丹→遼)と区別し、ツングース系民族(粛慎、靺鞨→渤海・金、女真→清)とは言語が異なると明記している。」と書いてますが出典はありますか?書いた本人が魏書・列伝八十八・北史・巻九十四を読んでみてツングースではないとしているなら、(書いた本人が勝手に思うのは本人の自由ですが)ウィキペディアで禁止されている独自研究に抵触します。--125.205.120.155 2011年7月28日 (木) 19:13 (UTC)
ウィキペディアの日本語の起源の項目に、「魏志東夷伝」や「後漢書」などから推測すると、三世紀後半に鴨緑江以北を本拠地としていた夫余・高句麗の言語がツングース系だった可能性は高い(村山説: 1979年)って事が書いてある。--125.205.120.155 2011年7月29日 (金) 03:33 (UTC)
扶余をツングース人としている学者は誰でしょうかというノート:ツングースでの質問ですが、知っている範囲内であれば、佐々木史郎、濱田耕策、諏訪春雄、黄文雄、鳥越憲三郎、村山正雄、護雅夫、井上満郎、宮脇淳子、和田萃、室谷克実の各氏です。さて、「参考文献に成り得る書籍を参考文献へ載せといて下さい」との事ですが、ツングース史が専門の佐々木史郎国立民族学博物館教授に質問したところ次の回答を頂いたので紹介します。 ツングース系にはいくつかの民族(言語)があります。夫余はツングース系の中の一つの民族(言語)だった可能性があるということです。参考文献は、三上次男著『東北アジア史研究2 古代東北アジア史研究』吉川弘文館、三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』山川出版社、井上秀雄訳『東アジア民族史1 正史東夷伝 (東洋文庫 264)』平凡社、井上秀雄訳『東アジア民族史2 正史東夷伝 (東洋文庫 283)』平凡社をお勧めします。 以上です。--通りすがりの某 2011年7月30日 (土) 19:10 (UTC)
  • 3つ上へ、『通古斯族系的興起』にツングースの言語がモンゴル系やトルコ系とは異なるとある。また、高句麗はツングースとしていない。なので独自研究ではないですね、参考文献からの引用。
  • 2つ上へ、ウィキペディアが参考情報に成り得るのなら自分で編集して自分で引用すればいい。しかも、後漢書東夷列伝では扶余と挹娄の言語は異なると、魏志東夷伝では扶余や句麗と挹娄の言語は異なると、それぞれ記す。
  • 1つ上へ、黄文雄,諏訪春雄,村山正雄,護雅夫,井上満郎,宮脇淳子,和田萃,室谷克実は、高句麗やツングースの研究をしていない方々です。貴方は何故すぐバレるウソを書いたのか? 挙げられた書籍は読んでみますが、佐々木史郎,濱田耕策の両名が扶余人をツングースとしている文献の題名は何でしょうか?また、何故今の今まで参考文献に挙げられていないのか疑問。--112.138.251.208 2011年7月31日 (日) 14:08 (UTC)
出典があるなら問題はありません。両方の説を併記すべきです。ただ、佐々木四朗以下の学者たちがどういった根拠でそういう説(濊系=ツングース系)を唱えているのか、要約して説明してもらうと、なお親切ですね。この問題はとてもデリケートなので、誰でもわかるような文章にしないと今回のような論争になってしまうので、いろいろよろしくお願いします。また、他の人たちはできるだけ検証をおこなうようにお願いします。--トムル 2011年7月31日 (日) 14:14 (UTC)
出典ある記載を自身の個人的感情から何度も除去しないでいただきたい。--218.217.121.107 2011年8月1日 (月) 08:43 (UTC)
そもそも断定してツングース系といえるのは女真以降であり、濊系(夫余、高句麗)がツングースだの、粛慎系(挹婁、勿吉、靺鞨)がツングースだのというのはほとんどわからないことであって、どんな学者が主張しようとも、それはあくまで推測にしかならない。ただわかっていることは、濊系と粛慎系の言語が異なるということであり、濊系にはツングース系説のほかに朝鮮系説,滅亡語説などがあり、粛慎系にはツングース系のほかに古シベリア語説があるので、注意を要する。そもそもツングース語という言語がなかった可能性もある。そういう中で我々(編集者)ができることは「主張」ではなく、各説の「紹介」ではないでしょうか。ただし、ウィキペディアのルールを守った上で。--トムル 2011年8月1日 (月) 11:53 (UTC)
金史において女真は靺鞨の後裔と記述されており、研究者も当然にその記述に依拠している。それをほとんど解らないなどと断定するのは否定の為の無謀な暴論であって、自らが固執する主張を押し通す方便以外の何物でもない。また勿吉が靺鞨の祖先である事も幾つもの史書に記述されており、これは粛慎や挹婁についても同様。また、粛慎系がツングースでないと主張したいのであれば、当然に参考文献とその内容が提示される筈だがそれもしない。そもそも、参考文献が明記されない説を参考文献の明示された説と並べて「紹介」する事自体、上の(編集者)にウィキペディアのルールを守る気などさらさら無い事が解る。--112.138.251.208 2011年8月1日 (月) 16:09 (UTC)
「扶余や濊をツングース人としている日本人学者とは例えば誰でしょうか?」という質問をされたので、ツングース人としている日本人学者の名前を挙げただけです。関係のない失礼な質問をさせてください。219.161.35.146及び112.138.251.208は日本人でしょうか?--通りすがりの某 2011年8月1日 (月) 20:53 (UTC)
「どんな学者が主張しようとも、それはあくまで推測にしかならない。」とのことですが、どんな研究も「憶測」といえてしまいます。少なくとも信頼できる出典をもとに「言われていること」を「言われている」こととして書けるのがwikipediaでしょう。「それは憶測だから除去」としてしまったら、それこそ編集者が勝手に「憶測である」と研究してしまう独自研究に当たります。--218.217.121.80 2011年8月2日 (火) 05:42 (UTC)
通りすがりの某へ質問です。ページ本文の民族系統の項で「日本の学説では」と但し書きをされますが、扶余や濊をツングース人とする高句麗やツングースの研究者が書いた参考文献が挙がらず、無関係の知識人や学者の断片的なコメントばかり列挙しています。これは、高句麗やツングースの研究者が書いた参考文献と比較して非常に根拠の弱い情報ですが、同列に並べる事についてどう考えてますか?--222.228.202.154 2011年8月2日 (火) 07:55 (UTC)
ツングースの専門家ってなんですか?それってどんな人なんですか?通りすがりの某氏が挙げた研究者は東アジアを専門にする歴史学者などであり、何ら問題のない出典で、十分専門家と言えるレベルの人たちですが、何を言っているのでしょうか?--218.217.121.80 2011年8月2日 (火) 10:49 (UTC)

