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ノート:高句麗論争

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Ryo 625へ

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Ryo 625が信頼性要検証、精度のテンプレを挿入しましたが、具体的にどこが問題なのかきちんとノートに書くべき。そうでないと、問題個所が分からないので改善しようがありません。ピンポンダッシュのように適当にテンプレだけ貼り付けてその場から立ち去る無責任な行為は止めるべきだし、荒らし行為とみなされても仕方ありません。--219.111.112.14 2018年3月5日 (月) 16:51 (UTC)[返信]

コメント 一連の問題は倉山氏等の専門性の問題ということで、すべて共通しているのでノート:太祖 (高麗王)でまとめて議論しましょう。--Ryo 625会話2018年3月6日 (火) 21:54 (UTC)[返信]

宇山卓栄氏の言説を削除することについて

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ノート:宇山卓栄において歴史学の非専門家である宇山卓栄氏の言説を削除することを提案しています。--らりた会話2022年11月30日 (水) 12:19 (UTC)[返信]

改稿の提案

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  • 折角出典の整理が行われているのでついでではないのですが、本記事について提案です。率直に言って本記事は出典の選定、構成、内容、いずれについても著しい問題がある状態だと思います。出典の選定については黄文雄や倉山満、室谷克実など非専門家の見解を逐一取り上げているのがまず問題ですが、専門家が書いた書籍の引き方も出典の文脈を無視したものになっていて不適切です。具体例として河内春人『倭の五王』を挙げますが、同書のp. 88から「河内春人は、『1979年に韓国忠清北道で発見された、5世紀前半に立てたと考えられる中原高句麗碑では、高句麗が新羅王を『東夷の寐錦』と呼んでいる。この時期の新羅はまだ『王』を名乗っていない。寐錦とは5世紀の新羅の最高首長の称号の一つであった。新羅で『王』を名乗るのは6世紀前半の法興王の時代になってからである。高句麗は新羅を『東夷』すなわち東の野蛮人と見なしており、高句麗を中心とした中華思想に基づいて新羅を夷狄視していた』と指摘している。」という引用が行われています。 しかし、同書の文章は続けて「それは高句麗が中国とは異なる国際秩序を作り上げようとしていることの表れである。」となっており、同書の引用部分の主題は前後の文脈からも高句麗の外交であることが明確で、「高句麗論争」を取り扱ったものではないです。本記事の構成上、"§日本での高句麗についての見方"は新羅(ひいては現代の韓国)と高句麗が関係が無いことを強調することが意図されているのは読めば明らか(これも問題)ですが、河内春人『倭の五王』はそもそも「高句麗が『朝鮮の歴史』なのか『中国の歴史』なのか」という命題を扱っておらず、同書の5世紀の政治情勢の解説文を近現代歴史学・政治における一国史の視座と関連付けて引用するのは基本的に非合理です。5世紀の高句麗の外交的立場と高句麗が朝鮮史か中国史かという話は同書の記述上全く関係がありません。他の書籍からの引用も同種の問題があるものがほとんどです。
  • 具体的な提案の内容ですが、本稿を全面的に改め、高句麗#歴史論争:高句麗の歴史帰属をめぐる問題(※だいぶ前に自分が書いたものです)をベースにしたものに置き換えたいと思います。また、高句麗#歴史論争:高句麗の歴史帰属をめぐる問題自体は削除し、高句麗論争への外部リンクだけにしてはどうかと思っています。高句麗の記事で高句麗の歴史帰属について大きく取り扱っているのは過去の構成を引き継いでいるのですが、高句麗論争は高句麗自体というより現代歴史学または政治・外交のテーマという性質が強い話なので、高句麗について一般的な説明をするにあたって大項目として置くのはそれ自体中立性に問題があると考えます。--TEN会話2023年1月10日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
    賛成  出典を参照した精査をしてはいないのですが、高句麗#歴史論争:高句麗の歴史帰属をめぐる問題を拝見させていただきました。綺麗に纏まって、現在のこの高句麗論争の記事とは比べ物にならないくらいに良い記事であると思います。高句麗の記事中で高句麗論争について詳述するよりもこの記事に記述を移したほうがすっきりすると思います。TENさんのご提案に賛成します。--らりた会話2023年1月11日 (水) 11:40 (UTC)[返信]
    報告 上記の通り実施してみました。--TEN会話2023年1月21日 (土) 13:58 (UTC)[返信]