無期限投稿ブロックされた韓国人のAlertkeep及びW450by11をご存知でしょうか?Alertkeepは3年ほど前にツングース高句麗の項目に現れて、必死で高句麗がツングース民族であることを否定し、その後無期限投稿ブロックを受けたのですが、1年半ほど前にW450by11という別のアカウントで再び現れました。Alertkeep及びW450by11は、「其人形似夫餘、言語不與夫餘句麗同(魏書)、挹婁、古肅愼之國也.在夫餘東北千餘里、東濱大海、南與北沃沮接、不知其北所極.土地多山險.人形似夫餘、而言語各異.(後漢書)、勿吉國在高句麗北、舊肅愼國也. … 言語獨異.(魏書)、勿吉國在高句麗北、一曰靺鞨. … 言語獨異(魏書)とあり、高句麗はツングースと違うという中国側記録は山のようにたくさんある」「事典はソースにならない。学術資料でないから検証できない」「諏訪春雄はツングースの専門家ではない。何故ツングースなのか説明が全く出てこない」「中国古書にも高句麗とツングースは明確に区別されている」「以下の諸民族・国家は現在ではツングース系とは考えられていない。濊、沃沮、高句麗、夫余、百済」などの書き込みを行ったのですが、219.161.35.146の「Yahoo!百科事典は参考文献にはならない」「三国史記や中国史書にも言語が異なる扶余や高句麗をツングースとする記述が存在しない」「黄文雄、諏訪春雄、村山正雄、護雅夫、井上満郎、宮脇淳子、和田萃、室谷克実は高句麗やツングースの研究をしていない」「後漢書東夷列伝では扶余と挹娄の言語は異なると、魏志東夷伝では扶余や高句麗と挹娄の言語は異なると、それぞれ記す」「以下は今現在否定されているが、極一部にツングース民族と推定する者もいた集団。濊貊、沃沮、高句麗、夫余、百済」などの書き込み及び必死になって高句麗がツングース民族であるであることを否定する態度を見ていると、219.161.35.146は無期限投稿ブロックされた韓国人Alertkeep及びW450by11と酷似しています。--通りすがりの某 2011年8月2日 (火) 20:31 (UTC)

通りすがりの某氏、IP氏の両者にお願いです。通りすがりの某氏にはその研究者がどういった理由で濊系=ツングースとしたのかを示していただきたい(示すのは学者名、著作名だけではありません)。IP氏には両論併記を認めていただきたい。--トムル 2011年8月3日 (水) 03:14 (UTC)
  • 3つ上へ、通りすがりの某の挙げた人物の発信の中、高句麗や濊貊・扶余などをツングースとしているのは、全員が東アジアを専門にする歴史学者以外の人物が、高句麗やツングース以外の事例に言及した文章の一部を抜き出したものです。 そして、参考文献に挙げていた『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』では、高句麗や扶余・濊系の言語はツングース語でないと明言している。 つまり、通りすがりの某に主張には、非常に薄弱な肯定的参考情報と、専門の研究者による明確な否定の2つしかない。
  • 2つ上、ろう(Law soma)の立場と思想はよく解った。説得も合意も不可能な人物でしょうから、あとは頑張って読書に励み、現実を受け容れる人物になれる事を望むばかりです。でないと、管理者権限の悪用により多くの人々に迷惑掛けるからね。
  • 1つ上へ、もちろん参考文献が提示されれば両論併記して然るべきでしょうが、現状では日本国内の文献においても濊系=ツングースの断定的否定しか見当たらない。もしトムル個人として両論併記を望むのであれば、参考文献を提示して頂きたい。どちらにせよ、何も裏付けが無いのでは現状提示されている参考文献に基づく説を載せるのがウィキペヂアのルール。--112.138.251.208 2011年8月3日 (水) 10:09 (UTC)

扶余や濊をツングース人としている高句麗やツングースの研究者が知りたいのなら、「扶余や濊をツングース人としている日本人学者とは例えば誰でしょうか?」ではなく、「扶余や濊をツングース人としている高句麗やツングースを研究している日本人学者とは例えば誰でしょうか?」と書いてください。--通りすがりの某 2011年8月12日 (金) 11:22 (UTC)

(トムル氏へ)「どういった理由で濊系=ツングースとしたのかを示していただきたい」とのことですが、確かにそれがあったほうがわかりやすいでしょう。しかし署名人や研究者が「高句麗はツングース」「扶余はツングース」と信頼おける著書や事典で示している以上、それを除去することはできないということは言っておきたいと思います(除去はipの行為でトムル氏に言うことではないですが)。
(112.138.251.208へ)まず、通りすがりの某氏の質問に答えてください。あなたは無期限投稿ブロックされたAlertkeep及びW450by11ですか?ブロック者との議論は無駄になりますので、まず明確にお答えいただきたい。
一つの参考文献で「高句麗や扶余・濊系の言語はツングース語でないと明言している」とのことですが、それをもって高句麗=ツングース説を否定するものではない。高句麗(扶余)をツングースであるとする数多くの(事典までに採用される)研究者の声がある事実を消す理由になっていません。--218.226.121.155 2011年8月4日 (木) 01:15 (UTC)
  • 私は無期限投稿ブロックされたAlertkeep及びW450by11ではありません、尤も日本語版のウィキペヂアでは相互チェックされていないため、管理者が自分に都合が悪い編集者に対して根拠を挙げずに無期限投稿ブロックする事が可能なので、ろう(Law soma)が近い将来権限を悪用する事は目に見えていますが。
  • 「信頼おける著書」とは具体的に何か?参考文献の項には濊系=ツングースを否定する文献しか列挙されておらず、ウィキペヂアの規定でソースに足るとしているソースが何も提示されていない。それと、愚にもつかないネット情報を除去したのは最初にトムル氏が2度、最後に私が1度です、事実に反する誹謗中傷は頂けませんな。--120.51.185.129 2011年8月4日 (木) 08:55 (UTC)
  • (112.138.251.208へ)私の立場と思想をお分かり頂けたとのことですが、であれば「説得も合意も不可能な人物」という評価とどのように繋がるのか分かりかねます。私は管理者の立場で編集合戦を認めた時点で保護をかけただけであり、また、ここの議論上では2011年7月7日 (木) 03:29 (UTC)に書いたとおり、「これまで日本、中国では漠然とツングース系と考えられてきた」「韓国では朝鮮民族と考えられてきた」「中国ではツングース系であることを根拠に東北工程で高句麗を中国史としていた」「近年中国ではツングース系でないとする説が出ている」「公平に見て民族系統は不明」であると認識しており、このような編集をしております。現実に編集合戦が起こっている状況で、誰が私のした保護行為を「権限の悪用」とするのか明示して頂ければ幸いです。場合によっては私に対するコメント依頼もご活用ください。--ろう(Law soma) D C 2011年8月4日 (木) 02:12 (UTC)
  • ろう(Law soma)は編集合戦を認めた時点ではなく、2度とも高句麗をツングース民族とする研修者の発信した文献に反する編集が行われた直後に保護をかけたのであり、管理者の立場を悪用したと推定するのが自然ですが、しかし稀な偶然と主張することも可能です。--120.51.185.129 2011年8月4日 (木) 08:55 (UTC)
  • 「これまで日本、中国では漠然とツングース系と考えられてきた」と認識しているとの主張ですが、日本及び中国のツングース系ではないとする文献は挙がっているのに対し、漠然とツングース系と考えられていると認識しているとの主張を支持する文献は何一つ挙げられていない(何故か参考文献ではなくヤフー百科事典というネット情報を挙げる)のは、ろう(Law soma)として何故だと思うか。--120.51.185.129 2011年8月4日 (木) 08:55 (UTC)
  • ヤフー百科事典等の事典辞典類は基本的に最もジャンルが近い専門家が書いているので出典に使用可能だと思います。あんなには不要だとは思いますが。また、鳥越憲三郎等の著作は出ていますよ。まあツングースの専門家ではありませんが。--ろう(Law soma) D C 2011年8月5日 (金) 01:25 (UTC)
  • 「中国ではツングース系であることを根拠に東北工程で高句麗を中国史としていた」と認識しているとの主張ですが、中国では現中国領であることを根拠に東北工程で高句麗を中国史に組み込んだのであって、ツングース系であると発表した事実は存在しない。ろう(Law soma)は、誤った認識であった事を知りどう思うか。--120.51.185.129 2011年8月4日 (木) 08:55 (UTC)
横槍を一応入れておきます。「中国では現中国領であることを根拠に東北工程で高句麗を中国史に組み込んだ」と主張していますが、それだけではありません。Law soma氏の言うように「中国ではツングース系であることを根拠に東北工程で高句麗を中国史としていた」のです。(中国の)公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」としている[1]。中国は高句麗や百済が「夫余人の一部が興した政権」だからこそ中国史の一部としているのですよ。そして夫余人がツングース系と言うのは定説です。上記のIPは知識不足です。--61.210.229.176 2011年8月8日 (月) 08:33 (UTC)
管理者さんにどうこう言うのはどうかと思いますよ。
  • 疑問が一つ。IP氏が「参考文献に挙げていた『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』では、高句麗や扶余・濊系の言語はツングース語でないと明言している」とおっしゃっていましたが、私が(『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』を)読んだ限りだと、鮮卑・烏桓の言語はモンゴル系で(L.リゲティの説)、夫余・高句麗・濊・東沃沮の言語はツングース系(断言はしていないが)で、挹婁の言語は古アジア系で、室韋・庫莫奚・契丹・豆莫婁の言語はモンゴル系で、勿吉の言語は古アジア系(断言していないが)と書いていました。全部読んだわけでないのであれですが…。
  • 情報を一つ。三上次男『古代東北アジア史研究』(吉川弘文館 1977年)より。白鳥庫吉は「挹婁(ip-lu)をツングースの一方言で馴鹿をいうoro,iruの対音と考え、純ツングースとした」とあり、挹婁=ツングース説を支持。しかし、「濊貊はツングース系をベースとしたモンゴル系との雑種であろう」と矛盾するようなことを言っている(しかも○○系を言語系統と思っていない?)。これに対し、三上次男は挹婁には馴鹿飼養の痕跡が無いとし(これも言語系統と思っていない)、挹婁=ツングース説を否定。古アジア説を力説。これに凌純声が挹婁=古アジア説を支持した。ただし、三上次男は「ツングース系、古アジア系と分けるのは安易な考え」とも言っている。
  • もう一つ。朱国忱・魏国忠(訳:佐伯有清・浜田耕策)『渤海史』(東方書店、1996年)より。渤海国の公用語は靺鞨語(支配者層)、のちに漢語。靺鞨語はツングース系、扶余語は古シベリア(古アジア)系、契丹・室韋はモンゴル系、突厥・回紇はトルコ(テュルク)系と書いている。
(以下は聞き流しても結構です)私個人としてはツングース系だの、古アジア系だのというは特に必要ないと考えています。宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水書房、2002年)にはこう書いています。「(北方遊牧騎馬民族におけるモンゴル系・テュルク系について)かつて我が国の東洋史学界で話題になった。今でも一般書ではとりあえずモンゴル系かテュルク系を決めて叙述している。しかし、この命題には重大な欠陥がいくつも存在する。①その系統が人種のことを指しているのか、言語のことを指しているのか、はっきりしない(今ではほぼ言語で通っていますが、上記の白鳥氏のように曖昧な時代もあった)。②言語系統で分類し始めたのは19世紀のヨーロッパ言語学者たちで、印欧系と区別するためであり、モンゴル系かテュルク系かという区別も、わずかな単語が漢字に音訳されて残っている中から、今のモンゴル語,トルコ語に近いか近くないかで判断したものである(突厥・回紇・蒙古なら判断できるが、匈奴・鮮卑・柔然は判断しかねる)」。言語というものは絶えず進化しており、半世紀も過ぎれば違いが出てくる。そんな中で当時からテュルク系とモンゴル系、そしてツングース系などが分かれていたとは考えにくく、そういった分類で分けるのはナンセンスなのかもしれません。最近の書籍にこれらのことが見られないのはそういうことがあってのことかなと思います(あるのもありますが)。--トムル 2011年8月4日 (木) 17:32 (UTC)
【補足】三上次男の粛慎系=古アジア系説とそれによる濊系=ツングース系について。粛慎系の象徴的習俗に人尿洗顔,豚の飼養,毒矢使用があります(中国史書より)。これは粛慎から靺鞨までみられる習俗でオホーツク文化に近い(豚飼養の点など)。そのオホーツク文化の子孫と考えられているのが、現在のニヴフ人であり、ニヴフ人はツングース系でもなければアイヌ系でもない独特の言語を話す、すなわち古シベリア(古アジア)系である。こういった点から粛慎系=古アジア系となり、中国史書によって言語系統が違うとされる濊系は自動的にツングース系となる(上記のようにモンゴル系と考える人もいる)。ただし、習俗が同じであれば言語が同じとはならないので、注意を要する。ちなみに三上氏が否定材料とした馴鹿飼養はツングースの象徴的習俗。--トムル 2011年8月4日 (木) 18:02 (UTC)
【補足2】粛慎系=ツングース系説。現在の南方ツングースの代表民族である満族(満州族)はまぎれもなくツングース系である。ここから中国史書の記述を逆に遡っていくと、満州族→建州女直→女真→黒水靺鞨→靺鞨→勿吉→挹婁→粛慎となり、粛慎系=ツングース系となる。これによって自動的に濊系はモンゴル系か古アジア系かその他系かになる。ただし、建州女直が濊系で、野人女直が粛慎系だったら話はややこしくなる。--トムル 2011年8月4日 (木) 18:22 (UTC)
ですね、管理者様の御機嫌を損ねる事を書くのは非常に危険。こちらも『東北アジアの民族と歴史』の一部を読んだ段階での書き込みだけど、高句麗・扶余語への言及があるのは2章のみ。
  • 1つが池上二良(1920年~)の章で、高句麗・扶余語はツングース語の系統かもしれないし朝鮮語の系統かもしれないが調べてみないと解らない、と、ツングース諸語に属する可能性に言及したのみで、研究もしていない。
  • もう1つが梅田博之の章で、高句麗・扶余系統の言語が古い時代にアルタイ祖語?から分岐、ツングース諸語・モンゴル諸語・テュルク諸語のグループと分かれ、その後に高句麗・扶余系統の言語と韓系言語が分かれたとしてツングース諸語であることを否定する。しかしあちこちに漂う朝鮮マンセー臭、説得力があるのかと聞かれれば正直戸惑う
  • 当時からテュルク諸語とモンゴル諸語、ツングース諸語、扶余諸語が分かれていたのは、言語研究に携わる研究者の誰も疑っていない事実で、それは暴論。アルタイ語?内での基礎言語の対応の少なさは、それぞれの言語が非常に古い年代(6千~2万年以内に拡散したとされる印欧祖語より更に古く)に分かれたが故。建州女直と野人女直の言語が異なる(方言程度ではなく別言語)可能性は全く無いって、トムルさんらしくないな。--112.138.167.244 2011年8月5日 (金) 12:48 (UTC)
世の中に多く出ている説を消しさる行為は許しません。それは隠蔽に他ならない。否定する論があるならば、出典と共にそれも加筆すればいい。それがWIKIPEDIAのルールです。また、編集者(112.138.167.244)の解釈は必要なく(それは独自研究)、研究者がなんといっているのか、そのまま記載すればいい。--218.217.122.243 2011年8月6日 (土) 02:04 (UTC)
  • 否定する論とは、要するに私が参考文献に挙げた書籍の内容や梅田博之の著述がそれで、肯定する論は今の所、池上二良の高句麗・扶余語はツングース語の系統かもしれないし朝鮮語の系統かもしれないが調べてみないと解らない、という感想と下記に書く三上次男のカビの生えた古い説しかない。
  • 以下はまあオマケ。トムル【補足】にある三上次男という鬼籍に入った爺さんの古説の根拠である「馴鹿飼養」はツングース全般には見られず、アムール川流域や松花江流域のツングース語を使用する部族の多くは、トナカイの牧畜は行わず主に農耕と漁労で生活していたので、その他多くの戦前戦後の古臭い仮説(というより想いつき)と同じく、色々な制約の故に生じた価値の無い間違いに基づく僻論。--112.138.167.244 2011年8月6日 (土) 10:02 (UTC)
まあ、カビ臭くてもいいことにしましょう。ところで、粛慎系=ツングース系説の書籍は他に何あります?--トムル 2011年8月6日 (土) 14:57 (UTC)
  • 古いものでも構わないのなら『朝鮮王朝実録』や『三朝北盟会編』ですか。濊系と粛慎系が異なるのはトムルさん含め異論が無いでしょうから割愛して、前者では女真を勿吉(児狄)と呼び、後者では同じく古の粛慎に当たり彼等の自称は朱里申で契丹人が訛って女真と為す、とあります。かなりカビ臭いのがアレですけど 引用の引用なら更に挙げられてますが、まあ止めておきます。
  • 改めて『通古斯族系的興起』を読み返したので追記。挹婁・扶余時代の考古物(食器などの陶器、豚・魚・犬など動物の骨、鏃、住居、釣具?)の発掘結果は挹婁と扶余のそれは様式や組成が異なり、挹婁のそれは10世紀~12世紀の女真時代の出土物とよく似ている、その他諸々今現在は著者に言わせれば粛慎系=ツングース系は説ではなく国際的にも確定した事実とのこと。どこまでホントかは知りませんが--112.138.167.244 2011年8月7日 (日) 07:10 (UTC)
あなたのあげた書物は否定しているというよりも言語が違うと言ってるだけです。もしろん、それは書くことはできます。しかしアナタの挙げた書物を持って「ツングースではない」と書くことはできない。また、すでに高句麗をツングースとする多くの論が出ている中で、三上次男の説しかないというのは何を言っているのか意味不明です。--61.210.229.176 2011年8月8日 (月) 08:09 (UTC)
言語が違うのに加え器物や鏃なども粛慎系(女真が明確に含まれる)と扶余系では様式が違う点からも扶余・高句麗がツングースとする説は否定され、さらに女真が挹婁や勿吉の後裔の場合は粛慎系の言語を古アジア語,扶余系の言語をツングース諸語とする古説の前提が破綻する点と、そもそも扶余や高句麗が粛慎系の民族を(挹婁,勿吉,靺鞨)など自分達と区別して読んでいた点から、扶余・高句麗はツングースではなくなる。--112.138.167.244 2011年8月8日 (月) 13:44 (UTC)
あなたの推測は必要ない。あなたが出した否定しているとやらの書物には高句麗はツングースではないと断言していない。ですからそれは本文では書けませんよ。逆に高句麗をツングースとする出典は多く出ている。だから本文でそれを書くことはできる。編集における基本的なことです。独自研究はいけない。--218.217.157.215 2011年8月11日 (木) 12:03 (UTC)
  • 「『通古斯族系的興起』にツングースの言語がモンゴル系やトルコ系とは異なるとある。また、高句麗はツングースとしていない。なので独自研究ではないですね、参考文献からの引用」についてですが、「『通古斯族系的興起』に「魏書・列伝八十八・北史・巻九十四・高句麗に言及した全ての史書により、高句麗はツングースではない」と否定されているのでしょうか?「高句麗はツングースとしていない」という高句麗をスルーしている(言及していない)ことと、「高句麗はツングースではない」と否定していることは異なる(219.161.35.146が「高句麗や扶余は否定どころか一言の言及も無く自明の事として扱われてます。史書でも扶余・高句麗は言語が違うと書かれてます」と述べているので)。「『通古斯族系的興起』は粛慎・挹婁・勿吉・靺鞨・女真はツングースとしている。なお、高句麗は言及していない→魏書・列伝八十八、北史・巻九十四などの全ての史書で粛慎・挹婁・勿吉・靺鞨・女真と高句麗は言語が異なる→よって高句麗はツングースではない」なら独自研究及び『通古斯族系的興起』の恣意的引用。
  • ウィキペディアは出典にはならないのですが、勿吉に、「靺鞨の後裔が女真であるためツングース系とされているが、夫余,高句麗もツングース系とされたりするので、どちらかが違うか、もしくは同じツングース系でも違う方言かもしれない。」って書いてある。扶余・高句麗とツングースは言語が異なると主張しても、同じツングースで方言が異なっている可能性もあるらしい。
  • トムル氏の「どういった理由で濊系=ツングースとしたのかを示していただきたい」とのことですが、高句麗語やツングース語の研究をしている板橋義三九州大学教授に質問したところわかり易い回答を頂いたので紹介します。  高句麗語(扶余系)さらにその祖語である扶余祖語に遡り、これがツングース系の語彙と共通性があるという点から、高句麗語とツングース語族は親縁関係があるとみられ、さらに上の扶余祖語を経て、ツングース語族との共通祖語が考えられるために(さらに地理的にツングースと最も近いとみられるため)、高句麗語はツングース語族に考えられるというのが、従来の考え方です。この説を取る最も代表的な日本人学者は河野六郎村山七郎服部四郎などがあげられるでしょう。拙論2003に代表的な研究者はまとめて説明してありますので、九大のリポジトリーからダウンロードすることもできるかもしれません。最近、塚本勲2006『日本語と朝鮮語の起源』白帝社では高句麗語の地名から高句麗語を考えることに関して異なった意見を述べています。  ただし219.161.35.146を擁護すると、板橋教授は、2003「高句麗語の地名から高句麗語と朝鮮語・日本語との史的関係をさぐる」アレキサンダー・ボビン&長田俊樹編『日本語系統論の現在』(pp.131-185)の論文で高句麗語とツングース語族とは言語接触によって共通する語彙が生じた可能性が高いことを指摘したが、高句麗=ツングース族説を積極的に支持しているわけではないとのことです。--通りすがりの某 2011年8月12日 (金) 10:54 (UTC)
  • 218.217.157.215へ、推測ではなく参考文献の内容そのもの、上の説明が故に「女真は粛慎の後裔である」と続き、濊系=ツングースの根拠が無くなる、残念ながら。独自研究ではなく研究者の刊行した書籍、否定したいなら苦情でも入れたらどうだろう。 ウィキペディアは出典にはならない、なるなら自分で編集して自分で参照すればいい。
  • 通りすがりの某へ、独自研究及び『通古斯族系的興起』の恣意的引用ではないね、何故なら序文に日本語で「ツングースの概念の内包と外延に対して新たに整理しました~中略~前秦時代の粛慎、漢晋時代の挹婁、南北朝時代の勿吉、隋唐時代り靺鞨、遼~元時代の女真、明末以降の満州族、オウンク族、ハテツ族などの各時代の部族集団及び民族を含むものである。」とあるから。高句麗や扶余はツングースに内包されず、高句麗=ツングース説は明確に否定されてる。 あと自称板橋義三九州大学教授に質問して得たわかり易い回答、なるものは検証可能性が無いので出典として無効ですよ、メールファイル自体をUoLoadすれば別だけど。加えて色々作文改竄してる「扶余祖語とツングース語族の共通祖語して考えられてるのはアルタイ祖語だし、そもそもツングース語族と扶余祖語よりツングース語族とモンゴル諸語の方が近いよ」という内容を通りすがりの某が都合よく弄繰り囘した上で「高句麗語はツングース語族」を捏造追加。酷いねこれは、上で挙げた学者も無関係な人物ばかりだったが輪を掛けて酷い。あと板橋義三で検索しても2003年に論文出してないし--112.138.167.244 2011年8月15日 (月) 10:32 (UTC)
IPさん。言葉が汚いので少し謹むように(Wikipedia:礼儀を忘れない)。あと「恣意的」という言葉は両者ともに使用していますので、使わないでください。両者とも何かしらの書物を参照の上の発言と思われますので、恣意的なんてことはないと思います。通りすがりの某氏の挙げた研究者は調べてみます。板橋義三の説は少し調べてみましたが、何となくわかりました(IP氏へ。2003年の『高句麗語の地名から高句麗語と朝鮮語・日本語との史的関係をさぐる』は存在しますよ)。とにかく、両者ともちゃんとした出典を持ってそうなので、お互いにそれを認めてください。ただし、「現在は否定されている」や「現在は有力な説」などといったものは無しにしてください。両論併記するにあたり、それは関係ありません。--トムル 2011年8月15日 (月) 13:08 (UTC)

きちんと私の文章読んでますか?

>上で挙げた学者も無関係な人物ばかりだったが

『扶余や濊をツングース人としている高句麗やツングースの研究者が知りたいのなら、「扶余や濊をツングース人としている日本人学者とは例えば誰でしょうか?」ではなく、「扶余や濊をツングース人としている高句麗やツングースを研究している日本人学者とは例えば誰でしょうか?」と書いてください。』と書きました。

>あと板橋義三で検索しても2003年に論文出してないし

『板橋教授は、2003「高句麗語の地名から高句麗語と朝鮮語・日本語との史的関係をさぐる」アレキサンダー・ボビン&長田俊樹編『日本語系統論の現在』(pp.131-185)の論文』と書きました。--通りすがりの某 2011年8月15日 (月) 14:15 (UTC)


112.138.167.244氏へ。あなたの出典物では「高句麗はツングースではない」と断言しているのですか?断言しているならば、その引用文とページ数を提示してください。「女真は粛慎の後裔である」と書いてあるならば、それは本文でも書くことは可能ですが、「高句麗はツングース系ではない」と書くことはできません。--218.217.114.58 2011年8月16日 (火) 16:12 (UTC)

トムルさんへ、彼等には相応の礼儀作法でしょう。あと、両論の片方の出典の論拠が既に広く否定されているので、併記ではなく研究史に過去の説として載せるくらいかと。--112.138.167.244 2011年8月17日 (水) 16:27 (UTC)
通りすがりの某へ、何故わざわざ出典になり得ない当該研究をしていない学者やただの評論家を挙げたのか?と、もう一度書いときましょうか。「九大のリポジトリーからダウンロードできるかも」などと書くから、まさか刊行物とは思わなかった。明らかに虚偽だろう中身については『日本語系統論の現在』を読んでから訂正して差し上げますが。
112.138.167.244へ、P1「ツングースの概念の内包と外延に対して新たに整理しました~中略~前秦時代の粛慎、漢晋時代の挹婁、南北朝時代の勿吉、隋唐時代り靺鞨、遼~元時代の女真、明末以降の満州族、オウンク族、ハテツ族などの各時代の部族集団及び民族を含むものである。」と書いたのを読んでいるはず。また、P47「挹婁一様、是高麗其他民族対粛慎的一種称謂。 《三国志東夷伝》挹婁在扶余東北千余里~其人形似扶余、言語不与扶余、句麗同。」P50「従文化特点来看、一方面、反映粛慎、挹婁、勿吉和靺鞨状況的~一脈相承的文化与反映濊貊、扶余和沃沮状況的~団結文化、在文化特点和文明程度上具有顕著差別。 西団山、白金堡文化(扶余)の炊事用具は鼎や浅盆高足豆、蜿蜒河、同仁文化(勿吉)は釜や瓶で豆型器物は無い」とある。通古斯族系的興起では「高句麗はツングースではない」と断定している。--112.138.167.244 2011年8月17日 (水) 16:27 (UTC)

「粛慎系=ツングース系説」、「高句麗はツングースではない」についての出典はIP氏の示したもの(『通古斯族系的興起』等)でいいと思います。「彼等には相応の礼儀作法でしょう」についてですが、どのような人にも丁寧な口調で接するのが基本です。そうでないと、同じような態度で返って来て泥沼化する恐れがあります。「片方の出典の論拠が既に広く否定されているので」についてですが、それがわかる情報源を提示してください。具体的に示さないと同じ論争が繰り返されます。それまで私は両論併記を希望します。--トムル 2011年8月17日 (水) 18:39 (UTC)

  • 「扶余や濊をツングース人としている日本人学者とは例えば誰でしょうか?」と質問されたので、扶余や濊をツングース人としている日本人学者名を挙げただけです。当該研究をしていない学者や評論家は出典にならない&知りたくなかったのなら、「当該研究をしていない学者や評論家は出典にならないので高句麗やツングースを研究している扶余や濊をツングース人としている日本人学者とは例えば誰でしょうか?」と書いて頂けませんか。
  • 219.161.35.146は、無期限投稿ブロックされた韓国人A lertkeep及びW450by11と別人でしたか。謝罪申し上げます。最近、ウィキペディア中国語版や英語版で漢四郡や高句麗などの記事や歴史テンプレートが韓国民族史観で大幅に韓国寄りに改変されるなどウィキペディアで韓国の工作が活発化しており疑心暗鬼になってしまっている。口語を口語う、高句麗を句麗、ウィキペディアをウィキペヂア、編集者を研修者と書くなどの日本語の誤字脱字、61.210.229.176 2011氏が「すでに高句麗をツングースとする多くの論が出ている中で、三上次男の説しかないというのは何を言っているのか意味不明です」と指摘されているようですが、その他にも「佐々木史郎、濱田耕策の両名が扶余人をツングースとしている文献の題名は何でしょうか?また、何故今の今まで参考文献に挙げられていないのか疑問」「独自研究しないこと。苦情は言語研究を行っている研究者へどうぞ」等の論点のずれた日本語会話、村山七郎の研究では魏志東夷伝や後漢書から夫余・高句麗の言語がツングース系だった可能性があるという指摘に対して、魏志東夷伝や後漢書から何故ツングースと考えられているのか知りもしないのに、「確実に違います。どちらの史書にも逆の事が書かれている」と即座に取り消している不自然な反応、Alertkeep及びW450by11は編集のやり方が問題視されたが、利用者‐会話:219.165.77.71でLaw soma氏も指摘している編集のやりかたの共通点、脚注にて出典を明記しない・書物に『』をつけない等の日本語版に不慣れそうな点、「扶余や濊をツングース人としている日本人学者とは例えば誰でしょうか?」という第三国的な視点からの物言い、韓国人Alertkeep及びW450by11ではないかと指摘した途端にそれを否定するが如く、「朝鮮マンセー臭」という言葉を使ういかにもな反応、「中国の学者で高句麗をツングースとする人は恐らく居ませんよ」と中国の学界の事情は知っているのに、高句麗=ツングース説が多数派である日本の学界の事情は知らない・日本人学者名を知らないという不自然さから219.161.35.146は、無期限投稿ブロックされた韓国人A lertkeep及びW450by11と同一人物かと疑ってました。
  • 『通古斯族系的興起』が出典でも良いのですが、Law soma氏が「日本語版のWikipediaで中国語の文献のみで大幅に記述を変えられると、検証可能性上不十分なのです」[2]「一方で貴方の出している出典は、そのタイトルから見ても専門性を有する書籍とは思いますが、なにぶん確認が難しい書籍ですので内容の判断までは出来ていません」[3]と書かれているように、また218.217.114.58氏も「高句麗はツングースではないと断言しているのですか?断言しているならば、その引用文とページ数を提示してください」と書かれてますが、ウィキペディアのルールである検証可能性ではどうなんでしょう。219.161.35.146は、「参考文献に挙げていた『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』では、高句麗や扶余・濊系の言語はツングース語でないと明言している」なんて書いてるし。日本語版ウィキペディアである為、可能な限り日本で検証できる出典でお願いしたいところです。--通りすがりの某 2011年8月22日 (月) 17:32 (UTC)
トムルさんへ、今現在挙げられている濊系=ツングースとする仮説の論拠は、どれも粛慎系の言語がツングース諸語ではない事が前提となっているので、粛慎系が女真の直接の先祖となった時点で自動的に否定されるんじゃないでしょうか。 言語学の観点からも、古代の稷慎(jisen)粛慎(susen)息慎(sisen)や、唐代「女真」(jiojin)、宋代の朱里真(julisin)諸申(julisin)は彼等自身の自称やモンゴル語のjurcinなどから音写した際にrが脱落し、cがsに変化する特徴を加味すると、同じ呼称を音訳したと見るのが共通認識『アルタイ語系 語言文化比較研究』となっているそうなので。--119.83.172.190 2011年8月23日 (火) 12:54 (UTC)
「粛慎系が女真の直接の先祖となった時点で自動的に否定されるんじゃないでしょうか」→確かに、普通に考えればそうなりますが、未だに濊系=ツングース系と表記する書籍が出回っていることを考えると(=否定されていない)、なにかしらの理由があるはずです。「言語学の観点からも、古代の稷慎(jisen)粛慎(susen)息慎(sisen)や、唐代「女真」(jiojin)、宋代の朱里真(julisin)諸申(julisin)は彼等自身の自称やモンゴル語のjurcinなどから音写した際にrが脱落し、cがsに変化する特徴を加味すると、同じ呼称を音訳したと見るのが共通認識『アルタイ語系 語言文化比較研究』となっているそうなので」→何に書いていることですか?『通古斯族系的興起』ですか?だとしたらページ数を教えてください。--トムル 2011年8月24日 (水) 02:34 (UTC)
「未だに濊系=ツングース系と表記する書籍が出回っていることを考えると(=否定されていない)、なにかしらの理由があるはずです。」濊系=ツングースを主張する仮説が載っているとして挙げられた書籍は総て古く、しかし発禁処分を受けたわけじゃないのでまさか回収はされないでしょう。理由と状況は以上の通りで、発掘調査の結果に基づく粛慎系を女真の直接の祖先とする説に対して、長年反論がされていない以上、既に否定されてると言える。名称どうこうの話は『アルタイ語系 語言文化比較研究』の220~250Pにあります。--163.139.164.218 2011年8月24日 (水) 08:16 (UTC)

現実にツングース=高句麗と言われている事実を消し去る行為をした場合、徹底して反対行動をしますので、あしからず。方針上問題のない出典付記載を個人的思想・センスで隠蔽する行為は断固とした対応をさせていただきますので、あしからず。--218.217.157.228 2011年8月28日 (日) 17:12 (UTC)

現実にツングース=高句麗と言われている事実とやらの出典を出してね。今まで挙げられているのは仮説で、しかも論拠の前提が既に崩れている仮説しかない。--112.138.46.198 2011年8月29日 (月) 17:01 (UTC)
すでに本文に出ていますが、大丈夫でしょうか?
「ツングース=高句麗」と言われている事実です。どうぞ。
濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」「高句麗族はツングース系の扶余族の別種(木村誠 趙景達 吉田光男 馬淵貞利編『朝鮮人物事典』)」、諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」、Searchina三国史記によれば、高句麗の始祖は朱蒙。ツングース系の一部族である扶余族(2008年2月24日serchina)」、黄文雄遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」、鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」(夫余とは、村山正雄「古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族(Yahoo!百科事典)」、佐々木史郎「夫余と靺鞨はツングース系の民族ではないかと考えられている(Yahoo!百科事典)」、山川出版社『世界史用語集』「【夫余】同じツングース系の勿吉に滅ぶ。百済の王は夫余族と言う」)、護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、宮脇淳子「高句麗人は、南満州で半農半牧の生活をしていた貊人の一種である(宮脇淳子著『世界史のなかの満洲帝国』)」(貊とは、山川出版社『世界史用語集』「【貊族】紀元前7世紀~紀元前6世紀以降河北省長城地帯から中国東北地方にいたツングース系民族で、漢族・モンゴルに系に圧迫されて東方に移り、のちの夫余・高句麗を建国」)、広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」、大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」大辞林「【高句麗】中国東北部にいた扶余族の一支族が建国」、日本大百科全書「高句麗は夫余族の一派で、鴨緑江中流域を中心にして紀元前後に王国をつくった」--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 17:26 (UTC)
読めば解る通り、高句麗が穢貊や扶余の同種であるとする見解、百科事典、ネット上の情報しか挙がってないから、ウィキペヂアの方針とやらによると刊行物の否定はされない。そもそも高句麗の本文に参考文献が列挙されているにも拘らず、218.217.122.101のずらずら並べた代物が載っていない時点でお察し。--112.138.46.198 2011年8月29日 (月) 17:58 (UTC)
百科事典だろうが、多くの研究者に「ツングース=高句麗と言われている事実」の証拠でしょうに。見たくないものでもしっかり見ないと。またwikipediaにおいて3次資料が禁止されているというルールはありません。--218.217.122.101 2011年8月29日 (月) 18:06 (UTC)
発掘調査の成果及びその研究と仮定が前提の仮説やヤフー百科事典等を同じ信頼性を持つと認定しろ、という自分の主張に無理があると理解しているから何度も同じ話題をループさせるのだろうが、wikipediaにおいて3次資料などの信頼性の低いものによる編集は2次資料などの信頼性の高いものにより削除されても文句は言えないというルールがあります。--112.138.46.198 2011年8月30日 (火) 09:37 (UTC)

みなさん。互いの主張はわかりますが、一旦、ノート:ツングース系民族#歴史上ツングースに関する書籍リストを見ていただき、そして自分の持っている情報を書き足してください。リストを見てわかるように、(少なくとも日本では)どの説が有力かは決まっておらず、いまだに高句麗をツングース系、靺鞨をツングース系、夫余をツングース系、貊をツングース系と、バラバラに支持されている模様です。218.217.122.101氏に質問ですが、高句麗=ツングース系説のみを支持しているわけではないですよね?--トムル 2011年8月30日 (火) 12:42 (UTC)


112.138.46.198へ。どれが優位な研究かを決めることは難しい。あなたの出している出典は日本人が検証しにくく意味不明だが、こちらが出している出典は二次資料もあり、また百科事典も専門家の署名入りで論じているものであり、信頼できる資料なので、「3次資料は信頼性が低い」というのは、アナタの勝手なマイルールなだけでしょうに。「Wikipedia:信頼できる情報源#情報源」では百科事典について「『ブリタニカ百科事典』のように、信頼できる三次資料の宝庫もあります」「『ブリタニカ百科事典』、『ワールド・ブック』、『エンカルタ』の記事でも、著者の記名がないものは編集部員が書いたものであり、彼らは専門家とは限らないため注意してください。そのような記事は専門家の手によるものと同等の信憑性を期待することはできませんが、ウィキペディアの目的には信頼できる情報源とみなされます。」とされています。「3次資料は信頼性が低い」などというマイルールを元に、研究や学者の説に優劣をつけてはいけません。一方のみを信じるなよ、と。あなたは完全なPOVなんですよ。その上あなたの出している出典内容は多数派の証明もできていませんので、あなたの出典内容を中心に書くこともできません。そもそもアナタの出典では「高句麗はツングースではない」と直接は書かれていないようですし、それを本文で書くことはできません。--218.217.122.101 2011年8月30日 (火) 12:49 (UTC)
トムル氏へ。高句麗=ツングース系説のみを支持しているわけではありませんが、それが主流の説であるということです。もちろん誰かのように他の意見を除外するつもりはありませんよ。ただし少数派は少数派としての記載が必要と考えています。--218.217.122.101 2011年8月30日 (火) 12:49 (UTC)
何度も説明した通り、いま2次情報として挙がってる高句麗=ツングース系説は、全て粛慎系≠ツングースとする仮定が前提の仮説で、その前提が覆っている。それ以外は必ずしも研究者が執筆しない信頼性の低い百科事典だけ。--112.138.46.198 2011年8月30日 (火) 14:32 (UTC)
「前提が覆っている」ことが定説ならば、出典がいくらでもあるはず。しかしそんな重要な研究結果が5年以上たっている2011年現在でも日本では見られない。そんなものを定説(事実)とし、「前提が覆っている」とすることはできません。せいぜいそんな説もあるという程度です。
また百科事典がwikipediaにおいて「信頼性が低い」とされていないことはすでに証明した。そして出典の百科事典に執筆している護雅夫などは古代アジア史の歴史学者であり、誰がどう見ても「専門家」であり「研究者」である。つまり、「研究者が執筆しない信頼性の低い百科事典だけ」という主張は何ら根拠がなく、アナタ独自の勝手な見解でしかなく、挙がっている百科事典はwikipediaの出典として通用するものである。--218.217.122.101 2011年8月30日 (火) 19:39 (UTC)
じゃあ近年の日本国内刊行で粛慎系の集団に言及してる文献挙げて、下のは他のノートと重複するからそっち読んで。--112.138.46.198 2011年9月1日 (木) 16:13 (UTC)
「近年の日本国内刊行で粛慎系の集団に言及している」ことを本文で書いていませんので、その文献(出典)を出す必要はありません。出典提出は本文に書こうとする側に義務があります。あなたは「粛慎系≠ツングース系は各種研究から確定」と書きたいのですから、ならば、それが定説となっていることを示す証拠を出してくださいな。wikipediaでは「少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。Wikipedia:中立的な観点)」となっております。アナタの主張が定説ならば、それが定説(多数派・主流)の見解であるという証拠を出してください。意味不明な中国の書物のみ出されても、その内容を「事実」「定説」「多数派」のものとして記載することはできません。定説ならば日本の学界でも語られているはずです。現在の状況では一つの見解があるという書き方しかできません。--218.217.22.160 2011年9月1日 (木) 17:02 (UTC)
今までのノートの文章を読めば誰にでも判る通り、何度も粛慎系=ツングース系が各種研究から確定し、粛慎系≠ツングース系とする仮定が前提の濊系=ツングース系は前提が覆ったとは書いたが「粛慎系≠ツングース系は各種研究から確定」とは書いていない、何故すぐ解るウソを書いたか釈明して欲しいね。--112.138.46.198 2011年9月2日 (金) 09:18 (UTC)

とりあえず218.217.22.160氏は挹婁を書きかえないでください。ここの議論が終わらない限り、意味がありません。112.138.46.198氏へ。高凱軍『通古斯族系的興起』を手に入れましたので、読んでみます。結果によっては各記事の言語系統の項目に粛慎系=ツングース系説を第一に書くかもしれませんし、そうでないかもしれません。すべては私の検証次第です。--トムル 2011年9月2日 (金) 10:19 (UTC)

112.138.46.198へ。「粛慎系≠ツングース系とする仮定が前提の濊系=ツングース系は前提が覆った」という「覆った」と言い切るには、その研究が定説・主流でなければなりません。それを証明してください。「覆った」ことが定説ならば日本でも述べられているはずです。それがない以上、アナタの主張を本文で書くことはできません。せいぜい、そのような一つの研究があったと書く程度です。さあ、「覆った」ことが歴史学会で主流となっている証拠を出してください。定説なのですから日本の文献もお願いしますね。待ってます。--218.217.115.116 2011年9月2日 (金) 15:25 (UTC)
トムルさん。編集合戦において一方だけに「書き換えるな」と注意するのは、不公平ではありませんか?なぜ私だけに「書きかえるな」としたのでしょうか?--218.217.115.116 2011年9月2日 (金) 15:25 (UTC)
ひがまないでください。別にどちらかの手が止まればいいだけです。ただ、218.217.115.116氏に注意した理由は、私の編集後にあなたが先に書きかえ(2011年8月29日 (月) 15:29)たためで(あと話がわかる方かなと思ったから)、とくにこれといった理由はありません。不公平に感じたのであれば、謝ります。--トムル 2011年9月2日 (金) 17:33 (UTC)
別にあなたの検証次第ではないけどね。複数人(一応)が読み他情報との適当な比較評価を下せれば、列挙された粛慎系≠ツングース情報の研究史行きへの反対や検証可能性云々のレッテル貼りも収めて貰える。といいけど--112.138.46.198 2011年9月2日 (金) 19:20 (UTC)

私は、『通古斯族系的興起』を読んでいないので知識不足かもしませんが、よく分からない事があって質問させてください。何故、粛慎=ツングースである事が濊=ツングースを否定する根拠になるのでしょうか?佐々木史郎氏は、粛慎(靺鞨)も濊(扶余)も両方ツングースと主張してますよ。高句麗地名から地名学的手法により再構された高句麗語とツングース語が共通語彙がある事は言語学的に認められており(李基文『韓国語の歴史』、村山七郎「日本語および高句麗語の数詞」『国語学』48、金芳漢『韓国語の系統』、板橋義三「高句麗の地名から高句麗語と朝鮮語・日本語との史的関係をさぐる」『日本語系統論の現在』、河野六郎『河野六郎著作集・2』平凡社など)、金芳漢は語彙80語でツングース語10数語、板橋氏は語彙111語でツングース語21語とするように研究者によって相違もあり、河野六郎・村山七郎・服部四郎の各氏に代表される従来の考えでは共通語彙が存在する為親縁関係にありツングースと考えられ、板橋氏はツングースよりも上代日本語との方が類似語の割合が大きい為(板橋氏によれば30%と42%)ツングース説を積極的に支持しているわけではないという相違もありますが、濊=ツングースが粛慎≠ツングースを前提としているなら、何故高句麗語(濊)とツングース語は共通語彙が存在するのでしょうか?--通りすがりの某 2011年9月2日 (金) 20:37 (UTC)

現在、中国史書にさんざん「(濊系と粛慎系の)言語が同じでない」と記されているにもかかわらず、我が国で出回っている書籍には「貊はツングース」「靺鞨はツングース」「高句麗はツングース」と、矛盾しているような記述がされている。それがなぜそうなのかは語ってくれない。この曖昧になっている記述が今の“ツングース問題”を引き起こす原因になっているのですが、このたび私はいい資料を見つけました(といいますか、ツングース問題を語る上でまず最初に目を通しておくべきであったと後悔しているのですが)。それは日本東洋史学界の元祖とも呼べる白鳥庫吉氏の論文です(『白鳥庫吉全集』より)。彼の結論からいえば、粛慎系は純ツングース系(すなわちツングース系)、濊系はモンゴル系とツングース系の雑種としています。その理論を要約すれば、『山海経』や『満州源流考』などに記されている粛慎系の語彙が現代のツングース語彙と共通する。一方で、同じく濊系の語彙も現代のツングース語彙と共通しているのだが、一部にモンゴル系(東胡系)の語彙が混じっている。とのことです。上記のように、言語学的観点からすれば、両方ともツングース系としてもよいようですが、ツングース系でも違う言語に聞こえるくらいモンゴル系と混ざっていた。というのが“両方ツングース系説”ではないでしょうか。質問に答えましょう「何故、粛慎系=ツングース系である事が濊系=ツングース系を否定する根拠になるのでしょうか?」については中国史書に「(濊系と粛慎系の)言語が同じでない」と記されているからです。「濊系=ツングース系が粛慎系≠ツングース系を前提としている」についてですが、必ずしも濊系=ツングース系説が粛慎系≠ツングース系ではなく、“両方ツングース系説”もあれば、三上次男氏の提唱した粛慎系=古アジア系(粛慎系≠ツングース系)もあるということです。こういうことで、たいていの日本書籍はこの時代の研究をもとに好きな説をチョイスしているように思われます。--トムル 2011年9月3日 (土) 10:13 (UTC)
トムルさんが答えたのに被せるのも何ですが、ツングース語・モンゴル語・トルコ語の間には対応関係のある語が一定割合あるので、高句麗語とツングース語に類似語があっても上記3つの言語と近縁関係にあるとは認められても、それ以上の事は。アルタイ祖語だっけ?--112.138.46.198 2011年9月3日 (土) 20:41 (UTC)
112.138.46.198氏、保護解除されたからといってまだ書き換えは控えてください。いったんこのノートページで文言をまとめてからにしましょう。でも、前よりだいぶ考慮された文章になりましたね。ただ、「日本の百科事典や古い書籍には、高句麗をツングース系民族とした記述も多く存在する」とありますが、日本の現在の書籍にも高句麗をツングース系民族とした記述が多く存在しますよ。--トムル 2011年9月4日 (日) 14:52 (UTC)
今までの処、高句麗をツングース系民族として記述している日本の現在の書籍が挙げられていないので、その新しく発見された書籍群を提示して下さいね。--112.138.46.198 2011年9月5日 (月) 09:50 (UTC)
「高句麗をツングース系民族として記述している日本の現在の書籍」は218.217.115.116氏や、通りすがりの某氏がさんざん挙げているではありませんか(情報が薄いですが)。また、私が集めたのもあります→ノート:ツングース系民族#歴史上ツングースに関する書籍リスト。「現在の」というのは2000年代でいいでしょう?112.138.46.198氏の言うように、日本の研究は低調なので、参考にならない資料ばかりですが、「高句麗をツングース系民族として記述している日本の現在の書籍」は存在します。「そんなん出典にならない」とは言わないでくださいよ。--トムル 2011年9月6日 (火) 17:29 (UTC)
朝鮮史観に頭まで浸かったip氏へ。【信頼できる情報源とするには、観察に裏付けられた主張・仮定ではあるが非常に確度の高いものと、思惑や憶測の域を出ないもの・噂とを区別します】豊富な史料、特に様々な出土品は研究を進める貴重な材料となり。一方、乏しい情報しかなければ必然的に仮定や遠い援用が増えてしまう。よって、両者の信頼性には大きな差が生じます。
【(同じ品質と信頼性だと仮定した場合)日本語の情報源は~外国語の情報源より常に優先すべきです。例えば、相当する日本語の記事が無い場合以外は、外国語の新聞を情報源としてはいけません】上記の通り、粛慎系の集団に関して挙げられている日中の文献は、同じ品質と信頼性ではないし、今の所は相当する文献が挙げられていないのです。--112.138.149.226 2011年9月20日 (火) 12:59 (UTC)